2003/03/07(金)「ゴスフォード・パーク」

 ロバート・アルトマン監督作でキネマ旬報ベストテン7位。1932年、イギリスの屋敷ゴスフォード・パークに集まった貴族と使用人たちの殺人を巡るドラマ。アルトマン映画の例に漏れず、登場人物が多く群像劇の趣である。普通のミステリにもなりうる題材だし、本格ミステリを作るならこれぐらいの登場人物がいた方が犯人が分かりにくくなるのだが、この映画の場合、殺人があってもミステリ色は薄く(なにしろ殺人が起きるまでに1時間以上かかるし、名探偵が事件を解決するわけでもない)、アルトマンはいつものように人間模様を描くことに重点を置いている。

 前半は登場人物の紹介なので、やや退屈。後半、さまざまな人間関係が浮き彫りになって面白くなる。最後に母と子の関係を持ってきて、情感を高めるあたり、アルトマンとともに原案にクレジットされたボブ・バラバンの功績なのだろうか。アルトマンの近年の作品では上位に位置する映画になっている。

 ゴスフォード・パークの主人はウィリアム・マッコードル卿(マイケル・ガンボン)。年の離れた妻のシルヴィア(クリスティン・スコット=トーマス)は夫を軽蔑しており、若い男に色目を使う。マッコードルは金と猟にしか興味のない俗物なのである。屋敷に集まった人々は金に困っていたりして、マッコードルに対してそれぞれに恨みを持っている。当然のようにマッコードルは図書室にこもっていた時に何者かに殺される。しかも毒殺された後、銀のナイフを胸に刺されていた。乗り込んできた警部がほとんど無能で現場を詳しく見ることもなく、名前を言おうとするたびに邪魔が入るのには笑った。映画は主人のコンスタンス(マギー・スミス)とともに屋敷に来たメイドのメアリー(ケリー・マクドナルド)など使用人の立場から上流階級と使用人の人間関係を綴っていく。

 殺人の動機が過去の出来事につながるのはいかにもイギリスを舞台にしたミステリらしい設定。クリスティン・スコット=トーマスもヘレン・ミレンもいいが、エミリー・ワトソンがうまいし、儲け役という感じである。

2003/03/07(金)「猟奇的な彼女」

 「努力した人には運命が偶然という橋を架けてくれる」。こんなメッセージが最後に2度繰り返されるのは韓国映画らしいところか。2001年に観客500万人を動員したラブストーリー。というよりはハッピーで軽いラブコメで、クスクス笑いながら見た(観客は僕1人だったが)。気のいい男が男まさりの女に振り回されるという設定は弓月光やあだち充など日本のラブコメ漫画の影響があるのではないか、と思いたくなる(原作はインターネットで発表された手記という)。ボケとツッコミのどつき漫才のような男女関係なのである。韓国の若者の風俗は日本とほとんど変わらず、その意味でも受け入れられやすい作品だろう。脚本や演出は手の内が見えて、それほどのものではないと思うが、主演2人の魅力(特に溌剌としたチョン・ジヒョン=若い頃の工藤夕貴に似ている)が映画を元気のよいものにしている。この2人が観客と等身大の存在であることもヒットの大きな理由と思う。

 大学生のキョヌ(チャ・テヒョン)はある晩、地下鉄の駅で酔っぱらって線路に落ちそうになった美女を助ける。電車に乗せると、その美女はゲロを座っている男に吐きかけてしまう。女がキョヌに向かって「ダーリン」と言ったために、キョヌは女をおぶってホテルに連れて行く羽目になる。ゲロと汗を落とすためにシャワーを浴びたところで警官が突入、キョヌは留置場に入れられる。という最低のシチュエーションのボーイ・ミーツ・ガールで、2人は知り合い、おかしな交流を続けていく。

 映画は前半戦、後半戦、延長戦の3部構成。延長戦での別れの一本松みたいな描写にはウーンと思ってしまう(単なるすれ違いのメロドラマ的シチュエーションで新鮮みは何もない)のだが、脚本化にあたって付け加えたこの部分を気に入る人も多いのだろう。大衆的なものは強いのである。女(ついに名前は出てこなかった)の死んだ男への決別の思いをクライマックスに置いたことで、映画には深みが生まれた。脚本・監督のクァク・ジェヨンは僕と同年齢。偶然を積極的に肯定し、ハッピーエンドを強く希求する姿勢はエンタテインメントには欠かせないものだと思う。

2003/02/27(木)「ビロウ」

 潜水艦を舞台にしたホラー、と思ったら、終盤の謎解きは真っ当だった。ミステリ的な展開を予想していなかったので、この真相は面白かった。なるほど、そういうことか。それなら仕方ないよな、という感じである。潜水艦の中で起こる出来事(一瞬見える人影や暗闇から聞こえてくる声、壊れた舵)が本当に幽霊の仕業かどうかをあいまいに終わらせるあたりはこの展開では仕方ないのだが、これによって中盤が少し緩む。スターは出ていず、B級感覚の映画で、それなりの出来に仕上がっている。

 第2次大戦中、アメリカの潜水艦が3人の漂流者を救助する。3人は病院船に乗っていたが、Uボートの魚雷で船が沈没して漂流していたのだった。3人のうちの1人は女。女性を潜水艦に乗せるのは不吉と言われており、乗組員たちは毛嫌いする。敵艦の下を潜航中、突然、ベニー・グッドマンのレコードがかかる。敵艦が落とした爆雷で潜水艦のあちこちがきしみ始める場面は潜水艦ものではおなじみの描写だ。誰がレコードをかけたのか。3人のうちの1人がドイツ人と知った艦長代行のブライス大尉(ブルース・グリーンウッド)はその男を撃ち殺す。それから艦内では不思議なことが起こり始める。

 救助された女性を演じるのは「シックス・センス」でブルース・ウィリスの妻を演じたオリビア・ウィリアムス。主人公の少尉はマシュー・デイビス。監督は脚本家出身のデヴィッド・トゥーヒー。製作者の1人にダーレン・アロノフスキーが名を連ねている。

2003/02/23(日)「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」

 アクションに次ぐアクションで密度が濃いので、見終わった後、頭がクラクラした(1階席だったので首も痛くなった)。前作の後半を占めた怒濤のアクションが今回は最初から最後まで続く。アクション場面を背負っているのがアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)で、前作よりも格好良く、ほとんど主人公の風格。エオウィン(ミランダ・オットー)とのほのかなロマンス描写もいい。アラゴルンと同行するレゴラス(オーランド・ブルーム)のほれぼれするような弓の放ち方とギムリ(ジョン=リス・デイヴィス)のユーモアも楽しい。本来の主人公であるフロド(イライジャ・ウッド)とサム(ショーン・アスティン)のコンビの旅も波乱に富んでおり、指輪の元の持ち主であるゴラムのスメアゴルが加わって、ぐっと深みを増した。善と悪に揺れ動くスメアゴルは今回の大きなポイントだ。

 ピーター・ジャクソンの演出に狂いがないと思うのはラストをフロドとサムの力強いセリフで締め括っているところ。指輪の力に圧倒されて弱気になったフロドに対してサムは「物語の主人公は決して後には引かない」と話すのだ。この脱映画的とも思える場面がなかなかいい。ジャクソンの演出は決して細かい部分でうまいわけではないのだが、原作への愛と情熱とパワーで押し切った感じがする。「スター・ウォーズ」シリーズよりも物語の背景に深みがあるし、演出が正攻法である。よくぞここまで立派な映画を作ったなと、前回と同じような感想を持つ。

 前作で火の鞭を振るう怪物バルログとともに橋から落ちたガンダルフ(イアン・マッケラン)のその後を冒頭で描く場面から画面に力がこもっている。物語の時間軸は前作からそのままつながっており、これぞ正しい続編という感じがする。映画の魅力を補強しているのはニュージーランドの素晴らしい風景で、これまた前作よりも効果的に使われている。大自然の中で繰り広げられる善と悪の戦い。クライマックスの怪物1万対人間300の戦いは延々と続き、圧倒的な迫力がある。CGと分かっていても、このスケールの大きさは感動的である。

 この物語から現実を照射するのは簡単だが、これはあくまでも人間対怪物の戦いであり、アメリカ対テロリストのような狭い了見で解釈するのは間違いと思う。

 子どもを連れて吹き替え版も見てみたいところ。DVDのエクステンディッド・エディションも買いたくなった。

2003/02/20(木)「戦場のピアニスト」

 もちろん、ダビデの星の腕章を着けさせられる差別からゲットー移住、収容所送りへと続くユダヤ人迫害の場面はテレビや映画や書籍で何度も見た(読んだ)ものではあるのだが、それでもやはり胸を締め付けられるような思いがする。気まぐれにユダヤ人を殺すドイツ兵の描写には「シンドラーのリスト」の時と同じように心が冷えてくる。飢えと恐怖と絶望に苦しめられ、人間の本性がむき出しにされるゲットーの生活をロマン・ポランスキーは1人のピアニストの視点から冷徹に描き出す。前半はこういう粛然とせざるを得ないような描写が続く。

 映画は後半、収容所行きの列車から危うく難を逃れた主人公がさまざまな人たちの力を借りて生きのびていく姿を描く。隠れ家を転々とし、物音も立てずにひっそりと生きる主人公の姿は、戦争が終わったことも知らずにジャングルの中で暮らした日本兵を思わせる。主人公は飢えに苦しみ、死にそうになりながらも生き抜いて終戦を迎えることになる。この後半も優れた描写ではあるのだが、主人公が生きるか死ぬかだけに絞られてくるので物足りない思いも残る。実話だから仕方がないし、過酷な生活を送った主人公の生き方にケチを付けるつもりも毛頭ないが、この主人公からは絶対に生き抜くという信念は感じられないし、レジスタンスに参加するわけでもないし、状況を少しでも変えようと努力するわけでもない。単に運が良かっただけのように見えてしまう。

 収容所で殺され、レジスタンスで倒れた多数の人々に比べれば、主人公は生き抜いただけでも恵まれていたと言える。話を運の良い男に収斂させてしまうと、映画としてはちょっと弱い。ユダヤ人迫害を十分に描いているじゃないか、と言われれば、確かにその通りだが、そういう映画はほかにもたくさんあるのだ。良い映画であることを否定はしないけれど、物語を締め括る視点にもう一つ何かのメッセージを込めてもよかったような気がする。

 ポーランド出身で、ゲットーでの生活も体験したロマン・ポランスキーは「シンドラーのリスト」の監督候補に挙がったこともあるそうだ。それを蹴ったのは自分に近すぎる題材だったためとのこと。この映画の後半を主人公の生きのびる姿に絞ったのはポランスキーにとって、まだあの時代が重くのしかかっているからなのかもしれない。

 常に哀しい目をした主演のエイドリアン・ブロディは好演している。昨年のカンヌ映画祭パルムドール。アカデミー賞にもノミネートされている。脚本はチェコのレジスタンスの若者たちを描いた鮮烈な傑作「暁の7人」(1976年、原題はOperation Daybreak)のロナルド・ハーウッド。