2006/07/24(月)「ブレイド3」

 1作目も2作目も劇場で見たが、これは見逃していた。といってもこのシリーズが特に好きなわけではない。バンパイアたちがブレイドに対抗するためドラキュラを復活させるという話。復活させてもこれまでの話とそんなに大きく変わるわけではないのがつらいところか。

 完結編と思わなければ、そこそこのアクション映画になっている。少なくともグロテスクなだけだった「2」よりは面白い。ウェズリー・スナイプスは1作目ほどの切れ味はないが、悪くない。軟弱かと思っていたジェシカ・ビールのアクションがさまになっているのに感心。

 監督は1作目と2作目の脚本を担当したデヴィッド・S・ゴイヤー。ゴイヤーは「バットマン ビギンズ」の原案・脚本を担当したほか、傑作「ダークシティ」の脚本も書いているが、今回はSF的なものはほとんどない。今となっては「ダークシティ」の方がゴイヤー脚本としては異質に見える。

2006/07/24(月)「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」

 「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」パンフレット3年ぶりの続編。ビジュアルな部分と笑いに関して言えば、退屈はしなかったが、この内容で2時間31分はどう考えても長い。2時間以内にはまとめるべき作品だろう。前作の感想を読み返してみたら、「話に広がりがないし、展開がもたもたしているし、2時間23分もつ話でもない。展開が難しくないのはやはりお子様を意識したからだろう」と僕は書いている。今回もこれは当てはまり、ドラマ部分が盛り上がりに欠ける。話はお宝(デッドマンズ・チェスト=死者の宝箱)を巡る争奪戦で前作と同じような趣向なのだが、登場人物がすべて私利私欲だけで行動しているのでどうでもいい話に思えてくる。死者の宝箱に世界の運命を左右するような重要さがあると良かったかもしれない。前作に続いての監督ゴア・ヴァービンスキーの演出はいつものように緩みがちで、もっとスピーディーにコンパクトにできないものかと思う。キーラ・ナイトレイに大した見せ場がないのも残念。

 ウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)とエリザベス・スワン(キーラ・ナイトレイ)が結婚式を目前にして逮捕され、死刑を言い渡される。容疑は死刑囚のジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)を逃がしたこと。東インド会社のベケット卿(トム・ホランダー)からスパロウの持つコンパスを持ってくれば、放免すると言われたウィルはスパロウを探して旅立つ。その頃、スパロウはウィルの父親で深海の悪霊デイヴィ・ジョーンズにと捕らわれているビル・ターナー(ステラン・スカルゲールド)からジョーンズとの契約が迫ったことを知らされる。スパロウはブラックパール号の船長として13年間過ごした後はデイヴィ・ジョーンズの船フライング・ダッチマン号で永久に働くという契約を交わしていたのだ。スパロウはそれから逃れようと、ジョーンズの心臓を収めた死者の宝箱の鍵を探し始める。

 序盤のブラックパール号が漂泊した島の原住民とスパロウ、ウィルらとのエピソードは本筋の物語からはほとんど不要。ただアクションを見せるためのものでしかない。もっともそれは映画全体にも言え、ストーリーを語るよりもアクションを見せることで終わった観がある。この映画、元々、ディズニーランドのアトラクションを基に生まれたものだが、何も考えずに見ていれば話が分かるというのはアトラクション的な映画を目指したためなのかもしれない。それにしても本来ならドラマを盛り上げるべきスパロウとエリザベスとウィルの三角関係などはほとんど手を抜いているとしか思えないほど情感に欠ける。こういう部分をきちんと描かないと、ドラマに深みが生まれてこないのだ。2作目と3作目は同時に撮影したそうで、ラストはいかにも続くという感じで終わる。2作目なりの決着をうまくつけてほしかったところではある。何かもう一つサイドストーリーを設定しておくべきだったのではないか。作りが単純なのである。

 デイヴィ・ジョーンズはタコを貼り付けたような顔。部下たちはフジツボが体全体にあったりしていかにも海に呪われたという感じだが、これも仮面ライダーの怪人と変わりないレベルの発想と思う(仮面ライダーの方がもっと高度かもしれない)。ジョーンズが操る海の怪獣クラーケンは良くできていた。

2006/07/13(木)「そして、ひと粒のひかり」

 傑作だと思う。コロンビアの花農園で働く17歳の少女が仕事をやめ麻薬の運び屋になる。ゴムの袋に入れた麻薬を飲み込んでアメリカに運ぶ仕事。

 話にはよく聞くし、漫画などでも目にしたことはあるが、ここまで詳しい描写は知らなかった。大粒のブドウで飲み込む練習をするのがリアル。体内で袋が破れたら死ぬことになる。主人公は60粒あまりを飲んで飛行機に乗る。4人の運び屋のうち、1人は空港でレントゲン検査によって警察に捕まる。主人公もレントゲン検査をされそうになるが、望まない妊娠をしていたために検査を免れる。そして一人の袋が破れて具合が悪くなる。

 主演のカタリーナ・サンドリノ・モレノはアカデミー主演女優賞ノミネート。確かに魅力的な好演をしているが、これは題材のショッキングさも手伝ってのノミネートなのだろう。監督のジョシュア・マーストンはこれが2作目らしい。といっても1作目は短編(評価ガタガタ)。コロンビアの絶望的な状況と、少女の成長を描いてほぼ完璧な仕上がりになった。ひと粒のひかりを希望に再生の決意を固める主人公がいい。

2006/07/08(土)「カーズ」

 「カーズ」パンフレットピクサーの3DCGアニメだが、ジョン・ラセターの監督・脚本作としては「トイ・ストーリー2」以来7年ぶり。新人レースカーのライトニング・マックイーンがラジエーター・スプリングスという寂れた町で人間的な成長を果たす姿を描く。もう端的にスピード重視、最短距離重視ではなく、ちょっと寄り道してもいいじゃないか、という映画。自分の勝利よりも人間的な在り方が大事という当たり前のことを当たり前に描いた映画である。

 脚本もきちんと定跡をふまえた展開になっている。そういうストレートな映画は最近少ないし、「俺、お前を選んで良かったよ」「何に?」「親友!」という人のいいレッカー車のメーターとライトニング・マックイーンの会話などはアニメでなければもはや成立しないのではないかと思う。子供を連れて見に行った大人も楽しめる作品で、大人の方が作品の深い部分には共感できるだろう。驚くのはCGの技術で、最近のピクサーアニメの中でもピカイチの出来。車のスピード感あふれる走りや光沢、動きに加えて、レース場の観客席の大量の車の細かい描写に感心した。音響効果もエンジン音、走行音なども細かい。丁寧に作られたファミリー映画の手本みたいな作品と思う。

 自動車レースのピストン・カップでライトニング・マックイーンは新人初のチャンピオンとなることを目指していた。ライバルは今シーズン限りでの引退を決めているキングと万年2位のチック・ヒックス。マックイーンはトップに躍り出るが、ピットインで時間節約のためガソリン補給だけでタイヤ交換をしなかったため、タイヤが破裂。ゴール直前でキングとヒックスに追いつかれ、3台が同時にゴールして、あらためてカリフォルニアで再レースをすることになる。運搬用トラックのマックでカリフォルニアに向かったマックイーンは居眠りしたマックから落ちてはぐれてしまう。マックイーンはラジエーター・スプリングスという寂れた町にたどり着くが、ひょんなことから道路を壊してしまい、警察に捕まり、道路補修を命じられる。

 ラジエーター・スプリングスはかつては栄えた町だが、近くに高速道路ができたために訪れる人もなくなり、地図からも名前が消えてしまった。都会での弁護士生活に疲れ、ラジエーター・スプリングスに来たサリーは言う。「かつての道路は今のように地形を無視したまっすぐなものじゃなくて、地形に沿って走っていた。最短距離を移動するものじゃなくて、移動を楽しむものだったのよ」。急いで生きる人生を見つめ直す。効率よりも人間性。そういうニュアンスの言葉が映画には散りばめられていて、シンプルな主張になっている。擬人化した車たちによって語られる寓話と言えようか。ラセターはそれを無理なく語っている。

 僕が見たのは日本語吹き替え版。かつての名レーサーで、心に傷を持つドック・ハドソンの声をポール・ニューマンが演じているそうで、これはどうしても字幕版が見たくなる。

2006/06/24(土)「マンダレイ」

 「マンダレイ」パンフレットラース・フォン・トリアー監督のアメリカ3部作の第2弾。前半は「ドッグヴィル」と同じような話だなと思い、退屈だったが、後半面白くなる。これは異常な共同体を描いた映画だと思う。終盤、この共同体の真実が明らかになり、それまでの見方を変えざるを得なくなる。こういう話、世間から隔たった狭い集団の中ではよくある話。集団だけの規則を作り、世間とは独立して独自の世界を築き上げていく。サイコな宗教集団などにありそうだ。この異常な世界に入った主人公のグレース(前作のニコール・キッドマンに代わってブライス・ダラス・ハワード)は表面的な部分を見て民主的な改善をしようとするのだが、表面とは違ったねじれた世界なので、そのしっぺ返しを食うことになる。

 この前半のグレースの行為はほとんどお節介から始まったとしか思えず、そこがこの映画の弱いところ。ただし、終盤の展開で盛り返した印象がある。この映画、正義を振りかざして他国の内政に干渉するアメリカへの皮肉にはなっているかもしれないが、奴隷制度や黒人差別などのまともな批判になっているかというと、全然なっていない。トリアーも本気でそういう趣旨を込めたわけではないだろう(本気なら何か勘違いしている)。「ドッグヴィル」ほどの完成度はないにせよ、これも興味深い話だ。思えば、「ドッグヴィル」は支配と被支配の関係が固定されたことによって村人が邪悪に変わっていく話だった。「マンダレイ」は支配と被支配の関係から抜け出せず、それを維持しようとしてねじ曲がった人々の話と言える

 「ドッグヴィル」同様、簡単なセットで映画は展開する。1933年、ドッグヴィルを焼き払ったグレースとギャングの父親(ウィレム・デフォー)はデンバーで縄張りが荒らされていることを知り、アラバマへ向かう。マンダレイという名前の農園で一人の黒人女がグレースに助けを求めてくる。屋敷の中では黒人男がむち打たれようとしているところだった。奴隷制度は70年前に終わったのに、ママと呼ばれる女主人(ローレン・バコール)が支配するこの農園ではまだそれが続いていた。黒人の苦境を見たグレースは父親と別れてマンダレイに残る。女主人は間もなく死ぬが、死ぬ前にグレースにマットレスの下に隠された本を処分するよう頼む。それは農園の決まりや黒人たちを分類した“ママの法律”だった。グレースは奴隷を解放して農園を民主的に改善しようとする。しかし、黒人たちは働かなくなり、小屋を修理しようと庭の木を切ったために農園は砂嵐に襲われる。木は防風林の役目を果たしていたのだ。

 グレースが農園に持ち込むのは自由と民主主義で、それまでママの法律に沿って営まれていた農園は多数決で物事を決めるようになる。その結果、グレースには過酷な任務が待ち受けることになる。これは民主主義の皮肉さを描いているのだろうが、展開として優れているわけではない。僕が感心したのはこの集団の異常さで、このあたりはトリアーの本質が出た部分と思う。トリアー、こういう気持ちの悪いシチュエーションを描かせると、本領を発揮する。万人向けの映画ではないが、オリジナリティのある変わった映画であることは確かだろう。

 ブライス・ダラス・ハワードはキッドマンほどの美貌はないけれど、清楚な役柄にはぴったり。R-18指定の要因になったと思われる過酷な場面もこなしており、「ヴィレッジ」よりも成長した跡がうかがえる。