メッセージ

2003年03月07日の記事

2003/03/07(金)「猟奇的な彼女」

 「努力した人には運命が偶然という橋を架けてくれる」。こんなメッセージが最後に2度繰り返されるのは韓国映画らしいところか。2001年に観客500万人を動員したラブストーリー。というよりはハッピーで軽いラブコメで、クスクス笑いながら見た(観客は僕1人だったが)。気のいい男が男まさりの女に振り回されるという設定は弓月光やあだち充など日本のラブコメ漫画の影響があるのではないか、と思いたくなる(原作はインターネットで発表された手記という)。ボケとツッコミのどつき漫才のような男女関係なのである。韓国の若者の風俗は日本とほとんど変わらず、その意味でも受け入れられやすい作品だろう。脚本や演出は手の内が見えて、それほどのものではないと思うが、主演2人の魅力(特に溌剌としたチョン・ジヒョン=若い頃の工藤夕貴に似ている)が映画を元気のよいものにしている。この2人が観客と等身大の存在であることもヒットの大きな理由と思う。

 大学生のキョヌ(チャ・テヒョン)はある晩、地下鉄の駅で酔っぱらって線路に落ちそうになった美女を助ける。電車に乗せると、その美女はゲロを座っている男に吐きかけてしまう。女がキョヌに向かって「ダーリン」と言ったために、キョヌは女をおぶってホテルに連れて行く羽目になる。ゲロと汗を落とすためにシャワーを浴びたところで警官が突入、キョヌは留置場に入れられる。という最低のシチュエーションのボーイ・ミーツ・ガールで、2人は知り合い、おかしな交流を続けていく。

 映画は前半戦、後半戦、延長戦の3部構成。延長戦での別れの一本松みたいな描写にはウーンと思ってしまう(単なるすれ違いのメロドラマ的シチュエーションで新鮮みは何もない)のだが、脚本化にあたって付け加えたこの部分を気に入る人も多いのだろう。大衆的なものは強いのである。女(ついに名前は出てこなかった)の死んだ男への決別の思いをクライマックスに置いたことで、映画には深みが生まれた。脚本・監督のクァク・ジェヨンは僕と同年齢。偶然を積極的に肯定し、ハッピーエンドを強く希求する姿勢はエンタテインメントには欠かせないものだと思う。

2003/03/07(金)「ゴスフォード・パーク」

 ロバート・アルトマン監督作でキネマ旬報ベストテン7位。1932年、イギリスの屋敷ゴスフォード・パークに集まった貴族と使用人たちの殺人を巡るドラマ。アルトマン映画の例に漏れず、登場人物が多く群像劇の趣である。普通のミステリにもなりうる題材だし、本格ミステリを作るならこれぐらいの登場人物がいた方が犯人が分かりにくくなるのだが、この映画の場合、殺人があってもミステリ色は薄く(なにしろ殺人が起きるまでに1時間以上かかるし、名探偵が事件を解決するわけでもない)、アルトマンはいつものように人間模様を描くことに重点を置いている。

 前半は登場人物の紹介なので、やや退屈。後半、さまざまな人間関係が浮き彫りになって面白くなる。最後に母と子の関係を持ってきて、情感を高めるあたり、アルトマンとともに原案にクレジットされたボブ・バラバンの功績なのだろうか。アルトマンの近年の作品では上位に位置する映画になっている。

 ゴスフォード・パークの主人はウィリアム・マッコードル卿(マイケル・ガンボン)。年の離れた妻のシルヴィア(クリスティン・スコット=トーマス)は夫を軽蔑しており、若い男に色目を使う。マッコードルは金と猟にしか興味のない俗物なのである。屋敷に集まった人々は金に困っていたりして、マッコードルに対してそれぞれに恨みを持っている。当然のようにマッコードルは図書室にこもっていた時に何者かに殺される。しかも毒殺された後、銀のナイフを胸に刺されていた。乗り込んできた警部がほとんど無能で現場を詳しく見ることもなく、名前を言おうとするたびに邪魔が入るのには笑った。映画は主人のコンスタンス(マギー・スミス)とともに屋敷に来たメイドのメアリー(ケリー・マクドナルド)など使用人の立場から上流階級と使用人の人間関係を綴っていく。

 殺人の動機が過去の出来事につながるのはいかにもイギリスを舞台にしたミステリらしい設定。クリスティン・スコット=トーマスもヘレン・ミレンもいいが、エミリー・ワトソンがうまいし、儲け役という感じである。