2008/02/11(月)「チーム・バチスタの栄光」
海堂尊の原作を「アヒルと鴨のコインロッカー」の中村義洋監督が映画化。といっても僕は「アヒル…」を見ていない。話はきちんとまとまっているが、それだけに終わっていて、何とも映画らしいところがない映画である。撮影なり、編集なり、キャラクターの描き込みに映画ならではの部分が欲しくなる。下手すると、テレビの2時間ドラマでもいいような感じの作品にしかなっていないのだ。中村義洋監督はもう少し描写に心を砕いた方がいい。
拡張心筋症の難しい手術(バチスタ手術)に何例も成功している大学病院の医療チームが3回続けて失敗し、患者を死なせてしまう。院長から調査を命じられた心療内科医師の田口公子(竹内結子)が聞き取り調査を始めるが、そこへ厚生労働省のキャリア白鳥圭輔(阿部寛)が乗り込んできて破天荒な捜査を始める。
長男と家内は原作を読んでおり、「原作の方が面白かったね」という感想。そうだろうなあ。だいたい、映画ではなぜ竹内結子が調査を命じられるのかに(銀婚式記念で海外旅行に行く教授の替わりというのは)説得力を欠いている。竹内結子と阿部寛はともに頑張っていて、悪くはなかった。原作とはイメージが違うようだが、阿部寛はぴったりの役柄のように思える。
バチスタ手術は弱った心臓の一部を切り取って縫い合わせることで心臓が縮みやすくなり、症状が改善するという仕組み。心臓移植の代替という位置づけらしい。いったん動きを止めた心臓がなぜ再び動き始めるのか映画だけでは良く分からなかった。
映画の帰りにフォルクスワーゲン宮崎に寄って契約。ETC(ノンストップ自動料金収受システム)も付けてくれるそうだ。これは自分で付けようかと考えていたのでラッキー。損保ジャパンの任意保険も取り扱っていて、切り替えをやってくれるというので頼む。後は納車がいつになるか。注文してみないと分からないそうで、早くなる可能性もあるとのこと。
(mixi)
2008/01/26(土)「魍魎の匣」
京極夏彦の原作は10年以上前に読んだ。「このミス」1996年版の4位に入っている。初めて読んだ京極堂シリーズで、これはSFだと思った。これが面白かったのでシリーズにはまり、その後の作品をすべて読むことになったのだった。実相寺昭雄の「姑獲鳥の夏」にはいろいろと不満もあったが、そのキャストの関口役だけを永瀬正敏から椎名桔平に変えてのシリーズ第2作である。
原作の解体の仕方は面白いと思う。パンフレットの監督インタビューを少し読んだら、原田真人監督は「パルプ・フィクション」のように人物ごとにエピソードを組み立て直したかったのだそうだ。だから太平洋戦争時の榎木津と久保のエピソードを描く冒頭(これは原作にはない)から始まって、時間軸を10時間前とか3時間前とか7日後とかに行きつ戻りつしながら話が語られていく。同時に細かいカットの積み重ねで非常に映像に躍動感がある。「ボーン・アルティメイタム」の時にも思ったのだけれど、こういう細かいカット割りは映画に必要なものだと思う。
1秒に満たないカットをポンポンポンとつなげていくのは心地よく、その技術には非常に感心した。もうつまらない映像をだらしなく流し続けるよくある映画に比べれば、随分ましである。ただし、こうしたカット割りと時間軸の動かし方の工夫が映画全体のストーリーテリングのうまさにつながっているかと言えば、そうはなっていないのが惜しいところだ。端的に言えば、失敗作に近い印象。これ、原作を読んでいない人にはストーリーが理解しにくいのではないか。
椎名桔平の関口はかっこよすぎる。原作ではもっと凡人でぼーっとした印象。だから榎木津から「おお、猿がいた」などと言われるのだ。京極堂は逆にコミカルな面がありすぎ。堤真一は「三丁目の夕日」を引きずっている。コミカルさがあると、どうもクライマックスの憑物落としの場面がしまらなくなる。まあ、それ以上に黒木瞳がダメダメで、もっと清楚な美人女優はいないのかね。
中国ロケの部分はとても昭和27年の東京には見えず、中国にしか見えないが、こうした無国籍なタッチは悪くない。悪くはないが、同時に時代色も希薄になってしまったのは残念。原田真人はどこまでも映画ファンの部分を引きずったところがあるように思える。個々の技術は良いのに、その組み立て方は凡庸で、これが足し算の効果は出ても、決してかけ算にはならない映画が出来上がる要因なのではないか。
2008/01/06(日)「クワイエットルームにようこそ」
上映開始25分前に家を出て、橘通り交差点までは順調に来たが、そこで6分間の渋滞。な、なんだこれは、と思ってふと気づいた。宮崎女子ロードレースの日だったのだ。うちの会社も主催に入っているので文句は言えない。キネマ館に着いたら、既に予告編が始まっていた。ぎりぎりセーフ。
けっこう面白く見た。煎じ詰めれば、女性の再生の話に収斂していき、そこに社会派の視点が皆無なので少し不満も覚えるのだけれど、細かいギャグに笑った。何より内田有紀がよろしかったですね。若い頃よりずっと魅力的。もっと映画に出てほしいものだ。
主人公はある日、目覚めたら精神病院の閉鎖病棟で五点拘束されていて、自殺未遂と勘違いされているのが分かる。睡眠薬とビールを一緒に飲んだために気を失っていたのを同居人の男に発見されたのだ。何とか早く退院したかったが、拒食症や過食嘔吐の患者と交流していくうちに、次第に自分の真実の姿に目覚めることになる。入院患者を演じる大竹しのぶや蒼井優、りょうなどがいずれも好演している。特に大竹しのぶはつくづくうまいなと思う。
精神病院の描写というのはフィリップ・ド・ブロカ「まぼろしの市街戦」(1966年)の昔からメルヘンチックに描かれ、外の世界の異常さを浮かび上がらせる存在として描かれてきた。この映画の描写も全然実際とは異なるだろう。だいたいあんなに話の通じる患者ばかりいるわけがない。
社会派の視点が皆無というのは主人公が病んだ理由に社会を照射するものがないからで、自分勝手な理由だけでは物足りないのだ。そこを入れておけば、文句のない傑作になっていただろう。その意味では惜しい映画だと思う。
2008/01/06(日)「ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ」
劇場公開時にはためらうことなくスルーしたが、キネ旬の批評が悪くなかったので気になっていた。沖縄美ら海水族館の尾びれをなくしたイルカに世界で初めて人工尾びれを作った実際の話を基にしている。良心的な作品ではあるが、あえて褒める点も見つからない。監督は「棒たおし!」「陽気なギャングが地球を回す」の前田哲、主演は松山ケンイチ。
イルカのフジは海洋博後に沖縄に来て既に30年。ある日、尾びれが壊死しているのが見つかる。放っておけば、命が危ない。新米獣医の植村一也(松山ケンイチ)は尾びれを切除するが、フジは泳げなくなってしまった。このままでは別の病気にかかる恐れがある。植村はブリヂストンに人工尾びれを作ることを依頼する。尾びれの改良を重ね、フジは元気に泳げるようになる。しかし、ジャンプした瞬間、尾びれは壊れてしまう。人工尾びれはフジを傷つけるとして飼育員の一人が反対し、計画は頓挫してしまう。
人工尾びれを作る過程はテレビのドキュメンタリーになりそうな感じ。映画はこの過程の描写が少し不足しているように思える。その代わりにイルカの好きな少女や松山ケンイチの恋人との関係などのサイドストーリーを盛り込んでいるものの、これがあまりうまくないので散漫な印象を与えることになっている。
松山ケンイチは無難に演技をこなしており、キャリアの傷にはならないだろう。ほかに永作博美、山崎努、利重剛、高畑充希、西山茉希、田中哲司、坂井真紀ら。
人工尾びれプロジェクトに関しては美ら海水族館のホームページに詳しい(http://www.kaiyouhaku.com/news/04111601_01_report.html)。ブリヂストンに尾びれの製作を頼んだ理由は映画では「尾びれの感触がタイヤに似ているから」と説明されるが、このページには「当公園の獣医師がブリヂストンスポーツ株式会社にいる友人に人工尾びれ作製の可能性を相談したことから始まりました」とある。
美ら海水族館には2004年に夏の家族旅行で行った。大きな水槽は見応えがあったが、イルカのショーに関して僕は「暑い。人が多くてあまり見えない。ショー自体も大したことはないですね」と書いている。フジはこの時にも当然いたのだろうが、この話については何も知らなかった。ちょうど人工尾びれが完成したばかりの時だったようだ。
2008/01/05(土)「クローズZERO」
「クローズ」はcloseかと思ったらcraws。それなら「クロウズ」じゃないかと思うが、高橋ヒロシの原作もこうなのだから仕方がない。「けんかえれじい」にヤクザ映画を絡めて「ストリート・オブ・ファイヤー」風味を振りかけた(かった)ような仕上がり。端的に言えば、集団抗争学園ドラマでけんかに次ぐけんかの映画である。それなりに面白いが、あまり感心するところもなく見終わる。ストーリーをもう少し凝ってほしかったところ。
「カラスの学校」と言われる不良がいっぱいの鈴蘭高校が舞台。転校してきた滝谷源治(小栗旬)の目的は鈴蘭の頂上(てっぺん)を取ること。現在、頂上に最も近いと思われているのが芹沢多摩雄(山田孝之)率いる芹沢軍団で、源治は仲間を増やしてGPSという集団を形成する。源治の父親(岸谷五朗)は劉生会という暴力団の組長で、源治は鈴蘭の頂上を取ったら、親父の跡目をつぐことになっている。源治は鈴蘭OBのヤクザ片桐拳(やべきょうすけ)の力を借りながら、着々と勢力を伸ばす。しかし、片桐が所属する矢崎組は劉生会と対立していた。
小栗旬も山田孝之も優男なので強く見えないのが難だが、それなりに健闘している。問題はどちらも善玉に見えることか。映画を支えているのはコメディリリーフ的な役割も果たすやべきょうすけで、このキャラクターがあるから映画の幅が広がった。黒木メイサは歌も歌うし、ルックス的にも悪くないが、ダイアン・レインのような魅力には欠ける。矢崎組組長役の遠藤憲一、刑事の塩見三省が渋い。このメンバーで続編を期待したいところ。