2015/03/08(日)「ソロモンの偽証 前篇・事件」
雪のクリスマス。学校内で男子生徒の死体が見つかる。いったんは事故死と断定されたが、関係者に事件を目撃したとの告発状が届く。生徒を殺したのは同じ学校の男子生徒3人だという。
宮部みゆきの原作は「事件」「決意」「法廷」の3冊(文庫は6冊)だが、映画は「事件」「裁判」の2作。原作は未読だが、長大な原作の映画化作品がダイジェストになるのは仕方ないだろう。映画を見て感心したのは俳優たちの演技で、黒木華、永作博美、田畑智子らが生徒役の子供たちをしっかりと支えている。主演の藤野涼子は役名でデビューした新人(役名でデビューと言えば、「若者たち」の佐藤オリエあたりが最初だろうが、僕らの年代では「愛と誠」の早乙女愛なども思い出す)だが、これまで通行人しかやってなかったとは思えないぐらい好演している。
成島出監督の演出は緊密でリアルな暴力描写などに重たい質感がある。しかし当然のこととは言え、事件が解決しないのでフラストレーションはたまる。1カ月後の後篇を楽しみに待ちたい。
2015/03/07(土)「幕が上がる」
主人公の高橋さおり(百田夏菜子)が燃やしている台本のタイトルが「ウインタータイムマシン・ブルース」なのを見てクスッと笑った。言うまでもなく、本広克行監督の旧作「サマータイムマシン・ブルース」にかけてある。「サマータイムマシン・ブルース」は劇団「ヨーロッパ企画」の芝居を映画化したものだったから、高校演劇部を描いたこの映画にふさわしいだろう。
台本を燃やしたのはさおりたちの学校が高校総合文化祭の地区予選で優良賞だったから。優良賞は最優秀賞、優秀賞の計3校以外の学校に与えられる参加賞に過ぎない。さおりは全国大会を目指していたわけではないが、やはり悔しい思いがあったのだ。ここから映画は毎年、地区予選で落ちていた富士ヶ丘高校演劇部が全国大会を目指して奮闘する1年間を描いていく。
キネ旬3月上旬号の本広監督と大林宣彦監督の対談で、大林監督はこの映画を絶賛し、アイドル映画を撮るには「虚構で仕組んでドキュメンタリーで撮る」ことが大事だと言っている。この映画はストーリーに沿って順撮りで撮影したそうで、だから演劇部の上達とももいろクローバーZの5人の演技の上達が重なって、ドキュメンタリーのような効果を上げている。
しかし、何よりも心を動かされたのは演劇部が取り上げる「銀河鉄道の夜」のセリフにある「どこまででも行ける切符」を持った高校生たちのきらめきを描いている点だ。十代が持つ無限の可能性を積極的に肯定的に描いて、この映画とても心地よい。
元学生演劇の女王と言われた新任の吉岡先生を演じる黒木華が自在の演技を披露して、ももクロの5人をしっかりと支えている。映画を見た後に平田オリザの原作を読んだが、黒木華が「自分の肖像画」を演じる場面は原作ではさらりと触れられているだけだった。生徒たちに演技の奥深さを教えるこの場面の説得力は映画ならではのものである。序盤で吉岡先生は生徒たちに「私は行きたいです。君たちと、全国に。行こうよ、全国!」と呼びかける。これがあるから、演劇部にとってショッキングな出来事を乗り越えて、さおりが「行こう、全国へ」と部員たちに話す場面が感動的なのだ。
原作も評価は高いけれど、映画は一直線に何かに打ち込む青春を描いて充実している。最近よくある恋愛青春映画よりもずっと硬派な映画だ。脚本の喜安浩平(「桐島、部活やめるってよ」)は原作のエッセンスを上手にすくい上げ、それを超える作品にしている。加えて忙しいアイドルたちに十分な時間をかけて演技を上達させた本広克行監督の手腕に拍手を送りたい。
2015/02/11(水)「スノーピアサー」
あの列車のスケールであれだけの人間が何年も暮らしていくのには無理がある。SF的に突き抜けていかない展開がもどかしい。前半の暗さ、暴力描写の多さも気を滅入らせる。それでも明らかな失敗作にはせず、きちんとクライマックスで持ち直して着地するところがポン・ジュノの力量か。
2015/02/08(日)「映画 深夜食堂」
「ナポリタン」「とろろご飯」「カレーライス」の3編からなるオムニバス、というより短編連作の趣だ。素朴な料理と素朴な人情が実にマッチしていて心地よい。都会の片隅の深夜食堂こと「めしや」に常連が集うのは素朴な家庭料理があるからだろうし、そこには素朴な人情が生まれる。店のたたずまいと出てくる料理の素朴さのためか、時代は東日本大震災後の今なのに1960年代あたりの雰囲気が感じられる。一種ノスタルジックな味わいがあるのだ。そこがこのドラマの魅力であり、人情長屋を舞台にした落語の世界に通じるものを感じた。時代は変わっても、人と人とのかかわりはそんなに変わらないのだと、松岡錠司監督は控えめに主張しているのかもしれない。
3つのエピソードをつなぐのは店に忘れられた骨壺のエピソードだが、これはそれほど太い幹ではない。食堂主人の小林薫のように、控えめに各エピソードをつないでいる。ただし、このエピソードを締める田中裕子の演技は絶妙のおかしみが漂っていて良い。
映画だからといって気を張らず、テレビドラマの雰囲気を壊さずに無理なく映画化している点に好感が持てた。同じシーンには出てこないが、高岡早紀と筒井道隆の「バタ足金魚」コンビが出ているのもうれしい。「とろろご飯」編をしっかり支える多部未華子が良くてうまくて感心した。
2015/01/25(日)「アップサイドダウン 重力の恋人」
よく似た設定の「サカサマのパテマ」の時にも思ったのだが、同じ場所にいる人物に重力が選択的に働くという設定には大きな無理がある。この映画では逆物質という概念で説明しようとしているが、これは物理の法則を知らない人の妄想の産物。だからこれはほとんどバカSFの世界だ。
ところが、監督・脚本のフアン・ソラナスはこれを大まじめに撮っており、基本的な設定を忘れてしまえば、それなりに見られるラブストーリーに仕上げた。接近して存在するサカサマの2つの世界のビジュアルは面白い。日米(ソラナスはアルゼンチン生まれだが)で同時期に同じような発想をする人がいたことは興味深いなと思う。