2022/10/16(日)「耳をすませば」ほか(10月第3週のレビュー)

「耳をすませば」はスタジオ・ジブリの傑作アニメ「耳をすませば」(1995年、近藤喜文監督)の実写映画化。ただの実写化ではなく、原作の10年後をメインにした作品で、1987年から88年にかけての中学時代と1998年、25歳になった主人公・月島雫(清野菜名)と天沢聖司(松坂桃李)の物語が描かれます。

アニメ版はキネ旬ベストテン13位。興行面でも成功を収め、この年の邦画ではトップの18億5000万円の配収を記録しました。個人的には特に思い入れはありませんが、青春恋愛アニメの古典的な位置を占めているのは確か。このためアニメ版を愛する人からは公開前も今もヒステリックとも思える低評価がレビューに書かれています。傑作アニメを実写にして成功した例が少ない上、柊あおいの原作にもない10年後を付け加えるとあって、ファンが反発や不安を感じるのは当然でしょう。

しかし、今回の実写版、大成功とは言えなくても公開前の不安を杞憂に終わらせるような好感の持てる作品に仕上がっています。

チェロの演奏家になるために聖司がイタリアに行って10年。小説家になることが夢だった雫は小さな出版社に勤める傍らで小説を書き続けていますが、コンテストに応募しても落選続き。ルームシェアしている親友の夕子(内田理央)は中学時代からの思いを実らせて杉村(山田裕貴)と結婚が決まったというのに、雫は聖司との遠距離恋愛にも作家になる夢にも挫折しかかっています。
「10年やってきて何者でもなくて、どうしようって相談したい相手は遠くにいて会いたい時に会えない。分かってるけど分からないんだよ、自分がどうすればいいか」
中学時代と現在とを描きながら、映画は夢と恋愛に悩む雫の姿を丁寧に描いています。原作のイメージを壊さない爽やかさを持つ清野菜名と松坂桃李の起用がまず成功の一因ですが、夢を諦めるかどうかの葛藤を描いたことが同じように夢を持つ人たちへのエールになっているのが良いです。劇中で流れる歌はアニメ版の「カントリー・ロード」から「翼をください」に代わりましたが、夢見る恋人たちを描いた本作にはふさわしい選択でしょう。

「僕だけがいない街」(2016年)、「約束のネバーランド」(2020年)などの平川雄一朗監督のベストの仕事だと思います。映画の撮影は2020年3月から始まり、最終的に今年5月までかかったそうです。

パンフレットは雫の父親(「鎌倉殿の13人」の小林隆。アニメ版では立花隆が声をあててました)が勤める東京都杉宮中央図書館の蔵書を模したデザインで、バーコードが裏表紙にあります。試しにバーコードリーダーで読み取ったら、amazonのこのパンフレットのページにつながりましたが、価格は2400円。劇場で買えば850円ですのでご注意です。
▼観客3人(公開初日午前)。←今回から少なかった場合のみ観客数を記録します。自分を含めた数です。

「AKAI」

赤井英和のボクサー時代を描いたドキュメンタリー。「浪速のロッキー」として人気があったことはもちろんリアルタイムで知っていましたが、当時は赤井英和の試合はほとんどテレビ中継されなかった(さすがに世界戦は中継があったのでしょうけど、見てません)ので、本格的に試合を見るのは初めてでした。

デビュー戦からKO勝ちを続けた赤井は初の世界戦で7ラウンドKOを予告しながら、逆に7ラウンドTKO負けを喫します。以後、名トレーナーのエディ・タウンゼントの指導を仰ぎ、世界タイトル再挑戦を目指しました。

試合の変遷を見ていて気づくのはデビューから世界戦までのがむしゃらなファイトが世界戦後には影を潜めたこと。タウンゼントの指導で技術的には向上したのでしょうが、どこかで闘志を失ったのか、あるいは体の不調があったのかもしれません。そうしたことも失踪・引退騒ぎにつながったのではないかと思えます。

映画のクライマックスはあの大和田正春との試合(1985年2月)。ここで赤井は急性硬膜下血腫、脳挫傷の瀕死の重傷を負って、ボクサー生命を絶たれました。その後は母校の近畿大でコーチをしていましたが、1987年に出版した著書「浪速のロッキーのどついたるねん」を読んだ阪本順治監督がデビュー作として映画「どついたるねん」(1989年、キネ旬ベストテン2位)を赤井主演で撮ったのはご存じの通りです。双方にとって、これは幸福な出会いだったと思います。

「AKAI」の監督は赤井の長男・英五郎。当時のテレビ番組やニュースフィルム、現在のインタビューで構成しています。懐かしさも手伝って、僕は大変面白く見ました。
▼観客1人(公開7日目の午後)。

「激怒」

高橋ヨシキ監督のトークショー付きの上映で見ました。宮崎キネマ館のキネマ1(100席)で観客半分ぐらいの入り。
高橋ヨシキ監督(左)=2022年10月15日、宮崎キネマ館
高橋ヨシキ監督(左)=10月15日、宮崎キネマ館
主人公の刑事・深間(川瀬陽太)は激怒すると、見境なく暴力を振るい、ある事件で死者を出してしまう。アメリカで治療を受け、数年後に帰国すると、高圧的な自主防犯組織が強い力を持ち、町はすっかり「安心・安全な町」となっていた。かつて夜の街を謳歌していた深間の仲間たちは人間以下の扱いを受け、それを見た深間に強い怒りが沸き起こる。

クライマックスは深間が折れた腕から飛び出した骨で相手を突き刺して殺したり、顔を殴り続けてぺしゃんこにしたり。映画評論家としての高橋ヨシキはそうしたゴア描写が好きな感じの批評を書いていますので、らしい描写だと思いました。初の長編映画のため足りない部分は目に付きますし、脚本にもう少し深みが欲しいところですが、話をシンプルにして描写で見せたかったのかもしれません。

高橋ヨシキのファンが多かったためか、トークショーで否定的な意見は出ませんでした。監督自身の評価は「かなり変な映画」とのこと。

「グリーンバレット」

サブタイトルに「最強殺し屋伝説国岡[合宿編]」と付くように「最強殺し屋伝説国岡[完全版]」(2021年、宮崎未公開)の続編で、「ベイビーわるきゅーれ」の阪元裕吾監督作品。「完全版」の方は殺し屋の日常を緩いユーモアと本格的な格闘アクションを交えて描いたモキュメンタリー(POV)で、僕はそこそこ楽しめました。

「合宿編」の企画はミスマガジン2021の6人の女性タレントを使った映画として始まったそうです(Wikipediaによると、当初のタイトルは「ミスマガジン、全員殺し屋」)。殺し屋志望の女子6人を最強殺し屋の国岡(伊能昌幸)が山奥の合宿で指導中に野良の凶暴な殺し屋集団が襲ってくる、というストーリー。前半は殺し屋指導に絡む緩い笑いが満載、後半は本格的なアクションになります。

出てくる女の子たちはアクションは初めてだったそうですが、クライマックスのアクションはしっかり、様になってます。アクション監督を務めたスタントウーマン、アクション女優の坂口茉琴が良い仕事をしたのでしょう。阪元監督の演出も1作ごとにうまくなっていて、「ベイビーわるきゅーれ」の続編が楽しみです。
▼観客1人(公開12日目の午後)。

2022/10/09(日)「四畳半タイムマシンブルース」ほか(10月第2週のレビュー)

「四畳半タイムマシンブルース」はディズニープラスで配信しているテレビアニメ版の3話までを見たところで見ました。映画はテレビ版と違ったところはなく(エンディングの歌はテレビのオープニングの歌でした)、前半は確認作業でしたが、4話以降に当たる終盤はタイムマシンものらしいロマンティシズムがあり、センス・オブ・ワンダーをも感じさせる好印象の仕上がりでした。

大学3年生で京都の下鴨幽水荘209号室に住む主人公の「私」(浅沼晋太郎)と、「私」が密かに思いを寄せる1年下の明石さん(坂本真綾)、他人の不幸をおかずに飯が食える悪友の小津(吉野裕行)、先輩の樋口師匠(中井和哉)、歯科衛生士の羽貫さん(甲斐田裕子)ら「四畳半神話大系」(テレビアニメは2010年)のメンバーがエアコンのリモコンをめぐって騒動を巻き起こします。「私」の早口のナレーションに沿って映画は進行し、過去へ未来へのドタバタが繰り広げられるわけですが、基になった「サマータイムマシン・ブルース」(映画は2005年、本広克行監督)が時間SFとして優れているので、この映画もドタバタがあるからこその優れた青春SFになっています。

森見登美彦の原作ではサークルでポンコツ映画を量産している明石さんがこの2日間の騒動を映画にしたいと話し、「私」がタイトルとして「サマータイムマシン・ブルース」を提案する楽屋落ち的場面があります。原作読んでる時もアニメ「四畳半」のメンバーを思い浮かべながら読みましたが、やはりアニメにして初めてこの物語は完成したと思えました。「四畳半」の声優を含めたキャラクターが楽しいからでしょう。

テレビシリーズを再編集したのが映画版ということになっていますが、むしろ完成した映画を分割してテレビ版にしているのではないかと思います。でなければ、アニメ1回の長さが33分とか17分とか、あり得ないでしょう。

「四畳半神話大系」は以前Netflixでも配信していましたが、いつの間にか消えてました。今はディズニープラスのほか、U-NEXTで配信しています。もっとも、今風に言えばマルチバース(多元宇宙、並行世界)をテーマにしたこの傑作SFアニメシリーズを見ていなくても何ら支障はありません。なんなら、「サマータイムマシン・ブルース」を見ていなくても、いや見ていない方が楽しめるのかもしれません。両方見ていない人も映画を絶賛しています。

監督の夏目真悟は劇場用長編アニメの監督はこれが初めてのようですが、「四畳半神話大系」では作画スタッフなどでクレジットされていました。今回の映画はキャラクターデザインを含め大枠が固まっている作品なので監督しやすかったのではないかと思います。

「LOVE LIFE」

始まった途端に映画作りの高いレベルがありありと分かる作品でした。山崎紘菜の複雑な眼差しであるとか、子供がなぜ手話を知っているのかとか、エピソードの配置が抜群にうまく、その描き方も抜群にうまいです。木村文乃は「七人の秘書 THE MOVIE」(下記参照)とは演技の厚みが全然違い、キスシーン一つ取っても情感の込め方がまるで違います。

釣り道具の中古製品の話題から、夫の父親(田口トモロヲ)が子連れ再婚の木村文乃に当てこするように「中古といってもいろいろある」と発言し、それにカチンときた木村文乃が謝罪を要求するシーンとか、普段は木村文乃の良き理解者である夫の母親が、あることで残酷な本音を漏らすとか、深田晃司監督の脚本は人間関係や感情の細かい部分をすくい上げ、ドラマを構成しています。

木村文乃は多くの映画に出ていますが、ここまで演技力を見せたのは初めてではないかと思います。僕はかなり感心しました。ただ、なかなか着地の難しい話ではあり、明快な結末を迎える作品でもないので、IMDb7.1、メタスコア72点、ロッテントマト85%と海外の評価が際立って高いわけではない一因となっているのでしょう。ヴェネツィア映画祭コンペティション部門に出品されましたが、受賞は逸しています。

「マイ・ブロークン・マリコ」

平庫ワカの同名コミックをタナダユキ監督が映画化。原作は4話の短い話で、映画も上映時間85分のコンパクトな長さです。ほぼ原作通りの映画化で、タナダ監督と向井康介の脚本は独自のエピソードを追加することなく、細部のセリフや表現を膨らませた脚色になっています。

本当ならマリコからシイノへの最後の手紙の内容とか、マリコの自殺の直接的な理由なども知りたいところではありますが、映画が独自に付け加えれば、原作の疾走感を減じることになるためやらなかったそうです。

主演の永野芽郁は煙草を吸い、乱暴な口調のやさぐれたシイノというこれまで演じたことのない役柄を過不足なく演じています。父親の暴力から逃れても、恋人から暴力を受けてしまうマリコ役の奈緒は相変わらずうまいです。憑依型の演技をするタイプですね。

「七人の秘書 THE MOVIE」

事前にドラマ版の第1話と先日放送されたスペシャルを見ました。何の権限もない秘書たちが悪人を懲らしめるという設定自体に無理があるドラマ。第1話は終盤の誇張しすぎてあり得ない描写が大きなマイナスになっていて、テレビだからまあ許されるのでしょう。スペシャルはドラマと劇場版をつなぐという触れ込みでしたが、設定を受け継いだのは不二子(菜々緒)にいつの間にか子供がいたことぐらいじゃなかったかな。

映画は木村文乃をはじめ秘書たちがワチャワチャしているシーンは楽しいですが、話に新鮮味がありません。信州を支配する九十九ファミリー(会長役は笑福亭鶴瓶)の巨悪を暴くという内容で、意外性皆無(脚本は「ドクターX」の中園ミホ)。ドラマ版の演出も担当した田村直己監督は凡庸な演出を一歩も踏み出すことなく、終わっています。

秘書たちのアクションはスローモーション使ってるのがダメダメで、アクションの得意な女優を1人ぐらい入れたいところでした。見どころがある(アクションが映える)のは背の高い菜々緒で、体の細さは気になりますが、本格的に鍛えれば、アクション女優になれそうです。目指せ、シャーリーズ・セロン!

2022/10/02(日)「アイ・アム まきもと」ほか(10月第1週のレビュー)

「アイ・アム まきもと」は孤独死をテーマにした阿部サダヲ主演、水田伸生監督によるヒューマンドラマ。ウベルト・パゾリーニ監督「おみおくりの作法」(2013年)が原作としてクレジットされています。水田監督の前作はシム・ウンギョン主演の韓国映画「怪しい彼女」(2014年)を多部未華子主演でリメイクした「あやしい彼女」(2016年)でしたから、今回もそれに沿った企画なのかもしれません。

映画を見た後に「おみおくりの作法」をU-NEXTで再見しました。「アイ・アムまきもと」は基本的にこれに沿ったストーリーですが、一番の違いは主人公の設定です。原作の主人公ジョン・メイ(エディ・マーサン)は物静かなだけの男でしたが、牧本は空気が読めない、人の話を聞かないなど恐らく発達障害を意識した設定になっています。

言葉をその通りに解釈する牧本はこんな会話を交わします。
「あの、牧本さんでしたっけ、赤ちゃんいる?」
「いりません!」
牧本はそういう自分のことを自覚していて、バーっと一方的に話してしまった後に両手を顔の横で前後に動かし「すみません、牧本、今こうなってました」と反省します。しかし、孤独死した人の葬儀を自費で営み、遺族が引き取りに来ることに備えて遺骨を職場の机の周囲に保管しておくなど、仕事に対して一途であり、その行動は孤独死した人への思いやりにあふれています。

阿部サダヲはそんな牧本に命を吹き込み、情感をこめています。ラストは原作通りですが、牧本が愛すべきキャラクターになっている分、原作以上に胸を締め付けられる場面になっています。

水田伸生監督は傑作「初恋の悪魔」(日テレ)全10話のうち5話を演出していました。そのドラマで重要な役だった満島ひかりが孤独死した男の娘役で、仲野太賀の父親を演じた篠井英介が牧本の上司役で出ています。

「ロッキーVSドラゴ ROCKY IV」

「ロッキー4 炎の友情」(1985年)の再編集版。旧作は91分、今作は94分ですが、3分追加しただけではなく、ロッキーの私生活(家に家事ロボットがいました)などを大幅に削り、42分の未公開シーンを付け加えたそうです。

ランボー・シリーズ2作目の「ランボー 怒りの脱出」(1985年)からシルベスター・スタローンはタカ派路線となり、「ロッキー4 炎の友情」もその路線に沿った内容でした。アメリカ対ソ連(当時はまだ存在してました)を強調した映画作りに僕は反発を感じて映画館では見ませんでした。今、「炎の友情」を見直すと、ウクライナに侵攻した現実世界のロシアは明らかに悪役のため、これぐらい描いても良いのではと思えるほどです。

イワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)との試合後のロッキーのスピーチは「炎の友情」より短くなっていますが、趣旨は変わりません。
「今、ここで2人の男が殺し合った。しかし2000万人が殺し合うよりマシだ。俺は変わり、あんたたち(観客)も変わった。人は変わることができる」
この言葉自体は真っ当なのに、旧作で批判の的になったのは、ここに至る過程が安直で脳天気だったからでしょう。当時のソ連はゴルバチョフ書記長の開放路線の時代で、今のプーチン政権よりはるかに良かったと思います。その国に対するロッキーの言葉は「上から目線のタワゴト」と受け取られても仕方がなかったでしょう。

僕は「ロッキーVSドラゴ」が「炎の友情」からそれほど大きく変わった印象は受けませんでした。それでも今作の評価が旧作より高いのは世界情勢が変わったことも影響しているのではないかと思います。amazonの「炎の友情」のレビューを見ると、今やこの作品も4.2と高い評価になっています。

今後、変わるかもしれませんが、今のところ「ロッキーVSドラゴ」の配信予定はないそうです。コロナ禍で暇だったスタローンが大量の撮影フィルムから編集し直した作品で、ディレクターズ・カットとも決定版とも称しているわけではありません。あくまで、こういうバージョンもある、というぐらいの認識で良いと思います。採点を掲載しているのはロッテントマトのみで80%、「炎の友情」は37%。

「犬も食わねどチャーリーは笑う」

結婚4年目の夫婦を巡るコメディ。投稿サイト「旦那デスノート」に積もった不満を書き込んでいるのが自分の妻だと知った夫。妻の投稿は人気で出版社が他の投稿と合わせて本にまとめようと話を進める。見かけは円満だった夫婦は引くに引けないけんかを始めてしまう。

チャーリーはペットのフクロウの名前で、妻の投稿ネームでもあります。主演の香取慎吾、岸井ゆきのは悪くありませんし、前半は笑って見ていましたが、どうも後半の展開がイマイチです。

90分ぐらいで終わって良い話を無理に引き延ばした感じがあり(上映時間は117分)、クライマックス、妻の職場で2人が言い争いをする場面はまったくリアリティを欠いています。脚本・監督は「箱入り息子の恋」「台風家族」の市井昌秀。

香取慎吾が勤めるホームセンターで香取に思いを寄せる女の子がかわいいなと思ったら、「街の上で」の中田青渚でした。同じホームセンターの余貴美子はおかしくて良かったです。

「LAMB ラム」

アイスランドの山間を舞台にしたホラー風味の物語。この題材をアメリカの三流監督が撮ると、Z級映画になってしまうのでしょうが、長編映画デビューのヴァルディミール・ヨハンソン監督の演出が上等な上、ノオミ・ラパスの演技と美術、撮影など映画の作りはAランクに近い出来でした。人里を離れ、霧が深く、雄大な山々を望む場所だけに不思議な出来事が起こってもおかしくない雰囲気があり、ロケーションが大きな効果を上げています。

羊飼いの夫婦イングヴァル(ヒルミル・スナイル・グズナソン)とマリア(ノオミ・ラパス)がある日、羊の出産に立ち会うと、羊ではない“何か”が産まれる。言葉を失い、目配せし合った二人はその存在を受け入れ、亡くした娘の名前と同じ“アダ”と名付けて、育て始める。

「あれはいったい、何なんだ?」。夫婦のもとを訪れ、アダを目にした弟の問いにイングヴァルは「幸せってやつさ」と答えます。僕はアダを見ながら、小松左京の傑作短編「くだんのはは」を思い浮かべましたが、西洋にもこれに類した存在はあるので、映画のオリジナルな発想ではありません。ただ、夫婦が異常な存在と日常生活を普通に送っている光景には奇妙さが横溢し、同時に不穏さも漂います。この奇妙な光景に最初、弟が面食らう場面には思わず笑ってしまうようなユーモアがありました。

映画は吹雪の中、馬の群れが何かに気づいて逃げていく冒頭の場面から、ある超常的存在が近くにいることを匂わせ、その後もそれを示唆した場面があります。ですから、クライマックスに出てくる存在は理にかなった姿だと思いました。これを衝撃的とか驚愕と書きたくなるレビュアーの気持ちは分からなくはないですが、想像力の不足も疑った方が良いでしょう。IMDb6.3、メタスコア68点、ロッテントマト86%。

2022/09/25(日)「キングメーカー 大統領を作った男」ほか(9月第4週のレビュー)

「キングメーカー 大統領を作った男」は韓国大統領となった金大中と選挙参謀を務めた厳昌録(オム・チャンノク)の実話を基にしたサスペンス。映画の中で実名は使われず、金大中はキム・ウンボム(ソル・ギョング)、厳昌録はソ・チャンデ(イ・ソンギュン)となっています。韓国ではそれでも分かるのでしょうが、日本では実名の方が通りが良かったと思います。もっとも、若い世代の中には金大中自体を知らない人もいるでしょうから、あまり関係ないですかね。

そういう事情もあって前半は少し退屈しましたが、後半は良い出来。キム・ウンボムが野党の中で徐々に力を付け、野党候補として大統領選に出るところがクライマックスになります。ソ・チャンデの選挙戦は1票増やすよりも対立候補の票を10票減らすことを目的とした汚いやり方で、ネガティブキャンペーンや詐欺まがいの贈賄工作まで手段を選びません。しかしある事件を引き起こしたことで、キム・ウンボムと決別することになります。

映画が描くのは1961年から1971年までが中心。日本で金大中が有名になったのは1973年、日本での拉致事件(阪本順治監督が「KT」で描きました)からですが、それ以後の時代についてはエピローグで触れられる程度です。この映画では金大中ではなく、選挙参謀が主人公なので当然こうなるわけです。
監督・脚本は「名もなき野良犬の輪舞(ロンド)」のビョン・ソンヒョン。映画化を意図した理由について「正しいと考える目的を成し得るために、正しくない手段を使うことも正当か?」という疑問を映画にしてみたかったから、と語っています。

パンフレットには「『選挙の鬼才』厳昌録」と題する秋月望明治学院大名誉教授のコラムが掲載されてます。これを読んで、実名が使えなかったのも無理はないと納得しました。映画にはかなりのフィクションが含まれていて、あくまで政治エンタメとして見るべき作品ということになります。アメリカでは未公開のためIMDbの投稿は376件と少なく採点は6.7。

「沈黙のパレード」

東野圭吾原作「ガリレオ」シリーズの1本で、監督はテレビドラマから同シリーズを演出し、シリーズの劇場版「容疑者Xの献身」(2008年)「真夏の方程式」(2013年)も監督した西谷弘。映画の出来はともかく、ファンとしては柴咲コウが内海薫刑事役で復活したのがうれしく、物理学者のガリレオこと湯川学(福山雅治)とのバディぶりがおかしくて良かったです。

週刊文春ミステリーベストテンで1位、「このミステリーがすごい!」で4位となった原作は殺人方法の物理トリックの解明が中心となる後半が個人的には好みではありませんでした。映画は原作に忠実なのでやはり後半が今一つと思えました。

キャストは湯川の親友である草薙刑事役におなじみの北村一輝が扮するほか、飯尾和樹、戸田菜穂、田口浩正、酒向芳、岡山天音、吉田羊、檀れい、椎名桔平とオールスターキャスト。「オリエント急行殺人事件」のような展開なのかと原作を読んでいる時も思いましたが、映画もそうミスリードするような作りになっています。

「女神の継承」

「哭声 コクソン」(2016年)のナ・ホンジンが原案・プロデュースし、「愛しのゴースト」(2013年)のバンジョン・ピサンタナクーンが監督した韓国・タイ合作のホラー。タイのドキュメンタリーチームが東北部イサーン地方を訪れ、地元の神バ・ヤンの精霊に取り憑かれた霊媒ニムの日常生活を記録するという設定で語られます。つまり、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や「クローバーフィールド」のような、いわゆるモキュメンタリーの形式を取っています。

タイトルには女神とありますが、実際には女神に使える巫女(霊媒)能力の継承を指します。霊媒のニム(サワニー・ウトーンマ)は姉のノイ(シラニ・ヤンキッティカン)が霊媒になることを嫌がってキリスト教信者になったため、霊媒能力を継承しました。ノイの娘ミン(ナリルヤ・グルモンコルペチ)の周囲に最近、不思議なことが次々と起こり、本人の奇行もあることからミンが次の霊媒になるのかと思われますが、実はミンに取り憑いたのは女神ではなく、悪霊だったことが分かります。ニムは悪霊払いをしようとしますが、という展開。

モキュメンタリーは撮影クルーも犠牲になるのが常で、この映画もそうなっていきますが、この形式は不要だったと思います。「哭声 コクソン」に及ばなかったのはこの形式も影響しているでしょう。映画はR18+指定になっていますが、性描写も暴力描写もそれほどではありません。IMDb6.5、ロッテントマト78%。

「雨を告げる漂流団地」

「ペンギン・ハイウェイ」(2018年)の石田祐康監督のアニメで、劇場公開と同時にNetflixでの配信が始まりました。廃墟となった団地で遊んでいた小学生たちが不思議な現象に巻き込まれ、気づくと団地の周囲は海だった。子供たちは元の世界に戻ろうとするが、という話。

評判が良くないのは団地がなぜ海に浮かぶのかという疑問を含めて、物語の作り込みが浅いためでしょう。

「映画はアリスから始まった」

映画草創期に史上初の女性映画監督として多数の作品を残しながら、ほとんど知られていないアリス・ギイ=ブラシェに迫るドキュメンタリー。アリスは世界初の劇映画「キャベツ畑の妖精」や超大作「キリストの誕生」などを監督しましたが、男性優位社会の弊害から作品にクレジットされず、映画史でも無視されてきました。パメラ・B・グリーン監督は記録フィルムや関係者のインタビューを通してアリスの功績を詳しく紹介しています。

高い評価を受けている作品で確かにアリスの功績はよく分かりますが、映画としてはちょっと構成が単調でポイントを絞り切れていない印象があります。IMDb7.7、メタスコア76点、ロッテントマト96%。

2022/09/18(日)「川っぺりムコリッタ」ほか(9月第3週のレビュー)

「川っぺりムコリッタ」は荻上直子監督の「彼らが本気で編むときは、」以来5年ぶりの作品。荻上監督は同じ物語の小説版も出していますが、元々、映画にするつもりで脚本を書き、それを小説化したそうですから、西川美和監督がやってる方式と同じですね。

主人公の山田たけし(松山ケンイチ)は北陸にあるイカの塩辛工場で働き始め、社長(緒形直人)から紹介された「ハイツムコリッタ」という川の近くに立つ平屋の古い安アパートで暮らし始める。無一文に近い状態でやってきた山田のささやかな楽しみは風呂上がりの良く冷えた牛乳。ある日、隣の部屋の島田幸三(ムロツヨシ)が風呂を貸してほしいと上がり込んできた。これまで孤独に生きてきた山田は人と関わらず、ひっそり暮らしたいと思っていたが、夫を亡くした大家の南詩織(満島ひかり)、息子と二人暮らしで墓石を販売する溝口健一(吉岡秀隆)らムコリッタの住人たちと関わりを持つようになる。そして、山田の前歴が明らかになる。

塩辛と味噌汁でご飯を食べていた山田の部屋に、「ご飯ってさあ、一人で食べるより誰かと食べた方が美味しいよね」と言いながら自分で作ったキュウリとトマトを持って島田が押しかけ、一緒に食べるシーンなど荻上映画に重要な食事のシーンがこの映画でも大きな部分を占めます。

「かもめ食堂」(2005年)など初期の荻上映画に僕はあまり興味を持てませんでしたが、この映画はしみじみと良かったです。出てくる人たちは皆裕福ではありません。不遇な育ちをしてきた山田は白米と少しのおかずでご飯が食べられて、孤独ではないことに小さな幸せを感じるようになります。そうした小さな幸せの大切さが今回も綴られていきます。

松山ケンイチもムロツヨシもピッタリの役柄と思わせる好演でした。ムコリッタ(牟呼栗多)は仏教における時間の単位のひとつで、1日の30分の1(約48分)の意味だそうです。

「ヘルドッグス」

ハードな潜入捜査官もので、深町秋生の原作を原田眞人監督が映画化。関東最大のヤクザ組織・東鞘会への潜入を命じられた兼高(岡田准一)は凶暴なサイコボーイ、室岡(坂口健太郎)と狂犬コンビを組み、組織での存在を大きくしていく。会長十朱(MIYAVI)のボディガードとなるが、兼高が潜入捜査官との疑いがかけられる。

岡田准一は「ザ・ファブル」シリーズで見せたように格闘系とアクロバティック系の両方のアクションができますが、今回は格闘系がメイン。格闘デザイン、殺陣も担当しています。ホステスのルカ(中島亜梨沙)が敵対組織から送られた女殺し屋の正体を現す中盤が最高の展開。それ以降のアクションもファンには満足できる内容でした。組織に恨みを持つ人物たちが一斉にそれぞれに攻撃を仕掛けていくクライマックスは感動もの(そういう人物が多すぎるかな、という気もします)。脇を固める北村一輝、金田哲と大竹しのぶ、松岡茉優、木竜麻生の女優陣も良いです。

英語タイトルは「HELL DOGS IN THE HOUSE OF BAMBOO」。原田監督が影響を受けたサミュエル・フラー「東京暗黒街 竹の家」(1955年、原題House of Bamboo)を参照する形になってます。

「HiGH&LOW THE WORST X」

ハイローシリーズと高橋ヒロシ原作の人気コミック「クローズ」「WORST」のクロスオーバー作品の第2弾。高校生が縄張り争いで喧嘩ばかりしている映画です。

過去のハイローシリーズ全部を見ているわけではありませんが、劇場版2作目の「HiGH&LOW THE MOVIE 2 END OF SKY」(2017年)はアクションにキレがあって良い出来でした。今回もアクション目当てに見ましたが、特に目立ったところはなし。アクションが普通なら、話に凝れば良いのに、ありきたりの展開でした。

あまり意味があるとは思えませんが、女性を画面に出さない方針なのか、病院の看護師も声だけで姿を見せませんでした。監督は脚本でシリーズに関わってきた平沼紀久。総監督にクレジットされている二宮“NINO”大輔はミュージックビデオやCM制作の映像作家だそうです。

「プアン 友だちと呼ばせて」

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(2017年)のバズ・プーンピリヤ監督作品。ニューヨークでバーを経営するボス(トー・タナポップ)に、バンコクの友人ウード(アイス・ナッタラット)から数年ぶりに電話が入る。ガンで余命宣告を受け、元恋人たちを訪ねる旅の運転手を頼みたい、というのだ。2人は古いBMWで元カノたちを訪ねていく。

予告編では「クライマックスから、もう一つの物語が始まる」と字幕が出ました。その通り、2人の過去に関わる別の話が始まります。このパートが長すぎて、しかも感傷過多で僕はうんざりしました。

字幕ではウードの病気はガンとしか出ませんが、公式サイトによると、白血病となってます。途中で吐血するシーンがあるので胃ガンなど内臓系のガンかと思ったんですけどね。ウードは化学療法を拒否している設定なのに、なぜか毛髪が全部抜けてるというのも疑問でした。そういう細部も含めて脚本に難があり、語り方もうまくありません。

製作はウォン・カーウァイ。元カノの一人を「バッド・ジーニアス」のチュティモン・ジョンジャルーンスックジンが演じてます。IMDb7.3、ロッテントマト67%。

「ビリーバーズ」

山本直樹の原作コミックを城定秀夫監督が映画化。宗教的な団体「ニコニコ人生センター」に所属する2人の男と1人の女が団体のプロジェクトで無人島での共同生活を送っていたが、女をめぐる性的感情や外界からの侵入者らによって乱され、徐々に本能と欲望をあらわにしていく、という物語。主人公のオペレーターに磯村勇斗、議長を宇野祥平、副議長を北村優衣が演じています。

映画を見た後に原作のKindle版を読んだら、驚くほど忠実でした。原作にはこの団体の成り立ちも説明してありますが、なくても支障はありません。低予算の映画かなと思っていたので、クライマックス、多数の信者が登場するモブシーンは意外でした。ここで団体の先生を演じているのは原作者の山本直樹です。

原作は1999年に連載され、上下2巻にまとまっています。宗教的団体として山本直樹がイメージしたのはオウム真理教のほか、連合赤軍とガイアナで信者900人以上が集団自殺した人民寺院だったそうです。

北村優衣は意図しないサークルクラッシャー的役回りになります。DVの夫から逃げて団体に入った設定なので、撮影時21歳の北村優衣は若すぎる感もありますが、男2人の心を乱す存在として十分に魅力的でした。城定監督得意のエロス表現も演じきっています。

原作には続編「安住の地」があるそうですが、絶版で古書しか手に入りません。これも電子書籍化してほしいところです。