2004/07/20(火)「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」

 「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」パンフレット昨日、子ども3人を連れて見に行った。1軒目の映画館は満席で入れず。30分後に上映が始まる別の映画館に行く。こちらは客が少なくて快適だった。

 前半はこれまでの2作と同工異曲で退屈だが、2種類の狼男と時間テーマが絡む後半の展開にちょっと感心した。2作目では目立たなかったハーマイオニー(エマ・ワトソン)が今回、大活躍するのもいい。ただし、これまでの2作より小味な感じがする。スケール感がないのだ。上映時間が2時間22分と最も短いことが影響しているのではなく(子ども向けなのだからもっと短く、1時間30分程度でいい。前半の描写には無駄が多いと思う)、ハリー・ポッターが戦う敵のスケールが小さいのだ。というか、今回、悪役らしい悪役は1人だけではないか。しかも本筋の敵ではない小悪人であるから、何だか物足りない。

 子ども向けの丁寧なファンタジーではあるが、大人を満足させるほどの出来にはなっていない。第1作が公開されたころは、同じファンタジーということで「ロード・オブ・ザ・リング」と比べられたが、今となっては「ロード…」と比較すべくもない。

 アズカバン牢獄から凶悪な囚人シリウス・ブラックが脱獄する。ブラックはハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)の両親をヴォルデモード卿に引き渡し、死に追いやった張本人で、今度はハリーの行方を追っているらしい。ホグワーツ魔法学校のダンブルドア校長(マイケル・ガンボン)は学校にアズカバンの看守ディメンダーを呼び寄せ、警護に当たらせる。しかし、ブラックは密かに学校に近づいていた。

 まるで死に神のようなディメンダーの存在は面白い。これは看守とはいっても善玉ではなく、魂を吸い取る悪の存在にもなりうるらしい。VFXはこのディメンダーのほか、馬と鳥を組み合わせたようなバックビーク、狼男などよくできている。ロン役のルパート・グリントを含めて主役の3人は1作目からすると、随分成長した。この3人には好感が持てるので、原作とは離れてもいいから3人の成長を生かしたシリーズにしてほしいと思う。

 監督はクリス・コロンバスからアルフォンソ・キュアロン(「天国の口、終りの楽園。」)に代わった。キュアロンはシリーズのテイストを残しつつ独自のものを出したかったのかもしれないが、独自の味わいを出すまでは至っていない。シリウス・ブラック役のゲイリー・オールドマン、トレローニー先生を演じるエマ・トンプソンとも演技派だが、この映画では特に評価すべきところはなかった。

 上の子ども2人は原作を読んでいる。感想を聞くと、「いっぱい省略してあった。小説の方が面白い」(長女)、「映画の方が面白かった」(長男)ということだそうだ。

2004/07/19(月)Namazuインストール

 シェルが使えるようになったのでNamazu2.0.13をインストール。NKF(nkfのPerlモジュール)、KAKASI、Text::kakasi、Namazuの順番でインストールでき、これは簡単と思ったら、インデックスが作成できず。どこが悪いのか。たぶん、Text::kakasiだろう。

 で、ちょっと設定を変えて再インストール。Namazuも再インストールした。これでOK。まだ出力が英語なのだが、これはドットファイルを書き換えれば、何とかなるだろう。それにCGIから使う場合には、ディレクトリ内の.namazurcを読むのであまり関係ない(でもなぜかNMZ.bodyの部分だけ英語表示になるんだよなあ)。ま、とりあえずインストールできて安心した。

 参考にしたサイトは拙作のNamazu正規版インストール覚え書きと、Naney's Diaryマニュアルに書いてないNAMAZU

LANG

 Namazuの日本語処理の説明に関しては藤原誠さんのNamazu 2.0 入門が一番詳しい。ここを参考にしていろいろ設定したけれど、うーん、相変わらず英語表示。インデックスはちゃんとできていて、日本語の検索もできるのだが、ヘルプは英語だし、namazu -Cもmknmz -Cも英語。どこが悪いんだか。ちなみにnamazu -Cの結果はこんな感じ。

%namazu -C
Loaded rcfile: /home/cinema1987/local/etc/namazu/namazurc
--
Index:        /home/cinema1987/local/var/namazu/index
Logging:      on
Lang:         ja_JP.eucJP
Scoring:      tfidf
Template:
MaxHit:       10000
MaxMatch:     1000
EmphasisTags: <strong class="keyword">  </strong>

 環境変数の設定に問題はないと思うんですけどね。

mknmz -C

 mknmz -Cをよく見たら、NKFとKAKASIのPerlモジュールが入っていなかったので、モジュールのインストールディレクトリを指定(--with-pmdir=$HOME/local/lib/site_perl)した上で./configureからやり直し。これで入った。

%mknmz -C
System: freebsd
Namazu: 2.0.13
Perl: 5.00503
File-MMagic: 1.20
NKF: module_nkf
KAKASI: module_kakasi -ieuc -oeuc -w
ChaSen: no
Wakati: module_kakasi -ieuc -oeuc -w
Lang_Msg: ja_JP.eucJP
Lang: ja_JP.eucJP
Coding System: euc
CONFDIR: /home/cinema1987/local/etc/namazu
LIBDIR: /home/cinema1987/local/share/namazu/pl
FILTERDIR: /home/cinema1987/local/share/namazu/filter
TEMPLATEDIR: /home/cinema1987/local/share/namazu/template
Supported media types:   (16)
以下、略

 しかし、まだ英語表示のまま。Lang_Msg: ja_JP.eucJPとなっているのに、なぜ日本語にならない? ちなみにシェルの方は「コマンドが見つかりません」とか、ちゃんと日本語になっている。

 gettextの問題かと思い、--with-included-gettextのオプションを付けたが、同じ結果。ja_JP.eucJPをja_JP.EUCに変えてもダメ。ウーム。

原因判明

 しようがないので、Namazu MLの過去のメールを調べてみる。といっても、現在、namazu.orgでは検索できないので、自分のメールボックスにたまったメールを調べた。

 で、localeデイレクトリがインストールされていなかったのが原因と分かった(たぶん)。旧サーバーにあるlocaleディレクトリをコピーしたら、mknmz -Cは日本語表示になったが、他はダメ。コピーでは根本的な解決にはならない。なぜインストールされなかったのか、調べてから再インストールするしかないか。

2004/07/16(金)tDiaryインストール

 といっても、さくらインターネットの場合、コントロールパネルのCGIインストールから送信ボタンを押すだけだった。昨日はうまくいかなかった。サーバーの申請で混雑していたためか。

 tDiaryはテーマが多すぎてどれにするか迷いますね。じっくり選んで、そのうち変えます。とりあえず、Hatenaテーマ。

 しかし、このテーマ、デフォルトでは日付の色が見えにくいので

.date A:visited{color:white; text-decoration:none;}
.date A:link{color:white; text-decoration:none;}
.date A:hover{color:yellow; text-decoration:underline;}
 を追加。日記セクションのリンクもカスタマイズするため
.section A:link{text-decoration:none;}
.section A:visited{color:blue; text-decoration:none;}
.section A:hover{color:blue; text-decoration:underline;}
も追加。あと、カレンダーのプラグインを入れたり、サイドバーを表示してタイトルリストを入れたり。カスタマイズが簡単なのはいいな。

tDiary-mode

 インストールしてみる。xyzzyはキーバインドが特殊なので、慣れるのが大変だな。このモードはファイルをHTTPから取得して追加、修正できる。これなら、ひまわりでもできそうな感じ。体調よくなったら、作りたい。

 で、tDiary-modeから更新してみたら、401 Authorization Required.あれ、パスワードを間違っているのか?

hnsも移行

 まだシェルが使えないので、hns-liteで新サーバーに移した。ファイルが1400以上あったので大変だった。Namazuがインストールできないので検索にはpnamazuを使っている。十分速いですね。やはりサーバーのスペックが高いからか。

 旧サーバーの日記も1年間は表示されるはず。ネット上には現在、3つの「映画とネットのDIARY」があります。

白血球数8500個

 今日の血液検査結果。一昨日は14,000個あったので、抗生剤の点滴と薬が効いているもよう。正常値は約6,000~8,000個。ま、確かに随分楽にはなりました。

squeezeプラグイン

 Namazuで検索するにはこのプラグインが必要なのか。とりあえず、使っておくように設定。

AreaEditor

 テキストエリアに書く文章を好きなエディタで書けるソフト。これは便利だな。テキストエリアで右クリックして「エディタで編集」を選ぶと、登録したエディタが起動する。文章を書いて保存すると、テキストエリアに反映される。

 このソフトに秀丸のマクロを組み合わせれば、tDiaryの更新が楽になる。リンクの挿入とかタグ挿入のマクロはあるので、マクロ登録しておこう。

2004/07/15(木)「スパイダーマン2」

 「スパイダーマン2」パンフレット同じサム・ライミ監督による2年ぶりの続編。ダニー・エルフマンの音楽に乗って、前作のストーリーをイラストで見せるオープニングがいい感じである。前作の話をそのまま引きずっており、スパイダーマンことピーター・パーカー(トビー・マグワイア)とMJことメリー・ジェーン・ワトソン(キルステン・ダンスト)の恋の行方と、グリーン・ゴブリンだった父親(ウィレム・デフォー)を殺され、スパイダーマンに復讐心を燃やすハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)のドラマを軸にしている。これに絡めて、核融合実験の失敗から機械のアームを持つ怪人ドック・オクとなった科学者ドクター・オクタビウス(アルフレッド・モリーナ)とスパイダーマンの対決が描かれる。

 前作は「大いなる力には大いなる責任が伴う」というテーマを抱えながらも、ドラマ部分が軽かったのが不満だったので、ドラマ重視の作りは悪くない。高層ビルの壁面で展開されるアクションなどVFXも充実している。十分に面白いことを認めた上で不満な点を書くと、主人公の悲壮感が決定的に足りないと思う。どうもスパイダーマンとして生きる主人公の苦悩が響いてこない。その苦悩とはMJへの思いである。MJが自分と親しくなれば、悪いやつらから狙われる。だからパーカーはMJに思いを打ち明けられない、というわけだ。

 このほかパーカーが家賃の支払いを迫られたり、仕事や大学の講義に遅刻したり、伯母が銀行からの融資を断られたりするエピソードがあるけれど、こうしたエピソードがスーパーヒーローものに必要だったかどうか疑問に思う。もちろん、サム・ライミは人間的な部分を強調したいがためにこうしたエピソードを入れたのだろうが、これはスーパーヒーローのキャラクター形成方法としてはほとんど間違っているとしか思えない。

 宿敵ワルダスターを倒すために民間人を巻き添えにした「宇宙の騎士テッカマン」とか、近いところで言えば、地球生態系を守るために人間の犠牲をも厭わない「ガメラ3 邪神覚醒」のガメラの設定を見習って欲しいところだ。こういう悲壮な決意を持つ孤高のヒーローに比べると、サム・ライミのスパイダーマンはいかに表面で深刻な問題を抱えていても根底にはアメリカらしい脳天気さがある。スパイダーマンはNYの人々からスーパーマンのように正義の味方として認知されており、人々に理解されない孤高のヒーローではない。登場人物が深刻に悩んでいても基本的に明るいのはライミの資質が影響しているのかもしれない。僕のスパイダーマン原体験が平井和正原作、池上遼一作画の悲壮な スパイダーマン(このコミックは現在、メディアファクトリーから再刊中だ)にあるので、そういう部分に不満を感じてしまう。

 主人公はスパイダーマンであることをそのコスチュームとともに一度は捨て去るが、伯母の言葉とMJをドック・オクにさらわれたことで復帰を決意する。このエピソードは「スーパーマンII 冒険篇」などを参考にしたのだろう(ロイス・レーンと結婚するためにスーパーマンの能力を捨てたクラーク・ケントは街のチンピラに叩きのめされたことと、スーパー3悪人が行っている悪行を見て復帰を決意する)。「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉は「大いなる力」を持った者は不用意にそれを捨てることは許されないという意味もあるのだと思う。スーパーヒーローには個人の幸せよりも社会の平和を優先する義務があるのだ。

 だからクライマックス、ドック・オクがブレーキを壊して暴走した列車をスパイダーマンが身を挺して止める場面は、それを象徴している場面と言える。ここでスパイダーマンは前作同様、マスクを脱ぎ去る。そしてMJにもハリーにも素顔をさらすことになる。明らかに第3作が作られそうなラストの処理だが、スパイダーマンの苦悩の一つが解決したことで、この路線での第3作は相当に脚本を練らないと難しいような気がする。バットマンシリーズのように第3作ではそういう部分をばっさり切り捨てて映画化することもできるが、それではあまりにも芸がない。サム・ライミ、次が正念場だ。

2004/07/07(水)「スキャンダル」

 ヨン様人気と女性の日が重なって、映画館は満員で整理券を発行していた。しかも男は僕ひとりだけだったような気が。オバさまパワーに恐れ入りました。

 ラクロの「危険な関係」を18世紀の朝鮮に翻案した作品。監督のイ・ジェヨンはスティーブン・フリアーズ版「危険な関係」を見て、映画化を決めたという。数ある「危険な関係」の映画化のうち、僕はフリアーズ版しか見ていないが、この「スキャンダル」はそれに劣らない出来だ。危険な恋愛ゲームの首謀者チョ夫人がラストに見せる深い後悔と喪失感は秀逸。人の心を弄ぶゲームによって、当事者さえも傷つき、破滅していく様子を象徴的に見せた。チョ夫人を演じるイ・ミスクが映画を引き締めている。

 李朝末期の朝鮮。政府高官の妻チョ夫人(イ・ミスク)は子どもに恵まれず、夫は16歳の側室ソオク(イ・ソヨン)を迎え入れることにする。内心穏やかでないチョ夫人は従兄弟のチョ・ウォン(ペ・ヨンジュン)にソオクを妊娠させるよう持ちかけるが、プレイボーイのチョ・ウォンは簡単すぎてつまらないと断る。その代わりに提案したのが婚約者の死後9年間も貞節を守り続けているチョン・ヒョン(チョン・ドヨン)を落とすこと。それに成功すれば、褒美として初恋の人でもあったチョ夫人と関係を持つとの条件つきだった。チョ・ウォンはあの手この手でチョン・ヒョンにアタックをかける。チョン・ヒョンが参加している天主教の組織に多額の寄付をしたり、暴漢に襲わせたチョン・ヒョンを助けたり、何通も手紙を出したり。次第に心を開いたチョン・ヒョンは突然チョ・ウォンに熱烈なキスをされて、すべてを投げ出す決意をする。そしてチョ・ウォンも本気でチョン・ヒョンを好きになっていく。それを知ったチョ夫人は嫉妬からチョン・ヒョンを陥れようと画策する。

 ペ・ヨンジュンは「冬のソナタ」のイメージを一掃して好演しているが、惜しいのは貞淑なチョン・ドヨンが普通の女優でありすぎること。フリアーズ版のミシェル・ファイファーのような美人じゃないので、プレイボーイが本気で好きになる対象としてあまり説得力がない。やはり恋愛ゲームの犠牲者である側室役イ・ソヨンの方が美人だった。エンドクレジットの途中でぞろぞろ席を立ったオバさま方には分からないでしょうが、イ・ソヨンが最後の最後に出てくる。この恋愛ゲームの犠牲者の一人でありながら、溌剌としていてちっとも犠牲者という感じがしないイ・ソヨンのたくましさ(若さ)がいい。

 イ・ジェヨン監督の演出は端正かつ情感のこもったものだが、前半は話の展開が分かっているためかメリハリに欠けると感じた部分もあった。朝鮮の貴族社会を詳しく再現した美術と衣装はよい仕事をしている。バロック調の音楽もいい。