2016/11/13(日)「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」 主張備えたエンタテインメント
ダルトン・トランボの名前を知ったのは監督作の「ジョニーは戦場へ行った」(1971年)が公開された時。当時はドルトン・トランボという表記だった。赤狩りによって投獄された“ハリウッド・テン”の一人であり、「ローマの休日」を匿名で書いた脚本家であることはその頃、既に知られていた。終戦後、脚本家として活躍していたトランボ(ブライアン・クランストン)は非米活動委員会に召還され、証言を拒否したために投獄される。映画はそこから復権までの道のりを仲間や家族の描写を織り込みながら描いていく。監督のジェイ・ローチはこれまでコメディの多かった人。それが功を奏したのか、ガチガチの社会派映画にはせず、きっちりと主張を備えたエンタテインメントに仕上げた。

刑務所から出たものの、トランボに以前のような仕事はない。「ローマの休日」は友人のイアン・マクラレン・ハンター(アラン・テュディック)の名義で映画会社に売り込み、アカデミー原案賞を受賞するが、当然のことながら仕事の依頼が来るわけではなかった。トランボはB級映画を量産しているフランク・キング(ジョン・グッドマン)の会社から安いギャラで仕事を請け負う。偽名で脚本を書いたほか、請け負った仕事は脚本家仲間に回し、それをキングが気に入らなかった場合はトランボが書き直す契約。トランボが優れた脚本を書けた理由は映画からは分からないのだが、仕事に追いまくられてバスタブにタイプライターを持ち込み、3日で1本の脚本を仕上げる姿からは一流の職人のような人だったのだなとうかがえる。そうやって書いたロバート・リッチ名義の「黒い牡牛」(1956年)もアカデミー原案賞を得た。
映画が唾棄すべき人物として描いているのは元女優でコラムニストのヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)。ホッパーは非米活動委員会の手先のような言動と振る舞いをしてトランボたちを苦しめる。一方でトランボの実力を認めて「スパルタカス」の仕事を依頼するカーク・ダグラス(ディーン・オゴーマン)や「栄光への脱出」監督のオットー・プレミンジャー(クリスチャン・ベルケル)がいるし、ラジオからは非米活動委員会の活動に疑問を呈するグレゴリー・ペックやルシル・ボールの声も聞こえてくる。「アメリカの理想を守るための映画同盟」に所属していたジョン・ウェイン(デヴィッド・ジェームズ・エリオット)もホッパーに比べれば悪い男としては描かれていない。
トランボたちを支援していた俳優のエドワード・G・ロビンソン(マイケル・スタールバーグ)は仕事を干され、非米活動委員会で証言してしまう。かつて支援してもらった金を返しに来たトランボとロビンソンが対峙する場面が印象的だ。匿名でも仕事ができる脚本家と違って、俳優は顔を隠して仕事はできない。ロビンソンは苦渋に満ちた表情でそう話すのだ。
見ていて思うのは寛容と非寛容ということだ。自分とは異なる他人の思想・信条を全面否定し、平気で踏みにじる。赤狩りで行われたのはそういうことだった。一方的な攻撃・弾圧がまかり通る社会は間違っている。トランボは確かに共産党に所属していたが、重視したのは言論の自由を守ることであり、合衆国憲法修正第一条に明記されている言論の自由が封殺される状況に強く反発していた。映画が描いたことはハリウッドの異常な一時期、過去の話に終わるものではなく、今に通じる。
トランボを支える妻クレオ役をダイアン・レイン、長女のニコラをエル・ファニングが好演している。ニコラが公民権運動に参加する描写などはしっかり父親の血を受け継いでいるのだなと思わずにはいられない。庭に池がある大きな家を売って、小さな家に引っ越す一家のホームドラマとしての側面が映画の幅を広げている。
2016/10/19(水)「GANTZ:O」 熱狂的な支持も納得
「あんなぁ……こーゆーときは嘘でも、頷いとくもんやって」。「おたがい、死なれへん言うたやろ、待ってる人がおるんやろ」。「君を死なせへんっ」。「あのバカ、偽善者全開や」。関西弁の山咲杏(M・A・O)が映画の大きな魅力の一つであることは明らかだ。23歳で3歳の子どもを持つ杏は死んでGANTZに召還される。大阪の街で17歳の高校生・加藤勝(小野大輔)と出会い、老夫婦と孫を助けようとする加藤の真っ直ぐな行動を見て「偽善者星人や」と、からかいながらも、惹かれていくのだ。そして「生きて帰ったら、(息子と加藤の弟と)4人で暮らそう」と無理矢理、加藤に約束させる。

妖怪型星人が跋扈する大阪でのすさまじい戦闘を描く96分。最初はのっぺりした顔のCGキャラにうーんと思いながらも、脚本の出来は悪くなく、アクションに次ぐアクションに徹した展開を一気に見せる演出も水準をクリアしている。続編もありだろうと思った。
奥浩哉原作の「GATNZ」(全37巻)で最も評価が高いという「大阪編」の3DCGアニメ化。原作は佐藤信介監督の実写版「GANTZ」と「GANTZ Perfect Answer」(2010年と2011年)が公開された際に5巻ぐらいまで読んだ。大阪編に関してはまったく知らなかったが、「大阪編」を知らなくても、「GANTZ」自体に触れたことがなくても、この映画を見るのに支障はない。これはこれで完結した話になっている。
加藤は地下鉄のホームで通り魔に刺され、気づいたらマンションの一室にいた。GANTZと呼ばれる黒い球体の指示でわけが分からないまま、大阪に転送され、そこで妖怪型宇宙人たちと戦う羽目になる。東京チームの仲間はアイドルのレイカ(早見沙織)、おっさんの鈴木(池田秀一)、中学生の西(郭智博)の3人。宇宙人を倒せば、点数を与えられ、合計100点になれば、より強い武器をもらうか、死んだ人間を生き返らせるか、記憶を消されて元の生活に戻るかを選択できる。戦いのまっただ中に送られた加藤はたった一人の家族である小学生の弟・歩(森尾俐仁)のために「必ず、生きて帰る」と決意する。
チームに与えられたのは撃って数秒後に爆発するX-GUN。お歯黒べったりや、一本だたらなどX-GUNですぐに倒せる相手から始まって、次々に登場する妖怪型星人の強さは徐々にパワーアップしていく。巨大な牛鬼やX-GUNの効かない天狗、そして大ボスのぬらりひょん。ゲームを何度もクリアしている凄腕の大阪チームのメンバーも一人また一人と倒されていくほど強い。特にぬらりひょん。次々に形態を変え、つかみどころがない。どうやって倒すかがポイントになるが、ここはもう少し工夫があると良かったと思う。それ以外はまず満足できる出来で、大阪チームの凄腕2人を演じるレイザーラモンHG&RGやケンドーコバヤシら意外な声優陣の頑張りがCGキャラにリアリティーを与えている。
ハリウッド製の3DCGは興業面を意識するためか、ヒューマンなファミリー映画が多いが、これはPG-12ぎりぎりの描写で若い世代にアピールしている。熱狂的な支持が多いのもうなずける。ただ、個人的には表情の乏しいCGキャラよりも生身の俳優が演じた方がしっくりくる。「ジャングル・ブック」のように主人公以外はすべてCGという映画もできるのだから、日本映画でも考えてほしいところだ。
2016/10/09(日)「ある天文学者の恋文」 中盤以降が単調
予備知識一切なしで見たので、最初のクレジットを見て初めてジュゼッペ・トルナトーレの監督作であることを知った。トルナトーレにしては、というか、トルナトーレだからなのか、ツイストが決定的に足りない。死んだ恋人から手紙やメール、ビデオレターが届き続けるという設定だけで話が発展していかないのだ。だから中盤以降が単調に感じられる。
初老の天文学者エド(ジェレミー・アイアンズ)と教え子エイミー(オルガ・キュリレンコ)は恋人関係にあった。ある日突然、エイミーはエドが死んだことを知らされる。ちょうどメールが届いたばかりだったため、エイミーはなかなかエドの死を受け入れられない。彼女の元にはその後もエドからの手紙やメールや贈り物が届き続ける。エイミーはエドが残した謎を解き明かそうと、彼が暮らしていたスコットランド・エジンバラや、2人で過ごしたイタリアのサンジュリオ島を訪ねる。
エイミーには自分が運転していた車に同乗していた父親を事故で亡くした過去がある(ファザコン気味だから初老の教授と恋愛関係になったのだろう)。学生の傍ら、危険なスタントウーマンのアルバイトを続けているのも父親の死の責任を感じ、死の願望を密かに抱いているからなのかもしれない。父親の死以来、母親とは疎遠になっている。届き続ける手紙の意図は母親との関係を修復させることにあるのかと思わせるが、そのあたりの描写はあっさりしたものだ。となると、手紙の意図が分からなくなる。死んでからも恋人を束縛し続けるだけとしか思えないのだ。さまざまな場面を想定して、こんなに何通もの手紙を用意しておくにはかなりの時間がかかったはず。恋人への思いがさせたことであったにしても、この教授、実はとんでもなく偏執的な男に違いない。ある意味、気味の悪いキャラクターだ。
描写も感傷過多で、見ていてうんざり。はいはい、ご勝手にどうぞと思えてくる。撮影当時、妊娠4カ月だったというオルガ・キュリレンコは悪くないが、36歳で大学院生役というのは少し無理がある。20代の女優の方が良かったのではないか。古風な響きがある邦題に対して、原題はCorrespondence(文通、通信)。現代的な通信方法は即物的なのであまりロマンティックにはならないなと思う。
教授のマニアックさはトルナトーレ自身に共通する部分がある。個人的にトルナトーレの映画に心底から感心した作品がないのはマニアックな部分が人物造型に向けられていて、話に向かっていないからだと思う。
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2016/09/20(火)「怒り」 今年のベストを争う作品
東京・八王子の夫婦が自宅で惨殺され、現場に大きな血文字の「怒」が残されていた。という発端から映画は東京、千葉、沖縄に現れた殺人犯かもしれない3人の男とその周辺の人々のドラマを描く。映画の主眼はだれが犯人かということではなく、周辺の人々の心の揺れ動きの方にある。
これは吉田修一の原作でもそうだ。個人的に深い感銘を受けた原作を同じ吉田修一原作の「悪人」に続いて李相日監督が映画化すると聞いて大いに期待した。期待はまったく裏切られなかった。見ながら、いくつかの場面で胸が熱くなる。登場人物たちの慟哭、後悔、悲しみ、やりきれなさが胸に迫ってくるのだ。多くの登場人物たちのさまざまな感情の渦に巻き込まれたよう。見事な脚本と編集とリアルな絵づくりと俳優のリアルな演技に坂本龍一の美しい音楽が加わって、ケタ違いに充実した映画になった。今年のベストを争う作品であることは間違いない。

八王子の事件から1年後、沖縄の無人島に現れた男(森山未來)は田中と名乗る。高校生の小宮山泉(広瀬すず)は同級生の知念辰哉(佐久本宝)のボートで島に遊びに行き、田中と出会う。どこか田中のことが気になった泉は交流を深めるようになる。東京で藤田優馬(妻夫木聡)はゲイのパーティーで大西直人(綾野剛)と出会い、お互いに惹かれ合って一緒に暮らすようになる。直人は自分のことを一切語らなかった。千葉の漁港で働く槙洋平(渡辺謙)は娘の愛子(宮崎あおい)を歌舞伎町の風俗店から連れ戻す。槙の下では3カ月前にやってきた田代哲也(松山ケンイチ)が働いていた。コンビニ弁当を食べている田代を見て、愛子は弁当を作るようになる。やがて愛子は田代と一緒に住みたいと言い出す。
3つの場所で進行する物語が交錯することはない。素性不明の3人の男と関わる人々の姿がそれぞれに描かれていく。凡庸な監督が撮ったら、エピソードの羅列に終わっただろうが、李相日監督は沖縄から東京、東京から千葉へと転換する場面でフラッシュフォワードを使ったり、エピソードに軽い関連を持たせ、エモーションをうまく持続させている。
渡辺謙も宮崎あおいも松山ケンイチも妻夫木聡も綾野剛も広瀬すずも森山未來も、それぞれが1人で主演を張れる俳優。それが束になって出てくるのだから、画面の厚みがただごとではない。松山ケンイチと綾野剛に関しては受けの役柄のため演技の見せ場がないのだけれど、それでもこの2人が演じることによる効果は大きい。最も儲け役なのは宮崎あおいで、予告編を見た時からうまいと思ったが、「少し人とは違う」女を演じきっている。これで女優として大きく成長したのではないか。それはアイドル女優だったらやらないような難しい役を演じる広瀬すずにも言えることで、試写を見た事務所の社長が「いい映画になって良かった」と涙ぐんだ(キネ旬2016年9月下旬号)というのもよく分かる。
空撮を交えた笠松則通の撮影も見事。どの場面もないがしろにしないという強い意志が伝わってくる。隙がない映画というのはなかなかないし、原作を無茶苦茶にする映画も多いのだが、李相日が書いた脚本は原作のエピソードを削りながら、そのエッセンスは少しも損なわれていず、驚くほど原作に忠実なイメージになっている。ストーリーを知っていても圧倒されるのは画面と脚本の構成、出演者の演技が高いレベルにあるからだろう。上映時間2時間22分。それでも短い。3時間でも4時間でも見ていたくなる。
2016/08/24(水)「エクス・マキナ」 ヴィキャンデルが大きな魅力

タイトルは「デウス・エクス・マキナ」(機械仕掛けの神)に由来するのだろう。設定はSFだが、展開はミステリーの趣向が強い。舞台は人里離れた山あいの邸宅、主要キャストは4人。こうくれば、ミステリーにしてもおかしくはない。ただ、中盤までは人間とAI(人工知能)をめぐる思索的なセリフがあり、主人公が次第に混乱して自分をアンドロイドではないかと疑う場面は「アンドロイドは電機羊の夢を見るか」(「ブレードランナー」原作)などフィリップ・K・ディックのSFを思わせる。AIを搭載する女性型アンドロイドのエヴァに扮するアリシア・ヴィキャンデルが映画の大きな魅力で、このキャスティングが成功の要因の一つになっている。
世界最大の検索エンジン会社ブルーブックに勤めるプログラマー、ケイレブ(ドーナル・グリーソン)が社内の抽選に当たり、CEOネイサン(オスカー・アイザック)の邸宅に招かれる。ヘリで送られた邸宅は雄大な自然の中にあり、秘密保持のため堅固なセキュリティーが防備されていた。ネイサンの狙いは自分が開発した女性型アンドロイドに搭載したAIのチューリング・テストだった。チューリング・テストとは「イミテーションゲーム」で描かれた天才数学者アラン・チューリングが1950年に考案したテスト。ある機械が知的かどうかを判定するために判定者が機械に話しかけ、その受け答えが本物の人間とまったく区別がつかなければ、知能を持つと判定する。ネイサンはその判定者の役割をケイレブに託した。
エヴァは顔の前面だけに人間のような皮膚を持ち、あとは機械の骨格が透けて見えるデザイン。ガラス越しにエヴァと対面したケイレブは会話をしていくうちに、エヴァに惹かれていく。エヴァが洋服を身につけると、人間と見分けが付かなかった。ネイサンによると、エヴァは性行為もできるように作られているという。停電でカメラの監視が途切れた短い時間にエヴァは「ネイサンを信用しないで」と話す。停電はエヴァが起こしていた。ケイレブはエヴァがネイサン以外で初めて会う人間の男で、エヴァはケイレブの微小表情を読み取り、ケイレブが自分に好意を持っていることを知る。エヴァもケイレブに好意を感じているようだった。エヴァに魅了されたケイレブはエヴァを部屋の外に出すためにある計画を実行しようとする。
邸宅にはもう一人、ネイサンの世話をする日本人のキョウコ(ソノヤ・ミズノ)がいるが、英語を話せない。次第に接近するケイレブとエヴァの関係を見ると、「her 世界でひとつの彼女」のように人間と機械の恋愛感情を描くのかと思ってしまうが、映画は終盤、ケイレブとエヴァとネイサンのそれぞれの思惑によってストーリーが意外な方向に展開していく。
映画は第88回アカデミー賞で「マッドマックス 怒りのデス・ロード」「オデッセイ」「レヴェナント 蘇えりし者」「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を抑えて視覚効果賞を受賞した。アンドロイドの造型が大変優れていて、受賞も納得できるのだが、終盤にあるヴィキャンデルの全裸もVFXなのではないかと思えてくる。あれだけ完璧なアンドロイドを描けるのなら、女性のヌードのVFXぐらい簡単だろう。自分がアンドロイドではないかと疑い、カミソリで腕を切る主人公と同じく、観客もどれがVFXでどれが本物か疑心暗鬼になるのだ。
現代的な装飾をはぎ取ってみると、基本的なプロットは「フランケンシュタイン」から連なるマッドサイエンティストものと言うことができるだろう。脚本・監督は「28日後…」「わたしを離さないで」などの脚本で知られるアレックス・ガーランド。これが初監督作だが、静謐なタッチと的確な演出を見せている。