2005/08/05(金)「亡国のイージス」

 「亡国のイージス」パンフレット映画の登場人物たちがこだわる亡国に関する部分がよく伝わってこない。今の日本の現状にどう不満があるのかの説明が不足しており、分かったような分からないような気分になるのだ。残るのは「ダイ・ハード」的シチュエーションのアクションということになるが、これは阪本順治にとって得意な分野ではない。例えば、中盤のイージス艦から発射されたミサイルで護衛艦が沈むシーンなどもう少し緊迫感が欲しいと思えてきてしまう。中井貴一の「よく見ろ、日本人。これが戦争だ」というセリフほどアクションが戦争には見えないのである。「ダイ・ハード」的シチュエーションにしては、アクションに入るまでの前ふりが長すぎると思う。

 加えて、登場人物の背景を思い切り簡略化した結果、ヨンファ(中井貴一)と工作員の女ジョンヒ(チェ・ミンソ)の関係(原作では兄妹)がよく分からなくなっている。殺人マシーンであるジョンヒは原作では強烈な印象を放つが、チェ・ミンソはそれほど強そうにも見えない。一番弱いと思うのはテロリストたちの正体で、原作では北朝鮮とはっきり書いてあるのに映画ではこれがあいまい。具体的に国名を出せないさまざまな事情は分かるけれど、それなら架空の国にでもしてしまえば良かった。ヨンファの国がどういう状態か、どういう扱いを受けたかが示されないので、テロリストたちの真の目的もあいまいになり、ヨンファに同調するイージス艦副長の宮津(寺尾聰)にも説得力がなくなっている。ヨンファが自分の国をどうしようとしているのかをもっと描くべきで、それとヨンファの過去を組み合わせなければ、テロリストたちの動機が見えてくるはずはない。テロリストに対抗する仙石(真田広之)と如月行(勝地涼)にしてもキャラクターの描き込みが足りず、この映画、キャラクターの掘り下げ方が足りなかったのが一番の敗因なのではないかと思う。長い原作のまとめ方としては「ローレライ」の方がうまかった。

 ヨンファとジョンヒの兄妹は収容所に勤務する両親を暴動で殺され、軍の高官に引き取られた。工作員として育てられたが、過酷な任務でジョンヒは声を失う。敵国の捕虜になり、拷問によって廃人になる寸前のところをヨンファに救出される。やがてヨンファは育ての親の高官を殺し、政府の打倒と国の立て直しを意図するのだ。凄腕の特殊工作員であることと、父親殺しという点で如月行とヨンファには共通点があり、だからこの兄妹は如月を仲間に引き入れようともする。映画ではこうした部分が一切なく、水中の戦いで如月とジョンヒが唐突にキスをする意味がまったく分からない。宮津は国家に息子を殺される。国家への復讐という点でヨンファと共通点があるのである。そうした暗い情念を持った登場人物たちが映画ではまったく薄っぺらになっている。もちろん、原作をそのまま映画にできるわけはないから、省略や変更があるのは当然のこと。しかし、それにしても中途半端な描写が多すぎるように思う。阪本順治は本来なら、こうした人物を描き分けるのが得意のはずだが、脚本にする段階で失敗しているのではどうしようもない。

 原作を読んだ時に気になったのは福井晴敏の国防に対するスタンス。敵と対峙しても先に発砲することを許されない自衛隊の在り方への批判と受け取られかねない部分があるのだ。原作は冒険小説的側面を強調しているので、後半、この部分は薄くなるけれど、こういう考えは改憲派に利用されるなと感じた。映画に自衛隊が全面協力したのも原作にこういう部分があったからだと思う。協力をもらったからといって、自衛隊PR映画にする必要はさらさらなく、巧妙に反自衛隊映画にすることもできるのだが、阪本順治にはそういう意図はなかったようだ。この種の映画には政治意識が必要で、硬派の話が書ける人でないと、脚本化は難しい。そういう人材、今の日本映画にはあまり見あたらないのが悲しいところだ。

 言わずもがなのことを書いておけば、原作の主人公ははっきりと如月行である。如月行を演じられる俳優もまた見あたらないので主人公を仙石にしたのは仕方がない。原作の仙石は真田広之ほど格好良くはなく、普通のおっさんの感じだが、真田広之はそうした部分も少し取り入れつつ、アクション映画の主演をこなしていて悪くないと思う。