2004/08/31(火)「NIN×NIN 忍者ハットリくん The Movie」

 「NIN×NIN 忍者ハットリくん The Movie」パンフレットハッピーコーラという清涼飲料水のCMや看板や空き缶が至る所に出てくる。タイアップだとしたらあまりにどぎついと思ったが、そんなコーラはないようだ(同名のお菓子はある)。このCMに何の意味があるのか、2度登場するテレビの無表情な女性アナウンサーと同様に分からない。パンフレットを読むと、鈴木雅之監督は「特に意味やオチはないんですが、全体的にちょっと変な感じにしたかったんです。リアルな現代とは違うハットリくん的な世界観を作りたかった」と言っている。忍者という異形の存在を現代に出すことで、リアリティが失われることを危惧したのかどうかは知らないが、元がコメディなのだから、そういう変な世界にシフトさせるよりは現代そのものに忍者を登場させても別に構わなかった。凝るべきところはそんな部分ではないのだ。同じことは最初に登場する手裏剣のまるで円盤のような見せ方にも言える。あんな風に手裏剣をアップで見せることに何の意味があるのか。意味などないのだろう。鈴木監督の演出はそういうビジュアルに中途半端に凝っている。なのに肝心のドラマがありきたりである。

 伊賀忍者最後の服部一族のカンゾウ(香取慎吾)が父親のジンゾウ(伊東四朗)から江戸に修行に行くよう命じられる。最初に会った人が主人で、主人以外に姿を見られてはいけないという条件付き。カンゾウが主人にしたのは小学生のケンイチ(知念侑季)。2人は変な友情を感じながら、ケンイチの両親(浅野和之、戸田恵子)に知られないようにケンイチの部屋で共同生活をすることになる。ケンイチは学校ではいじめられっ子。そのケンイチのクラスに新しい担任のサトー(ガレッジセールのゴリ)が赴任する。サトー先生は超人的な能力を持っていたが、その正体はカンゾウの宿命のライバル、甲賀忍者のケムマキだった。そのころ東京ではおかしな事件が起こっていた。毒物で意識不明の重体とされる事件で、被害者には一見、因果関係はなかった。共通するのは現場に残された棒手裏剣と被害者の腕にある刺青。やがて被害者は甲賀忍者であることが分かる。

 原作が月刊「少年」で連載開始されたのが40年前。実写のテレビドラマ(全26話)が放映されたのが38年前だ。僕はこのテレビ版をリアルタイムで見ているが、コメディリリーフの花岡実太(ハナオカジッタ)先生(谷村昌彦)に強い印象がある。今回の映画には登場しないのが残念。鈴木監督もリアルタイムで見ている世代だが、テレビ版と同じ作りにするつもりはなかったのだろう。伊東四朗の起用は「ニン」と言えば、伊東四朗だからだそうで、それならばもっと登場場面を増やしても良かったのではないかと思う。全体的にギャグが幼稚である。子ども向けだからということではなく、ギャグのレベルが低い。

 多用されるCGはまずまずのレベルだし、主演の香取慎吾も悪くないけれど、どうもテレビの2時間ドラマで十分な作品を見せられた感じ。フジテレビ製作の映画で、そこそこヒットはするだろうが、刹那的な商売してるなという印象がつきまとう。

2004/08/26(木)「石井のおとうさんありがとう」

 「石井のおとうさんありがとう」パンフレット明治時代に3000人の孤児を救った高鍋町出身の石井十次の生涯を描いた山田火砂子監督作品。身も蓋もない言い方をすれば、極めて凡庸な作品である。題材自体はいいのに、料理の仕方が決定的に凡庸すぎる。石井十次の生涯をなぞっただけで、ドラマティックなポイントがない。だから主演の松平健をはじめ出演者にも演技のしどころがない。おまけに自主上映の形での公開が中心のためか、16ミリフィルム。画質の悪さ、画面の狭さが加わって、これならテレビの方がましか、と思えてくる。脚本も担当した山田監督は「私は一人でも多くの方にこの事実を知って頂きたいと思います」とパンフレットに書いている。あまり知られていない事実(というわけでもないのだが)を知らしめることが映画製作の目的にあったとしても、生涯を単になぞっただけの映画にしていいわけがない。出演者には恵まれているのに、これでは惜しい。

 映画は日系ブラジル人の西山洋子(今城静香)が病床の祖父から1枚の写真を手渡される場面で始まる。「石井のおとうさんにありがとうと言ってくれ」。祖父からそう言われた洋子は“石井のおとうさん”について知るために宮崎県木城町にある石井記念友愛社に行き、園長の児島草次郎(大和田伸也)から石井十次がどんな人物だったかを聞く。医学生の石井十次(松平健)は明治20年、岡山県大宮村の診療所で代診中に、食べるものにも困っていた浮浪者の女から男の子を預かる。この話が広まり、十次のもとにはたくさんの孤児が集まるようになる。熱心なキリスト教信者であった十次は妻の品子(永作博美)とともに孤児の世話にあたっているうちに、医師になることをやめ、孤児院を開くことを決意。濃尾大地震や東北の大飢饉などで十次が預かる孤児は急速に増えていく。そんな十次の姿勢に芸者の小梅(竹下景子)や資産家の大原孫三郎(辰巳琢郎)は物心両面にわたる援助を積極的に行っていく。

 十次が設立した岡山孤児院には最も多い時で1200人もの孤児がいたという。孤児たちが集合した記念写真がパンフレットにも収められているが、この数は相当なものである。石井十次が成し遂げたことに対しては敬服するしかない。それはいいのだが、パンフレットの扉には「一度は放蕩に身を持ち崩しつつも、改心して立ち直り…」とある。この部分を映画はまったく省略している。10年ほど前に放映された日本テレビ「知ってるつもり?!」では性病にかかったことが十次のターニングポイントの一つだったと紹介していた。これを見た時は、それはあんまりだろうと思ったが、一人の人間を描くからにはそういう部分も必要なのである。映画はきれい事で終わった観がある。

 だから十次の人間性も分かったようで分からない部分が残る。もっともっと対象に詰め寄り、深い部分をえぐっていく視点がなければ、深みのある映画にはなりようがない。

2004/08/22(日)尿管結石

 左わき腹の痛みで目が覚める。午前7時ごろ。激痛ではなく、ずーっと続く鈍痛。トイレに行ったが、治らない。2時間ほど我慢していたが、脂汗も出てきて、痛みに耐えられないので病院へ。ちょうど、自宅近くの内科・胃腸科が当番医だった。超音波でお腹を診断(妊婦さんみたい)。どうも尿管結石らしい。ついでに胆嚢にポリープがあるのも分かる(ゲゲゲ)。まあ、こちらは様子を見るしかないらしい。

 尿管を緩くする注射を打った後、検尿とレントゲン。検尿で潜血反応があり、疑いが濃くなる。レントゲンの結果、腎臓と膀胱の間に小さな石があった。やはり、尿管結石。注射打った後から、痛みがひどくなっていたが、医者は「症状としては軽いですね。水やビールなど利尿作用のある飲み物をたくさん飲んでください。昼過ぎまで痛みがあったら電話を」と言うだけ。薬はなし。そういうものですか。鎮痛剤とかあると嬉しかったんですけどね。

 ネットで検索してみると、尿管結石の痛みは痛風と並ぶものらしい(「一病息災」というページが詳しい)。激痛のため救急車で運ばれる場合もあるとか。ただ命にかかわる病気ではないので、軽く見られる。本人は痛くてたまらないんだが、そんなに同情もされず、なんかかわいそうな病気であるな。

自宅に帰って1時間ほどしたら、痛みは収まった。あとは石が出てくるのを待つだけ。出てきた石の写真をアップしているサイトもあるが、そこまでする趣味はない。

2004/08/18(水) 高千穂牧場

 ぐずついた天気の高千穂牧場午前7時ごろ起床。テレビを付けて、またも五輪のニュースを見る。谷本の金メダルとか、山本(200メートルバタフライ)の銀メダルとか、五輪で初めてキューバに勝った野球とか。野球にはいよいよ金メダルの期待が大きくなるなあ。全員プロなのだから、勝って当然ではあるのだが、やはり強いチームを見ていると、気持ちがいい。

 朝食(パン)を食べて、高千穂牧場に向かう。途中で激しい雨が降ったりして天気は相変わらず、ぐずついている=写真=。高千穂牧場にはここ数年来ていなかったが、もう何度も来ている。夏休みなので、平日といえども家族連れでいっぱい。定番のソフトクリーム(おいしい)を食べた後、場内を見学して午前11時半から乳搾り体験。お土産を買う。

 牧場近くにある夢見が丘で昼食。子どもはカレー、家内はチキン南蛮付きの冷麺、僕は「女性に評判」とPRしているオムライス。味はそこそこ。これが評判になりますか?

 天気がダメダメなので帰る。この近辺はよく知っているので、カーナビを使うまでもないのだが、試しにルートをチェックしてみたら、自宅まで2時間半と出る。そんなにかかるわけないだろう。そのまま走っていると、微妙に狭い道路を避けたり、国道を走るコースを設定しているようだ。もちろん、ルート通りには走らず、知っている道を走る。カーナビは3回ほどルートを自動修正していた。で、1時間半で帰宅。

 僕が使っているカーナビのDVDは4年ほど前のもの。このため新設された道路が地図に出てこないことが時々ある。買い換えたいところだが、2万円以上もするのがネック。カーナビもネットに接続して、常に新しい地図を表示できるようになりませんかね。パソコン用ソフトでは年間2000円足らずでできるわけだから、カーナビもそういう方向が望ましい。もちろん、そのためには車からネットに接続できる環境が必要だが、技術的には十分可能でしょう。

2004/08/12(木)「リディック」

 「リディック」パンフレットヴィン・ディーゼルの出世作となった傑作「ピッチブラック」の続編。というか、間にアニメ版の「リディック アニメーテッド」というのがあるそうだ。「ピッチブラック」はあの怪物が群れをなして襲ってくる場面などをテレビで断片的にしか見ていないが、前作を見ていなくても話は通じる。宇宙の征服を企む凶暴なネクロモンガーの大軍隊にリディックが単身挑む話。小品だった前作よりセットやVFXはスケールアップして見応えがあるが、話としては今ひとつ大作の感じがない。本筋の真ん中にある昔の仲間を助けに刑務所惑星に行くくだりが長すぎるのだ。

 このクリマトリアという惑星、昼間は700度、夜はマイナス300度というとんでもなく過酷な環境で、大地をメラメラと燃やしながら、日が昇っていくシーンなどはなかなか面白い(しかし、人間が燃え上がってしまう描写は700度じゃなくて数万度はありそう)。本来ならば、ここを細かく描いた方が「ピッチブラック」の続編としては正しかったような気がする。スケール感を出すために前後に宇宙征服の設定を付け加えたのではないか、と思えてきてしまうのだ。大作には大作の話の語り方というのがある。「リディック」は話の作り方、語り方に失敗しているのである。デヴィッド・トゥーヒー監督、大作には向いていないのではないか。

 「ピッチブラック」のエピソードから5年後の設定。5つの惑星から指名手配されているリディックは宇宙の片隅にある氷の惑星でひっそりと暮らしていたが、自分に賞金をかけた者がいることを知る。襲ってきた賞金稼ぎの船を奪い、旧知のイマム(キース・デヴィッド)が住むヘリオン第1惑星に向かう。そこでエーテル状の生命体エレメンタル族のエアリオン(ジュディ・デンチ)からネクロモンガーのボス、ロード・マーシャル(コルム・フィオーレ)を倒すのはフューリア族で、リディックはその生き残りではないかと指摘される。そこへネクロモンガーの軍隊が襲ってくる。危うく難を逃れたリディックは賞金稼ぎにわざと捕まり、刑務所惑星クリマトリアに連行される。そこには5年前、行動を共にしたキーラ(アレクサ・タヴァロス)がいるからだった。リディックはキーラと再会するが、ネクロモンガーの船がリディックの跡を付けてきていた。

 アクションを織り込んで展開する作りもヴィン・ディーゼル自体も悪くないのだが、宇宙征服を企む一団との戦いにしては話が簡単すぎる。ロード・マーシャルは生死を超越した存在で超人的な能力を持つ(加速装置みたいな能力もあり、動きが面白い)。リディックはマーシャルを倒す男と宿命づけられているという設定なのだが、観客にそれを都合がいい設定と思わせないためには刑務所惑星の描写を最小限にして、本筋の話に力を入れた方が良かったと思う。

 原題はThe Cronicles of Riddick。年代記というほど長いスパンの話では全然ないが、これから年代記的に映画を作っていくつもりなのだろうか。それなら、次作ではもっとまとまった話のかける脚本家を雇った方がいいだろう。