2022/01/23(日)「香川1区」ほか(1月第4週のレビュー)

「香川1区」は大島新監督が「なぜ君は総理大臣になれないのか」の続編として撮ったドキュメンタリー。2021年10月の衆議院議員選挙を舞台に、香川1区で当選した小川淳也の選挙戦を描いて、かなり面白い作品に仕上がっています。

これを見ると、なぜ小川が悲願の選挙区での勝利を果たせたのかよく分かります。

図式としては農民出身の足軽が地方の名家の旗本に勝つという物語。普通なら地方の有力者の支援を束ねた旗本に足軽が勝てる可能性はほぼゼロでしょうが、旗本には人格が疑われるような噂(ニュース)が事前に流れたばかりか、陣営は普段から強権的なこともやっていて、力を恐れながらも密かに反発する庶民もいたことが分かってきます。おまけに戦いの現場にはヤクザみたいな横柄な態度の男もいるという始末。もう悪役に格好の材料がそろいすぎてます。

アメリカ映画で言えば、純朴で真っ正直な青年が汚い政治家に挑むというフランク・キャプラ映画のような構図の選挙で、小川の娘が勝利後のあいさつで言うように正直者がバカをみるような社会であってはいけない、という思いを持つ有権者は少なくないのでしょう。

小川と何年も選挙を戦ってきた平井卓也は「なぜ君は…」を見ていないそうですが、「香川1区」は見るべきです。ここには平井陣営の敗因が網羅されているからです。

スーパーで半額シールが貼られた惣菜をさがして買っているような会社経営の関係者と思われる女性に10人分のパーティー券(20万円)の購入を毎年要請し、しかもパーティーへの出席は3人までと明記した文書を配るなどあきれてものが言えません(陣営は否定)。こうした横暴なやり方と横柄な人間をすべて排除し、小川のような清廉な戦い方をすれば、元々強大な力を持っている平井が負ける要素はないでしょう。

政策や実績をどれだけ訴えても、有権者の心には響かないということが改めて分かる映画であり、地方の選挙戦の実情をえぐった優れた作品だと思いました。

これは香川1区にとどまる話ではなく、全国のあらゆる選挙区の候補者とスタッフ必見の映画と言って良いでしょう。

ついでに書いておけば、前作同様に一直線の息子の行動を心配しながら支援する両親と、夫を信じて支える妻と父親を深く理解して選挙を手伝う娘たちの一致団結した姿は理想的な家族の在り方と言って良く、それがこの映画と小川への支持が集まる一因になっていると思います。

「コーダ あいのうた」

フランス映画「エール!」(2014年)のリメイク。笑って泣いてしみじみと良かったです。リバー・フェニックス主演の「旅立ちの時」(1988年、シドニー・ルメット監督)やベン・アフレック&マット・デイモン&ロビン・ウィリアムズの「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」(1998年、ガス・ヴァン・サント監督)を思わせる少女の旅立ちの話でした。

耳が聞こえない両親(トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン)と兄(ダニエル・デュラント)とともに暮らすルビー(エミリア・ジョーンズ)は家族でただひとりの健聴者。家族の通訳となり、漁業を営む父と兄を毎日手伝っていた。ひそかに憧れているマイルズ(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)と一緒の合唱部に入ったルビーは顧問の先生(エウヘニオ・デルベス)から歌の才能を見いだされ、ボストンの音楽大学への進学を勧められる。しかし、家を離れては漁業の操業が難しくなる。ルビーは進学をあきらめるが…。

元になった「エール!」もamazonプライムビデオで見ました。これも悪くありませんが、出来は「コーダ あいのうた」の方が上です。一家の仕事は「エール!」の酪農に対して「コーダ」は漁業。健聴者である主人公が乗り組まないと違法操業になるという設定で、一家の経済状況は 主人公に頼る部分が大きくなっています。このため家族から離れられない(と主人公が思い込む)状況は「エール!」より強くなっています。ジョニ・ミッチェルの歌の効果も大きいと思えました。

英国生まれのエミリア・ジョーンズは歌のレッスンもアメリカ式手話も初めてだったそうですが、それが信じられないぐらいにどちらもうまいです。
「コーダ」とはろう者の親を持つ健聴者という意味とのこと。

クライマックスでジョーンズが歌う「青春の光と影」(Both Sides, Now)はろう者と健聴者の両サイドという意味を含めているのでしょう。


「ハウス・オブ・グッチ」

グッチ創業者一族の争いを描くリドリー・スコット監督作品。レディ・ガガ、アダム・ドライバー、アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジャレッド・レトと役者はそろってるのにイマイチ盛り上がっていきません。感情移入できるキャラがいないのも一因ですが、演出が「最後の決闘裁判」より随分落ちる感じ。

日本では評価良いようですが、アメリカではIMDb6.9、メタスコア59点、ロッテントマト63%とやっぱりイマイチの評価です。

「GUNDA グンダ」

農場のブタの親子やニワトリ、牛をモノクロで撮影したドキュメンタリー。なぜそういう題材が映画になるのか、なぜこんなに評価が高いのかと見る前は思っていましたし、途中まで少し疑問も感じていましたが、最後でやられます。長回しで母ブタ・グンダの行動を追ったシーンが凄すぎました。

カメラはブタを撮影する時はブタの視点の高さにあり、地を這うようなカメラワーク。これが効いてます。ブタに悲しみの感情があるのかどうか分かりませんが、グンダの取る行動はつらくて苦しいさまざまな悲劇を連想させ、思いが広がっていくシーン。特に子供を持つ母親にはたまらないでしょう。

平穏な日常が唐突に終わる見事な物語になっていて、これならナレーションも音楽も不要だと思いました。ヴィクトル・コサコフスキー監督の他の映画も見てみたいものです。

「マリグナント 狂暴な悪夢」

昨年11月公開の映画ですが、早くも配信レンタルが始まったのでU-NEXTで見ました。ネタが分かるまではなかなかのサスペンス&ホラーです。これによく似たアイデアはクローネンバーグのあれとか、デ・パルマのあれとか思い出しますが、一番近いのは手塚治虫のあれかもしれません(キネ旬レビューを見たら、デ・パルマと手塚治虫に言及してる人がいました。やっぱりね)。ジェームズ・ワン監督自身はデ・パルマの名前を出しているそうです。

ワンの演出にはわざとB級にしてるんじゃないかと思えるところがあり、クライマックスに出てくる造型がいかにもチープだったりします。アメリカではIMDb6.3、メタスコア51点、ロッテントマト76%とB級映画らしい評価になってます。

タイトルのMalignantは「悪性の」という意味。

2022/01/16(日)ネトフリ版「新聞記者」ほか(1月第3週のレビュー)

13日から配信が始まったNetflixのドラマ「新聞記者」(全6話)は森友学園問題に絡む公文書改ざんをモデルにしたフィクション。映画版と同じく藤井道人監督、河村光庸プロデューサーがドラマ化を手がけ、映画以上の傑作に仕上げてきました。

不正を正していくには事実を掘り起こし、「声なき声を届ける」優れた記者も必要ですが、それ以上に組織の中で自分の良心や正義感を捨てない存在が不可欠だ、ということをこのドラマは強く訴えかけてきます。これは映画版にもあったテーマで、組織の圧力に押しつぶされそうになっているけれども、ぎりぎり良心を失わない人たちこそが現状を変える原動力になるということです。

僕らはこのドラマで描かれた後のことを既に知っており、政権中枢にいた巨悪が逃げ延びるところを見ているわけですが、ドラマは良心を失わない存在が新聞社にも官僚にも検察庁にも一般社会の至る所にもいるというのが希望になっていて熱い感動を生んでいます。

米倉涼子は熱演型の記者を想定して撮影に入ったそうですが、藤井監督との話し合いで「想いをこらえたなかで辛抱を積み重ねられる、未来に向かって継続できる女性」に変わったとのこと(米倉涼子×綾野剛インタビュー Netflixドラマ「新聞記者」で魅せた “事実と虚構の共演”)。この抑えた演技と役作りがリアルで実に良く、「ドクターX」などとは違った米倉涼子のベストワークと言って良い演技になっています。

このほか、自殺する官僚役の吉岡秀隆、その妻の寺島しのぶ、上司の田口トモロヲ、政治に興味のなかった大学生役の横浜流星、検察官・大倉孝二、首相秘書官から内閣情報調査室に異動させられる綾野剛らが、いずれも素晴らしい演技を見せています。NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」のきぬちゃんこと小野花梨も横浜流星とともに若者代表的な役柄をしっかりと演じています。

岩代太郎の音楽がまた一級品で、もうこのドラマ、褒め始めたら切りがありません。
Netflixの中では韓国ドラマに負けっぱなしの日本のドラマが一矢を報いた良質の作品であり、世界に十分通用する作品と胸を張って良いと思います。


「コンフィデンスマンJP 英雄編」

「ロマンス編」、「プリンセス編」に続く劇場版3作目。はっちゃけた長澤まさみはいつものように良いんですが、中盤にダレ場があり、大きなマイナスになってます。古沢良太の脚本のせいというよりも田中亮監督の演出に工夫とキレがないためでしょう。

「クライ・マッチョ」

今年5月で92歳となるクリント・イーストウッド監督・主演で、元雇い主からメキシコの別れた妻のもとにいる息子を取り戻して欲しいとの依頼を受けた主人公のロードムービー。さすがにイーストウッドの姿勢は前屈みになり、動作もゆっくりになって高齢を感じさせますが、映画としてはまずまずの作品になっています。IMDbを見ると、イーストウッドの次回作の予定はなく、特に主演映画としてはこれが最後になるかもしれません。ファンなら見ておきたい作品でしょう。

「決戦は日曜日」

衆院議員選挙を舞台にしたコメディ。75歳の衆議院議員・川島昌平が倒れ、次の選挙の出馬候補として白羽の矢が立ったのは川島の娘・有美(宮沢りえ)。私設秘書の谷村勉(窪田正孝)ら事務所のスタッフは自由奔放で世間知らずの有美に振り回される、というストーリー。

最初の30分ぐらいはまあまあ好意的に見ていましたが、選挙戦にまるでリアリティーがありません。衆院議員候補の、しかも保守系の総決起集会が公民館みたいな会場で20~30人というのは町村議会議員選挙か、と思ってしまいますね。この規模では当選はまず無理。1000人ぐらいは集めないと話になりませんし、出陣式も同じぐらいのエキストラが必要です。予算がどうこうの話ではなく、これは映画のリアリティーに必要なもので、それができないのなら、最初から省略して描かない方が良いです。

キネ旬1月上・下旬合併号によると、坂下雄一郎監督は議員秘書などに話を聞いて脚本を書いたそうですが、選挙の現場は見ていないのでしょう。見ていたら、こんな描写になるはずがありません。唖然としたのは宮沢りえと窪田正孝がビルの屋上から落下しても無傷な場面。下にマットはありましたが、あの小さなマットで無傷はあり得ないです。話自体も新鮮さがまるでなく、僕が見た時は観客3人でしたが、そのうち1人は途中で出ていきました。

「リスタート」

品川ヒロシ監督、HONEBONE(ホネボーン)のEmily主演。12日にDVDが発売され、配信レンタルもできるようになったのでU-NEXTで見ました。

シンガーソングライターを夢見て上京した主人公未央(Emily)は10年後、地下アイドルになっていた。ある日、有名アーティストとの逢瀬がスキャンダルとなり、偏執的なファンから暴行を受ける。心身ともに傷を負った未央は迎えに来た妹(朝倉ゆり)と故郷の北海道下川町に帰る。継父(中野英雄)と母(黒沢あすか)、同級生たちは温かく迎えてくれたが、週刊誌のカメラマンが未央の現在を密かに取材していた。

「どん底に落ちたら、そこから這い上がるしかない」という分かりやすいテーマが良いです。初の映画で主演を務めたEmilyはさすがに演技の幅が狭いですが、ビジュアル的には申し分なく、もっと映画に出ても良いと思いました。品川ヒロシ監督はこれで長編5作目。良いところも緩いところもあるものの、撮影期間はわずか7日だったそうで、仕方がない面もあります。品川監督の描写には力があり、出演者の好演と相俟って感動的なクライマックスに成功しています。

ホネボーンの2人がゲスト出演した昨年7月4日のニッポン放送「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」によると、品川ヒロシはテレビ「家、ついて行ってイイですか?」にEmilyが出ているのを見て「主演やってみない」と連絡したそうです。撮影は2019年。Emilyは撮影時28歳。川のシーンで溺れそうになった、などなど爆笑のエピソードを語っていました。


2022/01/09(日)「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」ほか(1月第2週のレビュー)

「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は大ヒットしている上にメディアと観客からの絶賛評も獲得しています。IMDb8.8、ロッテントマト94%。ただ、メタスコアは高くはなく71点。僕もこの評価に近いです。

話は前作「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(2019年)のラストから始まります。すなわち、スパイダーマンから倒されたミステリオ(ジェイク・ギレンホール)がスパイダーマンの正体をピーター・パーカー(トム・ホランド)であると暴露してしまった場面。このためピーターの周囲はガールフレンドのMJ(ゼンデイヤ)、親友のネッド(ジェイコブ・バタロン)、叔母さんのメイ(マリサ・トメイ)まで騒動に巻き込まれる。おまけに入学を目指していたMITからはMJ、ネッドともども騒動を理由に入学を断られてしまう。困ったピーターはドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)を訪ね、自分がスパイダーマンと知られていない世界に戻して欲しいと頼む。ストレンジの呪文の途中で何度もピーターが要望を変えたため、マルチバース(多元宇宙)の時空の扉が開かれ、別のスパイダーマン世界のヴィランたちが出現する。

出てくるのはトビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドがスパイダーマンを演じた計5本の映画のヴィランたちで、ドクター・オクトパス(アルフレッド・モリーナ)、グリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー)、エレクトロ(ジェイミー・フォックス)、サンドマン(トーマス・ヘイデン・チャーチ)、リザード(リス・エバンス)。

冒頭、スパイダーマンとMJがマスコミと民衆から逃れてニューヨークのビル街をスイングするシーンは快調ですが、多元宇宙の話はアニメの傑作「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018年)で既に描いていますし、新しいアイデアも目新しさも新たな敵も出てこないのが個人的には少し残念。マルチバースのヴィランを元の世界に戻すためにピーターが下す決断は自己犠牲を伴うもので、ラストのピーターとMJ、ネッドの関係は切なさと希望が混じった複雑な感情を引き起こすものになっていますが、これも「天国から来たチャンピオン」や大林宣彦版「時をかける少女」と同じ味わいのものでした。

3作連続登板のジョン・ワッツ監督の演出は決して手際が良いものではなく、2時間29分の内容には間延びしたと思える部分もあります。しかし、「スパイダー“ボーイ”がスパイダー“マン”になる話だ」というワッツの言葉は明快かつ端的にこの映画を表していて、だからこそ、ほろ苦いラストになるのでしょう。

ともに25歳のトム・ホランド、ゼンデイヤ、ジェイコブ・バタロンは若くて思慮が足りないところもあるけれど、明るくてひたすら善良というキャラを確立し、映画の好感度を高めています。観客の評価が高いのはこの3人の青春映画としての側面の好ましさも影響していると思います。

ちなみにスパイダーマンは2002年のトビー・マグワイア版からソニーが映画化権を持っていて、2008年にマーベルが「アイアンマン」でMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)をスタートさせた後も、MCUの映画にスパイダーマンが出るのは難しい情勢でした。その後、ソニーとマーベルの間で話がまとまり、2016年の「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」で初めてスパイダーマンはMCU映画に登場しました。ですから今回の映画ではトビー・マグワイア版スパイダーマンの登場人物のひとりが「アベンジャーズってなんだ?」と聞く場面があります。

エンドクレジットの後にあるドクター・ストレンジのシーンは「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」(5月4日公開)の予告編のような作りでした。というか、そのまま予告編ですね。この中でスカーレット・ウィッチことワンダ・マキシモフ(エリザベス・オルセン)が「私が間違っていた。大勢を傷つけた」と話すのはディズニープラスの傑作ドラマ「ワンダヴィジョン」での出来事を指しています。



トム・ホランド版「スパイダーマン」はMCUに含まれていても、マーベル製作ではないので、ディズニープラスでは配信されません。配信だけでMCU作品をすべて見るにはディズニープラスとNetflixなど他の配信メディアの複数契約が必要になりますね。

「水俣曼荼羅」

宮崎キネマ館での公開は東京のシアター・イメージフォーラム、千葉県のキネマ旬報シアターに次いで全国3番目。こんなに公開館数が少ないなら、東京での公開から1カ月半たってもYahoo!映画の評価がたったの8件なのも納得ではありますね。僕が見た時は観客5人でした。

昨年公開の「MINAMATA ミナマタ」のラストで「水俣病はまだ終わっていない」という字幕が出ましたが、原一男監督は撮影15年、編集5年を費やして「水俣病がどう終わっていないか」を徹底的に描いています。第1部「病像論を糾す」で末梢神経の麻痺と思われてきた水俣病が脳の損傷であることを詳細に描き、第2部「時の堆積」で患者の過去と現在を描き、第3部「悶え神」で和解する原告が多い中、裁判を継続している人たちを描いていきます。

この第3部が圧倒的で、勝訴後の熊本県への申し入れの場面は「ゆきゆきて、神軍」を思わせる怒号と熱気が漂い、一触即発のピリピリした緊張感。裁判で勝っても行政の判断は何も変わらない現実が多くの患者を和解へと向かわせた要因でもあるでしょう。

6時間12分を見る価値は大いにありますが、観客のことを考えれば、1部から3部まで上映を別々にしてもらった方が見やすくはなると思いました。

パンフレットの発売はないようですが、製作ノートは販売していて、これはamazonなどでも購入できます。内容のほとんどはシナリオ採録で、監督インタビューと佐藤忠男さんの評論も収録されています。


「消えない罪」

Netflixオリジナル映画で原題は「The Unforgivable」。警官殺しで20年間服役して出所しても世間の仕打ちは冷たい、という内容。西川美和監督「すばらしき世界」のような作品かと思ったら、エンタメ方向に振っていて終盤に意外な事実が判明します。

そこまでの主人公の行動に理解しがたいものもあるんですが、こういうことなら仕方がないかと思ったり。ただ、警官殺しと分かった途端に職場の同僚から暴力振るわれるとか、納得しがたい場面もあります。

何よりサンドラ・ブロック(実年齢57歳)演じる主人公の妹が25歳というのはあんまりで、これは元になった2009年のテレビミニシリーズ「The Unforgiven」(全3回)の設定をそのまま使ったためと思いますが、娘に変更した方がリアリティーはあったでしょう。
IMDb7.2、メタスコア41点、ロッテントマト37%(ユーザーは76%)。

「ボストン市庁舎」

上映時間4時間32分。フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画。
地方自治は「民主主義の学校」と言われますが、それを詳細に記録したこの映画は「民主主義の教科書」と言えるでしょう。僕は序盤が(昼食直後ということもあって)眠かったです。観客は3人でそのうちの1人は前半の途中で退出し、帰ってきませんでした。

ボストンは移民が48パーセントを占めるそうで、人種的に多様性のある都市のためさまざまな問題を抱えています。市長のマーティン・ウォルシュ自身、アイルランド移民の2世で民主党。「私たちの仕事は市民を守ることだ」という姿勢が明確で、白人至上主義のトランプとは対極にあります(撮影はトランプが大統領だった2019年)。

映画は市長の主義・主張を所々に織り込みながら、ボストン市役所の会議や会合、イベント、市の仕事までさまざまな断面を見せていきます。そうした諸々を見た後に、アメリカ国歌を歌う警官2人と市長の感動的な演説を聴くと、4時間半の長さは必要だったと思えました。もっとも市長の演説はここだけ切り取っても感動的ではあります。

ナレーションなし、説明なしということもあって途中で退屈な場面があったのも事実です。
フレデリック・ワイズマン監督の過去の映画はブルーレイでも配信でも見られますので、この映画もそうなるでしょうが、自宅で4時間半はちょっときついので、時間があるなら劇場で見た方が良いと思います。

2021/12/26(日)「パワー・オブ・ザ・ドッグ」ほか(12月第4週のレビュー)

ジェーン・カンピオン監督の「パワー・オブ・ザ・ドッグ」はヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を受賞しました。主演はベネディクト・カンバーバッチ。11月19日に一部劇場で公開され、今月1日からNetflixが配信しています。

1920年代のモンタナ州を舞台にした重厚な人間ドラマで、集中して見た方が良いことと、雄大な風景がたびたび挿入されるので映画館で見たい作品です。この風景、アメリカではなく、撮影はニュージーランドで行われたとのこと。

原作はトーマス・サヴェージ(1915~2003年)の同名小説。1967年に出版され、西部小説の名作との評価が定まっているそうです(邦訳は今年)。amazonに「『エデンの東』や『ブロークバック・マウンテン』を彷彿とさせる豊かで挑戦的な心理劇」とのガーディアン紙の書評が引用されていますが、カウボーイ兄弟の話であり、兄がどうやらゲイらしいことから僕もこの2作を思い浮かべながら映画を見てました。というか、この書評、いったいいつ書かれたんでしょう? 後出しの「ブロークバック…」の方がこの原作に影響されているんじゃないですかね。

メタスコア88点、ロッテントマト95%と批評家は絶賛で、ゴールデン・グローブ賞ではドラマ部門作品賞、監督賞、主演男優賞(カンバーバッチ)、助演女優賞(キルステン・ダンスト)など7部門の候補になり、作品賞、監督賞、助演男優賞(コディ・スミット=マクフィー)の3部門で受賞しました。

ただ、終盤の展開に驚きはあるものの、序中盤が地味なためか、Netflix視聴が大半と思われる一般観客の評価はIMDb7.0、ロッテントマト61%と高くはありません。

タイトルは「わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から救い出してください」という旧約聖書の詩編の一編に由来するそうです。原作のエピグラフにこの言葉が書かれていますが、映画の中でも登場人物の1人がこれを参照する場面がありました。

「ラストナイト・イン・ソーホー」のトーマシン・マッケンジーがちょい役で出てきます。


「劇場版 呪術廻戦 0」

原作は本編の連載が始まる前のパイロット版的な話なので原作読んでいなくてもテレビアニメを見ていなくても支障はありません。1巻だけで完結しているので細部を膨らませる余地があり、映画化するにはちょうど良い長さと言えるでしょう。

幼い頃に結婚を約束するも事故死した祈本里香の呪霊に取り憑かれている乙骨憂太。里香は特級過呪怨霊で強大な力を持つため、特級呪詛師・夏油傑がその力を手に入れようと、東京と京都で大量の呪いを放つ百鬼夜行を強行。五条悟ら東京都立呪術高等専門学校の面々がそれに対抗するという物語です。

制作のMAPPAのアニメ技術は水準が高く、クライマックスの戦闘シーンなど原作より拡大増強していますが、できればドラマの方も強化した方が良かったでしょう。

乙骨憂太の声を演じているのは緒方恵美なので「死んじゃダメだ、死んじゃダメだ」というセリフは碇シンジの「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」を想起させました(^^ゞ

興収100億円突破は確実という大ヒットスタートのようですが、作品の力としては「鬼滅の刃 無限列車編」のようにあらゆる世代にアピールする社会現象的な広がりまでは期待できないと思えました。

「偶然と想像」

3つの話のうち、第1話「魔法(よりもっと不確か)」が特に面白かったです。タクシーの中での玄理の語りがいきなりエロいです。古川琴音との会話で、「あ、これはもしかして」と思ったら、予想通りの展開になりましたが、そこから先がまた面白かった。第2話「扉は開いたままで」がさらにエロくて、主婦で大学生役・森郁月が良かったです。

気になったのはセリフの棒読みで、特に2話と3話「もう一度」で棒読みが目立ちました。濱口竜介監督は撮影前に徹底的に本読みをさせて、この段階では感情を込めない棒読みをさせるそうです。本番では感情を入れた演技になるはずが、ちっともそうなっていないですね。それでも2話は朗読場面が長いので棒読みは内容に合っているとも言えます。棒読みによって話の面白さのみが前面に出ることになり、それは観客側も小説を読んでいる感覚に近いかなと思いました。

この脚本、3話とも場面転換が少ないですから、舞台でも十分に通用するでしょう。
ベルリン映画祭銀熊賞のほか、IMDb7.6、メタスコア87点、ロッテントマト98%と海外でも高評価ですが、海外では恐らくセリフが棒読みであることは分かりにくいんじゃないでしょうか。

ちなみに英語タイトルは「Wheel of Fortune and Fantasy」(運命の輪と空想)となってます。

「彼女が好きなものは」

2年前にNHKで放送した「腐女子、うっかりゲイに告る。」(金子大地、藤野涼子主演)と同じ原作。BL好きの女子高生・三浦紗枝(山田杏奈)が書店でBL本を買っているところをクラスメートの安藤純(神尾楓珠)に見られ、いつしか恋愛感情を持つようになります。純はゲイの恋人がいながら、ゲイであることを母親にもクラスメートにも隠していますが、ふとしたことで学校中に知られてしまう、という展開。

浅原ナオトの原作タイトル「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」が、やがて「彼女が好きなものは僕であってホモではない」に変わっていくわけですが、これが普通の恋愛映画のように成就してしまってはゲイであることが否定されてしまう。それではどうするか、という難しい着地を映画はちゃんと成功させています。

主演の2人をはじめ、純のいつも明るい親友役・前田旺志郎やクラスメートの三浦りょう太ら脇を固める俳優たちも良く、ゲイをテーマにした作品であること以上に青春映画として大変好感の持てる作品になっています。

山田杏奈はこれで今年5本目の映画出演。そのうち3本は主役級、1本は準主役級という活躍ぶりで、特に「ひらいて」とこの映画で個人的には今年の新人賞の筆頭候補です。子役出身なので既に10年のキャリアがあるんですけどね。

「梅切らぬバカ」

自閉症の50歳の息子・忠さん(塚地武雅)と母親(加賀まりこ)の物語。上映時間77分の短い作品で、隣に引っ越してきた家族と良好な関係に至るものの、地域の人々の偏見は残されたままで、根本的な問題は何も解決しません。

そういう食い足りない部分はありますが、僕が見た劇場では年配の女性を中心に観客が多かったです。興行収入のベストテンに入るようなヒットではないのでしょうが、年配客の支持を集める内容なのだろうと思いました。

監督の和島香太郎は1983年生まれ。公式サイトによると、自閉症の一人暮らしの男性のドキュメンタリーに関わった経験があり、近隣住民とのトラブルなどドキュメンタリーでは撮影できないことをフィクションで描くために映画を撮ったのだそうです。

2021/12/19(日)「マトリックス レザレクションズ」ほか(12月第3週のレビュー)

18年ぶりの第4作となった「マトリックス レザレクションズ」は残念ながら、よくある“作らなくても良かった続編”になっています。第3作「レボリューションズ」で死んだネオ(キアヌ・リーブス)とトリニティー(キャリー=アン・モス)を復活させてまで作る必要があったとは思えませんでした。

出来は全然ダメかというと、そんなことはなく、退屈なところも面白いところもあります。映画史に残る大傑作だった1作目と比較するから悪いのであって、普通のSF映画と思えば、そんなに腹は立たないです。

残念なのは第1作にあった目を見張るようなスタイリッシュなアクションや映像が今回もないこと。2作目にも3作目にもこうしたひたすらカッコイイ映像はなかったんですが、ああいう映像の復活を期待するのはやはり無理なのでしょう。キアヌ・リーブスとキャリー=アン・モスが18年の年齢を重ねているのも映像的にはマイナスで、若くて美しかった2人がいたからこそ第1作は成立していた部分もあったのだなあと思わざるを得ません。

監督のラナ・ウォシャウスキーは第4作を作った理由について、両親が相次いで亡くなったことを挙げ、「ある夜、目が覚めて、ひとつの物語を思いつきました。それが、ネオとトリニティーが生き返る物語だった。人生で最も大切なふたりを失ったとき、自分の脳が、同じく人生で最も大切なふたりを蘇らせたんです」と語っています。

「アンテベラム」

パンフレットに「『ゲット・アウト』、『アス』のプロデューサーが新たな衝撃を呼び起こすパラドックス・スリラー」とあります。予告編がネタバレしているという指摘がありますが、ネタバレではないにせよ、語りの順番を入れ替えているので見ない方が良いでしょう。
というか、何も知らないで見た方が良い映画で、その意味でM・ナイト・シャマランの映画を思わせます。内容的にもシャマランの某作品の作りを参考にしていると思えました。
タイトルは「戦前」を表すラテン語で、アメリカ史の文脈では「南北戦争前」を意味するそうです。
アメリカではIMDb5.7、メタスコア43点、ロッテントマト30%とさっぱり評価がありません。

「MONOS 猿と呼ばれし者たち」

サンダンス映画祭など世界の映画祭で多数受賞しているコロンビア映画。南米の高地で8人の少年少女が訓練をしている場面で映画は始まり、徐々に状況が分かってきます。
彼らはゲリラ組織のメンバーで、MONOS(猿の複数形)のコードネームで呼ばれ、人質の女性博士の世話を任されていましたが、敵の攻撃を受け、ジャングルへと場所を移すことになります。そして、ふとしたことで仲間割れが始まる、というストーリー。
監督のアレハンドロ・ランデスは「蠅の王」(ウィリアム・ゴールディング)と「地獄の黙示録」の元になった「闇の奥」(ジョゼフ・コンラッド)の影響を明言していて、確かにそんな感じの映画になっています。意味不明の序盤の方が面白く、話が分かってしまうと、魅力を減じてしまうのが難ですね。

「返校 言葉が消えた日」

白色テロ時代の1960年代の台湾の高校を舞台にしたダーク・ミステリーで、金馬奨12部門にノミネートされ、最優秀新人監督賞、最優秀脚色賞、最優秀視覚効果賞を含む5部門を受賞したそうです。夜の学校で魔物に追いかけられるホラー描写などがあるからダーク・ミステリーなんでしょうが、こうしたホラー要素、まったく余計にしか感じませんでした。
元がゲームなので仕方ないのかもしれませんが、当局から政治的弾圧を受ける教師と生徒たちの描写に絞った方が良かったでしょう。幽霊や化け物よりも白色テロの方がよほど怖いです。
「返校」は「学期が始まる直前に一度学校に帰る日」という意味とのこと。サブタイトルを付けた日本の担当者は語彙不足としか思えず、センスも皆無ですね。