メッセージ

2002年10月29日の記事

2002/10/29(火)「なごり雪」

 「または、五十歳の悲歌(エレジー)」とサブタイトルが付く。28年前、22歳で名曲「なごり雪」を作った伊勢正三も50歳。三浦友和もベンガルも50歳だそうだ。確かにこの映画はそうした中年男たちの悔恨と苦渋に満ちた回想を描く映画でもあるのだが、こちらが感動するのは回想の中で語られる青春のほろ苦さと残酷さ、純粋でひたむきな少女の姿にある。主人公の祐作(細山田隆人。現在は三浦友和)を愛した雪子(須藤温子)は東京に帰る祐作を臼杵駅で見送る場面でこう言う。

 「…わたし今は駄目だけど、来年の春までには、きっと綺麗になる。うんと綺麗になって、あなたを驚かせてあげるわ。…だから帰ってきて。…」

 「…今度この駅のホームであなたと会う時、あなたは言うわ。きっと、こう言うわ。…春が来て君は綺麗になったって。…去年より、ずっと綺麗になったってね」

 主人公は東京の大学に入って、2年目の夏休みに女友達のとし子(宝生舞)を連れて故郷の臼杵に帰ってくる。冬休みと春休みに帰らなかったのは大学生活が忙しかったからだと雪子に説明するのだが、ふとしたことで実はとし子とスキー合宿に行っていたことが雪子に分かってしまう。だからこのセリフの前に雪子はこう言っている。

 「冬休みの事は、わたし諦めます。又志賀高原のスキー合宿でしょう。大学生活の為には、それも大切ですもの。でもお願い、春には帰ってきて。今度の三月でわたしは十七歳。わたしあなたに約束するわ。…」

 雪子はとし子から祐作を取り戻したい一心でこのセリフを言うのである。ここで不覚にもボロボロと泣いてしまった。大学1年の夏休みに祐作が帰ってきた時は夢に見るような幸福な日々だった。それがたった1年で変わってしまった。そんな思いが故郷で祐作の帰りを待ちわびる雪子にはあったのに違いない。

 大林宣彦はこの映画でロマンティシズムの復権を図ったのだと思う。撮影に入って、2日目で米同時テロがあり、大林宣彦はこう決意したという。

 「だからこそ僕は『なごり雪』では穏やかでチャーミングな映像を撮ろうと思いました。『なごり雪』の映像を見れば、あんな破壊の映像なんか観たくないと、みんなに思わせるものにしようと」(キネマ旬報10月上旬号)。

 それはつまり、大林にとって初心に返るということでもあるのだろう。この映画の須藤温子は尾道3部作の第2作「時をかける少女」の原田知世のように素敵だ。クレジットがせり上がってくる場面で描かれる4人の男女が臼杵駅に並んでいる場面で、須藤温子がカメラに向かって来る場面は「時をかける少女」の原田知世のように演出されている。

 俳優たちのセリフ回しが実にいい。まるで増村保造の映画を見るよう(大林宣彦はセリフをぜんぶ朗読するように演出したそうだ)。これは言葉に重きを置いた映画なのである。その効果で増村映画の主人公にあった切実さをこの映画の登場人物たちも受け継ぐことになった。時代背景が70年代であれば、それも当然のことだ。ベンガルの若い頃を演じる反田孝幸(南原清隆のような顔つき)の役柄も含めて、役者がことごとく良く、この美しくて切なくて哀しい物語にリアリティを与えている。

 大林宣彦は素晴らしい映画を作ったと思う。「なごり雪」という名曲はこの映画を生むために28年前に生まれたのではないかとさえ思える。パンフレットで伊勢正三が「僕はまず『なごり雪』という歌を、こんなに大切に扱っていただいたことに感動しています」と話しているが、分かりすぎるぐらいによく分かる。そんなに素敵な映画なのだ。日常生活のすべてを放り出して見る価値のある傑作。