2005/06/06(月) キネ旬6月下旬号

 「キネマ旬報」6月下旬号巻頭特集は「ミリオンダラー・ベイビー」。既に公開されているので、いつものキネ旬らしくない掲載の遅さだが、これは終盤のネタを割るために仕方のない措置だったのかもしれない。クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマンのインタビューのほか、崔洋一、宇田川幸洋、新藤純子、香川照之の文章が結末に触れている(注意書きがある)。この映画の分析ではそういう部分がないと、後世に残す文章として十分ではないのだろう。

 ただ、まだ見ていない人がこの文章を読む可能性は大きいわけで、注意書きがある以上、読むのは本人の責任だという理屈には無理がある。こういうのって、ついつい読んでしまうのだ。ま、原作を読んでいる人には関係ないことではある。

 結末に触れていない小林信彦は「映画史にそびえ立つ作品」と評している。分かりやすいのは、前半は従来のイーストウッド・ファンを泣かせ、後半はイーストウッドを知らなかった観客を泣かせるだろうという宇田川幸洋の指摘。「その二者が、直線的なシンプルなひとつながりの構造をなしているところが、すばらしい」と宇田川は書いている。その通りで、この映画はファンの枠を超えて支持を集める作りになっており、そこに僕は大衆性を感じた。

 ちなみにREVIEW2005では評者4人が全員四つ星を与えている。これほど絶賛ばかりを目にする映画というのも珍しい。

2005/06/01(水) IMAP

 というわけでgooメールアドバンスに入ってみる。IMAPが使えるので、Thunderbirdも久しぶりにダウンロード&インストール。使ってみると、確かにIMAPは便利ではある。ローカルでメールを削除すると、サーバー上でも削除される。移動すれば、移動される。ま、それだけのことですがね。

 時々、Thunderbirdがログインに失敗することがある。これはgooの不具合か、Thunderbirdの不具合か? どうも両方でログインしていて、Thunderbirdでログアウト(というか終了)した後におかしくなるようだ。Webから「IDとパスワードを記憶する」にチェックを入れてログインしようとすると、ログインできない。チェックを外すとできる。

 モバイルメールを使ってみたら、Yahoo!より反応が遅い。いや、モバイルだけじゃなく、Webメール自体が遅すぎる。@niftyが快適に思えてくるほど。有料なのに、無料のYahoo!に負けますか。いったいどの程度のスペックのサーバー使っているのだろう。あるいは相当な数のユーザーをひとつのサーバーに詰め込んでいるのに違いない。不思議なのはURLが時々変わること。受信フォルダのアドレスがadvance02.mail.goo.ne.jpだったり、advance03.mail.goo.ne.jpだったりする。メールをためるサーバーは別にあって、読み込むサーバーがころころ変わる仕様か?

 腹が立つので@niftyのメールもここに転送することにした。メールの保存場所としてしか使えないな、このサービス。しばらく使って改善されなかったら、解約しよう。アドバンスパッケージの他のコンテンツにも興味ないし。

2005/05/31(火) 震度4

 グラグラ揺れた。職場はビルの6階なので、体感では震度5ぐらいに感じた。最初は震度2ぐらいかと思ったのだが、そのうち大きな横揺れが数秒続いて、本棚が大きく揺れ、引き出しが飛び出した。でも、大きな被害はなかったようだ。うちのビルが揺れすぎるのか。

 帰宅してみたけど、本棚の本も落ちていなかった。意外だなあ。

KDDIが“今さら”ブログに取り組む理由

 つまりパケット代金を稼ぐためというわけか。携帯からいつでもどこでも更新できるのは便利だが、やはりあの小さな画面では文章の見通しが悪いので長文を書くのには向かないと思う。携帯で相当書いたぞと思ってもアップしてみると、ほんのちょっぴりだったりするのだ。上の地震に関する文章は携帯から更新したのだが、最初は70文字程度しかなかった。

 昨日書いた「ミリオンダラー・ベイビー」の感想など携帯で書こうと思っても僕には書けない。モブログというのは短い文章にならざるを得ない部分があると思う。それでは内容も薄くなってしまうだろう。

 ブログと言えば、gooブログアドバンスは容量が1テラバイトある。この売り方、非常に腹が立つ。画像を300MBに制限しておきながら、1テラバイトだと。テキストだけでそんなに使うわけない。僕の日記は5年間で画像を含めても30MBもいってないのだ。この分だと、1GBに達するには単純計算であと30年ほどかかる。1テラバイトはその1024倍、つまり3万720年後だ。画像が300MBまでなのを考慮すると、さらにかかる。gooは「孫の代までつきあえる大容量」と言っているが、「使えるものなら使ってみろ」となめられているようで、ほとんど冗談、言いたい放題レベルの売り方だな。本気で1テラバイト使わせるなら、画像の制限などしないだろう。

 と、怒りつつも、あす申し込んでみようかと思っている。使いたいのはgooメールアドバンスの方で、評判の悪さが本当かどうかを確かめてみよう。どうせ携帯メールの転送先にしかしないので、転送したメール消失とかの不具合がなければ、かまわないんですけどね。

2005/05/30(月)「ミリオンダラー・ベイビー」

 「ミリオンダラー・ベイビー」パンフレットアカデミー主要4部門受賞。それが当然の傑作だと思う。F・X・トゥールの短編をテレビの脚本が多いポール・ハギスが脚本化し、クリント・イーストウッドが監督した。予告編はボクシング映画にしか見えなかったが、イーストウッドは、この優れた脚本がボクシング映画ではなかったから監督を引き受けたのだという。原作を読んでいたので終盤の展開に驚きはしなかったけれど、逆に原作の終盤をそのまま映画にするのは(興行的側面を考えると)難しいと考えていた。だから、この映画がうまく成功していることに感心せざるを得なかった。それは主要登場人物の背景をしっかりと描き込んだからにほかならない。キャラクターの詳細な描写が圧倒的な大衆性につながっている。イーストウッドがプロだと思うのは大衆の視点で映画を作り、自己満足のためだけの映画を作る考えなど微塵もないことだ。主演のヒラリー・スワンク、イーストウッド、モーガン・フリーマンの深みのある演技が加わって、この厳しい映画を見事なものにしている。

 主人公のマギー(ヒラリー・スワンク)は家族のためにウェートレスとして働き、貧しさからはい上がるためにボクシングを始める。31歳。老トレーナーのフランキー(クリント・イーストウッド)はTough ain't Enough(タフなだけでは十分じゃない)と言って依頼を断るが、マギーは秘かにジムのスクラップ(モーガン・フリーマン)の指導を受ける、マギーの熱心な練習を見たフランキーもトレーニングを指導するようになる。試合に出たマギーは圧倒的な強さを見せて連戦連勝。やがてタイトル戦に挑戦する。

 これがそのままうまくいけば、よくあるアメリカン・ドリームを描いた映画になるが、終盤の展開でこの物語はアメリカン・ドリームとは違う人と人との深い絆を描くことこそが狙いだったことが分かる。

 マギーが食堂で客が食べ残した肉を持ち帰るシーンや切りつめて貯めた小銭でスピードバッグを買うシーン、ジムで毎晩遅くまで残って練習するシーンなどで映画は貧しいマギーの切実さと一途さを描き出し、観客のハートをしっかりと掴んでしまう。家族との関係は原作以上に悲痛である。マギーがファイトマネーで母親のために家を買うエピソードは原作にもあるが、映画はマギーをまったく理解しない母親を原作以上に詳しく描く。出した手紙がそのまま返ってきても娘への手紙を書き続けるフランキーとマギーはだから父娘のような関係になる。親に理解されない子供と子供に理解されない親が疑似家族的な絆を深めていく描写に無理がない。

 映画は原作の行間を補完するように描写を積み重ねているが、逆に原作にあって映画にないのはマギーが父親の思い出を語るシーン。マギーの父親は長距離トラックの運転手で、家族のために懸命に働き、自分のためには仕事着と噛み煙草にしか金を使わなかった。12歳の時に父親は癌で死に、マギーの中でも何かが死ぬ。そしてマギーは16歳から働き始めるのだ。このエピソードはあった方が父親を亡くしたマギーがフランキーとの絆を深めていく過程に説得力を持たせただろうが、その代わりに映画は原作には登場しないモーガン・フリーマンを登場させることで、フランキーの過去と人間性を浮き彫りにしている。取捨選択に間違いはないと思う。

 2002年に72歳で亡くなった原作者のトゥールは「自分は、すべての女性との関係に失敗し、父親としても失敗し、闘牛士としてもマトダールにはなれなかったし、確かに物は書きはしたが、小説家とは言いがたい」と言ったそうだ。小説にある敗者に向ける視線の厳しさと切実さは映画にそのまま受け継がれている。「ミリオンダラー・ベイビー」とは1試合で100万ドル稼ぐ女性ボクサーという意味だが、同時にマギーやフランキーのような存在こそが100万ドルの価値を持つ人間であると言っているように思える。

2005/05/27(金)Google デスクトップ検索正式版

 ようやく出たので、会社のパソコンにインストール。鶴亀メールが対応したので、メール検索が便利になった。自宅のパソコンにはインデックスファイルの保存場所をCドライブから変えられるようになったら、インストールしよう。