2004/12/05(日) VAIO TypeRにMTVX2004
設置した。サウンドのライン入力の接続端子がどこか迷ったが、マザーボードに4ピンの端子があったので接続してみると、ばっちり。チップセットがIntelの915Pなので特定環境向けソフトウェア(FEATHER2004D、Ver.6.12)をインストール。これで動作した。
ただし、このソフトウェアは暫定版。ダイレクトオーバーレイにはならない。MTVX2004の利点は生かせないのだが、CPU使用率を見ると、普通にテレビを見ている限りは1%から5%ぐらい。CPUの処理能力が高いのでこんなものなのだろう。これならテレビを見ながら、他の作業をしてもストレスはない。
ま、とりあえず設置できて安心。なにしろ、TypeRはテレビ機能をつけないで注文すると、オーディオ入力端子さえないですからね(これを知っていれば、テレビ機能付けて注文したのに)。僕の場合、テレビ録画をするつもりはない。パソコンでちょっと見られればいい。
Web上のユーザー登録不可
VAIOにはDVD作成ソフトとしてDVD ITとClick to DVD、Record Nowが付属しているが、どれも機能的に不満が残る。使い慣れたB's Recorder5は持っているが、このバージョンは二層書き込みに対応していない。新しく出たバージョン8を買おうと、BHAのオンラインショップに行く。ここを利用するにはユーザー登録が必要。で、ユーザーIDを入力して登録しようとすると、エラーになる。説明にこう書いてあった。
以下に該当する方は、オンラインではご登録いただけません。ご面倒ですが、登録カード(ハガキ)でご登録ください。
・ アイオーデータ製品のCD-R/RWドライブをご購入の方で、ドライブ付属のソフトウェアに添付されているユーザ登録カードに、朱書きで「CLiP無償 配布対象」と書かれているカードをお持ちの方。
・ 朱書きの記載があるユーザ登録カードにつきましては、WebおよびFAXでの登録を一切受付けておりません。また、朱書きの内容のサービスにつきましても一切お受け出来ません。まことにお手数ですが、郵送にてご登録いただけますようよろしくお願い申し上げます。
なんだこれ。ユーザー登録カードなんてもうあるものか。と思って調べてみると、最初からなかったのだった。アイ・オー・データの説明書を読むと、ユーザー登録はWebでするように書いてある。で、僕はバージョン5のユーザーIDを持っているので登録しているはずなのだ。なぜWeb上で登録できないのか探してみたら、「一部の製品にて、現システムでは正しいシリアル番号であるとの判定が行えず、オンライン上では登録できないシリアル番号がございます」とのこと。なんだ、そっちの不備じゃないか。
仕方がない。B'sRecorderはバージョン1.xもユーザー登録していたので、過去のメールを探してユーザー登録の変更・確認ページに行き、B'sショップに登録。これでバージョンアップ版が買えるようになった。そういえば、昨年、バージョン7が出た時は案内のメールが来たが、今回は来たかなあ。保存メールにgrepをかけてみたが、出てこなかった。捨ててしまったのか、最初から来なかったのか。いずれにしてもシステムの不備をユーザーに押しつけるのはいかがなものでしょうかね。
2004/12/04(土) TypeRセットアップ
昨夜届いたので、いろいろとソフトウェアをインストール。8時半から午前2時ごろまで。それでもまだ終わらない。インストールすべきソフトウェアが多すぎるのだ。気長にやるしかありませんね。
前のパソコンに比べると、CPUで3.8倍、ベースクロックで5倍速くなっている。HDDもシリアルATAになったので、トータルで20倍以上速くなっている計算だが、体感速度はあまり変わらない印象。ファイルのコピーなどは確かに速いか、という程度。まあ、負荷をかけるエンコードなどはまだやっていないのですがね。
驚いたのはディスクが1枚も付属していないこと。リカバリディスクは自分で作らなければならない。DVD-RとCD-Rが選べるが、CD-Rだと、8枚必要とダイアログが出た。もう昔のフロッピーの感覚ですね。
キヤノンのプリンタに付属するソフトのアップデータを入れようとしたら、解凍先の名前にスペースが多すぎるという警告が出て処理がストップ。名前にスペースを含まないフォルダにコピーして実行してもダメだった。圧縮解凍ソフト+Lhacaの設定で解凍先をデスクトップにしていたのが影響しているようだ。解凍先を「ファイルと同じ場所」にしたら、なんなくインストールできた。しかし、今時、セルフエクストラクター形式でアップデータを配布しているキヤノンもなんだかなあ、である。
ディスプレイは今回、デジタル(DVI)接続にしてみた。アナログのような微調整はできないが、しなくても十分きれいに表示する。DVDを再生してみたら、以前より鮮明。これはグラフィックボードの差でもあるのだろう。筐体は前のパソコンより一回り小さい感じ。音も静か。これからまだPerlとかFFFTPとか、PDF作成の設定とか、MTVX2004の設置とか、メールの設定、秀丸マクロの登録とかをやらなければならない。先は長いなあ。
Tabbrowser Extensions 既知の問題
Firefoxを入れて、Tabbrowser Extensionsも入れようとしたら、配布サイトにこの注意書きがあった。これ、以前からありましたっけ?
「TBEはブラウザ内部のコードを書き換えるなどの恐ろしいことをいくつもしており、(TBEが安定して動いているように見えても、毎日の更新によって)ブラウザが数日のうちに動かなくなってしまうという危険性に対する覚悟なしに、あなたが夜間ビルドでこの拡張を使うことを、Firebird開発チームは推奨していません」ここまで書かれると、インストールを躊躇してしまうな。これ、便利なんですけどね。
12日に閉鎖するそうだ。このページだけでは理由が分からないが、Googleのキャッシュを見たら、「このサイトをそんな前からずーっとホスティングしていたITSS.NETから2004年4月1日に葉書にて通達があり、2005年3月にて業務を終了するという旨が届きました。既に2004年の4月には新規登録を締め切っています。つまりはホスティング会社の都合によりこのNEIME-Iのサイト運営およびドメイン維持ができなくなったということです」とあった。
ソフトウェアの日本語化のページは貴重なので、ぜひどこかで再開してほしいところ。
Apacheの文字化け
Perl5.8とApache2.0をインストールしてCGIのテストもできるようになった。いつもつまづくのがApacheの設定。Windowsの場合、ユーザーディレクトリはC:/Documents and Settings/*/My Documents/My Websiteとなるので、ユーザーhiroの場合はhttp://127.0.0.1/~hiro/でアクセスする。ついついMy Website内にhiroというディレクトリを作りたくなりますね。
それと文字化け、これはhttpd.confのAddDefaultCharset ISO-8859-1をAddDefaultCharset offにすればいいようだ。
2004/12/03(金)「モンスター」
酒場で意気投合したセルビー(クリスティーナ・リッチ)に「一緒に逃げて」と言うアイリーン(シャーリーズ・セロン)の寂寥感が胸を打つ。いや、セルビーにしか希望を見いだせなかった孤独が可哀想すぎる。父親の親友に8歳でレイプされ、弟と妹のために13歳から客を取り始めたアイリーンはそれを家族の前で公にされ、家族から家を追い出されてしまう。金が必要だったから取った選択だが、家族はそんなことを考慮しなかった。アイリーンはヒッチハイクしながら売春するようになり、男から虐げられる毎日を送ることになる。
本当にこの映画に出てくるのはカスのような男ばかりである。だからレズビアンのセルビーとの出会いはアイリーンにとってかけがえのないものになる。「男も嫌い、女も嫌い。あんただけが好き」。自身はレズビアンでもないのに、暗がりで激しく求め合うのはアイリーンにとって、セルビーが初めて心が触れあえた(と思えた)相手だったからだ。しかし、セルビーと暮らす金のために取った客がひどい男で、森の中でアイリーンは殴られ、あわや殺されそうになる。やむなく男を銃で撃ったアイリーンは約束の時間に待ち合わせ場所に行くことはできず、待ちきれずに帰ったセルビーの部屋の窓をたたく。そして「一緒に逃げて」と懇願し、悲惨な生活の中で初めて(一時的に)ハッピーな逃避行が始まるのだ。
7人の男を殺した実在の連続殺人犯アイリーン・ウォーノスを監督デビューのパティ・ジェンキンスが映画化。連続殺人といっても、よくあるサイコキラーではなく、アイリーンの場合には単純に金を得るための殺しだった。ジェンキンスがイメージしたのは「『タクシードライバー』や『地獄の逃避行』のような70年代型のキャラクター映画」だったという。「『モンスター』と『レイジング・ブル』が比べられるのは、私にとっては最大級の賛辞よ」。映画は女性の連続殺人犯=モンスターが生まれた理由をこれでもかと見せつける。精神に異常を来した連続殺人犯ではなく、社会から受け入れられず、追いつめられた結果、生まれた殺人者。アイリーンの存在が重いのは特殊な事例として遠ざけることができないからだ。弟や妹のために始めた売春のように、アイリーンはセルビーとの生活を守るために殺人を続けねばならなくなる。アイリーンにとって、自分を買うような男は殺されて当然の存在だったのだろう。裁判でセルビーからも見捨てられ、死刑判決を受けたアイリーンの最後のセリフは「勝手にほざけ」。アイリーンの孤独と絶望感はあまりにも深い。
セロンが目を大きく見開いて顔が引きつったような表情をたびたび見せるのはメイクのせいもあるだろう。僕はアカデミー主演女優賞を取ったセロンの演技を必ずしもうまいとは思わない。13キロ体重を増やし、美形を跡形もなく消し去った(パンフレットにある実際のアイリーンよりも美しくない)女優根性には頭が下がるけれども、やはり美人女優は美人のままで女優賞を取ってほしいと思う。しかし、この映画のいくつかの場面でセロンが絶望的な寂寥感を体現していることは否定しようがない。そして、セロンが美しい外見のままでは演技が評価されなかったことと、アイリーンが娼婦になったこととの間にはそんなに大きな隔たりはないように思える。
2004/12/01(水) リダイレクト
「検索エンジンから来たアクセスの検索キーワードを自動的にNamazuの検索フォームに入れられないか」との質問メールをいただく。トップページをPerlやRubyなどスクリプト言語で書いている場合はHTTP_REFERERから検索キーワードを抽出することは簡単だが、普通のHTMLファイルでは難しい(tDiaryならプラグインで対応できそう)。そういう風な返事を出したのだが、よく考えたら、.htaccessが使えるなら、検索フォームにキーワードを入れることはできなくても、Namazuで自動的に検索させることは可能だろう。hnsのIntellisearchがこれと同じようなことをしている。
HTTP_REFERERから検索キーワードを抽出して、リダイレクトでNamazuに渡すCGIスクリプトを書き、.htaccessですべてのアクセスをこれにリダイレクトすればいい。HTTP_REFERERに検索キーワードがなかった場合は普通のトップページに、あった場合はNamazuに飛ばす。CGIスクリプト自体も簡単に書けそうだ。
ただ、Intellisearchを使っていた時に感じたのはGoogleの検索能力に比べて、Namazuの検索能力はフレキシブルではないこと。Googleは多少のスペルミスがあっても検索結果に表れるが、Namazuの場合はキーワードが完全に一致しないと出てこない。だからGoogleから来た人は「検索式にマッチする文書はありませんでした」とのNamazuの検索結果を見せられる場合がある。
それに自分のホームページのファイルがGoogleにすべてインデクシングされているなら、こんなことをする必要もない。Googleの利用者はNamazuを介さなくても目的のページにたどりつけるわけだから。まあ、インデクシングのタイミングがずれるという問題はつきまとうんですがね。
付け加えておくと、検索フォームに自動的に検索キーワードを入れるトップページをperlで作るのは難しくない(いや、RubyでもPHPでも難しくはないでしょうが、僕はPerlの知識しかないので)。最初の方でキーワードの抽出処理を行って、変数$wordに入れる。後はヒアドキュメントでHTMLを書いていき、Namazuの検索フォームのvalueに$wordを入れておけばいいだろう。個人的には先に書いたような理由でこういう機能を持たせることだけを目的に、トップページをCGIにする必要性は感じませんけどね。
これはSleipnirでもできますね。ホームページを持つ人にとって、両方で表示を確認できるのは便利。ブラウザエンジンの切り替えが簡単なら、Netscapeは久しぶりに利用者が多くなるのではないか。正式版の早期リリースを期待。
商品発送のお知らせ
SONY Styleからメール。ということは、金曜日には着きそうだ。本格的にデータのバックアップを始めねば。
2004/11/28(日) 高橋源一郎の「電車男」評
きょう付けの朝日新聞にある。本質を突いていると思いながらも、これは少し意地が悪い。ちょっと引用しよう。
しかし、この本は掲示板に掲載された最後の日を素知らぬ顔で削除し、その前日までで完結させている。(中略)不可解なミステリーになるはずの「5月17日」を消し去ることで、この作品は、見事に「純愛」の顔つきをすることに成功している。
5月17日に何があったかと言えば、電車男がエルメスと性交寸前の書き込みをして、それを読んでいたスレの住人たちが、「やめろ」と忠告するのである。この部分をアップしたページもネット上にはあり、僕もそれを読んでいる。
問題はそこを削除したからと言って、非難を受ける筋合いはないということだ。批評というのは出来上がったものに対して行うもので、批評の対象が実際にあったことをどう脚色しようがかまわない。もちろん、そこに目配せするのは重要なことだが、素材と完成品とは明確に区別しなければならない。高橋源一郎は人から電車男はフィクションであると聞かされた上で、この批評を書いているのだから、出来上がったものが掲示板の書き込みと違ったところで、目くじらを立てる必要はないだろう。
「素知らぬ顔で削除」とか「『純愛』の顔つき」という意地の悪い言葉は使う人の品性を表すものでしかない。鬼の首でも取ったようなこの表現には気分が悪くなる。