2006/06/22(木)「岸和田少年愚連隊」
中場利一原作を映画化した1996年の井筒和幸監督作品。
今見ると、「パッチギ!」よりは随分落ちる印象。喧嘩に明け暮れる2人の中学から高校までの話。ホントに喧嘩だけの話でそれ以外の要素が少ないことが弱さにつながっている。それでもキネ旬6位だが、評価が甘いのではないか。岡村と矢部が中学生にはとても見えず、高校生の話かと思っていた。
1975年の大阪が舞台。「パッチギ!」同様に当時の歌が流れるけれど、それほどの効果は上げていない。「イムジン河」のような核になる歌がないからだろう。
2006/06/20(火)「神々の深き欲望」
今村昇平監督の1968年の作品(キネ旬ベストテン1位)。前回見たのはビデオで20年近く前だった。その時ほどの驚きはないが、土着的な生と性を突き詰めると、こういう神話的な世界になるのだなと思う。「楢山節考」もこの路線の映画である。映画のラストはホラー映画だったら、ここからクライマックスになるところ。当然そうはならず、幻想的な雰囲気を残して映画は終わる。
出演者の名前に長谷川和彦があったので目を凝らしてみたが、分からず。夜ばいをする青年役らしい。長髪にサングラスじゃないと、分かりませんね。
2006/06/11(日)「鴛鴦歌合戦」
1939年のマキノ正博監督作品。戦前のキネ旬はこうした娯楽映画をまったく評価していないのでベストテンには入っていない。「日本映画作品全集」も見たが、触れられていない。1980年代に再発見されて評価が高まったという。いわゆるカルト的な作品なのだろう。
「僕は若い殿様~」とディック・ミネのバカ殿様が登場するところからおかしく、登場人物が次々に突然歌い始める唖然とする映画。志村喬と片岡千恵蔵も歌う。これまた女優陣が総じて良く、好感の持てる作品だった。しかし、睡魔が襲ってきた。ところどころでうつらうつらとしながら見たのが残念。何度かBSで放送されたらしいし、DVDも出ている。見直してみたい。
2006/06/11(日)「間宮兄弟」
兄弟の小さな失恋を除けば、事件らしい事件も起きない映画だが、微妙なおかしさがいい。過去の森田芳光映画の中では「の・ようなもの」に一番近い。沢尻エリカと北川景子の姉妹をとてもキュートに撮っているのはさすが森田監督。特に北川景子は、美穂純に似た感じがとてもよろしい(美穂純はああ見えて、とても読書家なところに僕は好感を持っている)。
戸田菜穂と常盤貴子も良く、女優に関しては文句がない。出来としては「の・ようなもの」の方が上と感じるのは間宮兄弟の描写にやや人工的な部分があるからか。「の・ようなもの」は主演の伊藤克信の素のおかしさが映画にマッチしていたが、この映画の場合、佐々木蔵之介と塚地武雅はやや作った部分が見受けられるのだ。でも、僕は好感を持った。
2006/06/06(火)「あおげば尊し」
重松清の原作を市川準監督が映画化。末期ガンの父親を看取る家族と、死体に興味を持つ少年の姿を描く。主人公は小学校の教師。死につつある父親も教師だった。死体に、というよりは死に興味を持つ少年に対して、主人公は死の床にある自分の父親の姿を見せる。父親もそれを受け入れ、少年に対して最後の授業をすることになる。
市川準の他の作品と同じように淡々としたタッチの映画。家庭内で展開される物語なので、見ていて僕はマイク・リーの映画を思い出した。マイク・リーが素人の役者を使うことが多いように、この映画も演技的には未知数のテリー伊藤が初めての主役を務めている。テリー伊藤、静かな演技が意外にうまい。マイク・リーの映画は終盤に劇的で激しい場面を用意することが多いが、この映画はラスト近くまで淡々と進む。もちろん、淡々とした中にキャラクターの造型はしっかり描き込まれていて、だから、ラスト、父親の葬儀の場面で教え子たちが歌う「仰げば尊し」の場面が効果的になる。抑え込まれていた感情が一気に爆発するような効果がここにはある。ドキュメンタリーのような描き方をしていた映画がここだけはっきりとフィクションになり、観客の感情を解放する役割を果たしているのである。それまでのタッチとは著しく異なるので、賛否あるだろうが、ここで泣いたという人も多く、とりあえず大衆性は得ているようだ。テリー伊藤も薬師丸ひろ子も加藤武、麻生美代子もリアルに徹し、ドラマ性を廃した好演をしている。
主人公・光一(テリー伊藤)の父親(加藤武)は末期ガンで余命3カ月と宣告される。「いい思い出を作ってあげてください」との医師の言葉で家族は父親を自宅に連れて帰り、在宅で死を迎えさせようとする。それと同時に描かれるのが光一のクラスの田上康弘(伊藤大翔=名前はひろと、と読む)。康弘はパソコンの授業中に死体のサイトを見ていた。そのこともあって光一はクラスの生徒に父親の姿を見せるが、興味を示したのは康弘だけだった。康宏は死んだ父親の葬儀を覚えていず、そのために死に興味を引き立てられているようだった。
在宅での死を描いているので「病院で死ぬということ」の対になる作品かと思うが、基本的には教師の父親と息子を描いた作品。いや、あるべき教師の姿を描いた作品と言うべきか。在宅での死の詳細は意外に描かれていない。それがテーマならば、もっと描写を多くしていたはずだ。「あおげば尊し」というタイトルからして、これが教師の映画であることは明白だろう。悪くない映画と思ったけれど、葬儀の場面をもっと効果的にする演出はあっただろうという思いもある。父親と教え子たちの間に何らかの伏線があっても良かったと思うのだ。唐突に始まる「仰げば尊し」の歌だけで父親の教師としての在り方を象徴するのには少し無理があるのではないか。在宅での死か教師の在り方か、どちらかにもっと焦点を絞った方が良かったのではないかと思う。マイク・リーの錐でもみ込むような強さがこの映画には欠けている。