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「大停電の夜に」は惜しいところで傑作になり損ねているが、それではどういう脚本がうまい脚本なのか。以前、作家の故・都筑道夫さんがキネ旬連載の「辛味亭事苑」で紹介していたテレビの「ザ・ネーム・オブ・ザ・ゲーム」の話が僕には強く印象に残っている。話はこうである。
あるラジオ局の人気DJのもとに一本の電話がかかってくる。電話をかけてきた女は失恋によって絶望し、これから自殺するという。驚いたDJは必死でラジオから自殺をやめるように呼びかける。ありとあらゆる言葉を駆使し、「死ぬのは無意味だ」と自殺を思いとどまるよう説得する。この放送は聴取者にも大きな反響を呼び、「自殺するな」という声が多数寄せられる。ところが、女が自殺するというのは嘘だった。深夜になって、再び電話を掛けてきた女は自分が女優の卵で演技力を試してみたかったのだと話す。「あなたのお陰で自信がついた」と女は笑って電話を切る。DJは自分が騙されていたことにがっかりして放送局を出るが、局の前で暗がりから出てきた一人の女性が「ありがとう」と言って包みを渡す。包みの中には睡眠薬があった。
もちろん、この女性はDJの呼びかけで自殺を思いとどまったのである。ハリウッドはさすがにエンタテインメントの伝統があるなと思うのはこういう脚本がテレビで出てくるからだ。どこをどうすれば面白くなるのか、それが浸透している。ショウビズの本場の底力はそんな部分に現れるのだと思う。もっとも、今のハリウッド映画の脚本がすべて優れているわけではないんですがね。