2014/12/29(月)「年末スペシャル 朝まで!ドキュメント72時間」

 録画して見た。視聴者の投票で決めた傑作9本を放映。順位は以下の通りだった(かっこ内は初回放送日)。

1.大病院の小さなコンビニ(9月19日)
2.最北のバス停で(2月28日)
3.大都会 真夜中の大衆食堂
4.恐山 死者たちの場所(6月6日)
5.羽田空港 夏から秋へ(10月3日)
6.どしゃ降りのガソリンスタンドで(7月25日)
7.眠らぬ都会の動物病院(8月22日)
8.260人の巨大シェアハウス(1月17日)
9.オンザ・ロード 国道16号の“幸福論”(6月13日)

 2位と8位以外はいずれも初回放送時に見ている。個人的には6位の「どしゃ降りのガソリンスタンドで」がとても好きだ。後半に重たい身の上の人たちが連続して登場するのに暗くない。人間、暗いばかりで生きてはいけないのだ。それぞれに大変な苦労があるんだけれど、みな前向きだ。素晴らしい。ガソリンスタンドでこんな話が聞けるなんて事前には予想できないだろう。

 1位の「大病院の小さなコンビニ」に出てきた夜勤明けに栄養ドリンク2本を飲む女医さん(「婚活ができない」と話していた)は彼氏ができたとのこと。良かった良かった。インタビューの好感度がものすごく高かったので、最高の婚活になったのではないか。

 番組へのメールのほとんどが40代~50代の男性からだったのが印象的。週末、疲れて帰ってきて一息ついてこの番組を見て、皆さん、元気づけられているんじゃないかと思う。市井に生きる普通の人たちの普通の声が聞けるのがこの番組の良いところだ。普通のことだと思うのに、そういう番組はほかにない。2015年も引き続き楽しみにしてます。

2013/07/04(木)「ノンフィクションW 映画で国境を越える日 映像作家・ヤン ヨンヒという生き方」

 「いろんな国の映画祭でインタビューを受けるたびに、すごく疲れ果てるんです。私は率直に言いたいことを言うけど、でも兄家族や母のことが心配で…」

 気丈で饒舌なイメージがあるヤン・ヨンヒ監督が思わず涙を流す。もう一人の母親とも言うべきニューヨークの母校ニュースクール大学の恩師に、他の人には言えない思いを打ち明ける。北朝鮮に関する映画を撮れば、北朝鮮に住む兄たちや大阪の母に迷惑がかかるのではないか。そんな思いを抱えて、ヤン・ヨンヒは映画を撮っているのだ。

 WOWOWメンバーズオンデマンドで配信中のノンフィクションW「映画で国境を越える日 映像作家・ヤン ヨンヒという生き方」は映画「かぞくのくに」同様に胸を揺さぶられる。キネマ旬報ベストテン1位をはじめ内外の映画賞・映画祭で高く評価された「かぞくのくに」がわずか2週間で撮られたというのは驚きだが、このドキュメンタリーは映画の撮影風景や映画祭での反響などを紹介し、ヤン・ヨンヒの人柄と考え方を余すところなく伝えている。

 映画のクライマックス、北朝鮮に帰ることになった兄との別れの場面で、当初、現実と同じように撮っていたヤン・ヨンヒに「現実にはできなかったことを描けばいい」とアドバイスしたのは見張り役を演じた俳優で監督でもあるヤン・イクチュン(「息もできない」)だったそうだ。

 そのイクチュンは釜山での上映の舞台挨拶で感極まる。「日本で試写した時は感じなかったんですが、釜山で見ると、あまりにも悲しいですね」。分断された韓国で映画が一層リアルに迫るのは当然なのだろうが、韓国だけでなく映画は他の国でも同じような境遇にいる人たちに共感と感動を与えている。ヤン・ヨンヒが描く温かくて厳しい家族の姿には普遍性があるのだ。そして映画は国境を越えるけれども、分断された家族は容易に国境を越えられない。その現実が胸に迫るのだ。

 ヤン・ヨンヒ、次はどんな映画を撮るのだろう。

2012/09/16(日)「プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル」

「どうも初めまして、堤と申します」。

映画「あなたへ」の撮影現場を訪れた堤真一が緊張した面持ちで高倉健にあいさつする。尊敬する大スターとの対面。目を輝かせながら二言、三言、言葉を交わして堤真一は去って行く。その後で佐藤浩市が言う。「あの人は真田広之くんの付き人から始めたんですよ。付き人をちょっとやってて、それからたたき上げてきたので、けっこう頑張り屋さん」。それを聞いた高倉健は堤真一の部屋まで行き、がっちりと握手して言う。「何かでチャンスがあったら、お仕事したい」。高倉健の来訪に驚きながら堤真一は「ぜひ、こちらこそ。ありがとうございます」と感激して答える。

NHKが2回にわたって放送した「プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル」はとても見応えがあった。長期間、密着取材しないと引き出せないような高倉健の素顔と人となりを見せてくれた。現場では基本的に座らない。スタッフと同じ食事でなければ手を付けない。雪の降る日もストーブにあたらない。ちょっと偉くなったら、いばりちらす人間が多い中、大スターであっても驕らず高ぶらない高倉健の姿はすがすがしく、プロに徹している人だなと思う。だから高倉健は尊敬され、撮影現場には多くの俳優たちが差し入れを持って訪れる。

さまざまな俳優たちの高倉健への思いが紹介されたが、ビートたけしの言葉が鋭かった。

「変な言い方だけど、たたずまいっていうかね、ロケ現場でもホテルでも、ぽっと高倉健さんが立っているときに、独特の孤独感があるんだよね。華やかさではないんだよね。スターではあるんだけど、健さんのたたずまいというのは非常に日本人にとっては心地よいっていうか。でも俺はすごい孤独を感じるなあとは思う。おいらがしゃべると、冗談は言ってるけども、ここ一番、健さんの考え方を、どう考えているのかというようなことを念頭に置いて、嫌われないように話してしまうというのがあるじゃん。高倉健さんに嫌われないように会話をしているということは本人はじゃんじゃん孤独になるぞ、これって。健さんそれは違うよ、とは誰も言わない時代にきているんで、健さんはじゃんじゃん孤独に見えるようになってきたなと思うね」。

番組では描かれなかったが、高倉健は江利チエミと結婚し、離婚した。それ以来、伴侶には恵まれていない。高倉健が映画の現場とスタッフ、共演者を大切にするのは私生活の孤独も影響しているだろう。撮影が終わると、しばらく姿を消すのはスタッフとの別れが毎回、つらいからだ。6年前の「単騎、千里を走る」の撮影終了時、スタッフと抱き合いながら涙を流す高倉健の姿はをそれを表している。

高倉健は81歳。これから5、6年もブランクがあると次回作は厳しくなる。あと1本でも2本でも早く映画に出てほしいと思う。

2012/03/20(火)「分身」

 録画しておいた連続ドラマW「分身」を見る。東野圭吾原作、長澤まさみ主演のミステリー。一人二役(と思っていたら三役)を演じる長澤まさみは良いのだが、演出が緩い感じを受ける。監督・脚本は永田琴。ブログ(http://kotonagata.com/blog/?p=349)を見てみたら、このドラマ、完成したのが3月1日、最終話の放送が3月11日という切羽詰まったスケジュールだった。これでは緩い部分が出てくるのも仕方ない。WOWOWの番組紹介ページを見ると、「女優を美しく撮ることにおいて非常に高く評価されている永田琴を起用」とある。長澤まさみが意外に色っぽいのは監督の手腕なのだろう。

 というのが3話までを見た時点での感想。今日見た4話、5話は面白かった。特に5話。一人の長澤まさみと二人の長澤まさみが対峙する場面が残酷だ。「化け物」「身の毛がよだつ」というセリフを二人の長澤まさみは投げつけられる。SFに行きそうで行かないのがSFファンにはもどかしいが、この後の展開も悪くはない。希望のあるラストも良かった。

 ヒロインのおじさんでラーメン屋の主人を演じるダンカンが良い味(出番は少ない)。その奥さん役が藤吉久美子。このほか、臼田あさみ、勝地涼、佐野史郎、伊武雅人、手塚理美など。

2006/03/26(日)「女王の教室 エピソード2 悪魔降臨」

 録画しておいたのをようやく見た。「エピソード1 堕天使」は新任時代の阿久津真矢(天海祐希)の白い洋服がグレーに変わるまで、今回はグレーからテレビシリーズで着ていた黒に変わるまでが描かれる。視覚的に分かりやすい構成だが、脚本の遊川和彦としてはそうした外見的な変化に真矢の心境の変化を象徴させるために、新任時代から始めたのかもしれない。白の時代であるエピソード1の方は教室を離れた真矢の私生活の部分が多くて間延びした感じを受けたが、エピソード2は教室に終始し、パターンにはまった面白さがあった。

 いや、もちろん、技術的な面ではいくらでも傷がある。真矢が鬼教師になった事情を描くというスペシャル版の趣旨によって、テレビシリーズでの三人称は一人称に変わらざるを得ず、そのために真矢の口からまともなセリフがたくさん出てくることになる。セリフで物語を説明していくというのはテレビドラマの宿命なのかもしれないが、映画の手法に比べると物足りなく思えてくるのである。過剰な演技やデフォルメした描写の半面で描写すべきところをしていない部分もあった。

 それでも面白く思ったのは言っていることが真っ当だからだろう。教室を牛耳る少年が父親の権力によって守られているという構図は、小さな町や組織を牛耳るあくどいボスと同等で、ドラマにおける教室と学校の在り方は社会の縮図と言える。我慢して我慢して爆発するという展開や、少年が実は死んだ優秀な兄に対してコンプレックスを持っており、父親からも本当に認めてもらってはいないというのはよくあるパターンである。こういう部分を詳しく描けば、単なるパターンとは思われないのだろうが、このドラマは少年が中心ではなく、真矢が中心なので、仕方がないかなと思う。それにこういうパターンはけっこう大衆性があるものであり、人はパターンで心を動かされる場合もあるのだ。新しい部分はないけれど、そうした過去のパターンの寄せ集めであっても、しっかりした主人公を置けば、パターンのメリットが出てくるのだなと思う。