2010/01/31(日)「今度は愛妻家」

  薬師丸ひろ子の映画でのベストは「Wの悲劇」だと思うが、それは25年も前のこと。最近は「ALWAYS 三丁目の夕日」など母親役が多いのも仕方がないかなと思っていた。「今度は愛妻家」の行定勲監督はかつての角川映画のように薬師丸ひろ子の魅力を引き出したかったのだそうだ。子どものいない結婚10年目の夫婦の役を豊川悦司とともに演じる薬師丸ひろ子は「Wの悲劇」に次ぐ好演を見せていると思う。

 元は中谷まゆみ原作の舞台劇。このため外に出る場面はあっても、基本的に家の中で話が終始する。「日本映画には珍しいスクリューボール・コメディ」と、キネ旬で北川れい子が書いていたが、それは大げさであっても、終盤のウエットな場面を除けばソフィスティケイテッドなコメディに仕上がっている。酒場で知り合った女優志望の女(水川あさみ)が家に訪ねてくるのを待っている夫が、箱根に向かったはずの妻が帰ってきてドタバタする冒頭の場面からとてもおかしい。飲んだ人が必ず吐き出すニンジン茶のエピソードは本筋と絡んで秀逸である。10年間で10人の女と浮気して離婚の危機にある豊川、薬師丸の夫婦もいいのだが、水川あさみとカメラマン豊川の助手を演じる純情で善良な濱田岳の関係が輪をかけて良い。「あんたなんか、何と思っていなかったのよ」「それは最初から分かっていたよ」という派手な女と地味な男の関係が泣かせるのだ。

 加えておかまの文ちゃんを演じる石橋蓮司もおかしいし、ちらりとしか出てこない井川遥も良い。これにストーリーの仕掛けが加わって、楽しめる映画になっている。

 その仕掛けについて以下に少し触れているので、未見の人は読まない方がいい。

 「そこであいつに会わなかったか?」。始まって15分ぐらいの場面にある豊川悦司のこのセリフで映画の仕掛けは分かった。後はその仕掛けに整合性が取れているかどうかを気にしながら見て、まずい部分はなかったと思う。この仕掛けは過去の映画にもあったし、昨年読んだ小説にもあったので珍しくはないが、そんなに長くは引っ張れないたぐいのものである。というわけで映画はラスト30分ほど前にこの仕掛けを明らかにする。そこからもう一つ、意外な人間関係が明らかになる。これは僕は予想していなかった。考えてみれば、前半にそれをにおわせるセリフはあったのだった。

 脚本の仕掛けというのは観客へのサービスみたいなものだから、凝った脚本の映画を見ると嬉しくなる。行定勲は出来不出来のある監督だが、こういう凝った脚本があれば、面白い映画はできるのだ。映画は一にも二にも三にも筋、というのを再認識させる作品だ。

2010/01/01(金)トップをねらえ!

 DVD1巻に2話入っていて全6話。3巻目は急遽、製作が決まったそうで、4話が終わった後にある予告編はほとんど未完成である。このあたり、エヴァの最終2話を思い起こさせる。スケジュールが厳しかったのだろう。というわけなので、4話目まででも話は完結するのだが、5話、6話はSFらしい作りで好感が持てた。タイトルは「お願い!愛に時間を」「果てし無き、流れのはてに…」。もちろん、ロバート・A・ハインライン、小松左京作品のタイトルのもじりだ。

 エイリアンとの戦闘で父親を亡くした主人公のタカヤ・ノリコが戦闘ロボット・ガンバスターのパイロットを目指し、沖縄女子宇宙高校に入学。お姉様と呼ばれるアマノ・カズミに憧れ、素質を見込んだ鬼コーチにしごかれながら、宇宙を目指す。この設定は「エースをねらえ!」を借用したもので、タイトルはこれと「トップガン」を組み合わせたものだそうだ。

 Wikipediaには「映像作品においては存在しないものとして扱われる事の多いウラシマ効果を積極的にストーリーに取り入れるなど、根底には(後の庵野作品にも通じる)重厚なSF描写や細かい科学設定があり、21世紀に入ってもなお根強い人気を誇っている」とある。光の速度に近づくほど時間の進み方が遅くなるというウラシマ効果はアインシュタインの相対性理論に基づくもので、SFではおなじみ。アニメでは珍しいが、新海誠「ほしのこえ」はこれを利用して物語を構成していた。

 21年前のアニメなので、技術的な部分にそれほど見るべきものはないが、SFの部分がしっかりしていると、安心して見ていられる。できれば、ウラシマ効果をもっと本筋に絡めてくれると、良かったかもしれない。第2話でノリコが遭遇する父親の乗った戦艦(光の速度で移動している)が後で絡んでくるかと思ったら、それはなかった。