2007/12/09(日)「ベオウルフ 呪われし勇者」

 予告編を見て実写映画かと思っていたら、「ポーラー・エクスプレス」同様のパフォーマンス・キャプチャ。見た感じでは実写と3DCGを融合したような画面である。主人公のベオウルフ(レイ・ウインストン)は実写のように見えるが、ロビン・ライト・ペンをはじめ女優陣は「シュレック」に出てくる人間のように3DCGっぽい。ロバート・ゼメキスは既に「ロジャー・ラビット」(1988年)でアニメと実写の融合をやっているし、こういう画面も狙いのうちなのだろう。

 ただし、クライマックスに登場するドラゴンの質感はいかにもCGという感じなのが残念。驚異的なキャラクターの動きやカメラワークは実写では無理だろうから、こういう映画化もありか、とは思うけれど、もう少し抑えてリアルに徹した方がいいような気がする。映像は革新的なので見て損はしないけれど、見なくても損はしないという水準的な仕上がりだ。

 最古の英雄叙事詩「ベオウルフ」をニール・ゲイマンとロジャー・エイバリーが脚色。この脚色は見事と言って良く、元の断片的な叙事詩の行間を埋め、父と息子、魔性の女(怪物)の関係を取り入れて、ギリシャ悲劇のようなニュアンスを生じさせている。

 6世紀のデンマークが舞台。凶暴で醜い怪物グレンデルに館を襲われ、多大な被害が出る。王(アンソニー・ホプキンス)は館を閉鎖するが、英雄ベオウルフ(レイ・ウィンストン)が海を越えてやってくる。ベオウルフとその仲間はグレンデルを退治するが、グレンデルには母親(アンジェリーナ・ジョリー)がいた。沼地の洞窟でベオウルフはグレンデルの母と対決。ある提案を受け入れることになる。

 アンジェリーナ・ジョリーはその完璧なプロポーションでキャスティングされたに違いない。あの肉体の前ではいかなる英雄であろうとも、過ちは犯してしまうものなのだろう。

2007/11/17(土)「ボーン・アルティメイタム」

 「ボーン・アルティメイタム」パンフレットシリーズ第3作。前作でも感じたことだが、このシリーズに不足しているのはエモーショナルな側面だと思う。今回も主人公のボーン(マット・デイモン)はまったく感情を表さず、襲い来るCIAの暗殺者たちをてきぱきと撃退する。ただそれだけの映画である。ボーンの原動力となっているのは自分のアイデンティティーの探求と恋人(フランカ・ポテンテ)を殺された恨み。というのは設定だけにとどまっており、ボーンは泣くこともわめくことも怒ることも喜ぶこともなく、だからエモーションが欠落しているように見えるのだ。ついでに言えば、ボーンにはCIAの不正を暴くための正義感もない。いや、あるのかもしれないが、画面には表れない。要するに作りが人工的、デジタル的なのである。アクションを羅列するだけで、主人公の感情が立ち上ってこないので、味気ない映画になってしまう。僕はまったくつまらなかったわけではないが、もう少し何とかならないのか、と見ていて思う部分が多かった。このスピード感にエモーショナルな部分が加われば、映画はもっと面白くなっていただろう。大変なテンポの速さで進む映画の中で、足を止めて描く場面には主人公の情感が必要だし、激しいアクションを正当化するのは主人公の激しい感情にほかならないのである。

 映画はモスクワで幕を開ける。傷ついたボーンが追っ手の警官たちを簡単に撃退したところでタイトル。場面変わって、ロンドン。ガーディアン紙の記者サイモン(バディ・コンシダイン)はCIA職員の内部告発でトレッドストーン計画がバージョンアップしたブラックブライアー計画について知る。CIAはサイモンを追跡。新聞を読んだボーンもサイモンに接触する。ウォータールー駅でのCIAとボーンの格闘が最初の見せ場で、ここでサイモンはCIAの暗殺者に狙撃され、殺される。作戦を指揮しているのは対テロ極秘調査局長のヴォーゼン(デヴィッド・ストラザーン)だった。ヴォーゼンは前作でボーンを追ったパメラ(ジョアン・アレン)を捜査に引き入れ、ボーンの抹殺を企てる。舞台はスペイン、モロッコへと飛び、ニューヨークで最終決着を迎えることになる。

 映像は短いカットを積み重ねてテンポが良いけれど、カットを割ってはいけない格闘シーンまで割っている。見せるべき格闘はちゃんと見せた方がいいのでは、という思いは1作目から感じたことだ。短いカットの積み重ねはポール・グリーングラス監督、眉にいっぱいつばをつけながら見た前作「ユナイテッド93」でも使っていた。こういう短いカットで思い出すのは「ストリート・オブ・ファイヤー」(1984年)だが、ウォルター・ヒルのようなスタイリッシュさはグリーングラスにはない。ジャッキー・チェンやジェット・リーがワンカットでアクションを見せるのは、アクションが本物であることを示すためでもあるだろう。カットを割れば、どんなことでもでき(るように見え)てしまうからだ。俳優の生身のアクションの伝統は1920年代のロイド、キートンまでさかのぼるのだ。スタントマンを使うなと言うわけではなく、ああいう見せ方では真に迫らないのだ。建物から建物へ飛び移りながら展開するモロッコのシーンにしてもカットを割らない方が効果的だっただろう。グリーングラス、スピード感がすべてと思いこんでいるのではないか。

 それにしても、いったいあの研究所は何をやったのか判然としない。ボーンに暗殺者になることを強要するためだけだとしたら、研究所なんて不要だろう。原作はどうなっているのだろう。ヒッチコックはサスペンスの核となるものはレッド・ヘリング(赤にしん)でいい、と言った。これを曲解すれば、こういう映画が出来上がることになる。少なくともヒッチコック映画の主人公たちはもっと情感豊かだった。

2007/11/04(日)「バイオハザードIII」

 前作で全滅したかと思えたアンデッドが世界中に広がり、世界は砂漠化も進んでいるという設定。生き残ったコンボイ軍団にアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が合流し、襲い来るアンデッドと戦い、アンブレラ社の野望を砕く。最初のころのコピーに「アリス、砂漠に死す」というのがあったが、全然そんな展開ではない。死ぬのはアリスのクローンで、これはアンブレラ社がアンデッドへのワクチンを作るために研究しているのだった。アリスのクローンが無数に培養されているシーンは「エイリアン4」のようだが、それ以前に「エヴァ」の影響もあるのかもしれない。

 前作はアレクサンダー・ウィットのアクション演出がよく、ジル・バレンタイン(シエンナ・ギロリー)も鮮烈で良かったが、今回、監督がラッセル・マルケイに代わり、アクションシーンは可もなく不可もなくのレベル。ストーリーにも目新しさがないので、いいのはジョヴォヴィッチだけということになる。ジョヴォヴィッチはこのシリーズでアクションに目覚めたようで、動きは悪くない。ジル・バレンタインの代わりに登場させたと思える女性リーダー役のアリ・ラーターは「HEROES」の多重人格者。テレビでは色っぽくて良いが、スクリーンで見ると、やはりテレビ女優かという感じがつきまとう。それほど見せ場がないのもつらいところだ。

 ラッセル・マルケイは「レイザーバック」(1984年)でその映像感覚におおっと思った。残念ながら良かったのは次の「ハイランダー 悪魔の戦士」(1986年)までだった。以後はB級映画の監督というイメージ。

 アリスの力は前作よりもパワーアップしていて、ほとんど超能力者。これをもっとSF的に発展させていってほしかったところだ。その意味ではポール・W・S・アンダーソンの脚本にも難があるのだろう。もっと面白くなりうる題材なのにちょっと残念。(mixi)

2007/09/22(土)「プラネット・テラー in グラインドハウス」

 ゾンビを相手にしたアクションという感じの映画に仕上がっている。グラインドハウスなので例によってフィルムの傷とか、途中に「1巻をなくしました」とかの字幕が出てきていかにもな雰囲気だが、「デス・プルーフ」の時に感じたようにこれも1時間30分程度にまとめるべき映画だろう。面白いけど、ちょっと長い感じ。R-15になったのはそれなりに残虐シーンがあるためか。グロいシーンが苦手な人は要注意。

 映画としては大したアイデアはなく、あの片足マシンガンぐらい。といっても、このマシンガン、どうやって引き金を引いているのか説明はないところが、いかにもB級映画。ま、気楽に楽しむべき映画なのだ。マシンガンを付けるローズ・マッゴーワンは良かったけれど、女医役のマーリー・シェルトンの方が好みだ。「シン・シティ」にも出ているようだが、何の役だったのだろう。タランティーノがゲスト出演していて、これはケッサクな役柄だった。あとは懐かしいマイケル・ビーン(「ターミネーター」)とか。主役級のフレディ・ロドリゲスの動きの良さにも感心。

 IMDBでキャストを調べておおお、と思ったのは劇中、ゾンビから指を食いちぎられる警官トロがトム・サヴィーニだったこと。「13日の金曜日」などのメイクアップ・アーチストで監督としては「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のリメイク版(1990年)がある。これは傑作だったと思うが、それ以後、まともな監督作はなく、最近では俳優としての出番が多いようだ。ゾンビなのでサヴィーニにお呼びがかかったのか。

2007/09/20(木)「ユナイテッド93」

 全敗の中の1勝。「ユナイテッド93」を見て感じたのはそういうことだ。同時テロで2機の飛行機が貿易センタービルに突っ込み、1機がペンタゴンに墜落した。ハイジャックされた4機目、ユナイテッド93は乗客たちがハイジャック犯たちに反撃し、目標のホワイトハウスに到着させず、墜落したという話。乗客は全員死んでしまったけれども、ホワイトハウスへの攻撃はさせなかった。これが勝利でなくて何だろう。だからこの映画はアメリカ国民からは支持されたのだ。もう単純にカタルシスがあるのである。テロリストたちに一矢を報いた悲劇の中のカタルシスが。

 映画としてもすこぶる良い出来で、前半、管制官たちから見た同時テロの進行の緊張感が凄い。飛行機と連絡がつかなくなって、何が何だか分からないうちに1機が貿易センタービルに突っ込む。CNNはすぐに中継を開始する。間もなく2機目も突っ込み、ようやく事故ではなく、テロではないかとの疑問が芽生え、3機目で決定的になる。

 ユナイテッド93が目標に到達しなかったのは朝の混雑のために離陸が30分遅れたからで、テロリストにハイジャックされた乗客たちは携帯電話で家族からテロの進行を知り、反撃を決意する。乗客の中にパイロット経験者がおり、操縦桿を奪い返そうという計画だった。それがうまくいかなかったのは残念だが、この過程はスリリングで悲壮感があり、観客を引きつける力がある。

 監督のポール・グリーングラスをはじめ映画の製作者たちは遺族から当時の状況を聞き、同意を取った上で映画化したという。ただ、状況を知る材料は携帯電話での通話とボイスレコーダーしかないわけで、細部はフィクションにならざるを得ない。乗客たちが操縦室までたどりつけたかどうかも実際には分からないようだ。

 僕は同時テロの際、墜落した4機目は軍が撃墜したのだろうと思った。そう推測する人は少なくはない。実際に撃墜したパイロットまで特定されているとの説もある。だいたい、同時テロ自体がアメリカ政府の陰謀とのトンデモ説もあるくらいなのだ。だから、この映画の内容をすべて信じてしまうことには少し抵抗がある。最後の字幕で軍がユナイテッド93のハイジャックを知ったのは墜落した後だったと出る。おまけに軍は大統領から撃墜許可を受けていたが、間違いを恐れて実行しなかった、とまでだめ押しされると、本当かと疑問を感じてしまう。プロパガンダ映画に近い作りではないかとの思いが頭をもたげてくるのだ。

 作りは一流、描かれる内容には疑問という映画の典型。ただ、悲劇的な話であるにもかかわらず、カタルシスがあるという希有な映画であることは間違いない。