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2004年05月17日の記事

2004/05/17(月)「ビッグ・フィッシュ」

 「猿の惑星」以来3年ぶりのティム・バートン監督作品。そして「猿の惑星」の汚名はこれで十分にぬぐい去った。父と息子の物語をファンタジーにくるんで描き、広く一般受けする感動作になっている。未来を予見する魔女や身長5メートルの巨人が登場するファンタジーの部分も父と息子の和解の場面も良くできており、ファンタジーと思っていたものが現実となる瞬間の描写も秀逸だ。過去のバートン作品とは異なり、アクが抜けて丸くなった感じである。ただ、何となく物足りないのはあまりにも普通の感動作であるためか。ブラックなユーモアは影を潜め、陽気で幸福な雰囲気に満ちている。バートンが夫婦愛、親子の愛をここまで描くとは思わなかった。キネ旬の記事にあった「実生活のパートナーでもあるヘレナ・ボナム=カーターとの間に子供が生まれたことが影響している」との指摘にはなるほどと思う。

 原作はダニエル・ウォレスのベストセラー。主人公のエドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)は息子ウィル(ビリー・クラダップ)の結婚式で「息子が生まれた日に釣った巨大魚」のスピーチをして、ウィルと激しい口論となる。エドワードはウィルが幼いころから自分の体験を話して聞かせた。魔女や巨人が出てくるそれはまるでおとぎ話のようなものであり、何度も何度も聞かされたウィルには他人にまで同じほら話をする父親が許せなかった。3年後、父が倒れたとの知らせが入る。ウィルは妻のジョセフィーン(マリオン・コティヤール)とともに実家に帰ることになる。ここからユアン・マクレガー演じるエドワードの若い頃の話が綴られていく。沼地に住んでいた魔女(ヘレナ・ボナム=カーター)がエドワードの死に方を見せたこと、町に身長5メートルの巨人が来たこと、その巨人を都会に連れて行く途中で立ち寄ったスペクターという不思議な町のこと、サーカスで出会ったサンドラ(ジェシカ・ラング。若いころはアリソン・ローマン)と結ばれるまでのこと。ここで描かれるのはどれもなんだか懐かしく、それぞれに寓意が込められている。

 子供にとっては夢のあるおとぎ話でも大人が聞けば、そんなバカなと思うことになる。エドワードのする話はそれほどファンタジーに近い。しかし、それが実は、というのが映画の核心で、ウィルは父の話に真実が含まれていたことを知り、自分が聞かされていなかった話も知って、父を本当に理解することになる。

 飄々としたユアン・マクレガーがファンタジーの主人公に実にぴったりだ。アルバート・フィニーも相変わらずうまい。ファンとしてはバートンにあまりウェルメイドな作品ばかり作って欲しくないが、この路線も悪くないとは思う。

2004/05/17(月)「グッバイ、レーニン!」

 ドイツアカデミー賞(ドイツ連邦映画賞)9部門受賞作。「ビッグ・フィッシュ」とは対照的に、こちらは母と息子の話が中心である。東ドイツに強い忠誠心を持っていた母親が心臓発作で昏睡状態となる。その原因は改革要求のデモに参加した息子の姿を見たことだった。母親の昏睡の間にベルリンの壁が崩壊し、東ドイツは消滅する。8カ月後に目を覚ました母親にショックを与えないように息子は懸命に東ドイツの崩壊を隠し通す。わずかなショックでも命取りになると、医者から宣告されたからだ。

 設定はコメディで実際、前半は息子が映画好きの友人の協力を得てニュース番組まで創作するなど笑える場面が多いのだが、映画は終盤、東西分断時代の悲劇を前面に描き出す。10年前に家族を捨てて西側に亡命した父親と母親の本当の関係、その父親との再会シーンなど胸に迫るものがある。社会の大きな変動が家族に及ぼした影響を描きつつ、笑いと涙のエンタテインメントに仕立てたウォルフガング・ベッカー監督の手腕は大したものだと思う。

 病気が一時的に回復し、外出した母親は、解体され、飛行機で運ばれるレーニン像を見る。このシーンは撮り方からしてとてもシュールだ。創作するニュース番組が徐々に実際の東ドイツではなく、息子の理想の東ドイツに変わっていくのも面白い。思想的に右も左もなく、翻弄される家族の話に絞ったのが成功の要因と思う。