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テレ朝開局65周年記念ドラマの「終りに見た街」は山田太一原作・脚本で過去2回(1982年、2005年)、ドラマ化されていますが、今回は宮藤官九郎が脚本を担当しています。何がそんなに面白くて何度も映像化するのかと思いますが、驚いたことにこの原作、ラジオドラマ(2014年)と舞台版(1988年)もあるそうです。僕は初めて見ました。
2024年から戦争中の昭和19年(1944年)に家ごとタイムスリップした脚本家・田宮太一(大泉洋)の一家5人と知人の小島敏夫(堤真一)親子の物語。7人は社会環境の大きな違いに戸惑いながらも、協力して戦時下の厳しい時代を生きていくことになります。そして10万人が死んだ東京大空襲の犠牲者を少しでも減らそうと、ゲリラ的な周知活動を始めます。
タイムスリップの理由も仕組みも明らかにされず、単なるタイムスリップではない可能性も示唆されますが、詳細は説明されません。ポイントは、唐突でショッキングなラスト(タイトルはここを指しています)と、子どもたちが次第に戦争中の鬼畜米英意識に染まっていく描写にあります。山田太一は小学5年で終戦を迎えたそうで、戦時中の空気を知っていることがこの小説を書かせたのでしょう。
ドラマは残念ながら、CMを入れた2時間枠では描写が足りず、ダイジェスト感が否めませんでした。クドカンはこの小説を読んで「不適切にもほどがある!」を発想したんじゃないかと、ふと思いました。
ヨルゴス・ランティモス監督によるブラックで奇妙な味わいの3話のオムニバス映画。
「R.M.F.の死」「R.M.F.は飛ぶ」「R.M.F.はサンドイッチを食べる」の3話で、出演者は3話それぞれで別の役を演じています。R.M.F.って何だと思ってしまいますが、登場人物の服の胸にある刺繍として出てくるものの、特に説明はありません。
「女王陛下のお気に入り」(2018年)「哀れなるものたち」(2023年)では薄められたランティモス作品の気味の悪さ、おぞましさがやや復活した印象で、これは「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」(2017年)までランティモス映画の脚本を担当していたエフティミス・フィリプが脚本に再び加わったことも影響しているでしょう。
3話のうち、僕が特に面白かったのは第2話。海で行方不明となった妻(エマ・ストーン)が無事に帰ってくる。妻は靴のサイズが合わなくなっているなどおかしな点があり、夫(ジェシー・プレモンス)は妻そっくりの別人ではないかと疑う。そのためか、奇妙な行動が多くなった夫は「君の指を料理して食べさせてくれ」と頼む。
ジャック・フィニイ「盗まれた街」のようにSF的にいくらでも発展させられそうな設定ですが、ランティモス作品なので妻の正体は謎のままです。妻が不明の間、同僚の友人夫婦の家に行った主人公は「久しぶりに妻のビデオを見たい」と頼みます。友人は「それはあまり良い考えではないと思うよ」と止めますが、それもそのはず、そのビデオは友人夫婦との4Pセックスを映したものでした。この第2話は描写も強烈なのでご注意。
万人向けの映画とは言えませんが、第3話にあるエマ・ストーンのくねくねダンスなど奇妙なおかしさも至るところにあり、そういう変わった映画を好きな人には楽しめると思います。
IMDb6.6、メタスコア64点、ロッテントマト71%。
▼観客4人(公開初日の午後)2時間44分。
身代金目的で富豪の娘・12歳のアビゲイルを誘拐したら、この少女はヴァンパイアで、犯人グループは屋敷に閉じ込められて1人1人殺されていく、というホラー。予告編で少女=ヴァンパイアのネタを割っていましたが、それを知っていても悪くない出来だと思いました(何も知らないで見るに越したことはありません)。
吸血鬼の心臓に杭を打つと、吸血鬼は絶命して灰になる、という描写が一般的ですが、この映画の場合、爆発して盛大に血肉をばらまきます。そうした派手な血みどろ描写が苦手な人は後半を評価しないでしょう。僕ももう少し描写のバリエーションが欲しいとは思いましたが、そこを理由に貶すほどではないです。ただし、吸血鬼にとって人間は単なる餌なので、人間に対して親しみや友情を感じることはないんじゃないでしょうかね。
犯人グループには主人公のジョーイ(メリッサ・バレラ)とサミー(キャスリン・ニュートン)という女性2人がいます。メリッサ・バレラは「スクリーム」シリーズや「イン・ザ・ハイツ」(2020年、ジョン・M・チュウ監督)に出演。キャスリン・ニュートンは「ザ・スイッチ」(2020年、クリストファー・ランドン監督)で殺人鬼と体が入れ替わる女子大生を演じていました。監督は「スクリーム」(2022年)のマット・ベティネッリ=オルピン。
IMDb6.6、メタスコア62点、ロッテントマト83%。
▼観客5人(公開14日目の午前)1時間49分。
パンフレットのインタビューで黒沢清監督が言及している「まったく知らない他人同士がインターネット上で連絡を取り合い、ターゲットとなる人物を殺害してしまった」事件はたぶん「名古屋 闇サイト殺人事件」(2007年)でしょう。知らない人間同士が協力して事件を起こすというのは「アビゲイル」の誘拐犯グループも同じでした。
黒沢監督は「僕は前々から殺人の理由などないと思っています」と語っています。「誰の身にもふとしたことで起こりうる突発的な事態なのではないか」。前作「Chime」もそうでしたが、作品に不条理さがつきまとうのはそうした考えがあるからなのでしょう。
映画の前半はネットで転売屋を営む主人公(菅田将暉)のあくどい手口を描き、後半は一転して、主人公を狙う男たちとの銃撃戦になります。男たちは主人公と直接的な関わりがあったり、ネットであくどさを知っている程度だったりします。普通なら殺人までは考えないでしょうが、それが命を狙ってくるのは黒沢監督の「殺人の理由などない」という考えの表れでしょう。ただし、こうした映画で観客は「腑に落ちたい」と思う場合が多く、腑に落ちないと「説得力がない、描き方が足りない」と思ってしまいます。というか、僕はそう思いました。このあたりは不条理さの魅力とトレードオフのところがあります。主人公が転売で儲けた金目当てという設定を入れると良かったかもしれません(この主人公はあまり金を貯め込んでいませんが)。
映画評論家の森直人は前半と後半で『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996年、ロバート・ロドリゲス監督)並みにジャンルが変わる、とパンフレットに書いていますが、それを言うなら、「アビゲイル」もそうで、ヴァンパイア絡みということで言えば、「アビゲイル」の方が「フロム・ダスク…」に近いです。ただ、話の構造は似ているにしても、両者ともパクリではありません。もちろん、黒沢監督は「フロム・ダスク…」を意識してはいなかったでしょう。
アカデミー国際長編映画賞の日本代表作品に選ばれたそうですが、ノミネートは厳しいんじゃないかと思いました。
IMDb6.4、メタスコア71点、ロッテントマト91%。
▼観客12人(公開初日の午前)2時間3分。
第二次大戦中、ドイツから難民受け入れを強いられたデンマークの人々を描くドラマ。
1945年4月、ナチス・ドイツの占領下にあったデンマークのフュン島が舞台。市民大学の学長ヤコブ(ピルー・アスベック)は現地のドイツ軍司令官から難民200人を学校に受け入れろと命令される。ところが、列車で到着した難民は500人以上。体育館に収容するが、ドイツ軍は食糧を用意せず、子どもを含む多くの難民が飢餓と感染症の蔓延で命を落としていく。見かねたヤコブと妻のリス(カトリーヌ・グライス=ローゼンタール)は救いの手を差し伸べる。それは同胞たちから裏切り者と扱われかねない行為だった。
今の難民問題にも通じるテーマですが、ここでの難民は戦争敵国の人間なので問題は複雑です。非戦闘員であってもナチスのバッジを付けた人間も含まれています。それでもイデオロギーや主義主張の違いを超えて、目の前で苦しむ人を放っておけないという人道的な気持ちで救おうとする学長の判断はまったく正しいと思います。
事実を基にしているそうですが、どこまでが事実なのかは分かりません。監督は「バーバラと心の巨人」(2017年)のアンダース・ウォルター。
IMDb7.0(アメリカは未公開)
▼観客6人(公開3日目の午前)1時間41分。
1900年頃のオーストリア・アルプスを舞台に1人の男の苦難に満ちた生涯を描くドイツ=オーストリア合作映画。ブッカー賞最終候補にもなったローベルト・ゼーターラーのベストセラー小説が原作で「ハネス」(2021年)のハンス・シュタインビッヒラーが監督しています。
孤児の少年アンドレアス・エッガー(イヴァン・グスタフィク)が主人公。エッガーは遠い親戚クランツシュトッカー(アンドレアス・ルスト)の農場に引き取られますが、安価な働き手の扱いで、虐げられます。心の支えは老婆アーンル(マリアンヌ・ゼーゲブレヒト)の存在だけ。成長したエッガー(シュテファン・ゴルスキー)はアーンルが亡くなると農場を出て、日雇い労働者として生計を立てます。ロープウェーの建設作業員として働いているとき、マリー(ユリア・フランツ・リヒター)と出会い、結婚。しかし、幸せは長くは続かず、子どもを妊娠していたマリーは雪崩の犠牲になってしまいます。
80年の生涯なので2時間弱で描くにはダイジェストに成らざるを得ない部分があります。ただ、原作は160ページしかなく、それほど端折っているわけではないのかもしれません。
IMDb7.0(アメリカでは映画祭での上映のみ)
▼観客7人(公開13日目の午前)1時間55分。
ちょっとしたきっかけでドラマ「東京ラブストーリー」(1991年)を見たら、1話で心を持って行かれました。鈴木保奈美がめちゃくちゃかわいいです。というか、赤名リカというキャラクターがとても魅力的です。坂元裕二の脚本は柴門ふみの原作コミックからリカを大きくフィーチャーしているそうで、Wikipediaには「リカの心情を丁寧に描くなど坂元や演出家による漫画原作からドラマとして再構築するための大胆な改変が大きなヒットに繋がった」とあります。
リカは「誰に対してもフェアで自然体に物を言う」半面、真意が見えにくいところがあり、明るい言葉と振る舞いで本当の気持ちを覆い隠しているようにも見えます。複雑なキャラであり、かつ一途でけなげな面もあるのが最強です。
Wikipediaには「月曜夜9時には繁華街から人影(特に20代のOL層)が消えるほどだった」と、かつての「君の名は」(1952年、ラジオドラマ放送時に銭湯から女性が消えた)みたいな書き方がしてあります。リカのキャラは男女を問わず、惹きつけられるものがあり、今さらながら大ブームになった理由を納得できました。33年前のドラマですが、基本的な人間関係とセリフは今も感情を揺らします。名作は普遍的なわけですね。
リメイク版(2020年、脚本は北川亜矢子)も少し見ましたが、リカ(石橋静河)のキャラが分かりやすすぎました。同じ名前のキャラは登場するものの、別物と思った方が良いです。
シリーズ第3弾は宮崎ロケ。青島海水浴場から始まってニシタチ、文化ストリート、県庁、シーガイア、宮交ボタニックガーデン青島などでアクションが展開されます。1作目(2021年)が抜群に面白かったのに対して、2作目「2ベイビー」(2023年)がそうでもなかったのは、まひろ(伊澤彩織)の格闘アクションが少なかったからでした。今回は存分にあり、格闘場面に関してはシリーズ一番の出来と言って良いと思います。
クライマックス、最強の殺し屋・冬村かえで(池松壮亮)との死闘は見応え十分で、かつてのクンフーアクション、特にブルース・リーのアクション映画を彷彿させました。ここが素晴らしいのはエモーションが乗っかっているからで、銃→ナイフ→素手の格闘で冬村にボッコボコにやられたまひろを助けるため、ちさと(高石あかり)がまひろに向けられたナイフを素手でつかんで反撃し、頭突きで双方とも気絶。血だらけのまひろが立ち上がり、目を覚ました冬村との死闘を繰り広げていく、と展開していきます。パンフレットによると、この死闘場面は旧内海オートキャンプ場で撮影したそうです。
アクション監督は今回も園村健介。スピード感と痛みを感じさせる難度の高いアクションを演出しています。伊澤彩織がすごいのは言うまでもありませんが、池松壮亮もすごいです。「シン・仮面ライダー」(2023年)はあるものの、本格的な格闘アクションはたぶん初めてだと思いますが、今後もアクションで十分やっていけると思わせました。
池松壮亮とともに、地元の殺し屋・入鹿みなみを演じる前田敦子という実績のある役者2人をキャスティングしたことで、映画に格と幅が出ました。今回の成功要因はこの2人を出したことにもあるでしょう。
伊澤彩織はインタビューで池松壮亮について「池松さんに敵う俳優はいないです」と語っています。「ラストファイトでかえでがまひろに馬乗りになるところで、対面してる池松さんの表情を見て『本当に殺される』と思ったんです。顔を真っ赤にしながら、執念強い眼差しで。人間ってこんな決死の表示ができるのかと思いました。あの爆発力は到底敵う相手じゃない」。サイコチックなところがある冬村かえでを池松壮亮はリアルに演じきっています。
高石あかりは伊澤彩織ほどの格闘アクションはできませんが、1作目に比べると演技面の成長が目覚ましいです。多数のドラマ・映画で経験を積んでいるので伊澤彩織を演技面でリードする形になっています(だからこそ、いいコンビになってきたなと思います)。園村健介監督・阪元裕吾脚本の「ゴーストキラー」に単独主演するとのこと。1作目のクライマックスで伊澤彩織と死闘を見せた三元雅芸が出演しており、これも楽しみです。
阪元裕吾監督の演出は時折緩い場面を入れるのが持ち味なんでしょうが、脚本をもう少し練ってほしいところ。かつての香港映画同様に脚本に弱さを感じます。面白いストーリーに見応えのあるアクションを組み合わせた映画にするのが理想で、それにはアクションに詳しい脚本家と共同作業しても良いのではないかと思います。
放送中のドラマ「ベイビーわるきゅーれ エブリディ!」(テレ東)はちさととまひろの緩い日常を堪能できますが、アクションには映画ほど力を入れていません。毎週のドラマで過激なアクションを入れるのは無理なのでしょう。
パフレットはCDが付属して1300円。主題歌の女王蜂「狂詩曲」を繰り返し聴いてます。
▼観客15人ぐらい(公開初日の午後)1時間52分。
1947年のボストンマラソンで朝鮮のソ・ユンボク(イム・シワン)が優勝した実話を基にした韓国映画。ユンボクを指導したのがベルリン五輪マラソン金メダルのソン・キジョン(ハ・ジョンウ)と同3位のナム・スンニョン(ペ・ソウ)。日本統治時代だったため2人は日本選手として五輪に出場し、獲得したメダルも日本のメダルとして記録されました。
朝鮮が次の五輪に出るためには国際大会での実績が必要なため2人はユンボクを朝鮮代表としてボストンマラソンに出場させようとしますが、さまざまな困難を乗り越えなければならなかった、というストーリー。愛国心高揚タッチが少し気になりますし、スポーツものとして特に優れた部分も見当たりませんが、笑いと感動の物語としてのまとめ方はまずまずでした。
気になったのはクライマックス、朝鮮の人たちがボストンマラソンのラジオ中継に聴き入るシーン。「はて?」、当時、通信衛星はもちろんありませんし、どうやって中継できたんでしょう? 短波ラジオならアメリカから朝鮮まで電波が届く可能性はありますが、スポーツ大会の中継を短波放送でやったんですかね?
また、大会出場のため朝鮮の人たちがカンパするシーンがありますが、Wikipediaには、参加費用は「在韓米軍の寄付により賄われた」とあります。参加の障害にしかなっていない映画での在韓米軍の描き方とは随分違います。ユンボクが着るユニフォームも、映画のように太極旗だけでなく、星条旗も付けていたそうです。こういう実話を基にした映画でフィクションを入れるのは普通ではありますけど、都合の良い改変に思えました。
ユンボクと仲良くなる食堂の女の子がちょっとかわいいなと思ったら、パク・ウンビンでした。監督は「シュリ」(1999年)「ブラザーフッド」(2004年)などのカン・ジェギュ。
IMDb7.0、ロッテントマト80%(アメリカでは限定公開)。
▼観客2人(公開5日目の午後)1時間48分。
偽殺し屋のおとり捜査官ゲイリー・ジョンソンは実在しましたが、映画はそれをざっくりと基にしたフィクション。この映画に対する一般観客の評価があまり芳しくないのは全面的に肯定できない方向に物語が向かうからでしょう。観客の多くは道徳的であるわけです。
ニューオーリンズのゲイリー・ジョンソン(グレン・パウエル)は大学で心理学と哲学を教えながら、地元警察に技術スタッフとして協力している。おとり捜査で殺し屋になるはずの警官が職務停止となり、ゲイリーが代役を務めることになる。これを予想以上にうまくやりおおせたゲイリーは依頼人の好みに合わせたプロの殺し屋になりきり、殺人の証拠を集めて依頼人を次々に逮捕へと導く。ある日、夫から暴力を振るわれているマディソン(アドリア・アルホナ)が夫の殺害を依頼しにくる。殺し屋ロンとして事情を聞いたゲイリーは彼女を見逃してしまう。
クスクス笑って見ていましたが、笑い事じゃなくなる事態となるのが映画のポイント。マディソンと恋に落ちたゲイリーはのっぴきならない立場に追い込まれてしまいます。リチャード・リンクレイター監督作品なので単なるコメディーにはならないですね。そこも含めて僕は面白いと思いました。「恋するプリテンダー」「ツイスターズ」に続いて今年3本目のグレン・パウエルは脚本にもクレジットされています。
IMDb6.8、メタスコア82点、ロッテントマト95%。
▼観客5人(公開7日目の午後)
前半はあるマンションで住人が消えるミステリー、後半はその謎解きですが、これがもうテレビのバラエティー並みのアイデア&演出でした。まあ、それでも笑って済ませようかと思ったんですが、その後にもう一つある追加の(真相の)シーンが問題。某有名アメリカ映画(四半世紀前の作品)のまんまパクリでした。ここであきれ果てて大きく減点。ここを褒める人は明らかに先行作品を見ていない人ですね。
前半の描き方も素人並みの出来。このレベルの脚本で映画化にGOサインを出すのはまずいのではないでしょうかね。監督はバラエティー番組のディレクター出身で(やっぱり)、「劇場版 お前はまだグンマを知らない」(2017年)の水野格。
高橋文哉、田中圭、北香那、坂井真紀、染谷将太、菊地凛子などの出演者は悪くないです。特に田中圭。予告編にもあった「神隠し……。千尋だけに」など笑いました。
▼観客7人(公開初日の午前)1時間44分。
宮崎ロケの「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」が20日から先行公開されますが、もう1本、宮崎が出てくる作品に「推しの子」があります。原作の第1話は宮崎県北部にある病院が重要な舞台になってます。
「推しの子」は実写版が制作中で、11月28日からamazonプライムビデオでドラマを配信した後、続きとなる映画を12月20日から劇場公開する予定です。監督は映像作家スミスと松本花奈。スミスって誰だと思って、経歴を調べると、ミュージックビデオのほか、テレビドラマの演出も多い監督でした。楽しく見ていた「アンラッキーガール!」(2021年・日テレ、福原遥主演)がフィルモグラフィーにあったので少し安心しました。
宮崎ロケをしたという話は聞かないので、実写版に宮崎は出てこないのでしょうが、齋藤飛鳥や原菜乃華などのキャストは原作のイメージに合った人選なので楽しみに待ちたいと思います。
幕末の侍が現代にタイムスリップして、時代劇の斬られ役になる笑いと涙のドラマ。SF部分は設定にとどまり、内容は時代劇とその制作に携わる人たちへの愛情あふれる作品になっています。終盤にもう一つSF的展開があるかと期待していたので、少し肩透かしの気分にはなりましたが、時代劇への愛情はたっぷり伝わりました。
幕末の京都、会津藩士高坂新左衛門(山口馬木也)は「長州藩士を討て」との密命を受ける。屋敷から出てきた山形彦九郎(庄野崎謙)と刃を交えた時、雷がとどろく。気を失った高坂が眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所だった。高坂は撮影所の助監督・山本優子(沙倉ゆうの)に助けられ、戸惑いながらも寺の仕事を手伝って暮らし始める。高坂が守ろうとした江戸幕府は140年前に滅んだと知り愕然となるが、撮影所で斬られ役をやることになり、生きがいを見いだしていく。
自主制作映画なので安田淳一監督は脚本・撮影・編集・照明なども担当しています(米農家でもあるそうです)。脚本の出来が良かったため東映京都撮影所が全面協力し、キャストに有名な俳優はいませんが、自主映画とは思えない仕上がりになっています。
映画を見ながら温かい気持ちになるのは撮影現場を支える多数の人たちが描かれているからです。時代劇に限らず、映画やドラマは無名のキャストやスタッフの隠れた努力で出来上がっているんだなと改めて感じさせます。
少し気になったのは音響の品質と、クライマックスの展開。特に後者は過去に同じような事例で重傷者(後に死亡)を出して大きな問題になったことと、必然性に欠ける面があり、一工夫したいところでした。
映画史・時代劇研究家で映画評論家の春日太一が、時代劇への愛情を込めた「時代劇は死なず! 京都太秦の『職人』たち」(集英社新書→河出文庫に完全版)を書いたのは2008年でした。製作本数が激減した時代劇の瀕死の状況は今も変わらず、これが今後、大きな変化を迎えることも難しいように思います。それでも時代劇作りを愛する人たちがいて、見たい観客はいます。この映画のような優れた作品を増やしていくことが存続への力になるのは確かでしょう。
劇場の説明によると、パンフレットは制作中だそうですが、公開終了までに間に合わない恐れもあるとか。8月中旬に東京の1館で始まった劇場公開は内容の良さが伝わって全国に広がり、現在、122館まで拡大されました。
IMDb7.9、ロッテントマト100%(英語タイトルはA Samurai in Time)。
▼観客13人(公開初日の午後)2時間11分。
1979年12月、韓国の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領暗殺後の軍事クーデターを基にしたサスペンス。全斗煥(チョン・ドゥファン)→チョン・ドゥグァンとか、盧泰愚(ノ・テウ)→ノ・テゴンとか、読み方が変わったのかと思ってしまいますが、フィクションなので少し違う名前にしているわけです。となると、気になるのはどこまで史実に忠実かということ。パンフレットに2ページの実録(著者は秋月望・明治学院大学名誉教授)が掲載されていますが、もっと詳細な書籍が読みたくなります。
大統領暗殺の混乱に乗じて軍内部の悪のグループが台頭し、国を牛耳るという悪夢のようなストーリー。勝利を握った悪のボス、チョン・ドゥグァンが大笑するシーンもあります。普通なら絶望的な気分になるところですが、その後の経過が分かっているのが救いではありますね(全斗煥、盧泰愚とも1996年に内乱罪で死刑判決。その後、減刑、特赦)。
クーデターの中心になったのは全斗煥率いるハナ会。これは陸士11期生の慶尚北道出身者が軍内の人事・処遇での相互扶助を目的に結成した組織が拡大してできたもので、朴大統領も後押ししたそうです。身分的には少将で保安司令官兼大統領暗殺事件合同捜査本部長だった全斗煥がクーデター後に大統領に上り詰めたのはハナ会のリーダーだったからなのでしょう。
映画はチョン・ドゥグァンとクーデター阻止を図る首都警備司令官イ・テシン少将(チョン・ウソン)の対決に絞られていき、軍隊の駆け引きを伴った緊迫の展開が続きます。「失敗すれば反乱、成功すれば革命だ」とうそぶくチョン・ドゥグァンを演じるのは名優ファン・ジョンミン。前髪を抜いて全斗煥に似せ、実に憎々しく演じています。「アシュラ」(2016年)のキム・ソンス監督は全編に緊張感をみなぎらせ、一級の演出を見せています。
パンフレットによると、イ・テシンのモデルになった張泰玩(チャン・テワン)は首都警備司令官を退役させられ、2年間自宅に軟禁。その間に父親は憤死(Wikipediaによると、断食で死去)、ソウル大生だった息子は自殺したそうです。
IMDb7.6(アメリカでは映画祭での上映のみ)。
▼観客20人ぐらい(公開2日目の午後)2時間22分。
U-NEXTで見ました。昨年のカンヌ映画祭でプレミア上映されたペドロ・アルモドバル監督の短編西部劇。若い頃に愛し合った中年男2人のゲイのドラマです。
旧友の保安官ジェイク(イーサン・ホーク)を訪ねるため、シルバ(ペドロ・パスカル)がやってくる。メキシコ出身のシルバはつかみどころがないが温かい心の持ち主。アメリカ出身のジェイクは厳格な性格で冷淡で不可解、シルバとは正反対。出会ってから25年がたつ2人は酒を酌み交わし、愛し合うが、翌朝ジェイクが豹変する。
映画製作に参入したイヴ・サンローランの子会社「サンローラン・プロダクションズ」とアルモドバルがタッグを組み製作されたとのことですが、短編を製作する意味がよく分かりません。長編を作る前のテストケースだったんでしょうかね。出来は普通です。
IMDb6.2、ロッテントマト77%。31分。
7歳の少女ソル(ナイマ・センティエス)の父親で病気療養中のトナ(マテオ・ガルシア・エリソンド)の誕生パーティーに集まってきた家族・親族の1日を描くドラマ。メキシコの女性監督リラ・アビレスの長編2作目で、昨年のベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞(キリスト教関連の団体から贈られる賞)を受賞しました。
トナはがんがかなり進行した様子で、実家で療養しています。母親と暮らすソルがトナと会うのも久しぶりですが、大きなドラマがあるわけではなく、ソルの目から見た大人たちの様子がドキュメントタッチで淡々と描かれていきます。退屈はしなかったんですが、もう少しドラマに起伏が欲しいところではありました。
アビレス監督の娘の父親(夫ではない?)の死がこの映画の発想のきっかけになったそうです。ソルの両親が離れて暮らしているのも監督の体験に基づいているのでしょう。
原題は「Totem(トーテム)」。このタイトルについて監督は「トーテムはさまざまなものをつなぐ存在」とした上で「家族は小宇宙のようなものです。そのなかには人間のほか、昆虫などの小さな生物も含まれていて、誕生日などの儀式もあり、生と死がある。それらすべてをつなぐものという意味でこのタイトルを付けました」とインタビューで説明しています。
IMDb7.1、メタスコア91点、ロッテントマト97%。
▼観客7人(公開5日目の午後)1時間35分。
英語タイトルは「All About Suomi」。「イヴの総て(All Abour Eve)」(1950年、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督)を思わせる英題ですが、映画マニアの三谷幸喜監督なので、内容的には多重人格の女性を描いた「イブの三つの顔」(1957年、ナナリー・ジョンソン監督)を混ぜているのかもしれません。主人公のスオミを演じる長澤まさみが七変化(実際には五変化ですが)の芝居を見せるクライマックスが多重人格を連想する内容だからです。このシーンは長澤まさみの魅力がいっぱいでファンとしては満足したんですが、映画全体の出来は今一つでした。
有名な詩人の寒川(坂東彌十郎)の妻スオミがいなくなって、元夫の刑事草野(西島秀俊)と相棒の小磯(瀬戸康史)が寒川宅にやってきます。ここで刑事が「犯人に見られているかもしれないから」とカーテンを閉めるよう指示するあたり、黒澤明「天国と地獄」(1963年)を思わせましたが、分かってやってるにしても今時、電話の録音にオープンリールのテープレコーダーを使ったり、逆探知云々のセリフがあるのは誘拐の雰囲気づくりや笑いのくすぐり以上の意味はありません。
邸宅内でほとんどの話が進行する演劇的作りは良いとしても、話が弾んでいかないのが残念なところ。これは何よりもミステリーとしてきっちり作る必要があったのだと思います。話の構造をしっかりさせた上で笑いをまぶした方が良かったでしょうね。
▼観客20人ぐらい(公開初日の午前)1時間54分。
週刊文春の連載「春日太一の木曜邦画劇場」で神代辰巳監督の「櫛の火」(1975年、原作は古井由吉)を取り上げています。「上映時間の多くを濃厚な性描写が占めている」映画で僕はリアルタイムで見ましたが、高校生だったこともあって内容をよく理解できませんでした。
これは僕だけではなかったようで、「二本立ての併映作品との兼ね合いで約三十分のフィルムをカット」せざるを得なくなり、「そのために、物語としてはよくわからなくなってしまっている。どのような展開になっているのかだけではなく、人物関係もよく見えない」とあります。この映画、今年5月にDVDが出ています(だから連載で取り上げたのでしょう)。春日太一は姫田真佐久による撮影の素晴らしさも指摘していて、「その柔らかい世界には、長く浸りたい中毒性があった」と書いています。
カットの要因となった併映作を覚えてないんですが、Wikipediaにはこうありました。
「『シナリオ』1975年5月号の【邦画案内4月の封切予定作品】では『雨のアムステルダム』との併映で、1975年4月5日封切、25日までの上映と書かれているが、『雨のアムステルダム』は1975年3月21日に公開されている模様で、本作の併映作は不明」
地方では1カ月ぐらい遅れて公開されることは珍しくなかったので、併映は「雨のアムステルダム」(蔵原惟繕監督)で間違いないんじゃないかと思います。東京の封切館が一本立て、二番館と地方が二本立て興行だったのでしょう。
「雨のアムステルダム」は高く評価された「約束」(1972年、斎藤耕一監督、キネ旬ベストテン5位)に続く萩原健一、岸恵子主演の映画ですが、つまらなかったのをよく覚えています。
乃木坂太郎の原作コミックを堤幸彦監督が映画化。途中にやや停滞した部分があるにせよ、サイコキラーとの純愛というアクロバティックなテーマをきちんと感動的に着地させるのに感心しました。柳楽優弥と黒島結菜に拍手です。この2人、爆笑熱血青春ドラマ「アオイホノオ」(2014年・テレ東、福田雄一監督)以来10年ぶりの共演。黒島結菜が「炎くん、炎くん」と言いながら柳楽優弥の肩や腕を無邪気にペチペチたたいていたあのドラマでの、のどかで微笑ましい関係を思うと、感慨深いものがあります。
元ヤンキーで児童相談員の夏目アラタ(柳楽優弥)は担当する少年の依頼で拘置所を訪れ、3人の男を殺して“品川ピエロ”の異名をもつ死刑囚、品川真珠(黒島結菜)に面会する。少年の父親は真珠に殺されて解体され、首が見つかっていなかった。父親の首を見つけたい少年はアラタの名前で真珠と文通しており、面会に来るよう言われたのだ。少年に代わって訪れたアラタを見た真珠は「イメージと違う」と言って、部屋を出ようとする。アラタは引き留めるために思わず、「俺と結婚しようぜ」と言ってしまう。1日の面会時間は20分。面会を続けるうちに真珠は「ボク、誰も殺してないんだ」と打ち明ける。
逮捕された時には太っていた品川ピエロが拘置所で痩せて黒島結菜の容姿になるところに物語上の意外性がありますが、太ったピエロも黒島結菜が特殊メイクで演じたそうです。真珠もアラタも不幸な生い立ちであり、その2人がお互いの真実を知って惹かれ合っていく過程が切なく、とても良いです。劇中、真珠が匂いを嗅ぐシーンがたびたびありますが、最後に明らかになるその理由も切ないです。
エンディングに流れるオリヴィア・ロドリゴの「ヴァンパイア」が映画の内容に合っていて良かったです(原作者が訳詞監修してました)。
VIDEO
▼観客15人ぐらい(公開初日の午後)2時間。
「百円の恋」(2014年、武正晴監督)の中国版リメイク。ボクシング映画と言うより減量映画で、監督・主演のジャー・リン(「こんにちは、私のお母さん」)は体重を20キロ増やした後に1年かけて50キロ減らしたそうです。100キロ以上ある人が減量すると、腹の皮がだぶつくことがありますが、そんなこともなく、腹筋が割れてるのに感動します。
105キロから50キロ台までの減量記録は映像とともにエンドクレジットに流れます。80キロ台で一時停滞するのは元の体重がそれぐらいだったからでしょう。それを突破してガンガン減量していくには大変な努力が必要だったはずで敬意を表します。
映画は前半、太って自堕落な生活を送る32歳の主人公ドゥ・ローインが家を出てボクシングに出会うまでがコメディータッチで描かれます。この部分の演出が緩くてマイナスポイント。本格的なトレーニングを開始するまで長すぎです。後半のトレーニングシーンに流れるのは「ロッキー」のテーマ。これは気分が上がる曲ですが、そのまま使うのは安易で、オリジナルを用意した方が良かったと思います。
ドラマの出来はジャー・リン本人の痩せる努力に比べると、力の入れ方が足りない印象です。ジャー・リンの減量過程に感動・感心する人が多いわけなので、それをドキュメンタリーにした方が話は早かったでしょう。
それにしてもコメディエンヌのジャー・リンが今後リバウンドしないかどうか、興味津々です。痩せたままなら、これまでの笑いのパターンを変えていく必要があるでしょうね。
IMDb6.9、ロッテントマト82%(アメリカでは限定公開)
▼観客10人ぐらい(公開2日目の午後)2時間9分。
シリーズ第7作。悪評を目にして期待値が高くなかったこともあって、「予想していたほど悪くはない」というのが率直な感想。確かに過去のエイリアンシリーズ、特に第1作と同じ構図やシチュエーションの場面が多く、第1作の枠組み内で作られているのでオリジナリティーの面ではつらいんですが、サスペンスや恐怖の醸成自体に問題はありません。「ドント・ブリーズ」(2016年)のフェデ・アルバレス監督、よく頑張っています。
時代は「エイリアン」と「エイリアン2」の間、2142年頃の設定。ジャクソン星の採掘場で過酷な労働を強いられているレイン(ケイリー・スピーニー)と忠実なアンドロイドのアンディ(デヴィッド・ジョンソン)はタイラー(アーリー・ルノー)ら4人に誘われて脱出を決意。小型宇宙船で飛び立つが、目的の惑星に行くには燃料が足りない。ロムルスとレムスという2つのモジュールから成る廃墟の宇宙ステーション・ルネサンス号で燃料を補給することにする。ステーションには多数のエイリアンの幼虫フェイスハガーが冷凍保存されていた。知らずに冷凍装置を解除してしまったことで、目覚めたフェイスハガーたちがレインたちに襲いかかる。
1作目ではアンドロイドのアッシュ(イアン・ホルム)がノストロモ号の乗組員を裏切る行為(会社の指令には忠実な行為)をしましたが、この映画でもアンディの行動が若者たちの生死を握ります。2020年に亡くなったそのイアン・ホルムが若い姿で登場することに驚きますが、これはアニマトロニクスで、遺族に許可を取り、全米俳優組合にも契約金を払ったそうです。
疑問があったのはエイリアンの成長速度が速すぎること。クライマックスに登場するアレも含めて、脱皮したら、すぐに成体になるのが上映時間の関係で仕方ないとは言え、リアリティーを欠きますね。
IMDb7.4、メタスコア64点、ロッテントマト80%。
▼観客3人(公開初日の午前)1時間59分。
フランス映画「パリ、嘘つきな恋」(2018年、フランク・デュボスク監督)をリメイクしたイタリア映画。車椅子の美女キアラ(ミリアム・レオーネ)と親しくなるために自分も車椅子の障害者と偽るプレイボーイの主人公ジャンニ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)の物語。大筋、悪くない話なんですが、障害者の描き方など細部に引っかかる部分があり、演出にもう少し細やかな配慮が欲しいところです。監督は「これが私の人生設計」(2014年)のリッカルド・ミラーニ。
ミリアム・レオーネがとにかくきれいで、彼女を見るだけでも価値があります。レオーネはミス・イタリア出身で、日本でも数本の出演作が公開されていますが、僕は知りませんでした。
IMDb6.4(アメリカでは未公開)
「パリ、嘘つきな恋」はIMDb6.5。
観客6人(公開5日目の午後)1時間53分。
タイトルは「きみの個性」と言い換えても成立する物語でした。主人公の高校生・日暮トツ子(声:鈴川紗由)は人の感情が色で見えます。きれいな青色を放つ作永きみ(声:高石あかり)に出会いますが、きみは突然、高校を中退。トツ子は古書店でアルバイトしているきみを見つけ、音楽好きのルイ(声:木戸大聖)とともにバンドを組むことになります。
舞台設定があいまいなんですが、長崎市が協力しているので、長崎が舞台と考えて良いでしょう。トツ子ときみはルイの住む離島を訪れてバンド練習をするようになります。ルイの母親は島で唯一の医師で、ルイに病院を継ぐことを期待しています。ルイは音楽に打ち込んでいることを母親に隠しています。きみも高校を辞めたことを一緒に暮らす祖母に言えていません。
自分が好きなことと、肉親から期待されていることが違い、悩む若者を描いている点で「ブルーピリオド」と共通するものがあるなと思ってエンドクレジットを見ていたら、脚本は「ブルーピリオド」の吉田玲子でした。監督は「映画 聲の形」「リズと青い鳥」などの山田尚子。
▼観客8人(公開7日目の午後)1時間40分。
「スラムドッグ$ミリオネア」「グリーン・ナイト」の俳優デヴ・パテルが監督・脚本・製作・主演を務めたアクション。元々はNetflixで配信予定でしたが、作品を見た「ゲット・アウト」「NOPE ノープ」のジョーダン・ピール監督が惚れ込み、プロデューサーとなって劇場公開を後押ししたそうです。インドが舞台ですが、英語作品です。
主人公は闇のファイトクラブで猿のマスクをかぶって闘い、ヒールとして生計を立てていた。金を稼ぐ目的は幼い頃に母親を殺した悪党たちに復讐するためだった。
話は復讐譚なので筋立てはシンプルなんですが、前半、主人公の身の上を小出しに断片的に描いているのがまどろっこしいです。直線的に明確に描いた方が良かったでしょうし、恨みの対象である2人のうち、ボスの方をもっと詳しく描いた方が良かったと思います。
厨房のアクションは「ジョン・ウィック」や「アトミック・ブロンド」を、クライマックスは「燃えよドラゴン」を思わせました。デヴ・パテルはそうしたアクションの影響が濃厚のようです。これまでおとなしい役が多かったですが、体も筋肉質に鍛えているので、今後はアクションが増えていくのかもしれません。
中盤、敵に襲われて重傷を負った主人公を助けるヒジュラとは、Wikipediaによると、「インド、パキスタン、バングラデシュなど南アジアにおける、男性でも女性でもない第三の性(性別)」で、聖者として宗教儀礼に携わったり、この映画の集団のように差別される場合もあるそうです。
IMDb6.9、メタスコア70点、ロッテントマト89%。
▼観客5人(公開13日目の午後)2時間1分。
4年前からNetflixで配信している映画「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」(2020年、ロン・ハワード監督)をニューズウィーク日本版が取り上げています。今頃なぜだ、と思ったら、この映画の原作は共和党の副大統領候補J・D・ヴァンスの自伝的小説なんだそうです。映画はグレン・クローズがアカデミー助演女優賞にノミネートされましたが、内容自体は“貧困ポルノ”と酷評されるほどつまらなかったです。
自分だけ経済的に成功していい気になってるヴァンスのキャラは最低でした。記事には「自分は貧困を抜け出したのだから誰でもできるはずで弁解は通用しない。それがバンスの言い分なのだ」とあります。そういう人物が副大統領候補というのは共和党は地に落ちたなと思います。
吉田修一の原作を「おじいちゃん死んじゃったって。」(2017年)、「さんかく窓の外側は夜」(2021年)の森ガキ侑大(ゆきひろ)監督が映画化。
夫(小泉孝太郎)の実家の敷地内に建つ“はなれ”で暮らす桃子(江口のりこ)は結婚して8年。義母(風吹ジュン)から受ける微量のストレスや夫の無関心を振り払うように、センスのある装い、手の込んだ献立などいわゆる「丁寧な暮らし」で毎日を充実させていた。そんな桃子の周囲で不穏な出来事が起こり始める。近隣のゴミ捨て場で相次ぐ不審火、愛猫の失踪、桃子がたびたび見ているSNSの不倫妊活コメント…。平穏だったはずの日常は少しずつ乱れ始め、八方塞がりに追い詰められた桃子は床下への異常な執着を募らせていく。
公式サイトのこのストーリー要約では何も分からないので、付け加えておくと、夫は突然、「彼女に会って欲しいんだ」と打ち明けます。夫は若い女(馬場ふみか)と不倫していて、桃子も夫の不倫をうすうす疑っていました。ですから、香港に出張する夫に「誰と行くの?」と聞いたり、帰ってきた夫のスーツケースの中身を確かめたりします。
原作を読み始めたところですが、原作では主人公視点で語られる各章に別視点のエピソードが付加されています。映画がこれをSNSコメントに変えたのは脚色のうまいところ。ただし、このSNS、はっきり誰が書いたかを描いていないので、中には誤解したままの観客もいるのではないでしょうかね。
夫の不倫が分かったばかりか、細々と収入を得ていた石けん教室講師の職もなくなってしまい、主人公には鬱な展開。同情もしにくいキャラクターなので、映画の評価もそれに引きずられてしまった部分があるようです。
▼観客4人(公開初日の午前)1時間45分。
押切蓮介の原作コミックを白石晃士監督が映画化。原作が全1巻だったので映画を見る前にKindle版を読みました。原作にはない「元気ハツラツ、お○○○マンマン」のNGワード(3回出てきます)があるので地上波テレビで完全な形での放映は無理(配信は大丈夫かな)。不幸な過去と引きこもりにより巨大に太ったサユリの姿も原作にはなく、映画のアレンジです。
前半は中古住宅に引っ越してきた家族7人(祖父母、両親、子ども3人)が家に潜む何者かによって次々に死んでいく過程を描く普通のホラー。後半は生き残った祖母(根岸季衣)と長男・則雄(南出凌嘉)の反撃を描いています。
家に潜んでいるのがサユリの霊で、引っ越してきた一家が悪いわけではないので殺していくのは理不尽なんですが、幽霊屋敷ものでは「来た奴が悪い」というのが通常進行。認知症が進んでいた祖母が家族を殺された怒りに燃え、自分を取り戻して戦う姿がおかしくて面白く、根岸季衣が乗りまくりの演技を見せています。そこが見どころと言えば見どころ。則雄の同級生で霊感を持つ少女役をドラマ「ばらかもん」(2023年、フジテレビ)、「アンチヒーロー」(2024年、TBS)で注目を集めた近藤華が演じています。
▼観客30人ぐらい(公開5日目の午前)1時間48分。
村上春樹の短編6本をフランスのピエール・フォルデス監督がアニメ化。見る前は6作品をそれぞれアニメ化したオムニバスかと思っていましたが、内容を再構成して2人の主人公の話にまとめてありました。この脚色は悪くないのですが、日本のアニメを見慣れた者からすると、キャラクターデザインに魅力がなく、「個性的」とか「変わった味がある」とかの形容しか思いつきません。
もっとも、東日本大震災後(原作では阪神・淡路大震災後)に家を出て行く主人公の妻は原作(「UFOが釧路に降りる」)によると、「容貌はまったく十人並み」で「性格もとくに魅力的とは言えなかった。口数は少なく、いつも不機嫌そうにしていた。小柄で、腕が太く、いかにも鈍重そうに見えた」とあるので、このキャラに関しては原作通りとも言えます。
原作をまとめておくと、以下の通りです。
「かえるくん、東京を救う」(「神の子どもたちはみな踊る」新潮文庫)
「UFOが釧路に降りる」(同)
「バースデイ・ガール」(「バースデイ・ガール」新潮社、「バースデイ・ストーリーズ」中央公論新社)
「かいつぶり」(「カンガルー日和」講談社文庫)
「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(「新装版 パン屋再襲撃」文春文庫)
「めくらやなぎと眠る女」(「螢・納屋を焼く・その他の短編」新潮文庫)
この6本を選んだ理由を知りたいところですが、公式サイトでは特に言及されていません。フォルデス監督は「史上最も偉大で最もインスピレーションに溢れた作家の作品から得たひらめきと、アニメーションにおいてテクニックだけではなく語り方をも一新しようとした野心の産物なのです。(中略)私にとってこの映画は、控えめに言っても近年作られた最も革新的な長編アニメーションなのです」と自画自賛気味にコメントしています。
日本語吹き替え版は磯村勇斗、玄理、塚本晋也、古舘寛治らが声を演じており、深田晃司監督が演出しています。
▼観客4人(公開初日の午後)1時間49分。
1998年7月に起きた「和歌山毒物カレー事件」を検証したドキュメンタリー。無実を訴え続ける林眞須美死刑囚の家族(夫と長男)のインタビューと再審を訴える市民団体の動き、当時の警察・検察・マスコミ・裁判関係者、現場周辺住民の取材・インタビューで構成しています。
重点となるのは目撃証言の信憑性とヒ素の鑑定結果で、どちらにも疑問が残されていることが分かります。当時のマスコミの過熱報道で犯人は林眞須美と、ほとんどの人は思っていたでしょう。警察の捜査もそれに影響されたのではとの疑いが浮上してきます。林眞須美死刑囚への疑いを濃くした詐欺事件に関しては夫主導の犯行であり、ヒ素を呑まされた被害者とされた夫が実は保険金詐欺のために自分で舐めたことをインタビューで答えています。当時、これが分かっていたら、林眞須美逮捕には至らなかった可能性もあるでしょう。
ドキュメンタリー「正義の行方」(2024年、小寺一孝監督)で描かれた飯塚事件のように警察がDNA検体を捨てるという、スットコドッコイなことにはなっていないのでまだましですが、再審を認めないようではどうしようもないですね。カレーに入っていたヒ素が林家にあったものと同じかどうかを現代の技術で再度調べないと、警察が証拠隠滅を図ったとしか思えない飯塚事件と同じことになってしまいます。
ドキュメンタリーの作りとしてはあまりうまくありませんし、二村真弘監督が関係者宅への不法侵入で警察沙汰になるのはやり過ぎでしょうが、冤罪の可能性を検証したことは有用だと思います。
▼観客7人(公開2日目の午後)1時間59分。