2006/08/26(土)「ラフ」

 「ラフ」パンフレットあだち充の原作コミックを大谷健太郎監督が映画化。主演は長澤まさみと映画初出演の速水もこみち。この2人に関してはそれぞれの魅力を見せていると思うし、いくつか良い場面もあるのだが、肝心のドラマがあまり盛り上がっていかない。設定だけを用意して、描写が不十分なのである。状況を説明するシーンがあるだけで、それぞれのシーンが有機的に結合していかないのがもどかしい。原作は未読だが、そのダイジェストになった観がありあり。原作のキーとなる場面を取り出して組み合わせただけで、もったいない作りだと思う。力点となるべきポイントが不鮮明なので平板な印象を与える結果になっている。

 日本水泳連盟が全面的にバックアップしたという水泳シーンの吹き替えには違和感がないのだが、その水泳のドラマがスポーツを題材にした映画ならばこうあるべきという描き方になっていないのは残念。水泳の魅力をしっかり描いた方が本筋の主人公2人の恋愛感情の揺れ動きも効果的になったと思う。脚本の金子ありさ、監督の大谷健太郎ともスポーツには興味がないのではないか。

 「タッチ」同様、基本的には重いテーマを含んだ話である。競泳の自由形で日本選手権に出場した高校生の大和圭介(速水もこみち)はレースの途中で足を痛めてリタイア。通路ですれ違った少女から「ひとごろし」と言われる。その少女は高飛び込み選手の二ノ宮亜美(長澤まさみ)で、圭介と亜美の実家はともに和菓子屋でライバル関係にあった。2人は同じ高校で同じ寮に入った。くじを引いた男女がデートするという寮の伝統で、2人は1日デートすることになる。そこで圭介は亜美が自由形の日本記録保持者の仲西弘樹(阿部力)と幼なじみで「おにいちゃん」と慕っていることを知る。ちょっとした誤解から圭介はデートの最後で「お前なんか、大嫌いだ」と言ってしまうが、徐々に2人は心を通わせていく。翌年の日本選手権、仲西は自損事故で重傷を負って欠場し、圭介が優勝する。その事故に亜美は責任を感じ、圭介との仲は疎遠になっていく。

 この三角関係が映画のメイン。前半の1日デートの場面などはいい感じだが、後半、映画はストーリーを消化するのに性急になった感じが拭いきれない。事故の責任を感じる亜美という設定が十分に機能していかないのはこの性急さがあるためだろう。亜美の心変わりの描き方にも説得力を欠く。描写が不足する一方で、高飛び込みチャンピオンの小柳かおり(市川由衣)が圭介に告白するシーンは不要としか思えない。これだけで終わっているのである。もっとストーリーをすっきり整理する脚色が必要だったのだと思う。

 タイトルの「ラフ」の意味は映画の最初の方で寮の管理人(渡辺えり子)から説明される。寮に入った新入生たちはまだラフスケッチの段階でこれから1本1本しっかりした線を引いていくことになるという意味。これは2人の揺れ動く関係を表すとともに圭介の荒削りな才能という意味も含まれているのだろう。それにしては才能の部分が描かれないのがスポーツを題材にした映画としては弱いところだ。長澤まさみのアイドル映画としても、初の水着姿を披露しているのが大きな利点とはいえ、同じくあだち充原作を映画化した去年の「タッチ」(犬童一心監督)には及ばないと思う。

2006/08/20(日)「スーパーマン リターンズ」

 「スーパーマン リターンズ」パンフレットクリストファー・リーブ主演の1作目と2作目「冒険編」は予算をかけた作りだったが、3作目「電子の要塞」からガクッとチープになり、4作目「最強の敵」は映画館で見る気にならなかった。今回の映画はそのためかどうか、2作目からつながる物語として作られている。5年ぶりに地球に帰ってきたスーパーマンがレックス・ルーサーの悪事を打ち砕く。ジョン・ウィリアムスの音楽が鳴り響き、立体文字のタイトルが出てくるオープニングでノスタルジーをガンガンくすぐられる。リチャード・レスターの2作目から25年ぶりなので仕方がない。スーパーマンが地球に帰ってくる冒頭のシーンから1作目を意識したような作りだが、全体的にシリーズの伝統を大事にしており、父と子というテーマを根底に置いたオーソドックスな在り方には好感が持てる。終盤、意外な人間関係が出てくるのは、続編を意識したためだろう。ただ、2時間34分は少し長い。スーパーマンを演じるのは新人のブランドン・ラウス。リーブによく似ている。監督は「X-メン」シリーズのブライアン・シンガー。

 天文学者から惑星クリプトンのかけらが残っていると聞いたスーパーマン=クラーク・ケントは宇宙に旅立っていたが、5年ぶりに地球に帰ってくる。勤めていたデイリー・プラネット社に行くと、歓迎してくれるのはジミー(サム・ハンティントン)だけ。ロイス・レイン(ケイト・ボスワース)は編集長(フランク・ランジェラ)の甥リチャード(ジェームズ・マーズデン)と同棲し、子供までいる。しかもロイスは「世界になぜスーパーマンは必要でないか」という記事でピューリッツァー賞に選ばれていた。ロイスは「さよなら」も言わずに旅立ったスーパーマンに腹を立てていた。その頃、宿敵のレックス・ルーサー(ケヴィン・スペイシー)は老婦人に取り入って刑務所を出所し、莫大な財産を手にしていた。愛人のキティ(パーカー・ポージー)や手下とともにスーパーマンの北極の要塞でクリスタルを手に入れ、悪事の計画を進める。

 ロイス・レインを乗せた飛行機を墜落から救うのが前半の大きな見所。VFXもそれなりによくできているが、スペースシャトルを乗せた飛行機からシャトルが燃料噴射するというシーンは「007 ムーンレイカー」(1979年)にもあった。思えば、1作目でスーパーマンが空を飛ぶシーンはそのあまりの自然さ(当時としては)に驚き、2作目のスーパー3悪人とスーパーマンの対決シーンでもSFXに驚いたものだが、25年もたてば、そういうシーンは普通に思えてくる。だから、今回の映画はドラマ部分に重点を置く必要があった。そのドラマがやや希薄に感じるのは上映時間が長い割にストーリーの進行がないからで、久しぶりのスーパーマンに満足しながらも、もっとドラマの密度を濃くしてほしいという思いも残った。

 ケヴィン・スペイシーとケイト・ボスワースは「ビヨンドtheシー」で共演済み。スペイシーはユーモアと冷酷さ(スーパーマンをクリプトナイトでいたぶる場面の残酷さ!)をブレンドした演技で相変わらずうまい。「X-メン」のサイクロップス役ジェームズ・マーズデンは本来なら憎まれ役になりそうなのに良い役回りだと思う。物語の終わり方からして必ず続編ができるだろう。スーパーマンシリーズでいつも感じるのはスーパーマンがどの程度の悪事まで阻止するかということ。この映画でも単純な事件まで関わっていたが、そういうシーンが必要かどうか疑問なのだ。続編ではそういう部分も考慮し、主要な事件に絞った展開にしてはどうかと思う。

2006/08/13(日)「ハチミツとクローバー」

 「ハチミツとクローバー」パンフレット羽海野チカの原作コミックをCMディレクターの高田雅博監督が映画化。美大に通う5人の男女のそれぞれの片思いを描く。といっても切ないだけではなく、意外にクスクス笑える場面が多くて面白かった。篠原哲雄監督の傑作「深呼吸の必要」によく似た爽やかさを感じたが、それは恋が成就しないことと無関係ではないだろう。登場人物たちにとっての事件は一様に失恋であり、それ以外のことはほとんど描かれない。淡い人間関係、淡い物語の映画である。この淡さが良くも悪くもこの映画の特徴になっている。原作もアニメも見たことがないが、心地よさを感じさせる映画に仕上げた高田雅博は監督デビュー作を無難にまとめたと思う。大学生の飲み会など日常を描いた場面や芸術に打ち込む場面になんだか懐かしさを覚えた。

 浜美大の5人が主要キャラクター。絵の天才少女はぐみ(蒼井優)、彼女を見た途端に恋に落ちる主人公の竹本(櫻井翔)、友人の真山(加瀬亮)、真山を好きな山田(関めぐみ)、大学に何年も通っている森田(伊勢谷友介)の5人である。蒼井優は天才少女を無理なく演じており、主人公の竹本のいかにも青春映画風のキャラクターも悪くないけれど、個人的には真山と山田の関係が良かった。真山はバイト先の建築事務所の理花(西田尚美)に思いを寄せている。同時に山田が自分に好意を持っていることも知っている。その山田に「俺を見るのはやめてくれ。俺、たぶん、変わらないから」と言う。「わたし、今、ふられた?」と呆然とする山田。しかし、その後で、真山は理花に事務所を辞めてくれと言われる。「狭い事務所でそういう関係は良くないから」。ほぼ同時に失恋した2人はそれでも相手への思いをあきらめない。終盤、奈良漬けみたいに酔っぱらった山田が背負ってもらった真山の耳元で「好きだよ」とつぶやくシーンがいい。関めぐみはこのほか、再び事務所に勤めることになった真山と別れた後で、歩きながら泣き顔を見せるシーンも良く、昨年の「8月のクリスマス」よりもうまくなったと思う。

 少女漫画によくある狭い人間関係そのまんまの映画だが、それでも映画らしい雰囲気を備えたのは高田雅博監督の演出に破綻がないからだろう。悪意を持つ人間が一人も出てこないのも心地よさの要因だが、登場人物を魅力的に撮ることに高田監督は力を尽くしているように思える。難を言えば、語り手が統一していないのが惜しい。もう単純に主人公の見た物語として構築した方が良かったのではないか。そうすると、はぐみに一目惚れするシーンの処理を考えなくてはいけないが、「人が恋に落ちる瞬間を初めて見た」という真山のナレーションはなくてもかまわなかったし、むしろ、人が恋に落ちる瞬間を描写として描いた方が良かったと思う。

 分からないのは時々登場する黒猫(エンドクレジットにも出てくる)。体がぼけて、はっきりとは見えないこの黒猫に、監督はどういう意味を持たせたかったのだろう。

2006/08/12(土)「吸血鬼ゴケミドロ」

 1968年の松竹映画。小学生のころ、この映画の看板が凄く怖かった。額が割れた人間の大きな顔だったのである。車で映画館の前を通る時は目を閉じた。もちろん、今となってはまったく怖くない。

 飛行機が赤く光る物体に遭遇して不時着する。飛行機には時限爆弾を持った男と外国の要人を暗殺した狙撃犯が乗り合わせていた。乗客9人が助かるが、水も食糧もなく、極限状況となる。という設定は「マタンゴ」みたいだが、別に島に不時着したわけでもないので、どうとでもなりそうな感じはある。狙撃犯はスチュワーデスを人質にして外へ逃げ、そこで円盤に遭遇。額がぱっくり割れてアメーバ状の宇宙生物ゴケミドロが中に入り込み、血を吸うために他の人間を襲い始める。

 たしか、これ「黒蜥蜴」(深作欣二監督)と2本立てだったと思う。上映時間が1時間24分と短いのはそのためだろう。昔の日本映画はこれぐらいの長さでちょうど良かった。VFXは当時としてはよくできている方で、ペシミスティックなラストも悪くない。カルト的な映画で、タランティーノはこの映画のファンなのだそうだ。脚本は高久進と作家の小林久三。監督は佐藤肇(なんと、映画用に再編集した「未来少年コナン」の監督だ)。出演は吉田輝雄、佐藤友美、高英男、高橋昌也、金子信雄など。

 ゴケミドロが「われわれは地球を征服に来た」なんてメッセージを出すのが、いかにもB級SF。SF感覚が少し狂っているのは仕方がないか。これに比べれば、「マタンゴ」は良くできていたなと思う。

2006/08/09(水)「スキャナーズ2」

 クローネンバーグの傑作の設定を凡庸な監督が引き継ぐと、これぐらいの映画にしかならないのか。といっても、GyaOなので腹は立たない。GyaOはB、C級映画を見るにはいいと思う。ついでに「スキャナーズ3」も見始めたが、IMDBによると、これは「2」以上に評判が悪い。監督はどちらもクリスチャン・デゲイ。

 クローネンバーグの「スキャナーズ」はフィリップ・K・ディック「暗闇のスキャナー」の影響を受けていると言われる(といってもタイトルだけだろう)。この原作は学生時代に読んだが、もはやすっかり忘れている。これをリチャード・リンクレイター(「恋人たちの距離」「スクール・オブ・ロック」)が映画化した「スキャナー・ダークリー」は評判がいい。キアヌ・リーブス主演。

 原作はかつてサンリオSF文庫から出ていて、その後、創元推理文庫に移り、去年、早川書房が改訳版を再刊した。そんなに出版社を変えて何度も出すほどの作品ではないと思うが、映画の公開前にもう一度、読んでみようかと思っている。