2011/12/10(土)「ウッドストックがやってくる!」
原題は「Taking Woodstock」。アン・リー監督。60年代のフラワー・ムーブメントの雰囲気をよく伝えていると思う。人の波が本当の波のように見えてくるシーンなどはドラッグの効果を表している。なぜ、アン・リーがこういう映画を撮ったのかと思ったら、主人公はゲイなのだった。といっても、アン・リー自身はゲイではないらしい。
2011/12/10(土)「ゲゲゲの女房」
高層ビルがあったり、高圧線の鉄塔があったりするのは時代背景としてどうかと思う。公式サイトの制作ノートによると、「昭和30年代を“忠実”と“再現”に重点を置くのではなく“再現”しつつも、映画の表現として今の風景の中で昭和30年代を演じることの意味を大切にしました」とある。これは言葉で説明するのではなく、映画の表現として描くべきところだろう。貧乏をテーマにした内容は悪くない。痩せて貧相な宮藤官九郎はこうした役柄にぴったりだ。吹石一恵も良かった。
2011/11/23(水)「プリンセスと魔法のキス」
最近のディズニーは侮れないなと思う。「塔の上のラプンツェル」もそうだったが、おとぎ話を原作にしながら、とても力強い話にしている。もっともこの映画はE・D・ベイカーのジュブナイル小説「カエルになったお姫様」を原作にしているとのこと。この原作自体が「かえるの王さま」のアレンジらしい。カエルの姿に変えられた王子とキスしたら、自身がカエルになってしまうというまるで「シュレック」みたいな出だしから、レストラン経営を夢見る主人公のティアナが幸福な愛を勝ち取るまでを描く。監督はジョン・マスカーとロン・クレメンツ。音楽はランディ・ニューマン。
2011/11/19(土)「エリート・スクワッド」
ベルリン映画祭金熊賞のブラジル映画(2007年)。2作目の「エリート・スクワッド ブラジル特殊部隊BOPE」(2010年)と合わせてWOWOWが一挙放送した。日本では劇場未公開のまま、12月2日にDVDが発売される。監督はジョゼ・パジーリャ。
2本続けて見て断言するが、これは2作目の方が断然、傑作だ。1作目が手持ちカメラとドキュメントタッチを駆使し、警察の腐敗とリオデジャネイロにたくさんある麻薬組織の一つを潰す話だったのに対して、2作目は技術的にも進歩しており、大作映画らしい風格と堂々としたストーリー展開でまったく飽きさせない。州知事を含む政治の中枢に巨悪があるというスケールアップした設定の下、警察特殊部隊BOPE(ボッピ)隊長ナシメント中佐(ヴァグネル・モーラ)の活躍をハードなアクションとともに描き出す。社会派とエンタテインメントを融合した見事な作りと言える。
IMDBの評価は1作目が8.0、2作目が8.3。2作目はブラジルで1100万人以上の観客を動員し、「アバター」を超える大ヒットになったのだそうだ。脚本のブラウリオ・マントヴァーニは「シティ・オブ・ゴッド」(2002年)の脚本家で、1作目のタッチは確かにそれを引きずった感じがある。「シティ・オブ・ゴッド」ほど描写に過激さがないのはジョゼ・パジーリャ監督の持ち味か。ジョゼ・パジーリャは6本の映画を撮っているが、ドキュメンタリー映画が多く、劇映画はこの2本のみ。描写のリアルさはドキュメンタリー出身であることが影響しているのだろう。
2011/11/17(木)「人情紙風船」
ご存知、山中貞雄の遺作。1937年度キネ旬ベストテン7位。何度も放送されていて、僕も過去にビデオに録画したことがあるが、見ていなかった。
江戸の貧乏長屋に住む浪人・海野又十郎(河原崎長十郎)と髪結いの新三(中村翫右衛門)を軸にした人間ドラマ。今もこの映画が高く評価されているのは時代を超えた庶民の真実に触れる部分があるからだろう。士官を必死に願いながらも邪険に扱われる海野の無念さとやるせなさ、やくざに隠れて賭場を開く新三の自由な生き方。長屋の隣同士に住む2人のあり方は対照的だが、それが終盤交差し、それぞれの悲劇に突き進む。河原崎長十郎の佇まいには胸を打たれる。そして背景となる他の住人たちの貧しいながらも明るい生き方(落語を思わせる)が1時間半足らずの上映時間に凝縮されている。
山田洋次監督は「たそがれ清兵衛」を撮る際、この映画を参考にしたのだそうだ。なるほどなあ、と思う。
山中貞雄はこの映画の封切り日に召集令状が届き、中国で28歳で戦死した。生涯に撮った26本の映画のうち、フィルムが現存するのはこの映画と「丹下左膳余話 百萬両の壺」、「河内山宗俊」の3本だけだ。黒澤明と1歳違いなので、よく「生きていれば、黒澤と肩を並べる監督になっていたのでは」と比較されることがあるが、タイプが違うし、こうしたタラレバの考え方にはあまり意味がない。