2024/10/13(日)「室井慎次 敗れざる者」ほか(10月第2週のレビュー)
できるオーラを発散させているのに実は無能な鷹野ツメ子(菜々緒)が主人公のコメディー「無能の鷹」(テレ朝)がおかしかったので脚本家を確認したら、根本ノンジでした。これも漫画原作です。根本ノンジ、原作のあるドラマの脚本は20作以上書いているようです。脚色がうまい人なんでしょうか。
と思って、「無能の鷹」のKindle版1巻(例によってamazonで期間限定無料)を読んだら、ドラマはかなり脚色していることが分かりました。第1話はオリジナルの部分が半分以上を占めた感じで、追加したエピソードはどれもおかしくて良いです。コメディーの脚色に真価を発揮する人なのでしょう。いっそのこと、朝ドラもコメディーにしちゃえばいいんじゃないですかね。
「室井慎次 敗れざる者」
「踊る大捜査線」シリーズの室井慎次管理官を主人公とする劇場版。11月15日公開の「室井慎次 生き続ける者」と前後編の関係にあり、本作で起きた事件の解決は後編に持ち越されます。定年前に警察を退職した室井(柳葉敏郎)は故郷秋田の田舎で里子の2人、高校生の貴仁(齋藤潤)と小学生の凜久(前山くうが・こうが)と穏やかに暮らしていたが、家の近くで埋められた死体が発見される。死体は男で、かつてのレインボーブリッジ封鎖(できなかった)事件の犯人グループの1人だった。そんな時、室井の前に1人の少女が現れる。その少女、日向杏(福本莉子)は猟奇殺人犯・日向真奈美(小泉今日子)の娘であることが分かる。杏は室井の家で一緒に暮らすことになるが、悪意のこもった不審な言動をして仲の良かった3人の間に波紋を引き起こす。
というわけで、劇場版1作目と2作目の事件が関係してくる展開です。このほか、湾岸署の警官だった甲本雅裕、遠山俊也、管理官で今は秋田県警本部長の筧利夫らが出演。回想場面で織田裕二、深津絵里、ユースケサンタマリア、真矢ミキも出てきます。ドラマとこれまでの劇場版を参照したセリフ・場面もありますが、ほとんどはエンドクレジットの映像で説明されていて、これまでのシリーズを見ていなくても大きな支障はありません。
君塚良一脚本らしいなと思うのは母親(佐々木希)を殺された貴仁が弁護士(生駒里奈)の要請で犯人と面会する場面。弁護士は裁判での情状酌量を目当てに事件を反省する犯人の手紙を貴仁に送らせ、面会にこぎつけたのですが、実際には反省のかけらも見られない犯人を目にした貴仁は室井に影響された正義感あふれる言葉を犯人に投げつけます。
貴仁、凜久、杏はいずれも犯罪被害者・加害者の家族。この設定は君塚良一監督・脚本の「誰も守ってくれない」(2009年)のテーマと通底しています。「被害者も加害者も、残された者の思いは一緒かもしれない。それまで一緒に暮らしていた者を失うってことでは」というセリフが「誰も守ってくれない」の中にありました。こう話したペンション経営者は息子を殺されていて、それを柳葉敏郎が演じていました。
続きをどうしても見たくなるクリフハンガー的なラストではありませんが、君塚良一の脚本は好きなので、次も見たいと思います。監督は「踊る」シリーズのほとんどを担当している本広克行。
▼観客多数(公開初日の午前)1時間55分。
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」
「バットマン」シリーズの悪役ジョーカーをシリアスに描いて高い評価を得た「ジョーカー」(2019年)の続編。前作でジョーカーことアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は格差社会への怒りを背景に民衆のヒーローとなりました。監督のトッド・フィリップスは本作でそれをぶち壊しています。低評価の一因はその筋立てにもあるのでしょうが、語り方としてもあまりうまくないと思えました。「フォリ・ア・ドゥ」は二人狂い=感応精神病のこと。公式サイトには「妄想を持った人物Aと、親密な結びつきをのある人物Bが、あまり外界から影響を受けずに共に過ごすことで、AからBへ、もしくはそれ以上の複数の人々へと妄想が感染、その妄想が共有されること」とあります。
前作の最後でアーカム州立病院に収容されたアーサーはジョーカーを信奉するリー(レディー・ガガ)と出会い、2人は愛し合うようになる。周囲から理解されず、孤独だったアーサーにとっては初めての恋人。アーサーは妄想の中でリーと一緒に歌い、踊る。病院内で、そして自身の裁判が行われる法廷で。
面会室の場面でレディー・ガガが歌う「遙かなる影」“(They Long To Be) Close To You ”が良いです。ガガの歌声には1970年に歌ったカレン・カーペンターに劣らない魅力があります。
しかし、この映画、ミュージカルにする必要があったとは思えません。「ジョーカーはいない」と裁判の最終弁論で唐突に言うアーサーの心の変化をもっと詳細に描いた方が良かったでしょう。
「二人狂い」のタイトルとは裏腹に、これはジョーカーが正気のアーサーに戻る物語であり、狂気の伝染・拡大を常識的に止める物語。その過程に説得力がないことが低評価の要因だと思います、
IMDb5.3、メタスコア45点、ロッテントマト33%。
▼観客7人(公開初日の午後)2時間18分。
「ナミビアの砂漠」
カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した山中瑶子監督作品。男女の間には深い溝があるなあと思わざるを得ない映画で、主人公カナ(河合優実)の行動が僕にはよく理解できません。女性は共感を持つ場合が多いようなので、深い溝を感じた次第。カナは美容脱毛サロンに勤める21歳。同棲相手のホンダ(寛一郎)がいますが、今はハヤシ(金子大地)とも付き合っています。ホンダはカナのために食事を用意し、経済的にも援助しています。しかし、北海道出張から帰ってきたホンダは先輩の誘いで風俗に行ってしまったと告白。カナはこれ幸いと、ホンダがいない間にアパートを出て、ハヤシのアパートで暮らし始めます。
優しく保護してくれるホンダの方が良い男のように思えますが、保護と支配は紙一重。言いたいことを言えて、喧嘩で殴ったり蹴ったりできるハヤシとの関係の方が対等になれるのかもしれません。ところが、対等どころか、「仕事やめていい?」と聞くカナにはあきれます。今は家事もほとんどしていないようでアパートは散らかり放題ですが、仕事をやめれば改善されるんですかね? 身近にいると限りなく腹が立つ、自己中心的タイプと思えました。
ただ、そういう理解できない女を演じても河合優実は良いです。「あんのこと」(入江悠監督)に続く今年2本目の主演作ですが、多くの監督から引っ張りだこなのはルックスも演技もそれほどの実力を備えているからでしょう。今後も主演作を見るのが楽しみです。
風俗に行ったことを平謝りするホンダを見て連想したのは「結婚しない女」(1977年、ポール・マザースキー監督)で1年前からの不倫を泣きながら告白する夫を冷めた目線で見るジル・クレイバーグのこと。当時、「ジュリア」や「グッバイガール」「ミスター・グッドバーを探して」など自立する女性を主人公にした女性映画のくくりがありましたが、思えば、当時の作品はどれも男性監督の映画でした。男性目線のフィルターが入っているので、男にも理解しやすかったのでしょう。
▼観客7人(公開5日目の午後)2時間17分。
「ランサム 非公式作戦」
レバノンで拉致された韓国人外交官の実話を基にしたアクション。救出の詳細を韓国政府が明らかにしていないので、物語のほとんどはフィクションでしょう。前半は普通の出来、後半はとても面白く見ました。外交官が拉致されたのは1986年1月。それから1年半後に生きていることが分かり、身代金500万ドルを払うため外交官のイ・ミンジュン(ハ・ジョンウ)がレバノンに派遣されます。ミンジュンは現地で知り合った韓国人タクシードライバーのキム・パンス(チュ・ジフン)の協力を得て、半金の250万ドルを支払いますが、韓国政府が残りの250万ドルを払うのを渋ったため、救出した外交官と3人でレバノンを自力で脱出する羽目になります。
監督は「最後まで行く」(2014年)のキム・ソンフン。手堅い演出で、アクションシーンだけでなく、クライマックスの空港のシーンなどは感動的に盛り上げています。
IMDb6.6、ロッテントマト90%(アメリカでは限定公開)。
▼観客7人(公開7日目の午後)2時間13分。
「ふれる。」
ある島に伝わる不思議な生き物“ふれる”を通じて親友になった男3人を描くアニメーション。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(2013年)「心が叫びたがってるんだ。」(2015年)の長井龍雪監督作品で、脚本は岡田麿里。ふれるには触れ合うと、お互いの考えていることが分かる能力があり、そのことで3人は親友になるわけですが、ふれるの本当の能力は実は、ということが終盤に分かります。
東京での男3人の共同生活に女性2人が加わったことで、3人の関係に変化が生まれるドラマが良いです。これは実写でもOKな話ではと思ってしまいますが、クライマックスにはスペクタクルなシーンがあります。ただ、これはなくても良いシーンじゃないですかね。それまでのドラマが充実しているだけにそう思えました。
▼観客11人(公開6日目の午後)1時間47分。
2024/10/06(日)「ぼくが生きてる、ふたつの世界」ほか(10月第1週のレビュー)
霊媒師の祖母から受け継いだ超能力が発現する主人公の綾瀬桃、妖怪ターボババアの霊力を得たオカルトマニアのオカルンこと高倉健(!)の声をそれぞれ演じる若山詩音と花江夏樹もイメージ以上。2話目以降も楽しみです。
「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
五十嵐大の自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」(幻冬舎文庫版は映画と同じタイトルに改題)を港岳彦脚本、呉美保監督で映画化。耳の聞こえない両親を持つ主人公の誕生からほぼ時系列で描き、両親、特に母親への反発と理解するまでを描いています。宮城県の小さな港町が舞台。五十嵐大(吉沢亮)は耳のきこえない両親(忍足亜希子、今井彰人)から生まれ、祖父母(でんでん、烏丸せつこ)も一緒に暮らし、愛されて育った。大は幼い頃から母に手話で通訳する良い子だったが、小学生の頃、家に来た友人に「お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」と言われたことから、両親に対して徐々に複雑な感情を抱くようになる。人前では母親を避けるようになり、参観日があることも知らせなかった。高校受験に失敗した大は母親に「お母さん、何も助けてくれなかったじゃん! 俺、こんな家、生まれてきたくなかったよ!」と理不尽な言葉を投げ付けてしまう。親へのもやもやを抱えたまま、大は20歳の時、東京に旅立つ。
主人公がコーダであることから「コーダ あいのうた」(2021年、シアン・ヘダー監督)を思い浮かべて見ていましたが、それ以前にろうの両親とコーダの息子の関係を描いた映画に松山善三監督の「名もなく貧しく美しく」(1961年、キネマ旬報ベストテン5位)があるのを思い出しました。今見返してみると、ろう者の高峰秀子が中途失聴者の設定ではあっても、話しすぎではないかと思えますが、母に対する反発を覚える息子という関係は「名もなく…」でもしっかり描かれていました。
違うのは母親視点の「名もなく…」に対して、本作は息子の視点で描かれていること。思春期の行動があんまりなので、この息子、見苦しい自己憐憫と見当違いの被害者意識を持ったしょうがないやつと思えてきますが(自分のことなのに原作者も「どうしてそんなひどいことを言うんだろう」と映画を見て思ったそうです)、この母親と息子の関係はろう者とコーダの枠を超えて普遍性のあるものになっています。
また、この映画、ろう者の役はすべて実際のろうの役者が演じたそうです。ろう者の役を聴者が演じることは世界的に、特にアメリカ映画ではコンプライアンス的にNG。日本ではその意識が低いこともあって、テレビドラマではまだ普通にやってますが、これは作品中心ではなく役者ありきの企画のためもあるでしょう。
パンフレットを読むと、呉美保監督、脚本の港岳彦、主演の吉沢亮、忍足亜希子がいずれも題材に対して真摯に誠実に取り組んでいることがよく分かります。映画の出来が水準をしっかりクリアしたのはそうした取り組みの結果でしょう。ただ、傑作と呼ぶにはもう少しプラスαの部分が欲しかったと思います。登場人物の同じ環境をエンタメにくるんで感動的に描きあげた「コーダ あいのうた」の域に到達するのはなかなか難しいことなのでしょう。
▼観客多数(公開2日目の午後)1時間45分。
「トランスフォーマー ONE」
オプティマスプライムとメガトロンが誕生するまでを描く3DCGアニメ。そう聞いて、何も感じない人は見る必要のない映画です。と思いましたが、始まりの話なので知識ゼロでもOKです。僕は「トランスフォーマー」シリーズには何の思い入れもありません。物語はサイバトロン星で終始し、地球は出てきません。そうなると、オプティマスプライムのトレーラーをはじめ、機械生命たちが人間の乗り物である自動車にトランスフォームするのは変ですね。この映画の中にその説明はありませんでしたが、他の作品で説明されてるんですかね?
物語自体は真っ当な作りでした。監督は「トイ・ストーリー4」(2019年)のジョシュ・クーリー。
IMDb7.8、メタスコア63点、ロッテントマト89%。
▼観客11人(公開14日目の午後)1時間45分。
「シビル・ウォー アメリカ最後の日」
内戦の銃撃戦よりも、無法地帯となり武器を持つ兵士が跋扈する描写が怖いです。廃墟を行くジャーナリストたちの描写がまるで「ウォーキング・デッド」のような終末SFに似ているのは監督のアレックス・ガーランドが「エクス・マキナ」(2015年)「アナイアレイション 全滅領域」(2018年)「MEN 同じ顔の男たち」(2022年)などほとんどSFばかりを撮ってきた人だからでしょう。いや、ガーランドは「28日後…」(2002年、ダニー・ボイル監督)というソンビが跋扈する終末SFの脚本も書いているので、同種の「ウォーキング・デッド」の名前を出すまでもないですね。ちなみに「28日後…」には続編の「28週後…」(2007年、フアン・カルロス・フレスナディージョ監督)がありますが、さらにガーランド脚本、ボイル監督で「28年後…」の製作が予定されています。
連邦政府から19州が離脱し、テキサス・カリフォルニア同盟からなる西部勢力と大統領率いる政府軍の内戦が続いているという設定。政府軍が敗色濃厚の中、ニューヨークの戦場カメラマン、リー・スミス(キルステン・ダンスト)は14カ月も取材を受けていない大統領に単独インタビューするため、ワシントンD.C.までの1379キロを記者のジョエル(ワグネル・モウラ)、ベテラン記者サミー(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)、若手カメラマン・ジェシー(ケイリー・スピーニー)とともに車で行こうとする。途中、リーたちは略奪者を拷問する男たちや民兵グループの銃撃戦、残虐な武装集団に遭遇する。
民主党が強いカリフォルニア州と共和党の支持基盤であるテキサス州が手を組むのは大統領がファシストだからで、民主・共和が協力してファシズムを倒すのがこの映画の構図です。ホワイトハウスはいわば悪の巣窟と化しており、西部勢力はそれを奪還する正義の戦いを行っているわけです。「スター・ウォーズ」の帝国対反乱軍の構図と同じと言えるでしょう。ただ、これはパンフレットのガーランド監督のインタビューを読んで分かったことで、映画では詳しく説明していません。
クライマックスにはホワイトハウス周辺での大迫力の戦闘が描かれます。個人的にはその前のシーン、大量の死体を処分しようとしている兵士たちにリーたちが遭遇するシーンが戦場での命の軽さを描いて秀逸だと思いました。無造作にアジア人を射殺する赤いサングラスの兵士を演じたジェシー・プレモンスが怖すぎです(急遽の代役で撮影も2日間で終わったためかクレジットされていません)。
カメラマン役のケイリー・スピーニーは26歳ですが、主演した「エイリアン ロムルス」よりもずっと若い感じで、10代かと思いました。
IMDb7.0、メタスコア75点、ロッテントマト81%。
▼観客30人ぐらい(公開初日の午前)1時間49分。
「流麻溝十五号」
白色テロ時代の台湾で島の政治犯収容所の女性たちを描く事実を基にしたドラマ。白色テロは1949年から1987年まで続きましたが、映画が描くのはその初期の1953年。収容所に連行された者たちは名前ではなく番号に置き換えられ、重労働を課せられます。絵を描くことが好きな高校生・ユー・シンホェイ(ユー・ペイチェン)、子どもが生まれて問もなく投獄された看護師イエン・シュェイシア(シュー・リーウェン)、妹を拷間から守るため自首したチェン・ピン(リェン・ユーハン)らは一日一日を生き延びようとします。台湾で行われたのは共産主義者への弾圧ですが、共産党政権が弾圧する場合もかつての中国やカンボジアを持ち出すまでもなくあります。いずれにしても独裁・強権政治がやることにろくなことはない、ということを痛感させる映画です。タイトルの流麻溝十五号は収容所の住所。監督はゼロ・チョウ。主演のユー・ペイチェンは古川琴音に似てますね。
IMDb7.1(アメリカでは未公開)
▼観客7人(公開6日目の午前)1時間52分。
「ビートルジュース ビートルジュース」
ティム・バートン監督のホラーコメディー「ビートルジュース」の36年ぶりの続編。前作も好きでしたが、今作も悪くありません。ビートルジュース役のマイケル・キートンは白塗りメイクだけに年齢を感じさせません。前作で結婚を迫られたウィノナ・ライダーはさすがに年齢的には厳しいですが、「ストレンジャー・シングス」に続いて母親役がよく似合ってます。その娘アストリッドを演じるのが「ウェンズデー」(Netflix)のジェナ・オルテガ。ビートルジュースの元妻ドロレスを演じるモニカ・ベルッチは現在、バートンと交際中だそうです。
バートンの趣味なんでしょうが、「マッカーサー・パーク」や「ソウル・トレイン」などの音楽が懐かしかったです。
IMDb7.0、メタスコア62点、ロッテントマト77%。
▼観客4人(公開5日目の午後)1時間45分。
2024/09/29(日)「憐れみの3章」ほか(9月第4週のレビュー)
2024年から戦争中の昭和19年(1944年)に家ごとタイムスリップした脚本家・田宮太一(大泉洋)の一家5人と知人の小島敏夫(堤真一)親子の物語。7人は社会環境の大きな違いに戸惑いながらも、協力して戦時下の厳しい時代を生きていくことになります。そして10万人が死んだ東京大空襲の犠牲者を少しでも減らそうと、ゲリラ的な周知活動を始めます。
タイムスリップの理由も仕組みも明らかにされず、単なるタイムスリップではない可能性も示唆されますが、詳細は説明されません。ポイントは、唐突でショッキングなラスト(タイトルはここを指しています)と、子どもたちが次第に戦争中の鬼畜米英意識に染まっていく描写にあります。山田太一は小学5年で終戦を迎えたそうで、戦時中の空気を知っていることがこの小説を書かせたのでしょう。
ドラマは残念ながら、CMを入れた2時間枠では描写が足りず、ダイジェスト感が否めませんでした。クドカンはこの小説を読んで「不適切にもほどがある!」を発想したんじゃないかと、ふと思いました。
「憐れみの3章」
ヨルゴス・ランティモス監督によるブラックで奇妙な味わいの3話のオムニバス映画。「R.M.F.の死」「R.M.F.は飛ぶ」「R.M.F.はサンドイッチを食べる」の3話で、出演者は3話それぞれで別の役を演じています。R.M.F.って何だと思ってしまいますが、登場人物の服の胸にある刺繍として出てくるものの、特に説明はありません。
「女王陛下のお気に入り」(2018年)「哀れなるものたち」(2023年)では薄められたランティモス作品の気味の悪さ、おぞましさがやや復活した印象で、これは「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」(2017年)までランティモス映画の脚本を担当していたエフティミス・フィリプが脚本に再び加わったことも影響しているでしょう。
3話のうち、僕が特に面白かったのは第2話。海で行方不明となった妻(エマ・ストーン)が無事に帰ってくる。妻は靴のサイズが合わなくなっているなどおかしな点があり、夫(ジェシー・プレモンス)は妻そっくりの別人ではないかと疑う。そのためか、奇妙な行動が多くなった夫は「君の指を料理して食べさせてくれ」と頼む。
ジャック・フィニイ「盗まれた街」のようにSF的にいくらでも発展させられそうな設定ですが、ランティモス作品なので妻の正体は謎のままです。妻が不明の間、同僚の友人夫婦の家に行った主人公は「久しぶりに妻のビデオを見たい」と頼みます。友人は「それはあまり良い考えではないと思うよ」と止めますが、それもそのはず、そのビデオは友人夫婦との4Pセックスを映したものでした。この第2話は描写も強烈なのでご注意。
万人向けの映画とは言えませんが、第3話にあるエマ・ストーンのくねくねダンスなど奇妙なおかしさも至るところにあり、そういう変わった映画を好きな人には楽しめると思います。
IMDb6.6、メタスコア64点、ロッテントマト71%。
▼観客4人(公開初日の午後)2時間44分。
「アビゲイル」
身代金目的で富豪の娘・12歳のアビゲイルを誘拐したら、この少女はヴァンパイアで、犯人グループは屋敷に閉じ込められて1人1人殺されていく、というホラー。予告編で少女=ヴァンパイアのネタを割っていましたが、それを知っていても悪くない出来だと思いました(何も知らないで見るに越したことはありません)。吸血鬼の心臓に杭を打つと、吸血鬼は絶命して灰になる、という描写が一般的ですが、この映画の場合、爆発して盛大に血肉をばらまきます。そうした派手な血みどろ描写が苦手な人は後半を評価しないでしょう。僕ももう少し描写のバリエーションが欲しいとは思いましたが、そこを理由に貶すほどではないです。ただし、吸血鬼にとって人間は単なる餌なので、人間に対して親しみや友情を感じることはないんじゃないでしょうかね。
犯人グループには主人公のジョーイ(メリッサ・バレラ)とサミー(キャスリン・ニュートン)という女性2人がいます。メリッサ・バレラは「スクリーム」シリーズや「イン・ザ・ハイツ」(2020年、ジョン・M・チュウ監督)に出演。キャスリン・ニュートンは「ザ・スイッチ」(2020年、クリストファー・ランドン監督)で殺人鬼と体が入れ替わる女子大生を演じていました。監督は「スクリーム」(2022年)のマット・ベティネッリ=オルピン。
IMDb6.6、メタスコア62点、ロッテントマト83%。
▼観客5人(公開14日目の午前)1時間49分。
「Cloud クラウド」
パンフレットのインタビューで黒沢清監督が言及している「まったく知らない他人同士がインターネット上で連絡を取り合い、ターゲットとなる人物を殺害してしまった」事件はたぶん「名古屋 闇サイト殺人事件」(2007年)でしょう。知らない人間同士が協力して事件を起こすというのは「アビゲイル」の誘拐犯グループも同じでした。黒沢監督は「僕は前々から殺人の理由などないと思っています」と語っています。「誰の身にもふとしたことで起こりうる突発的な事態なのではないか」。前作「Chime」もそうでしたが、作品に不条理さがつきまとうのはそうした考えがあるからなのでしょう。
映画の前半はネットで転売屋を営む主人公(菅田将暉)のあくどい手口を描き、後半は一転して、主人公を狙う男たちとの銃撃戦になります。男たちは主人公と直接的な関わりがあったり、ネットであくどさを知っている程度だったりします。普通なら殺人までは考えないでしょうが、それが命を狙ってくるのは黒沢監督の「殺人の理由などない」という考えの表れでしょう。ただし、こうした映画で観客は「腑に落ちたい」と思う場合が多く、腑に落ちないと「説得力がない、描き方が足りない」と思ってしまいます。というか、僕はそう思いました。このあたりは不条理さの魅力とトレードオフのところがあります。主人公が転売で儲けた金目当てという設定を入れると良かったかもしれません(この主人公はあまり金を貯め込んでいませんが)。
映画評論家の森直人は前半と後半で『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996年、ロバート・ロドリゲス監督)並みにジャンルが変わる、とパンフレットに書いていますが、それを言うなら、「アビゲイル」もそうで、ヴァンパイア絡みということで言えば、「アビゲイル」の方が「フロム・ダスク…」に近いです。ただ、話の構造は似ているにしても、両者ともパクリではありません。もちろん、黒沢監督は「フロム・ダスク…」を意識してはいなかったでしょう。
アカデミー国際長編映画賞の日本代表作品に選ばれたそうですが、ノミネートは厳しいんじゃないかと思いました。
IMDb6.4、メタスコア71点、ロッテントマト91%。
▼観客12人(公開初日の午前)2時間3分。
「ぼくの家族と祖国の戦争」
第二次大戦中、ドイツから難民受け入れを強いられたデンマークの人々を描くドラマ。1945年4月、ナチス・ドイツの占領下にあったデンマークのフュン島が舞台。市民大学の学長ヤコブ(ピルー・アスベック)は現地のドイツ軍司令官から難民200人を学校に受け入れろと命令される。ところが、列車で到着した難民は500人以上。体育館に収容するが、ドイツ軍は食糧を用意せず、子どもを含む多くの難民が飢餓と感染症の蔓延で命を落としていく。見かねたヤコブと妻のリス(カトリーヌ・グライス=ローゼンタール)は救いの手を差し伸べる。それは同胞たちから裏切り者と扱われかねない行為だった。
今の難民問題にも通じるテーマですが、ここでの難民は戦争敵国の人間なので問題は複雑です。非戦闘員であってもナチスのバッジを付けた人間も含まれています。それでもイデオロギーや主義主張の違いを超えて、目の前で苦しむ人を放っておけないという人道的な気持ちで救おうとする学長の判断はまったく正しいと思います。
事実を基にしているそうですが、どこまでが事実なのかは分かりません。監督は「バーバラと心の巨人」(2017年)のアンダース・ウォルター。
IMDb7.0(アメリカは未公開)
▼観客6人(公開3日目の午前)1時間41分。
「ある一生」
1900年頃のオーストリア・アルプスを舞台に1人の男の苦難に満ちた生涯を描くドイツ=オーストリア合作映画。ブッカー賞最終候補にもなったローベルト・ゼーターラーのベストセラー小説が原作で「ハネス」(2021年)のハンス・シュタインビッヒラーが監督しています。孤児の少年アンドレアス・エッガー(イヴァン・グスタフィク)が主人公。エッガーは遠い親戚クランツシュトッカー(アンドレアス・ルスト)の農場に引き取られますが、安価な働き手の扱いで、虐げられます。心の支えは老婆アーンル(マリアンヌ・ゼーゲブレヒト)の存在だけ。成長したエッガー(シュテファン・ゴルスキー)はアーンルが亡くなると農場を出て、日雇い労働者として生計を立てます。ロープウェーの建設作業員として働いているとき、マリー(ユリア・フランツ・リヒター)と出会い、結婚。しかし、幸せは長くは続かず、子どもを妊娠していたマリーは雪崩の犠牲になってしまいます。
80年の生涯なので2時間弱で描くにはダイジェストに成らざるを得ない部分があります。ただ、原作は160ページしかなく、それほど端折っているわけではないのかもしれません。
IMDb7.0(アメリカでは映画祭での上映のみ)
▼観客7人(公開13日目の午前)1時間55分。
2024/09/22(日)「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」ほか(9月第3週のレビュー)
リカは「誰に対してもフェアで自然体に物を言う」半面、真意が見えにくいところがあり、明るい言葉と振る舞いで本当の気持ちを覆い隠しているようにも見えます。複雑なキャラであり、かつ一途でけなげな面もあるのが最強です。
Wikipediaには「月曜夜9時には繁華街から人影(特に20代のOL層)が消えるほどだった」と、かつての「君の名は」(1952年、ラジオドラマ放送時に銭湯から女性が消えた)みたいな書き方がしてあります。リカのキャラは男女を問わず、惹きつけられるものがあり、今さらながら大ブームになった理由を納得できました。33年前のドラマですが、基本的な人間関係とセリフは今も感情を揺らします。名作は普遍的なわけですね。
リメイク版(2020年、脚本は北川亜矢子)も少し見ましたが、リカ(石橋静河)のキャラが分かりやすすぎました。同じ名前のキャラは登場するものの、別物と思った方が良いです。
「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」
シリーズ第3弾は宮崎ロケ。青島海水浴場から始まってニシタチ、文化ストリート、県庁、シーガイア、宮交ボタニックガーデン青島などでアクションが展開されます。1作目(2021年)が抜群に面白かったのに対して、2作目「2ベイビー」(2023年)がそうでもなかったのは、まひろ(伊澤彩織)の格闘アクションが少なかったからでした。今回は存分にあり、格闘場面に関してはシリーズ一番の出来と言って良いと思います。クライマックス、最強の殺し屋・冬村かえで(池松壮亮)との死闘は見応え十分で、かつてのクンフーアクション、特にブルース・リーのアクション映画を彷彿させました。ここが素晴らしいのはエモーションが乗っかっているからで、銃→ナイフ→素手の格闘で冬村にボッコボコにやられたまひろを助けるため、ちさと(高石あかり)がまひろに向けられたナイフを素手でつかんで反撃し、頭突きで双方とも気絶。血だらけのまひろが立ち上がり、目を覚ました冬村との死闘を繰り広げていく、と展開していきます。パンフレットによると、この死闘場面は旧内海オートキャンプ場で撮影したそうです。
アクション監督は今回も園村健介。スピード感と痛みを感じさせる難度の高いアクションを演出しています。伊澤彩織がすごいのは言うまでもありませんが、池松壮亮もすごいです。「シン・仮面ライダー」(2023年)はあるものの、本格的な格闘アクションはたぶん初めてだと思いますが、今後もアクションで十分やっていけると思わせました。
池松壮亮とともに、地元の殺し屋・入鹿みなみを演じる前田敦子という実績のある役者2人をキャスティングしたことで、映画に格と幅が出ました。今回の成功要因はこの2人を出したことにもあるでしょう。
伊澤彩織はインタビューで池松壮亮について「池松さんに敵う俳優はいないです」と語っています。「ラストファイトでかえでがまひろに馬乗りになるところで、対面してる池松さんの表情を見て『本当に殺される』と思ったんです。顔を真っ赤にしながら、執念強い眼差しで。人間ってこんな決死の表示ができるのかと思いました。あの爆発力は到底敵う相手じゃない」。サイコチックなところがある冬村かえでを池松壮亮はリアルに演じきっています。
高石あかりは伊澤彩織ほどの格闘アクションはできませんが、1作目に比べると演技面の成長が目覚ましいです。多数のドラマ・映画で経験を積んでいるので伊澤彩織を演技面でリードする形になっています(だからこそ、いいコンビになってきたなと思います)。園村健介監督・阪元裕吾脚本の「ゴーストキラー」に単独主演するとのこと。1作目のクライマックスで伊澤彩織と死闘を見せた三元雅芸が出演しており、これも楽しみです。
阪元裕吾監督の演出は時折緩い場面を入れるのが持ち味なんでしょうが、脚本をもう少し練ってほしいところ。かつての香港映画同様に脚本に弱さを感じます。面白いストーリーに見応えのあるアクションを組み合わせた映画にするのが理想で、それにはアクションに詳しい脚本家と共同作業しても良いのではないかと思います。
放送中のドラマ「ベイビーわるきゅーれ エブリディ!」(テレ東)はちさととまひろの緩い日常を堪能できますが、アクションには映画ほど力を入れていません。毎週のドラマで過激なアクションを入れるのは無理なのでしょう。
パフレットはCDが付属して1300円。主題歌の女王蜂「狂詩曲」を繰り返し聴いてます。
▼観客15人ぐらい(公開初日の午後)1時間52分。
「ボストン1947」
1947年のボストンマラソンで朝鮮のソ・ユンボク(イム・シワン)が優勝した実話を基にした韓国映画。ユンボクを指導したのがベルリン五輪マラソン金メダルのソン・キジョン(ハ・ジョンウ)と同3位のナム・スンニョン(ペ・ソウ)。日本統治時代だったため2人は日本選手として五輪に出場し、獲得したメダルも日本のメダルとして記録されました。朝鮮が次の五輪に出るためには国際大会での実績が必要なため2人はユンボクを朝鮮代表としてボストンマラソンに出場させようとしますが、さまざまな困難を乗り越えなければならなかった、というストーリー。愛国心高揚タッチが少し気になりますし、スポーツものとして特に優れた部分も見当たりませんが、笑いと感動の物語としてのまとめ方はまずまずでした。
気になったのはクライマックス、朝鮮の人たちがボストンマラソンのラジオ中継に聴き入るシーン。「はて?」、当時、通信衛星はもちろんありませんし、どうやって中継できたんでしょう? 短波ラジオならアメリカから朝鮮まで電波が届く可能性はありますが、スポーツ大会の中継を短波放送でやったんですかね?
また、大会出場のため朝鮮の人たちがカンパするシーンがありますが、Wikipediaには、参加費用は「在韓米軍の寄付により賄われた」とあります。参加の障害にしかなっていない映画での在韓米軍の描き方とは随分違います。ユンボクが着るユニフォームも、映画のように太極旗だけでなく、星条旗も付けていたそうです。こういう実話を基にした映画でフィクションを入れるのは普通ではありますけど、都合の良い改変に思えました。
ユンボクと仲良くなる食堂の女の子がちょっとかわいいなと思ったら、パク・ウンビンでした。監督は「シュリ」(1999年)「ブラザーフッド」(2004年)などのカン・ジェギュ。
IMDb7.0、ロッテントマト80%(アメリカでは限定公開)。
▼観客2人(公開5日目の午後)1時間48分。
「ヒットマン」
偽殺し屋のおとり捜査官ゲイリー・ジョンソンは実在しましたが、映画はそれをざっくりと基にしたフィクション。この映画に対する一般観客の評価があまり芳しくないのは全面的に肯定できない方向に物語が向かうからでしょう。観客の多くは道徳的であるわけです。ニューオーリンズのゲイリー・ジョンソン(グレン・パウエル)は大学で心理学と哲学を教えながら、地元警察に技術スタッフとして協力している。おとり捜査で殺し屋になるはずの警官が職務停止となり、ゲイリーが代役を務めることになる。これを予想以上にうまくやりおおせたゲイリーは依頼人の好みに合わせたプロの殺し屋になりきり、殺人の証拠を集めて依頼人を次々に逮捕へと導く。ある日、夫から暴力を振るわれているマディソン(アドリア・アルホナ)が夫の殺害を依頼しにくる。殺し屋ロンとして事情を聞いたゲイリーは彼女を見逃してしまう。
クスクス笑って見ていましたが、笑い事じゃなくなる事態となるのが映画のポイント。マディソンと恋に落ちたゲイリーはのっぴきならない立場に追い込まれてしまいます。リチャード・リンクレイター監督作品なので単なるコメディーにはならないですね。そこも含めて僕は面白いと思いました。「恋するプリテンダー」「ツイスターズ」に続いて今年3本目のグレン・パウエルは脚本にもクレジットされています。
IMDb6.8、メタスコア82点、ロッテントマト95%。
▼観客5人(公開7日目の午後)
「あの人が消えた」
前半はあるマンションで住人が消えるミステリー、後半はその謎解きですが、これがもうテレビのバラエティー並みのアイデア&演出でした。まあ、それでも笑って済ませようかと思ったんですが、その後にもう一つある追加の(真相の)シーンが問題。某有名アメリカ映画(四半世紀前の作品)のまんまパクリでした。ここであきれ果てて大きく減点。ここを褒める人は明らかに先行作品を見ていない人ですね。前半の描き方も素人並みの出来。このレベルの脚本で映画化にGOサインを出すのはまずいのではないでしょうかね。監督はバラエティー番組のディレクター出身で(やっぱり)、「劇場版 お前はまだグンマを知らない」(2017年)の水野格。
高橋文哉、田中圭、北香那、坂井真紀、染谷将太、菊地凛子などの出演者は悪くないです。特に田中圭。予告編にもあった「神隠し……。千尋だけに」など笑いました。
▼観客7人(公開初日の午前)1時間44分。
2024/09/15(日)「侍タイムスリッパー」ほか(9月第2週のレビュー)
「推しの子」は実写版が制作中で、11月28日からamazonプライムビデオでドラマを配信した後、続きとなる映画を12月20日から劇場公開する予定です。監督は映像作家スミスと松本花奈。スミスって誰だと思って、経歴を調べると、ミュージックビデオのほか、テレビドラマの演出も多い監督でした。楽しく見ていた「アンラッキーガール!」(2021年・日テレ、福原遥主演)がフィルモグラフィーにあったので少し安心しました。
宮崎ロケをしたという話は聞かないので、実写版に宮崎は出てこないのでしょうが、齋藤飛鳥や原菜乃華などのキャストは原作のイメージに合った人選なので楽しみに待ちたいと思います。
「侍タイムスリッパー」
幕末の侍が現代にタイムスリップして、時代劇の斬られ役になる笑いと涙のドラマ。SF部分は設定にとどまり、内容は時代劇とその制作に携わる人たちへの愛情あふれる作品になっています。終盤にもう一つSF的展開があるかと期待していたので、少し肩透かしの気分にはなりましたが、時代劇への愛情はたっぷり伝わりました。幕末の京都、会津藩士高坂新左衛門(山口馬木也)は「長州藩士を討て」との密命を受ける。屋敷から出てきた山形彦九郎(庄野崎謙)と刃を交えた時、雷がとどろく。気を失った高坂が眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所だった。高坂は撮影所の助監督・山本優子(沙倉ゆうの)に助けられ、戸惑いながらも寺の仕事を手伝って暮らし始める。高坂が守ろうとした江戸幕府は140年前に滅んだと知り愕然となるが、撮影所で斬られ役をやることになり、生きがいを見いだしていく。
自主制作映画なので安田淳一監督は脚本・撮影・編集・照明なども担当しています(米農家でもあるそうです)。脚本の出来が良かったため東映京都撮影所が全面協力し、キャストに有名な俳優はいませんが、自主映画とは思えない仕上がりになっています。
映画を見ながら温かい気持ちになるのは撮影現場を支える多数の人たちが描かれているからです。時代劇に限らず、映画やドラマは無名のキャストやスタッフの隠れた努力で出来上がっているんだなと改めて感じさせます。
少し気になったのは音響の品質と、クライマックスの展開。特に後者は過去に同じような事例で重傷者(後に死亡)を出して大きな問題になったことと、必然性に欠ける面があり、一工夫したいところでした。
映画史・時代劇研究家で映画評論家の春日太一が、時代劇への愛情を込めた「時代劇は死なず! 京都太秦の『職人』たち」(集英社新書→河出文庫に完全版)を書いたのは2008年でした。製作本数が激減した時代劇の瀕死の状況は今も変わらず、これが今後、大きな変化を迎えることも難しいように思います。それでも時代劇作りを愛する人たちがいて、見たい観客はいます。この映画のような優れた作品を増やしていくことが存続への力になるのは確かでしょう。
劇場の説明によると、パンフレットは制作中だそうですが、公開終了までに間に合わない恐れもあるとか。8月中旬に東京の1館で始まった劇場公開は内容の良さが伝わって全国に広がり、現在、122館まで拡大されました。
IMDb7.9、ロッテントマト100%(英語タイトルはA Samurai in Time)。
▼観客13人(公開初日の午後)2時間11分。
「ソウルの春」
1979年12月、韓国の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領暗殺後の軍事クーデターを基にしたサスペンス。全斗煥(チョン・ドゥファン)→チョン・ドゥグァンとか、盧泰愚(ノ・テウ)→ノ・テゴンとか、読み方が変わったのかと思ってしまいますが、フィクションなので少し違う名前にしているわけです。となると、気になるのはどこまで史実に忠実かということ。パンフレットに2ページの実録(著者は秋月望・明治学院大学名誉教授)が掲載されていますが、もっと詳細な書籍が読みたくなります。大統領暗殺の混乱に乗じて軍内部の悪のグループが台頭し、国を牛耳るという悪夢のようなストーリー。勝利を握った悪のボス、チョン・ドゥグァンが大笑するシーンもあります。普通なら絶望的な気分になるところですが、その後の経過が分かっているのが救いではありますね(全斗煥、盧泰愚とも1996年に内乱罪で死刑判決。その後、減刑、特赦)。
クーデターの中心になったのは全斗煥率いるハナ会。これは陸士11期生の慶尚北道出身者が軍内の人事・処遇での相互扶助を目的に結成した組織が拡大してできたもので、朴大統領も後押ししたそうです。身分的には少将で保安司令官兼大統領暗殺事件合同捜査本部長だった全斗煥がクーデター後に大統領に上り詰めたのはハナ会のリーダーだったからなのでしょう。
映画はチョン・ドゥグァンとクーデター阻止を図る首都警備司令官イ・テシン少将(チョン・ウソン)の対決に絞られていき、軍隊の駆け引きを伴った緊迫の展開が続きます。「失敗すれば反乱、成功すれば革命だ」とうそぶくチョン・ドゥグァンを演じるのは名優ファン・ジョンミン。前髪を抜いて全斗煥に似せ、実に憎々しく演じています。「アシュラ」(2016年)のキム・ソンス監督は全編に緊張感をみなぎらせ、一級の演出を見せています。
パンフレットによると、イ・テシンのモデルになった張泰玩(チャン・テワン)は首都警備司令官を退役させられ、2年間自宅に軟禁。その間に父親は憤死(Wikipediaによると、断食で死去)、ソウル大生だった息子は自殺したそうです。
IMDb7.6(アメリカでは映画祭での上映のみ)。
▼観客20人ぐらい(公開2日目の午後)2時間22分。
「ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ」
U-NEXTで見ました。昨年のカンヌ映画祭でプレミア上映されたペドロ・アルモドバル監督の短編西部劇。若い頃に愛し合った中年男2人のゲイのドラマです。旧友の保安官ジェイク(イーサン・ホーク)を訪ねるため、シルバ(ペドロ・パスカル)がやってくる。メキシコ出身のシルバはつかみどころがないが温かい心の持ち主。アメリカ出身のジェイクは厳格な性格で冷淡で不可解、シルバとは正反対。出会ってから25年がたつ2人は酒を酌み交わし、愛し合うが、翌朝ジェイクが豹変する。
映画製作に参入したイヴ・サンローランの子会社「サンローラン・プロダクションズ」とアルモドバルがタッグを組み製作されたとのことですが、短編を製作する意味がよく分かりません。長編を作る前のテストケースだったんでしょうかね。出来は普通です。
IMDb6.2、ロッテントマト77%。31分。
「夏の終わりに願うこと」
7歳の少女ソル(ナイマ・センティエス)の父親で病気療養中のトナ(マテオ・ガルシア・エリソンド)の誕生パーティーに集まってきた家族・親族の1日を描くドラマ。メキシコの女性監督リラ・アビレスの長編2作目で、昨年のベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞(キリスト教関連の団体から贈られる賞)を受賞しました。トナはがんがかなり進行した様子で、実家で療養しています。母親と暮らすソルがトナと会うのも久しぶりですが、大きなドラマがあるわけではなく、ソルの目から見た大人たちの様子がドキュメントタッチで淡々と描かれていきます。退屈はしなかったんですが、もう少しドラマに起伏が欲しいところではありました。
アビレス監督の娘の父親(夫ではない?)の死がこの映画の発想のきっかけになったそうです。ソルの両親が離れて暮らしているのも監督の体験に基づいているのでしょう。
原題は「Totem(トーテム)」。このタイトルについて監督は「トーテムはさまざまなものをつなぐ存在」とした上で「家族は小宇宙のようなものです。そのなかには人間のほか、昆虫などの小さな生物も含まれていて、誕生日などの儀式もあり、生と死がある。それらすべてをつなぐものという意味でこのタイトルを付けました」とインタビューで説明しています。
IMDb7.1、メタスコア91点、ロッテントマト97%。
▼観客7人(公開5日目の午後)1時間35分。
「スオミの話をしよう」
英語タイトルは「All About Suomi」。「イヴの総て(All Abour Eve)」(1950年、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督)を思わせる英題ですが、映画マニアの三谷幸喜監督なので、内容的には多重人格の女性を描いた「イブの三つの顔」(1957年、ナナリー・ジョンソン監督)を混ぜているのかもしれません。主人公のスオミを演じる長澤まさみが七変化(実際には五変化ですが)の芝居を見せるクライマックスが多重人格を連想する内容だからです。このシーンは長澤まさみの魅力がいっぱいでファンとしては満足したんですが、映画全体の出来は今一つでした。有名な詩人の寒川(坂東彌十郎)の妻スオミがいなくなって、元夫の刑事草野(西島秀俊)と相棒の小磯(瀬戸康史)が寒川宅にやってきます。ここで刑事が「犯人に見られているかもしれないから」とカーテンを閉めるよう指示するあたり、黒澤明「天国と地獄」(1963年)を思わせましたが、分かってやってるにしても今時、電話の録音にオープンリールのテープレコーダーを使ったり、逆探知云々のセリフがあるのは誘拐の雰囲気づくりや笑いのくすぐり以上の意味はありません。
邸宅内でほとんどの話が進行する演劇的作りは良いとしても、話が弾んでいかないのが残念なところ。これは何よりもミステリーとしてきっちり作る必要があったのだと思います。話の構造をしっかりさせた上で笑いをまぶした方が良かったでしょうね。
▼観客20人ぐらい(公開初日の午前)1時間54分。