2012/12/24(月)「マージン・コール」

 大手投資銀行の破綻の危機を描く映画。リーマンブラザーズをモデルにしたようで、不動産担保証券(MBS)が招く巨額損失を事前に察知したリスク管理セクションと幹部が回避のため徹夜で協議する。その24時間を緊迫感のある展開で見せる。マージン・コールとは信用取引で口座の資産価値が所定の基準を下回った場合に追加の証拠金を要求することだそうだ。

 Wikipediaによれば、元々は自主制作映画として企画されたそうだが、ケヴィン・スペイシー、ジェレミー・アイアンズ、デミ・ムーア、ポール・ベタニーらベテランキャストがそろっている。今年のアカデミー脚本賞にノミネートされた。日本では劇場公開されず、DVDスルーだった。IMDbの評価は7.1、ロッテン・トマトは7.2。監督はこれが長編映画第1作のJ・C・チャンダ-。

 ただ、どうもこういう題材だと、ノンフィクションの方が向いている気がする。投資銀行内部のゴタゴタを描いただけでは物足りず、全体像を知りたい気分になるのだ。金融危機関係のドキュメンタリーで秀逸なのは「インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実」で、分かりやすくここまで面白く見せる技術に感心する。アメリカのドキュメンタリーは層が厚いなと思う。だからアカデミー賞には長編ドキュメンタリー部門があるのだ。

 書籍では「リーマン・ショック・コンフィデンシャル 追いつめられた金融エリートたち」がベストと言われているので、ようやく読み始めたところ。

2012/12/20(木)「ホビット 思いがけない冒険」

 3部作の前日談の3部作ということになれば、「スター・ウォーズ」サーガに対抗したのかと思ってしまうが、元々はこの「ホビット」、2部作の予定だったのをピーター・ジャクソンの意向で3部作にした経緯がある。物語は「ロード・オブ・ザ・リング」(LOTR)の時代より60年前の設定で、フロドの養父ビルボ・バギンズ(マーティン・フリーマン)の冒険を描く。旅に出るまでの序盤の長い前振りはLOTR第1作と同じで、うーんと思っていたら、中盤からアクションのつるべ打ちとなる。トロル→オーク→ゴブリン→再びオークと続くアクション場面はどれもクライマックスになりうる力を持った内容だ。WETA社が担当したVFXは相変わらず素晴らしく、アカデミー視覚効果賞は決まりではないかと思う。それに加えて、反発していたドワーフの王族トーリン(リチャード・アーミティッジ)とバギンズの友情の芽生えを描いていくあたりにドラマをないがしろにしないジャクソンのバランス感覚がうかがえる。

 話はLOTRより随分簡単だ。LOTRには指輪を捨てに行くというメインプロットにフロドとサムの友情をはじめさまざまな枝葉のエピソードがあり、アラゴルン、レゴラス、ギムリという主要キャラクターがいて物語に厚みを加えていたが、今回はバギンズとガンダルフ(イアン・マッケラン)とドワーフ族のみ。ドワーフの国を占拠したドラゴン(スマウグ)から故郷を取り戻すための旅という一直線の設定以外の膨らみが少ない(故郷を追われたという設定はユダヤ人と重なって仕方がなかった)。2時間50分を飽きさせないアクションには感心するのだが、LOTRに比べれば、ストーリー的にやや物足りない面は否定できないだろう。

 しかし、「普通の人々の日々の営みが闇を振り払うのだ」というガンダルフの言葉は「小さき者たちが世界を救う」というこのシリーズの一貫したテーマとしっかり重なる。フロドと同じくバギンズは特別に強いわけではなく、優れた能力があるわけでもない。仲間と力を合わせ、少しの勇気を振り絞って困難を乗り越えていく過程に魅力があるのだ。エルフのエルロンド卿(ヒューゴ・ウィービング)とガラドリエル(ケイト・ブランシェット)、魔法使いサルマン(クリストファー・リー)、そしてなんと言ってもゴラム(アンディ・サーキス)と指輪というシリーズでおなじみのキャラクターとの(「王の帰還」から9年ぶりの)再会はファンにはこたえられないだろう。エルフは長寿の種族なので、LOTRの時と全然変わっていなくてもかまわないのだ。序盤にはフロド(イライジャ・ウッド)も登場し、ハワード・ショアの音楽も同じメロディーラインを踏襲している。ファンは同じものを欲しがる。といって、単なる二番煎じにはしていないのがジャクソンの良さだ。

 当初はギレルモ・デル・トロが監督するはずだったが、結局、ジャクソンに落ち着いたのはシリーズ全体のタッチのまとまりという点では良かったと思う。この映画、LOTRとシームレスにつながっている。最大の欠点は続きを見るのに1年も待たなければならないことか。

 LOTRはシリーズを重ねるごとに評価が高まり、「王の帰還」はアカデミー賞11部門を制した。「ホビット」3部作もそうなっていくことを切に願う。

2012/12/13(木)「007 スカイフォール」

 映画の最後の方で、ある人物がシリーズでおなじみのキャラクターであることが分かってニヤリとさせられる。「ダークナイト ライジング」の時は最後に明らかになるあの人物に関して、開巻間もなく分かったが、これは分からなかった。というか、まず想像の範囲外にある。ああ、そう言えば、最近出ていなかったよな、この人、という感じ。007シリーズファンへの目配せなのだろう。

 IMDbで調べてみると、このキャラクター、ボンド役がダニエル・クレイグに代わった「カジノ・ロワイヤル」以降、出ていなかった。この人物も含めて「スカイフォール」はいろいろな意味でシリーズをリブートさせる役割を持つ映画だ。評価の高い映画だが、僕はそれほどとは思わなかった。ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)がアストンマーチンDB5(おお、懐かしい)に乗り換えたところで、ボンドのテーマが鳴り響き、後半への期待が高まるのだが、当てが外れた。クライマックスのスケールが小さいのだ。サム・メンデス監督だけに映画の出来は悪くはないのだが、後半は007でなくても成立する話だと思う。

 

2012/10/21(日)「サニー 永遠の仲間たち」

 自分が通っていた高校を主人公のイム・ナミ(ユ・ホジョン)が訪れる。カメラが360度パンするうちに制服姿で坂道を上る女子高校生たちが私服姿に変わり、ナミが25年前の自分に戻るというジャンプショットを見て、これは男の監督が撮ったのだろうと思った。ここに限らず、撮り方が男性的だ。案の定、監督はこれが2作目のカン・ヒョンチョルだった。カン・ヒョンチョルは1974年生まれ。1980年代の話であっても、映画にノスタルジー色が薄いと感じるのは僕が韓国の風俗に詳しくないからでもあるが、監督の興味がそこにないからだろう。

 カン・ヒョンチョルの興味はウェルメイドなコメディの方にあるようだ。その点でこれは水準以上の出来だ。母親が入院した病院で主人公は高校時代の7人グループのリーダー、ハ・チュナ(ジン・ヒギョン)と出会う。チュナはがんにかかっており、余命2カ月と宣告されていた。もう一度、高校時代の仲間たちと会いたいというチュナの望みをかなえるため、主人公はかつての仲間たちを探し始める。そこから悩みが多くてもキラキラしていた高校時代と現在の仲間たちの姿が交互にコメディタッチを交えて描かれていく。

 コメディタッチといっても、25年の時の流れは重い。ミスコリアを目指していた少女が水商売でやさぐれていたり、太っていた少女はやっぱり太っていて成績のサエない保険外交員になっていたり、作家を夢見ていた少女は狭いアパートで姑にいびられていたりする。しかし、必要以上に重くせず、軽いタッチで仕上げたところがこの映画の良さで、万人受けする作品になっている。主人公の娘をいじめていた少女たちをかつての仲間とともにボコボコにする場面などは溌剌としていて痛快だ。

 映画の出来に文句を付けるところはあまりないが、ちょっと引っかかったのは軍隊と市民が衝突する場面までコメディタッチで描いていること。当時をリアルタイムで知っている世代の監督なら、こういう描き方はしなかっただろう。1980年代、「韓国の学生は日本の学生よりましだ」と言われた。60年安保、70年安保の頃と比べるべくもなく、日本の80年代は学生運動がすっかり下火になっていたが、韓国では光州事件を経て民主化運動が活発だったからだ。映画の中でも主人公の兄は労働運動に打ち込んでいる(その兄は現在、会社の金を横領したという設定だ)。経済成長が進んだ今は韓国も日本と変わらなくなった。

 女優たちはそれぞれに良いが、高校時代のチュナを演じるカン・ソラが頭一つ抜けている。若いころの山口美江をどこか思わせる顔立ちで、今後伸びていく女優なのだろう。

 あと、オープニングとエンディングに流れる「タイム・アフター・タイム」はやはり、シンディ・ローパーの歌を使ってほしかったところだ。「ハイスクールはダンステリア」(ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン)もローパーの歌が始まりそうになるところで音量が小さくなった。ローパーの歌が使えない事情があったのだろうか。

2012/10/14(日)「最強のふたり」

 パリに住む富豪で首から下が麻痺しているフィリップ(フランソワ・クリュゼ)とその介護人となった貧困層の黒人青年ドリス(オマール・シー)の実話を基にした物語。健常者と障害者の真の心のつながりとか何とか言う前にルドヴィコ・エイナウディの音楽がとても素晴らしい。この音楽がなければ、映画の魅力は半減しただろう。エイナウディ自身のピアノ曲をはじめアース・ウィンド・アンド・ファイアー「セプテンバー」やニーナ・シモン「フィーリング・グッド」、そしてヴィヴァルディなどのクラシックまでさまざまな音楽が映画を豊穣なものにしている。特にエイナウディ「翼を広げて」(FLY)の美しくセンチメンタルでありながら、希望にあふれた高揚感のあるメロディに魅せられる。

 映画は昨年の東京国際映画祭でサクラグランプリを取ったほか、主演2人が主演男優賞をダブル受賞。今年のセザール賞では9部門にノミネートされ、オマール・シーが主演男優賞を得た。IMDBでは8.6という高い評価だ。

 フィリップが多くの面接者の中からドリスを介護人に選んだのはドリスが自分に同情しなかったからだが、スラムに住むドリスの境遇もまた幸福なものではない。父親の違う多くの弟妹たち、子どもを養うために毎日必死で働く母親。ドリス自身にも犯罪歴があるが、弟の一人は麻薬組織に関わっているらしい。フィリップとドリスはこうしたお互いの境遇を理解した上で徐々に交流を深めていく。フィリップがドリスに惹かれたのは単純に生きる力に満ちているからでもあるだろう。親戚や知人が集まってフィリップの誕生日を祝うために開かれるクラシックの演奏会の後、ドリスがアース・ウィンド・アンド・ファイアーの曲を流し、参加者がダンスの輪に加わっていくシーンは楽しく、単純に生のきらめきを表している。

 首から下が麻痺した主人公と言えば、アレハンドロ・アメナバール「海を飛ぶ夢」(ハビエル・バルデム主演)を思い出さずにはいられない。「海を飛ぶ夢」の主人公ラモンは家族に愛されながらも尊厳死の道を選んだが、この映画のフィリップは前向きに生きる力を取り戻す。映画の幸福なラストには思わず涙してしまうが、よくある障害者もののように感動の押し売りなどはなく、全体に笑いをちりばめた作りになっていて感心した。見ていて心地よい映画であり、愛すべき、愛される映画になっている。

 映画を見終わってさっそくサントラを買わねばと思ったが、国内盤は未発売。輸入盤も高かったので昨年出た「来日記念盤 エッセンシャル・エイナウディ」をamazonのMP3ダウンロードで買った。これにも「翼を広げて」「そして、デブノーの森へ」という映画で使われた曲が収録されている。そう、エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュという2人の監督は2004年のフランス映画「そして、デブノーの森へ」の音楽も使っているのである。それほどエイナウディの音楽を気に入っているのだろう。

 その後、iTunesで探したら、ここにはサントラ盤があったのでこれも買った。