2001/04/24(火)「ザ・メキシカン」
ジュリア・ロバーツとブラッド・ピットの“夢の競演”が売り。ところがですね、2人が同じ画面にいるのは合計15分あったかどうか。要するに2人とも忙しくスケジュールが合わなかったのだろう。映画の出来もサイテーである。
最初の場面で2人が一緒にいたかと思ったら、ピットはメキシコ、ロバーツはラスベガスに行って、それぞれ話が進行する。なぜラスベガスで殺し屋とロバーツの交流など長々と見せられなければならないのかね。ピットの方のエピソードも締まりがなく、監督はユーモアを入れようとしたのだろうが、見事に失敗している。
リアルかユーモアかどっちつかずなのが、まず失敗の要因。ゴア・ヴァービンスキー(「マウス・ハント」)の緩みっぱなしの演出がそれに輪をかけた。そもそもロバーツとピットのカップルという設定からして、年齢的に無理があるような気がする。
2001/04/17(火)「ハンニバル」
クラリス・スターリング(ジュリアン・ムーア)の扱いを除けば、ほぼ原作通り。というか、原作のダイジェストに過ぎない。ちゃんとあの問題のシーンも映像化されている。しかし、やはり原作のような優雅さを備えることは無理だった。
アカデミー主要5部門を制した前作「羊たちの沈黙」を僕は原作ほど面白いとは思わなかった。あの5部門受賞というのは消えゆくオライオンへの同情票が多かった結果ということを覚えておいた方がいい。ジョナサン・デミの演出、ジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンスの演技には確かに見るべきものはあったけれど、あの映画もまた原作のダイジェストだった。
今回の失敗はキャラクターの整合性を取れなかったことにあるようだ。クラリスへの執着を見せるレクターは分かるにしても、クラリス自身のキャラの描き込みが足りないし、そのクラリスをいじめるクレンドラー(レイ・リオッタ)も原作ほど嫌な人物として描けていない。レクターの幼いころの回想を省いたのは仕方がないが、筋を追うのに精いっぱいで全体的に描写が足りないと思う。
小説「羊たちの沈黙」はサイコ・スリラーのジャンルを1作で売れるジャンルに押し上げたが、小説「ハンニバル」はそのジャンルの中でやや上位に位置するだけの作品である。その原作をほぼ忠実に映画化するだけで、前作を超える映画が生まれるはずがない。
笑ったのはアンソニー・ホプキンスが「タイタス」と同じような痛い場面を演じていること。ホントに「タイタス」はこの映画の予告編みたいなものだったのだな。それと最後の場面。原作では中盤にあり、最もユーモラスなシーンを最後に持ってきて、別の意味を与えたのは面白かった。
2001/04/03(火)「ミート・ザ・ペアレンツ」
ベン・スティラーが結婚を決めた彼女の両親に会いに行く話。根は善人なのにやることがすべて裏目に出るというタイプなのか、あるいはたまたまその日が最悪の運に見舞われたのか、遺灰の入った壺を割り、家を焼きそうになり、彼女の妹の目にアザを作りと、最悪の展開となる。
ゲラゲラ笑って見られる映画なのだが、どうも脚本が雑である。テレビのコメディを見ているような感じ。
監督は「オースティン・パワーズ」「オースティン・パワーズ デラックス」のジェイ・ローチ。父親を演じるロバート・デ・ニーロは怖くてどこか怪しげな役をうまく演じているし、スティラーもその彼女のテリー・ポロも悪くはないのだけれど、この脚本ではね。とりあえずのつじつま合わせのレベルで、見ていて
納得いかない。ギャグを散りばめるのはけっこうだが、その場限りの笑いよりは全体の統一を図った方が良かった。
2001/03/28(水)「ザ・セル」
ジェニファー・ロペス主演のサイコ・サスペンス。シリアル・キラーに誘拐された女性の居場所を探すため、小児科医(ロペス)が昏睡状態の犯人の精神世界に入っていく。そこで繰り広げられるイメージが見どころ。かなり気色の悪い場面もあるのだが、なかなか面白い出来と思う。
「マトリックス」によく似たアイデア。あちらはサイバー・スペース、こちらは人間の脳の中だから、こちらの方がじめじめして荒廃している。中で死ねば、現実世界でも死んでしまうというのは「マトリックス」と同じだ。
スタイル抜群のロペスがよろしいし、映画の展開も結末もまともである。CM出身のターセム監督のイメージの造形は見事。奇抜な衣装を担当したのは「ドラキュラ」でアカデミー賞受賞の石岡瑛子。これも見事。
2001/03/21(水)「プルーフ・オブ・ライフ」
南米の某国でアメリカの技術者(デヴィッド・モース)が反政府ゲリラから誘拐される。その妻メグ・ライアンとプロの交渉人ラッセル・クロウが誘拐交渉に当たる。クロウは会社から派遣されたのだが、会社は保険料を払っていなかったことが分かり、途中で帰国。しかし、再び戻り、仲間とともにゲリラの本拠地を襲撃。見事、夫を救い出す。
いったん交渉をやめたクロウがなぜ帰ってくるのか、あいまいである。メグ・ライアンに同情したのだろうが、これは人間的には納得してもプロとしてはあるまじき行為だろう。そういう男が優秀な交渉人であるはずはない。プロはビジネスで動くのが本筋。この誘拐交渉に成功してもなんら報酬はないのに命をかけますか。
物語の根幹にかかわる部分だけに気になる。こんなことなら途中で帰国する設定などない方が良かった。人道的な理由からであるなら、もっとそこを重点的に描く必要があった。テイラー・ハックフォード、何をやっておるのか。
導入部のチェチェンでのスピーディーな展開を見て、期待できるかと思ったが、全体的にどうも演出が緩い。クロウと息子との場面など後に少しも生きてこず、不要である。メグ・ライアンとラッセル・クロウはいいんですけどね。