2006/07/10(月)「リンダ リンダ リンダ」

 キネ旬ベストテン6位、日本映画プロフェッショナル大賞2位(ちなみに1位は「いつか読書する日」)。山下敦弘の作品だけにダラダラしているが、そのダラダラが女子高生の日常を表していて悪くない。そんなにドラマティックな日常はないものなのだ。

 「ばかのハコ船」を見た時にはダラダラ感がいやだったが、この映画の場合、主演の4人がいいので、退屈せずに見ていられる。

 前田亜紀と香椎由宇が特に良かった。当たり前か。主演はペ・ドゥナなのだろうが、この2人がいなければ興味半減していただろう。松山ケンイチって、この映画にも出てるんですね。

2006/07/08(土)「カーズ」

 「カーズ」パンフレットピクサーの3DCGアニメだが、ジョン・ラセターの監督・脚本作としては「トイ・ストーリー2」以来7年ぶり。新人レースカーのライトニング・マックイーンがラジエーター・スプリングスという寂れた町で人間的な成長を果たす姿を描く。もう端的にスピード重視、最短距離重視ではなく、ちょっと寄り道してもいいじゃないか、という映画。自分の勝利よりも人間的な在り方が大事という当たり前のことを当たり前に描いた映画である。

 脚本もきちんと定跡をふまえた展開になっている。そういうストレートな映画は最近少ないし、「俺、お前を選んで良かったよ」「何に?」「親友!」という人のいいレッカー車のメーターとライトニング・マックイーンの会話などはアニメでなければもはや成立しないのではないかと思う。子供を連れて見に行った大人も楽しめる作品で、大人の方が作品の深い部分には共感できるだろう。驚くのはCGの技術で、最近のピクサーアニメの中でもピカイチの出来。車のスピード感あふれる走りや光沢、動きに加えて、レース場の観客席の大量の車の細かい描写に感心した。音響効果もエンジン音、走行音なども細かい。丁寧に作られたファミリー映画の手本みたいな作品と思う。

 自動車レースのピストン・カップでライトニング・マックイーンは新人初のチャンピオンとなることを目指していた。ライバルは今シーズン限りでの引退を決めているキングと万年2位のチック・ヒックス。マックイーンはトップに躍り出るが、ピットインで時間節約のためガソリン補給だけでタイヤ交換をしなかったため、タイヤが破裂。ゴール直前でキングとヒックスに追いつかれ、3台が同時にゴールして、あらためてカリフォルニアで再レースをすることになる。運搬用トラックのマックでカリフォルニアに向かったマックイーンは居眠りしたマックから落ちてはぐれてしまう。マックイーンはラジエーター・スプリングスという寂れた町にたどり着くが、ひょんなことから道路を壊してしまい、警察に捕まり、道路補修を命じられる。

 ラジエーター・スプリングスはかつては栄えた町だが、近くに高速道路ができたために訪れる人もなくなり、地図からも名前が消えてしまった。都会での弁護士生活に疲れ、ラジエーター・スプリングスに来たサリーは言う。「かつての道路は今のように地形を無視したまっすぐなものじゃなくて、地形に沿って走っていた。最短距離を移動するものじゃなくて、移動を楽しむものだったのよ」。急いで生きる人生を見つめ直す。効率よりも人間性。そういうニュアンスの言葉が映画には散りばめられていて、シンプルな主張になっている。擬人化した車たちによって語られる寓話と言えようか。ラセターはそれを無理なく語っている。

 僕が見たのは日本語吹き替え版。かつての名レーサーで、心に傷を持つドック・ハドソンの声をポール・ニューマンが演じているそうで、これはどうしても字幕版が見たくなる。

2006/07/05(水)「いつか読書する日」

 50代のラブストーリー。行間を読む映画だなと思う。モントリオール審査員特別大賞の授賞式で緒形明監督も「すべてを説明する映画ではなく、何かを感じ取ってもらえれば」とスピーチしていた。僕が思い浮かべたのは岸部一徳が死ぬシーンで成瀬巳喜男の「乱れる」(傑作ではない)、妻の死後に結ばれる2人を見て平岩弓枝の短編小説(タイトルは忘れた)。

 主人公2人の心情を終盤までほとんど描かないのはハードボイルド的な手法。というか、僕は古い日本映画を見るような感じを持った。行間を読ませる映画というのは詩的な映画でもあるということだ。詩的であることを意識したかどうかは知らないが、映画監督である前に映画ファンという緒形明は古い日本映画もたくさん見ているのだろう。

 主人公の美奈子(田中裕子)が長い坂道の階段を前に「よしっ」と自分に言い聞かせるシーンがおかしい。50代ともなれば、ああいう風になるのだろう。僕も既にあんな長い坂道を上る体力はありませんがね。怖かったのは仁科亜季子が点滴を引きずりながら、牛乳受けに手紙を入れるシーン。死を目前に控えた女の執念みたいなものを感じた。

2006/06/30(金)「Death Note 前編」

 「Death Note」パンフレット大場つぐみ・小畑健のベストセラーコミックを平成ガメラ3部作の金子修介監督が映画化。警察で対処できない犯罪者を主人公が殺すという始まりは警察内部の私設警察を描いた「黒い警察」や「ダーティハリー2」を思わせるが、この映画の場合、名前を書かれた人間は死ぬというデスノートを使うのでファンタジーっぽい様相がある。ただし、映画の魅力はファンタジーではなく、意外なストーリー展開とキャラクターの面白さの方で、ミステリ的な趣向の方にある。原作漫画を4巻まで読んでみたが、映画の脚色(大石哲也)は原作のエッセンスをコンパクトにまとめてあってうまいと思う。原作には登場しない主人公の恋人にクライマックス、劇的なドラマを用意しており、ここではっきりと主人公がダークサイドに落ちたことを明らかにしている。このあたりの驚きは最初から主人公に悪の雰囲気がある原作にはないものだ。デスノートの元の所有者である死神リュークのCGは良くできていて、原作よりも漫画チックな造型であるにもかかわらず、陳腐にはなっていない。金子修介のエンタテインメントの資質が良い方向に働いたと思う。2時間2分の上映時間のうち、少し冗長と思える部分もあるが、第2のキラと死神が加わって、夜神月(ライト)とLの対決が本格化する後編が楽しみになった。

 ガメラが登場してもおかしくない空撮で映画は始まり、ガメラのようなタイトルで物語が始まる。タイトル前にデスノートの効果を示すのが分かりやすい語り口。そこから映画は少しさかのぼってライトがデスノートを手にした経緯を語る。原作の高校生ライトはデスノートを拾ったことで、殺してもいい人間として犯罪者を選ぶが、映画のライト(藤原竜也)は司法試験一発合格の大学生で、裁ききれない犯罪者への怒りを感じてデスノートを利用する。犯罪のない新しい世界を作ろうと意図する善の男なのだ。ライトは次々に重犯罪者を殺していき、世間からキラと呼ばれるようになる。警察はキラの行為は大量殺人として、これまでさまざまな難事件を解決してきたというL(松山ケンイチ)に協力を仰ぐ。Lはライトが関東地方に住むことを突き止め、捜査情報が漏れていることから内部に関係者がいると見抜く。ここからライトとLの駆け引きが描かれていく。これに絡むのがFBI捜査官の恋人をライトに殺された南空(みそら)ナオミ(瀬戸朝香)。ナオミはライトを怪しいとにらみ、周辺を調べ始める。

 ライトは超エリートで悪の主人公なのだが、演じるのが藤原竜也なので脚本の意図通り、単純な悪人には見えない。対するLのキャラクターはいかにも変人で不気味なメイク。善と悪が入れ替わってもおかしくない作りなのが面白い。脚本は原作の設定を尊重しながら、原作にはないさまざまなエピソードを取り入れている。知略を尽くしたライトとLの戦いというのは映画の方がより分かりやすく描かれているし、犯罪者たちの死の描写を取り入れたことでドラマに厚みもあると思う。脚本の大石哲也はこれまでテレビのミステリドラマが中心で、この映画のミステリ的な雰囲気もそれが功を奏したのかもしれない。

 ライトの恋人を演じる香椎由宇は、犯罪者はあくまで法律で裁くべきというライトとは対照的な考え方の持ち主として描かれ、非日常的な物語を抑える役目を果たして好演。ライトの父親の鹿賀丈史も堂々とした演技で良かった。

2006/06/26(月)「欲望」

 小池真理子はこの小説で直木賞を受賞したと僕は勘違いしていた。これではなく、この前の「恋」だった。「恋」を読んだ後、続けてこの小説を読んだので、混ざってしまっていた。

 「欲望」は1997年に出た本で島清恋愛文学賞受賞。それを篠原哲雄監督が板谷由夏主演で映画化した。高校時代に交通事故に遭い、性的不能になった青年と2人の女の物語。板谷由夏扮する青田類子は中学時代から正巳(村上淳)が好きだったが、正巳は美人の阿佐緒(高岡早紀)を好きだと思っている。3人は事故後、会っていなかったが、31歳年の離れた精神科医(津川雅彦)と阿佐緒が結婚したことで再会を果たす。正巳が不能であることを阿佐緒は知らない。類子には不倫相手がいるが、徐々に正巳への愛を確信していく。そういうシチュエーションで悲劇的な物語が展開する。

 映画の出来としては悪くはないが、誤算は村上淳が美青年と呼べるほどハンサムではないこと。「君は完璧な美しさを持った青年だ」と津川雅彦が言うほど美しいとはとても思えない。この役は木村拓哉あたりが演じないとダメではないか。完璧に美しいのに性的不能という悲劇が村上淳程度では際だたないのだ。だいたい、あのお尻の刺青はなんだ。

 不能であっても欲望はあり、はけ口がない分、苦しむことになる。そういう部分がメインになるのかと思ったら、やはり女性視点の映画なので、限界はある。

 R-18指定だが、「マンダレイ」ほどどぎついシーンはない。原作者の小池真理子はこの映画のラブシーンが「いやらしくない」と褒めていたが、こういうのって、いやらしくないと(という言い方はいやなので、もっと官能的じゃないと)不能の悲劇性も浮き彫りにならない気がする。篠原哲雄の演出は女性客を意識したのか、極めて上品。根岸吉太郎あたりなら、思い切り官能的にしてもっと切実さを出したと思う。

 板谷由夏は「運命じゃない人」の方がきれい。この人、ショートカットの方が似合うのではないか。