2015/02/08(日)「映画 深夜食堂」

 「ナポリタン」「とろろご飯」「カレーライス」の3編からなるオムニバス、というより短編連作の趣だ。素朴な料理と素朴な人情が実にマッチしていて心地よい。都会の片隅の深夜食堂こと「めしや」に常連が集うのは素朴な家庭料理があるからだろうし、そこには素朴な人情が生まれる。店のたたずまいと出てくる料理の素朴さのためか、時代は東日本大震災後の今なのに1960年代あたりの雰囲気が感じられる。一種ノスタルジックな味わいがあるのだ。そこがこのドラマの魅力であり、人情長屋を舞台にした落語の世界に通じるものを感じた。時代は変わっても、人と人とのかかわりはそんなに変わらないのだと、松岡錠司監督は控えめに主張しているのかもしれない。

 3つのエピソードをつなぐのは店に忘れられた骨壺のエピソードだが、これはそれほど太い幹ではない。食堂主人の小林薫のように、控えめに各エピソードをつないでいる。ただし、このエピソードを締める田中裕子の演技は絶妙のおかしみが漂っていて良い。

 映画だからといって気を張らず、テレビドラマの雰囲気を壊さずに無理なく映画化している点に好感が持てた。同じシーンには出てこないが、高岡早紀と筒井道隆の「バタ足金魚」コンビが出ているのもうれしい。「とろろご飯」編をしっかり支える多部未華子が良くてうまくて感心した。

2015/01/25(日)「アップサイドダウン 重力の恋人」

 よく似た設定の「サカサマのパテマ」の時にも思ったのだが、同じ場所にいる人物に重力が選択的に働くという設定には大きな無理がある。この映画では逆物質という概念で説明しようとしているが、これは物理の法則を知らない人の妄想の産物。だからこれはほとんどバカSFの世界だ。

 ところが、監督・脚本のフアン・ソラナスはこれを大まじめに撮っており、基本的な設定を忘れてしまえば、それなりに見られるラブストーリーに仕上げた。接近して存在するサカサマの2つの世界のビジュアルは面白い。日米(ソラナスはアルゼンチン生まれだが)で同時期に同じような発想をする人がいたことは興味深いなと思う。

2015/01/24(土)「江ノ島プリズム」

 大林宣彦版の「時をかける少女」の影響下にあるのが明らかで、ラストの処理まで同じなのには困ったもんだと思う。あの傑作を超えようとする気概がないと、影響下のままで終わってしまうのだ。オリジナルのアイデアをもっと詰め込んでほしい。主演の3人には好感度があるだけに残念。

2015/01/05(月)「寄生獣」

 人の顔が割れて怪物が正体を現すVFXが「遊星からの物体X」に似ている。どちらも人間に寄生する生物の話なので似てくるのは仕方がない。そう言えば、20年ほど前に原作を読んだ時にも同じことを感じたのだった。ただし、「寄生獣」は誰が寄生されているか分からないサスペンスを盛り上げた「遊星からの物体X」とはまったく違うテーマを持つ作品だった。原作を再読してみたら、「物体X」に似ているのは犬が寄生されるエピソードだけだった。

 2部作の第一部に当たる映画「寄生獣」は全10巻の原作のうち、5巻ぐらいまでのエピソードを手際よくまとめている。原作には出てくる父親は不在、母親が寄生されるエピソードにも改変を加えるなど、古沢良太と山崎貴の脚本は他の登場人物も減らして原作のエッセンスをうまくつかんでいる。原作よりも明瞭になったのは母と子の関係だ。主人公の泉新一(染谷将太)が幼いころ、母(余貴美子)が右手に負ったやけどのエピソードは原作にもあるが、これは映画の方が情感を高めて描いている。主人公の父親を登場させなかったのは母子の絆を強調するためだろう。そしてこの母子の関係は田宮良子(深津絵里)とその子供の関係にも受け継がれ、完結編のポイントになっていくのではないか。