2025/06/01(日)『か「」く「」し「」ご「」と「』ほか(5月第5週のレビュー)

 スティーブン・キングの新刊「フェアリー・テイル」の上下各巻の価格は4,675円。合わせて9,350円となります。昨年4月に出版された「ビリー・サマーズ」は上下各2,970円でしたから、かなりの価格上昇です。今回はページ数が多いのかと思ったら、同じぐらいでした。違うのは本の大きさで「ビリー・サマーズ」より縦横とも約2センチ大きなA5判(148mm×210mm)なんだそうです。キングの本がA5判で発売されるのは2001年の「不眠症」以来24年ぶりとか。

 それならこの価格も仕方ないか、と簡単には納得できないんですけどね。売れないから価格を上げないと赤字になるのでしょうが、こうなるともう「買えない」レベルで、文庫になるまで待つ人もいるでしょう。ただし、文庫も昨今は軽く1000円を超えるのが当たり前になっていて、昨年出版された同じくキングの「死者は嘘をつかない」は1,650円でした。「フェアリー・テイル」の場合、上下で4,000円以上になるんじゃないでしょうかね。

『か「」く「」し「」ご「」と「』

『か「」く「」し「」ご「」と「』パンフレット
『か「」く「」し「」ご「」と「』パンフレット
 住野よるの原作を「少女は卒業しない」(2023年)の中川駿監督が映画化。他人の気持ちや感情が断片的・記号的に分かる力を持つ高校生男女5人の恋模様を描いています。この断片的というのがポイントで、完全に分かれば、何も問題はないんですが、断片的なだけに誤解が生じる余地があり、うまくことが運ばない要因になっています。中川駿監督は出演者の持ち味を活かした瑞々しい青春映画に仕上げています。

 物語は大塚京(奥平大兼)の視点で始まり、京が思いを寄せるミッキーこと三木直子(出口夏希)、ミッキーの友人のパラこと黒田文(菊池日菜子)、幼なじみのヅカこと高崎博文(佐野晶哉)、ふとしたことで不登校になったエルこと宮里望愛(早瀬憩)へと視点を変えて描いていきます。

 タイトルに「」が含まれるのは連作短編である原作の各章のタイトルが「か、く。し!ご?と」「か/く\し=ご*と」「か1く2し3ご4と」などとなっているのを総称するためでしょう。これは5人のそれぞれの能力を表していて、京は他人の頭の上に「?」や「!」が見える力、ミッキーは胸の前のプラスとマイナスの棒が上下に振れるのが見える力を持っています(気分の上下を表します)。そんな力がなくても、たいていの人は相手の微表情(マイクロエクスプレッション)で本心が分かってしまうもので、だから5人の能力は微表情を明確に視覚化するものと言えるでしょう。

 時間的に一番長いのはパラのパート。人の鼓動の速さが数字で見えるパラは普段からミッキーを守るためにある行動を取っていて、それを菊池日菜子が感受性豊かに演じています。こうした演技ができるのなら、8月に公開が控える主演作「長崎 閃光の影で」(松本准平監督)も期待できそうです。

 中川監督は映画化を引き受けた理由として「心=本性という考え方」への疑問を挙げています。「心で感じ、理性で判断して行動するのが人間だ。(中略)『何をして、何をしなかったか』という行動の結果にこそ、その人の本性が表れるのではないか」(キネマ旬報2025年6月号)。原作の登場人物は能力を隠し、自分の心の内に悩んでいますが、その姿を描くことで同じように悩む少年少女たちの不安を少しだけ軽くするのではないか、と思ったのだそうです。軽くするかどうかはともかく、若い世代の共感を得ることはできるのではないでしょうか。

 出口夏希は昨年の「赤羽骨子のボディガード」(石川淳一監督)でも良かったんですが、この映画で演じた自由奔放で明るいミッキーのキャラは素の本人に近いそうです。パンフレットのインタビューで「今まで演じた役の中でも自分とすごく似ていて、撮影期間中も日常を過ごしているような気分でした」と話しています。永瀬廉とダブル主演したNetflixの「余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。」(三木孝洋監督)は難病ものノーサンキューなのでこれまで見ていませんでした。出口夏希の過去作を追っかけたくて見たら、三木監督だけに水準を十分にクリアした仕上がりでした。好感度120%の出口夏希は既に一定の人気がありますが、地上波のドラマに主役・準主役級で出演すれば、河合優実のようにブレイクするのは必至でしょうね。
▼観客20人ぐらい(公開初日の午前)1時間55分。

「新世紀ロマンティクス」

「新世紀ロマンティクス」パンフレット
「新世紀ロマンティクス」パンフレット
 現在の中国映画界で世界的に最も高い評価を得ているジャ・ジャンクー監督作品。公式サイトには「初期の傑作『青の稲妻』『長江哀歌』やドキュメンタリーを含む2001年から撮り溜めてきた映像素材を使用し、総製作期間は22年に及ぶ」とありますが、最初からこの作品を撮るつもりで過去作を撮っていたわけではないでしょう。それに同様の趣向は前作「帰れない二人」(2018年)で既に行っています。男女の長い年月のドラマを描き、情緒に重点を置いた「帰れない二人」は通俗的な物語でありながら完成度の高い作品でした。同じような素材を使ってそれを別の話に再構成する必要があったのか疑問です。

 物語は別であっても、黄色いシャツに白いズボン、リュックを前がけにした「長江哀歌」のチャオ・タオの姿を見ると、「帰れない二人」に続いて「またか」と思わざるを得ず、字幕を利用したサイレント映画のような手法もオリジナルとは別のセリフにするための手段としか思えません。

 こと映画に限って言えば、リサイクル品より新品が好ましいです。もっとも初めてジャ・ジャンクー作品を見る人に、この感想は通じないので、そういう人の感想を聞いてみたいものです。
IMDb6.6、メタスコア88点、ロッテントマト98%。
▼観客7人(公開初日の午後)1時間51分。

「けものがいる」

「けものがいる」パンフレット
「けものがいる」パンフレット
 公式サイトに「100年以上の時を超え転生を繰り返す男女の数奇な運命をスリリングに描く」とありますが、この要約はほぼ間違いです。2044年のパリで、あるセッションを受ける主人公(レア・セドゥ)が1910年と2014年の時代で繰り広げる物語。セッション中のシーンが「アルタード・ステーツ 未知への挑戦」(1980年、ケン・ラッセル監督)に出てきたタンキング・マシーンを連想させたので、過去と未来のシーンは主人公の夢や想像だろうと僕は解釈してました。

 原作にクレジットされているのは「ねじの回転」で有名なヘンリー・ジェイムズの「密林の獣」。これは原案と言うべきで、脚本・監督のベルトラン・ボネロはこれをヒントにオリジナルの物語を作っています。ただ、年代さえ表示されないので物語が分かりにくく、もう少し観客フレンドリーな作りにした方が良かったと思います。

 映画の最後にQRコードが表示され、エンドクレジットの表示を省略しています(QRコードのジャンプ先では8分余りのクレジットが流れます)。
IMDb6.5、メタスコア80点、ロッテントマト86%。
▼観客6人(公開2日目の午後)2時間26分。

「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」

「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」パンフレット
パンフレットの表紙
 ナチスの宣伝大臣を務めたパウル・ヨーゼフ・ゲッベルスを、記録映像を交えて描くドイツ=スロバキア合作。ゲッベルスの子ども時代からヒトラーの台頭、その死に至るまでを描いていて、その軌跡と果たした役割はよく分かります。ゲッベルスの大嘘を交えた宣伝戦略は現代にも通じるものがありますが、映画は構成も演出も平板で平凡な出来に終わっています。

 ゲッベルスと妻の確執など私生活を長々と描く必要はなかったんじゃないでしょうかね。ゲッベルスを演じるロベルト・シュタットローバーにも魅力が乏しいです(魅力的に描くとまずいのでしょうが)。脚本・監督はヨアヒム・A・ラング。
IMDb6.7(アメリカでは限定公開)
▼観客3人(公開12日目の午後)2時間8分。