2024/06/30(日)「ルックバック」ほか(6月第4週のレビュー)
「ルックバック」
「チェンソーマン」の藤本タツキ原作のアニメ化。原作はWikipediaによれば、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の影響を受けているそうです。2021年、少年ジャンプ+に掲載され、大きな反響を呼びました。僕もその時に読みましたが、今回、電子書籍を買って再読しました。「このマンガがすごい!」2022年版オトコ編1位にもなった傑作。144ページの短さですが、「チ。地球の運動について」や「怪獣8号」「ダンダダン」「葬送のフリーレン」「【推しの子】」といった錚々たる作品を抑えての1位はすごいです。短いからこそ、胸を締め付ける強烈な印象を残す作品になっています。
学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野が主人公。漫画はクラスメートから絶賛され、藤野は自信を持っていたが、不登校で同学年の京本の4コマ漫画を目にし、画力の高さに驚愕する。それから藤野はひたすら漫画を描き続けたが、京本との画力の差は縮まらず、6年生の途中で漫画を描くことを諦めてしまう。小学校卒業の日、先生に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は初めて対面した京本から「私っ!! 藤野先生のファンです!!」と告げられる。藤野と京本は一緒に漫画を描き始め、高校時代には漫画雑誌に読切が7本も掲載される。出版社から「高校を卒業したら連載を」と言われるが、京本は「もっと絵がうまくなりたい」と美大進学を選び、2人の少女は別々の道を進むことになる。そして、ある事件が起きる。
「ワンス・アポン・ア・タイム…」の影響を受けていると言われるのは主人公が過去の悲しすぎる出来事を「ああしなければ良かった」「こうであれば良かったのに」という悔恨と願いをこめて実際とは異なる回想(ルックバック)をするシーンがあるからでしょう。快哉を叫んだ「ワンス…」とは違って、ここはかなり痛切なシーンです。
映画は藤野を河合優実、京本を吉田美月喜が声を演じています。原作のストーリーに忠実かつ原作の隙間を埋めていくような作り。物語の衝撃度は原作を読んだ時にはもちろん及びませんが、良いアニメ化だと思います。前途ある若者の生が唐突に、残酷に断ち切られることのやりきれなさと悲しみは原作と同様です。
ただ、原作の藤本タツキの絵は「チェンソーマン」ほどではないものの、一部にザラつきを残したような独特の味わいがあり、物語と強く結びついていますが、アニメは随分なめらかになり、原作の雰囲気とは少し異なります。それは仕方がないでしょう。この方がより広範な観客にアピールするのかもしれません。監督・脚本・キャラクターデザインは押山清高。
入場料1700円均一。入場者プレゼントでマンガ冊子がもらえました。もしかして原作かと思いましたが、よく見ると絵がラフで登場人物の名前も違います。いわゆるネーム(ストーリーボード)でした。非売品ですし、これはこれでありがたいですが、かなりの数を作ったはずなので貴重とまでは言えませんね。
▼観客多数(公開2日目の午後)58分。
「バッドボーイズ Ride or Die」
ウィル・スミスとマーティン・ローレンス共演の刑事アクションシリーズ4年ぶりの第4弾。序盤は演出が緩くてダメダメな感じでしたが、中盤以降のアクションは悪くなく、まずまずの出来でした。マイアミ市警のマイク(ウィル・スミス)とマーカス(マーティン・ローレンス)は2人の上司で亡くなったハワード警部に麻薬カルテルと絡む汚職疑惑が浮上する。2人は独自に捜査を開始するが、警察からも敵組織からも追われる身となる、という展開。
エンドクレジットを見ていたら、「エクスペンダブルズ ニューブラッド」(2023年、スコット・ウォー監督)で注目したタトゥーだらけのベトナム系女優レヴィ・トランの名前がありました。ボーッと見ていたので、どこに出てきたのか気づきませんでした。
IMDb7.0、メタスコア54点、ロッテントマト64%。
▼観客30人ぐらい(公開6日目の午後)1時間55分。
「映画 おいハンサム!!」
テレビシリーズは好きで毎週楽しみにしていました。映画となると、つらいものがありますね。テレビは実質43分。今回の映画は約2時間なのでテレビ3本分なんですが、これをテレビと同じくホームドラマコント集のような作りで乗り切るのには無理があります。いや、ファンとしては吉田鋼太郎、MEGUMI、木南晴夏、佐久間由衣、武田玲奈ら伊藤一家の面々を見ているだけでも楽しいんですよ。特に武田玲奈。WOWOWの「異世界居酒屋『のぶ』」では普通のかわいい女の子でしたが、このドラマでは手足が長くて細いスタイルの良さとコメディエンヌとしての魅力が引き出されたと思います。木南晴夏も同時期のテレビドラマ「9ボーダー」(TBS)よりずっと良いです。
ただ、ドラマ的な盛り上がりを期待できないのはつらいです。映画は興行的には爆死状態とのこと。これに懲りずテレビの第3弾を作っていただきたいと思います。脚本・監督はテレビと同じ山口雅俊。
▼観客5人(公開4日目の午後)1時間59分。
「バティモン5 望まれざる者」
移民排斥・迫害を描くフランス映画。バティモン5とはパリ郊外(バンリュー)にある移民たちの居住団地群の一画のことで、ここの一掃を目論む行政側と移民たちとの衝突が描かれます。市長の急逝で臨時市長となったピエール(アレクシス・マネンティ)は居住棟エリアの復興と治安改善を掲げ、理想に燃えていた。バティモン5の住人で移民たちのケアスタッフとして働くアビー(アンタ・ディアウ)は友人ブラズ(アリストート・ルインドゥラ)とともに住民たちの問題に向き合う日々を送っていた。強硬手段をとる市長と、追い込まれる住民たちを先導するアビー。やがて行政と移民たちの間に激しい抗争が起こってしまう。
当初、優秀に見えたピエールはトランプ前大統領のような考え方の持ち主であることが分かります。どう見てもピエールの横暴・理不尽なやり方に問題があり、ここまでやるのか、どこまで現実を反映しているのかと、気になりました。
監督はバンリュー出身で「レ・ミゼラブル」(2019年)のラジ・リ。
IMDb6.3、メタスコア58点、ロッテントマト63%。
▼観客8人(公開5日目の午後)1時間45分。
「朽ちないサクラ」
柚月裕子の原作を杉咲花主演で映画化したミステリー。サクラは警察用語で公安を指すそうです。ストーカー被害の末に女子大生が神社の長男に殺された。警察が女子大生からの被害届の受理を先延ばしにしていたことが分かる。しかもその間に慰安旅行に行っていたことが地元新聞の一面に出た。県警広報広聴課の森口泉(杉咲花)は親友の新聞記者・津村千佳(森田想)が自分との約束を破って記事にしたのではないかと疑うが、千佳は強く否定。疑いを晴らすため調査を開始したところで何者かに殺された。泉は同僚の磯川(萩原利久)とともに犯人を探す。やがてカルト宗教団体が絡んでいたことが分かる。
自分が不用意に漏らしたことを記事にするなと頼む主人公も主人公なら、友情のためにそれを守る記者も記者で呆れます。事件の首謀者を逃してしまう展開も大いに疑問。原作もこうなんでしょうかね。杉咲花の演技力を発揮する場面はなく、不満が残りました。
監督は「帰ってきた あぶない刑事」の原廣利。原作は「孤狼の血」の前に出版された作品で、「月下のサクラ」という続編があります。
▼観客8人(公開7日目の午前)1時間59分。
「クワイエット・プレイス DAY 1」
音に反応して人間を襲うエイリアンの襲来を描くシリーズ第3弾。今回は襲来の1日目から3日目までを描いていますが、過去2作の主人公だったエミリー・ブラントは登場せず、監督もジョン・クラシンスキー(ブラントの夫)から「PIG ピッグ」(2020年)のマイケル・サルノスキに代わりました。襲来初日の田舎町の様子は第2作「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」(2020年)の冒頭で描かれていました。今回の舞台はニューヨークですが、作品としては小粒な印象が否めません。病気で余命わずかな黒人女性の主人公サム(ルピタ・ニョンゴ)が猫とともに逃げ回る様子が描かれます(「エイリアン」=1979年、リドリー・スコット監督=の猫ジョーンジーを思い出しました)。クラシンスキーはストーリーでクレジットされているものの、番外編に近い内容です。
サルノスキの演出は堅実ですが、もう少し派手な見せ場も欲しいところ。制作会社も大きなヒットを期待しているわけではなく、そこそこヒットすれば良いと思っているのではないでしょうかね。
IMDb6.8、メタスコア68点、ロッテントマト84%。
▼観客15人ぐらい(公開初日の午前)1時間40分。
2024/06/23(日)「あんのこと」ほか(6月第3週のレビュー)
「あんのこと」
母親に売春を強要され、覚醒剤中毒となり、辛すぎる人生を生きた実在の女性を描く入江悠監督作品。入江監督のベストという声が多く、僕もラストを除けばそう思いました。主人公の香川杏(河合優実)は21歳。ホステスの母親(河井青葉)、足の悪い祖母(広岡由里子)と3人でゴミ屋敷のような団地の一室に暮らしている。杏は子どものころから母親に殴られて育ち、困窮のため万引を繰り返して小学4年生で学校に行かなくなった。12歳の頃、母親の強制で初めて体を売った。覚醒剤はヤクザのような男に打たれて中毒になった。覚醒剤を買う金のために体を売る生活を送っていたが、刑事の多々羅(佐藤二朗)に補導され、覚醒剤中毒のグループ療法に参加して更生を目指すようになる。多々羅の友人でジャーナリストの桐野(稲垣吾郎)も協力し、杏は少しずつ生き方を変えていく。しかし、コロナ禍がやって来る。
前半、どん底の暮らしから立ち上がっていく主人公の姿がとても良いです。売春をやめ、介護施設で働き、覚醒剤を断ち、夜間中学で学び始める姿は希望を持たせます。一方でそんなにうまく事が運ぶはずがないと思えるのも事実で、予想通りというか、それ以上にひどい事態が出来します。
昨年公開された「遠いところ」(工藤将亮監督)は沖縄の17歳のシングルマザーの苦境を描いていましたが、あの主人公は父親や同棲相手など周囲のクズ男が苦境の原因でした。杏の場合は毒親と言うべき母親の存在がそれに当たります。この母親から逃げることが唯一の解決方法であり、これはDV男から逃げるのと同じことでしょう。
キネ旬レビューでは星5個、2個、1個と賛否が分かれていますが、見終わってどんよりした表情で映画館を後にする観客もいるようです。実際の事件を基にしたからといって、映画も同じラストにする必要はないと、僕も思いました。
経済的に困窮し、切実に助けを求める人がいること、そうした人たちを助けなくてはいけないこと、行政の支援はもっと充実させ、相談に来た人を追い返すような対応を改めるべきこと、などなどは悲しいラストにしなくても観客には伝わるでしょう。
平日午後の映画館は女性客が多かったです。河合優実は女性にも人気なのでしょうが、しっかりこういう役柄も演じられるのが役者としての可能性を感じさせます。佐藤二朗は前半の型破りな刑事を見ていると、ソン・ガンホのような存在になれるのでは、と思いました。稲垣吾郎も良いです。
▼観客多数(公開13日目の午後)1時間54分。
「ディア・ファミリー」
心臓疾患で余命10年を宣告された娘のために、医療には素人の町工場の社長が人工心臓の開発に着手し、その経験を生かして日本人向けのバルーンカテーテルを開発した実話。監督は「君の膵臓をたべたい」(2017年)の月川翔。このカテーテルで17万人の命が救えたそうです。何度も何度も飽きるほど予告編を見せられて、すっかり本編を見た気になっていましたが、このカテーテルの話は予告編にはありませんでした。月川監督は安易なお涙頂戴に流れず、多くの困難を乗り越えながら開発に打ち込む主人公の姿と家族の絆を手堅くまとめた感動作に仕上げています。
原作は清武英利のノンフィクション「アトムの心臓 『ディア・ファミリー』23年間の記録」。生まれつきの心臓疾患の次女・佳美に福本莉子、父親で町工場の社長・宣政に大泉洋、その妻に菅野美穂。ほぼ出ずっぱりの大泉洋は過不足のない演技を見せて良いです。
公開初週の週末3日間興行成績ランキングで1位。平日でも観客が多かったのは大泉洋の人気の高さも要因なのでしょう。
▼観客多数(公開4日目の午後)1時間57分。
「ありふれた教室」
中学校内での盗難事件の犯人探しをした女性教師が逆に窮地に追い詰められていくドイツ映画。学校は社会の縮図と、パンフレットでイルケル・チャタク監督も語っていますし、一般的にも指摘されることですが、ドイツの場合、移民も多いので、学級運営は一段と難しさを伴うでしょう。監督自身、両親はトルコからの移民。この脚本には自身の体験も含まれているそうです。盗難が頻発する学校が舞台。主人公の女性教師カーラ(レオニー・ベネシュ)は同僚の教師が小銭をくすねるのを見て、職員室で財布を入れた上着を椅子に掛け、それをパソコンのカメラで動画撮影する。後で確認すると、財布からはお金が抜き取られており、記録された動画にはある人物が上着を触る様子が映っていた。顔は写っていなかったが、星模様のブラウスから、どうやら事務員のクーン(エーファ・レーバウ)らしい。カーラは校長とともにクーンを問い詰めるが、クーンは怒って全面的に否定する。
盗みの証拠が完全ではないのが敗因で、ここから、こっそり撮影したカーラへの非難とカーラ自身のミスと周囲の誤解が重なり合って、カーラは追い詰められていきます。さらに学校新聞のインタビューがたたり、学級崩壊どころか学校崩壊の様相まで呈する始末。不条理とも思える展開ですが、この脚本の構成は緊密で見事でした。最後はカタストロフかカタルシスがあるのかと予想していたら、そうはなりません。安いスリラーになることを避け、心理的サスペンスに徹したのがうまくいっていると思います。
チャタク監督は1983年生まれ。長編映画はこれが4作目のようです。
IMDb7.5、メタスコア82点、ロッテントマト96%。アカデミー国際長編映画賞ノミネート。
▼観客3人(公開7日目の午後)1時間39分。
「関心領域」
「ありふれた教室」の主人公はポーランド系でしたが、これはポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所の隣で優雅に暮らすドイツ人家族の日常を描いた作品。マーティン・エイミスの原作を「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」(2013年)のジョナサン・グレイザー監督が映画化しました。収容所の隣で暮らしているのは所長のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)とその家族たち。家の中には収容所からの悲鳴や銃声がかすかに聞こえてきますが、そんな中、妻(ザンドラ・ヒュラー)や親族たちは殺されたユダヤ人の下着や服の中から欲しいものをあさります。収容所の煙突からは黒い煙が上がり、川で水遊びしていると、人骨が混じった灰が流れてきます。そうしたことは一家にとっては深刻な問題ではありません。というか、まったく気にしていません(灰で体が汚れることは気にしてます)。塀の向こうのユダヤ人の運命には想像が及ばず、一家にとって収容所は無関心領域なわけです。無関心でなくては、とてもこんな所には住めないでしょう。
そうした描写が淡々と続き、ユダヤ人の姿はほとんど描かれません。それをもっと描けば、映画はもっと天国と地獄の対照を際立たせたのではないかと思います。だから、と言うべきか、アウシュヴィッツの未来を一瞬見てしまうヘスのシーンは秀逸です。日常を超えた描写であり、ヘスがあれをどう見たのか気になるところ。極めて映画的なシーンだと思いました。
IMDb7.4、メタスコア92点、ロッテントマト93%。アカデミー国際長編映画賞、音響賞受賞。カンヌ国際映画祭グランプリ。
▼観客7人(公開8日目の午前)1時間45分。
2024/06/16(日)「人間の境界」ほか(6月第2週のレビュー)
「人間の境界」
ベラルーシとポーランドの国境でどちらからも受け入れられず、森の中に見捨てられる難民の現状を描いたアグニエシュカ・ホランド監督作品。中東やアフリカから飛行機で迎え入れた難民をベラルーシ政府はポーランドに送り込みますが、ポーランドの国境警備隊はこの難民をベラルーシに送り返します。ピンポン球のようにこれが繰り返されるため、死亡する難民が出ている現状をホランド監督は難民と警備隊、ボランティアの活動家たちの姿を通して描き、痛烈に批判しています。エピローグでウクライナ国境から多数のウクライナ人を受け入れるポーランドの姿を描いているのが強い皮肉になっていて、要するにこのダブルスタンダードはアフリカや中東に対する人種・民族差別が根底にあることが分かります。
ホランド監督はこう書いています。
「ポーランド当局は、難民は生きている人間であるということを都合よく忘れてハイブリッド・ミサイルとみなし、嫌悪や恐怖を呼び起こすプロパガンダを作り上げました。彼らはわが国に避難を求める人々ではなく、わが国の神聖な国境を攻撃するプーチンのミサイルであり、テロリスト、小児性愛者、動物虐待者なのだと。(中略)しかし、地元住民の大半や若い活動家たちは、罪のない人々の苦しみと恐怖を目の当たりにして、『この人たちを助けなければならない』という当然の反応を示しました」意図的に大量に送り込まれる難民たちは人間兵器と言われますが、ホランド監督はその言い方にも異議を唱えているわけです。目の前で苦しむ人がいれば助けるのが普通の感覚。日本も移民や難民の受け入れを厳しく制限していますから、ポーランド政府の対応を他人事で批判することなどできません。人道主義に立って、苦しむ人たちを助けることが必要なのだと思います。
IMDb6.4、メタスコア83点、ロッテントマト89%。ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞。
▼観客8人(公開6日目の午後)2時間32分。
「映画 ◯月◯日、区長になる女。」
人口47万人の杉並区の2022年区長選挙に住民グループの要請で立候補し、187票差で現職を破って当選したNGO職員・岸本聡子の選挙運動を描くドキュメンタリー。投票日のわずか2カ月前に立候補を決め、女性パワーが中心になって当選を果たすまでの過程はとても面白いのですが(基本的に選挙は面白いんです)、傑作「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2020年、大島新監督)などと比べると、相手候補がほとんど描かれないこともあって選挙映画としてそれほど優れているとは思えませんでした。監督は同区在住の劇作家ペヤンヌマキ。政治経験のない候補が接戦を制することができたのは、区が進める道路拡張計画によって児童館や高齢者向け施設が廃止になるほか、住宅・病院の移転や樹齢の長い木の伐採などが伴い、住民の間に反対運動が起こっていたことが大きいようです。3期12年務めた現職への反対派も少なくなかったのでしょう。
前回2018年の選挙に比べて、投票率が約5ポイント高くなったのは反対運動の成果で選挙に関心を持つ区民が増えたためだと思います。この映画が痛快なのは現状に反対した住民が立ち上がり、勝利を収める過程を描いているからで、行動が結実する過程、努力が報われる結果は人を惹きつけるものです。
翌年行われた区議会議員選挙では定数48のうち、女性が24人と過半数を占めました(男性23人、性別非公表1人)。女性パワーの躍進を感じさせますが、僕が見た時の観客は高齢男性ばかり。女性こそ見た方が良い映画だと思います。
▼観客10人(公開2日目の午後)1時間50分。
「違国日記」
交通事故で死んだ両親の葬儀で田汲朝(早瀬憩)に叔母の高代槙生(新垣結衣)が言うセリフがとてもハードボイルドです。「朝、わたしはあなたの母親が心底嫌いだった。死んでなお憎む気持ちが消えないことにもうんざりしている。わたしはだいたい不機嫌だし、あなたを愛せるかどうかはわからない。でも、わたしは決してあなたを踏みにじらない。もし、帰るところがないなら、うちに来たらいい。それでよければ、明日も明後日もずっとうちに帰ってきなさい。たらいまわしはなしだ」
槙生と姉は仲が悪く、朝とは赤ん坊の頃から会っていませんでした。それでも朝を引き取ろうと親戚の前で(勢いで)言ってしまったのは、親戚の面々が言い訳をするばかりで誰も朝を引き取ろうとせず、朝が盥回しのような状態にあったからです。
このセリフは原作(ヤマシタトモコのコミック)では葬儀の場面と槙生のマンションに帰ってきてからの場面で槙生が言うもので、映画は2つのセリフを組み合わせて葬儀の場面で槙生に言わせています。このセリフを聞いて、映画の出来には期待できると思い、それはほぼ間違っていませんでした。
氷の女が純粋な少女との出会いで氷を溶かしていくというようなありきたりの展開にならないのは原作の力なのでしょうが、それを新垣結衣、早瀬憩、夏帆、瀬戸康史らの出演者が的確に演じています。新垣結衣は昨年の「正欲」(岸義幸監督)に続いてほとんど笑顔を見せない役柄。2作続けたということは、こういう役をやりたいのでしょう。
脚本・監督・編集の瀬田なつきは映画「PARTS パークス」(2017年)、「ジオラマボーイ・パノラマガール」(2020年)などの監督で、現在放送中のNHK夜ドラ「柚木さんちの四兄弟。」の演出にも加わっています。
▼観客12人(公開7日目の午前)2時間19分。
「蛇の道」
哀川翔、香川照之主演の同名作品(1998年)を黒沢清監督がフランスに舞台を移してセルフリメイク。前作は85分、今回は113分と28分も長くなっています。エピソードは増えましたが、基本的には同じ話で、長くなった分、面白くなったかというと、むしろ冗長さを感じました。元の脚本(「リング」シリーズなどの高橋洋)に加えた脚色に難があったと言うべきでしょう。8歳の娘を殺されたアルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)は偶然出会った精神科医・新島小夜子(柴咲コウ)の協力を得て犯人への復讐を計画。犯人の1人を突き止めて倉庫に拉致監禁し、実行犯を暴こうとする。やがて背後にはある闇の組織が関わっていることが分かる。
今回は主人公を柴咲コウが演じるのがポイント。フランス在住の日本人として話すフランス語に不自然さはありません。柴咲コウの冷たい持ち味は生かされていますが、魅力を十分に引き出したとは言えず、少しもったいない気がしました。
前作の評価はKINENOTE71.5点、映画.com3.1点、Filmarks3.9点。
▼観客12人(公開初日の午前)1時間53分。
2024/06/09(日)「マリウポリの20日間」ほか(6月第1週のレビュー)
「スター・ウォーズ」のスピンオフドラマは「マンダロリアン」を除いてあまり人気がありません。その「マンダロリアン」はジョン・ファブロー監督による映画化が決まっていて、今年中に製作が始まるそうです。
「マリウポリの20日間」
アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞のウクライナ=アメリカ合作映画。2022年2月24日のロシア軍の侵攻開始からの20日間、ウクライナ東部の港湾都市マリウポリの惨状を現地に残ったAP通信取材班が撮影し、戦闘の実際を詳細に伝えています。民間人は攻撃されないという一般的な考えはロシア軍には通用せず、マンションや一般住宅、店舗、病院などすべてが攻撃対象になり、砲弾と銃弾が浴びせられて多くの死傷者が出ます。犠牲者の中には妊婦や幼い子どもたちも含まれ、映画は全編に悲鳴と慟哭、嗚咽、叫び、怒りが渦巻いています。
マリウポリの周囲はロシア軍に包囲されており、逃げ場のない状態での惨劇。爆撃の音に怯え、地下室で「わたし死にたくないの」と涙を流す女児、サッカーをしている時に砲撃され、両足を吹き飛ばされた少年の遺体のそばで慟哭する父親など胸を抉られるような場面が連続します。
戦闘に巻き込まれた一般市民を描いて、この映画は有無を言わさない真実の力に満ちています。報道されたこうした映像について、ロシア政府高官は「フェイクだ」と愚かな発言を繰り返しますが、この非人道的な殺戮の数々、ひどい攻撃の仕方を公式に認めれば、国内外から非難が高まるのは必至。「嘘だ」と言うしか対抗手段がないのでしょう。
ウクライナ出身のAP通信社記者でこの映画の監督・脚本・制作・撮影を務めたミスティスラフ・チェルノフはアカデミー賞授賞式で「この映画が作られなければ良かった」と話しました。侵攻開始から2年以上たってもウクライナ国民の苦しみは終わる兆しが見えません。どうすれば殺戮を止められるのか、国際社会はどう対応すべきなのか、真剣に考える必要があると、あらためて痛感させる作品になっています。
IMDb8.6、メタスコア83点、ロッテントマト100%。
▼観客7人(公開初日の午後)1時間37分。
「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」
ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」(1967年)の衝撃から始まって、加藤和彦と北山修の「あの素晴しい愛をもう一度」(1971年)ぐらいまでは当時を知る者にはたまらなく懐かしい展開です。この歌、元々はシモンズのデビュー作として作ったそうですが、あまりに良い出来だったので自分たちで歌った、ということをこの映画で初めて知りました。その後のサディスティック・ミカ・バンドについて僕は「タイムマシンにおねがい」(1974年)ぐらいしか知らないので、あまり興味がなく、映画も中盤から少しダレると感じました。それでも加藤和彦という天才的な音楽家の生涯とその影響力の大きさを俯瞰することができるのがこの映画の価値でしょう。
僕は10代の頃、北山修のエッセイ「戦争を知らない子どもたち」「さすらいびとの子守唄」(いずれも1971年発行)に大きな影響を受けていて、映画のインタビューで北山修の現在の姿と加藤和彦への思いを知ることができてうれしかったです。北山修は現在、白鴎大学学長を務めています。
監督は「音響ハウス Melody-Go-Round」(2019年)などの相原裕美。1960年生まれなのでリアルタイムでフォークルや「あの素晴しい愛をもう一度」のヒットを知っていると思います。
▼観客7人(公開5日目の午後)1時間59分。
「あまろっく」
兵庫県尼崎市を舞台にした笑いと涙のドラマ。出演者は悪くはないんですが、話を詰め込みすぎ。細かなエピソードよりも細やかな描写が欲しいところです。あまろっく(尼ロック)は治水・高潮対策の尼崎閘門のこと。会社でも家でも普段は何もしない父親・竜太郎(笑福亭鶴瓶)が自称している。その父親が再婚相手に20歳の美女・早希(中条あやみ)を連れてきた。京都大学を卒業して入った大企業をリストラされてぶらぶらしている娘・優子(江口のりこ)は愕然。しかも父親は再婚して1カ月後に急死し、優子は“赤の他人”の早希と喧嘩しながら暮らすことになる。
早希が45歳も年上の竜太郎と結婚したのは子どもの頃、家族の団らんに恵まれなかったからで、竜太郎が亡くなっても優子とともに暮らすのはせっかくできた家族を手放したくなかったからです。竜太郎の若い頃を演じる松尾諭と妻役の中村ゆりを含めて出演者は総じて良いです。次から次に起きる事件を絞って、語り方をさらに洗練したいところでした。監督は中村和宏、脚本は西井史子。
▼観客11人(公開2日目の午前)1時間59分。
「からかい上手の高木さん」
山本崇一朗原作コミックのドラマ(今泉力哉監督、黒川想矢、月島琉衣主演)の10年後を描く劇場版。父親の仕事の都合で高木さんが島を去って10年。西片(高橋文哉)は母校の中学校の体育教師になっていた。そんな時、高木さん(永野芽郁)が教育実習生として島に帰ってくる。中学時代、高木さんにからかわれ続けた日々が再び戻ってくる。
西片のクラスの生徒役・白鳥玉季と不登校の男子生徒の場面の深刻な長回しがうまくいっていず、ユーモアを絡めた全体との調和が取れていないなと思っていたら、クライマックス、高木さんと西片の長回しも今一つ効果を上げていませんでした。今泉力哉監督の傑作「街の上で」(2019年)におけるアパートでの若葉竜也と中田青渚の恋バナシーンの長回しに比べると、明らかに劣っていて、まだるっこしさばかりが先に立ってしまっています。
高木さんも西片も25歳なのに15歳のような恋心の描写で、それなりに成長した2人になっていても良かったんじゃないでしょうかね。永野芽郁と高橋文哉自体は悪くありません。月島琉衣と白鳥玉季は、伊東蒼と並んで将来性を感じさせる女優だと思います。
▼観客13人(公開7日目の午後)2時間。
2024/06/02(日)「正義の行方」ほか(5月第5週のレビュー)
空港に向かうバスの中で死ぬ元ホステスの姿は「真夜中のカーボーイ」(1969年、ジョン・シュレシンジャー監督)のダスティン・ホフマンを想起させ、最終11話で犯人の乗る屋形船を追って走る綾野剛の姿は「フレンチ・コネクション2」(1975年、ジョン・フランケンハイマー監督)のジーン・ハックマンを思わせました。
「正義の行方」
福岡県飯塚市の女児2人が殺害された事件(飯塚事件)を検証したドキュメンタリー。事件から30年後の2022年にNHKが放送した3部構成のBS1スペシャル「正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮」を再構成した映画化で、極めて緊密な作りの傑作になっています。飯塚事件についてはジャーナリストの清水潔が「殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」(2013年)の中で冤罪の疑いがある死刑執行事例として書いています。事件から2年7カ月後に久間三千年容疑者が逮捕され、死刑判決が確定してわずか2年後の2008年に刑が執行されました。久間元死刑囚は犯行を否認し続けていましたが、DNA型の鑑定結果など4つの証拠が逮捕の決め手となり、裁判所もそれを支持しました。
問題は当時のDNA型の鑑定方法(MCT118鑑定)が今となっては信頼性が乏しいとして否定されていること。逮捕当時、これが一番の有罪の決め手だったにもかかわらず、その後の再審請求では目撃証言など他の3つの証拠で犯行が高度に立証されているとされ、請求は棄却されました。
映画は前半を事件の経過と警察の捜査、それをつぶさに取材した地元紙西日本新聞の報道を描き、後半は同紙が2018年から連載した「検証飯塚事件」を基にした検証結果を描いています。
ドキュメンタリー映画の中には特定の人物の発言を垂れ流すだけの作品があってうんざりするんですが、この映画は1つの事象に対して複数の関係者の発言を必ず用意していて、この姿勢は細部まで徹底しています。これが作品の信頼性につながっています。
西日本新聞が死刑執行から10年後に検証連載を始めたのは事件当時、取材班のキャップだった記者が編集局長になったのがきっかけ。調査報道の得意な記者2人にゼロから取材させ、問題点を炙り出していきます。このパートが滅法面白いです。事件当時は警察に夜回りをかけて特ダネ合戦のトップを走った(つまり警察のお先棒を担いだ)新聞がそれを反省検証するのは報道機関として真摯な姿勢と褒められるべきで、この映画は同紙の評価を高めることにも繋がっていくでしょう。
パンフレットに「オールドメディアの存在意義をかけて」の文言があるのが唯一気になったことで、オールドだろうがニューだろうが、この姿勢は報道に不可欠のものだと思います。
監督の木寺一孝は元NHKディレクターで2023年にNHKを退職。監督作品には「“樹木希林”を生きる」(2019年)があります。
▼観客10人(公開2日目の午後)2時間38分。
「マッドマックス フュリオサ」
1979年に始まった「マッドマックス」シリーズの第5作。というか、前作「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(2015年)でシャーリーズ・セロンが演じた女戦士フュリオサの前日譚で、タイトルも「FURIOSA: A MAD MAX SAGA」なのでシリーズとしては番外編と言うべきでしょう。ただし、僕は5本の中ではこれが最も面白かったです。セロンに代わってフュリオサを演じるのはチェスの天才少女を描いたドラマ「クイーンズ・ギャンビット」(2020年、Netflix、全7話)でブレイクし、「ラストナイト・イン・ソーホー」(2021年)「ノースマン 導かれし復讐者」(2022年)「ザ・メニュー」(2022年)と出演作が続いているアニャ・テイラー=ジョイ。
核戦争で世界が荒廃して45年後。豊かな緑の地に住んでいた10歳のフュリオサ(アリーラ・ブラウン)はバイカー軍団に連れ去られ、追ってきた母親(チャーリー・フレイザー)を惨殺される。バイカー軍団を率いるのはディメンタス(クリス・ヘムズワース)。ディメンタスは何でも揃う砦(シタデル)を乗っ取ろうと目論むが、シタデルを統治するイモータン・ジョー(ラッキー・ヒューム)の軍団には歯が立たない。フュリオサはシタデルに残ることになる。数年後、男装したフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)はディメンタスへの復讐の機会をうかがっていた。
メル・ギブソンを一躍スターダムに押し上げたシリーズ第1作は公道でのカーチェイスの前例のないスピード感と迫力で当時の観客を熱狂させました。妻子を殺された警官の復讐というシンプルな筋立ても僕の好みでした。ただ、シリーズの評価が高まったのは漫画「北斗の拳」に大きな影響を与えたシリーズ第2作。今回は第1作を彷彿させる復讐譚になっていて、アクションの迫力は期待を上回る出来でした。
アニャ=テイラー・ジョイはセロンに比べると小柄ですが、復讐心を秘めた寡黙なフュリオサを見事に演じきっています。
IMDb7.9、メタスコア79点、ロッテントマト90%。
観客多数(公開初日の午前)2時間28分。
「帰ってきた あぶない刑事」
地上波テレビに刑事アクションがなくなって久しいから、こういうアクションの勘所の分かってない話になるんだろうなと、ほとんど先入観で思ったんですが、脚本の大川俊道と岡芳郎はいずれも1986年のドラマ「あぶない刑事」でも脚本を書いた人たちでした。ちなみに、このドラマの第1話は脚本・丸山昇一、監督・長谷部安春という強力布陣です。「大都会」(1976年)シリーズに始まる日テレの刑事アクションは主に日活アクション映画の監督と脚本家たちが支えていました。今回の原廣利監督は1987年生まれなので、テレビドラマには当然かかわっていませんが、父親の原隆仁監督はドラマの第1期から脚本・監督として参加した人(親子関係で言うと、港警察署の警官・山路瞳を演じる長谷部香苗は長谷部安春監督の娘です)。
平日の劇場には年輩客が多かったです。僕は「大都会PART II」(1977年)のようなハードなアクションが好きだったので、ユーモアを絡めた「あぶない刑事」には何の思い入れもありませんでした。当時を懐かしむ観客を意識した作りを否定するわけではありませんし、若者にもある程度支持を集めているようですが、刑事アクションの王道を行くような作品も見てみたい気持ちになります。
▼観客20人ぐらい(公開6日目の午後)2時間。
「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」
イタリアで1858年に起きたカトリック教会による少年誘拐事件を描くマルコ・ベロッキオ監督作品。エドガルドが住んでいたのはボローニャ地方で、ユダヤ教の家でしたが、使用人のカトリックの女性がエドガルドのためを思って洗礼したことにより、異端審問官がエドガルドをカトリック教徒として育てる必要があるとして教皇警察に連れてくることを命じました。エドガルドはカトリックの教えのまま成長。結果として家族から拒否される悲劇に見舞われることになります。無宗教の多い日本人からすると、ほとんど洗脳教育としか思えない事態。宗教が権力を握ると、ろくなことにはならないという思いを強くしました。政教分離は不可欠なわけです。
IMDb7.0、メタスコア73点、ロッテントマト85%。
▼観客11人(公開7日目の午後)2時間14分。