2012/02/18(土)「ドラゴン・タトゥーの女」
タイトルバックがとんでもなく格好良い。007シリーズを思わせる凝りようだ。スティーグ・ラーソンの原作を読み、スウェーデン版の映画(ニールス・アルデン・オプレヴ監督)を見ているので今回が3度目の「ミレニアム」体験。もはやストーリーは全部分かっている。興味はデビッド・フィンチャーがどう映像化しているかだ。
スウェーデン版でリスベット・サランデルを演じたノオミ・ラパスは僕にはまったくリスベットとは思えなかった。今回のルーニー・マーラはノオミ・ラパスより若い分、リスベットに近いし、ラパスより美人だ(マーラはこの映画でアカデミー主演女優賞にノミネートされた)。アクションを封じたダニエル・クレイグのミカエルも悪くない。ミレニアム誌の編集長エリカ役のロビン・ライトも悪くない。映画の雰囲気も悪くない。なのに今ひとつの感がつきまとうのは物語に新鮮みを感じられないためもあるのだろう。フィンチャーの映像感覚は面白く、シリアルキラーが主人公に迫る場面などは真骨頂という感じがするが、それでも原作のダイジェストの感は免れていない。
ミステリマガジン3月号のインタビューでフィンチャーはこう語っている。
「(原作で)もっとも僕が魅力を感じたのは中年ジャーナリスト、ミカエルと、若いパンクなハッカー、リスベットの関係性なんだ。ふたりは年齢も違えば性格も生活環境もまったく違う。ミカエルはさまざまな問題を抱えているが、自分でもそれが何なのか、判らない部分がある。リスベットもたくさんの問題と対峙しなくてはいけないが、諦めて直面しないようにしている。そういうふたりが出会って理解し合えたとき、それぞれの人生が転がり始める。僕にとっては彼らの関係性が変化していくのも面白かった」
原作の描き方に近い映画のラストはそういう二人の関係性を描くために当然必要だった。フィンチャーの理解は正しく、ミレニアムシリーズはリスベットを描かないと意味がないのである。マーラのリスベットがラパスのそれよりも原作のイメージに近くなったのはフィンチャーが原作を正しく理解しているからだと思う。
さて、2作目と3作目は作られるのだろうか。金髪の巨人が登場し、アクションに振った2作目の「火と戯れる女」が僕は原作の3部作で一番好きなので、ぜひ映画化してほしい。この2作は上下巻という感じなので、2作目を作ったら、3作目も作ってくれないと困るのだけれど。
2012/01/04(水)「冬の小鳥」
描かれる韓国の70年代の子供たちの姿は「クロッシング」の北朝鮮の子供たちに比べれば、まだ幸せだが、映画の作りはこちらの方が上。へたなセンチメンタリズムに陥らないところがいい。ウニー・ルコント、名前を覚えておくべきだろうが、自伝的な作品だった第1作だったからうまくいった可能性もある。2作目にどんな映画を撮れるのかは未知数だと思う。「クロッシング」はベタな展開で社会派の視点が希薄なのが惜しかった。