2002/08/29(木)「ウインドトーカーズ」

 冒頭、ソロモン諸島の激戦の中で、主人公のジョー・エンダーズ(ニコラス・ケイジ)は命令を死守したことによって15人の仲間をすべて犠牲にしてしまう。自身も重傷を負い、精神的にも重い後遺症を負った。ジョーは片方の耳が聞こえなくなったことを隠して戦線に復帰。3万人の日本兵が死守するサイパンに行くことになり、上官からナバホ族の暗号通信兵ベン・ヤージー(アダム・ビーチ)の護衛役を命じられる。

 ナバホの暗号は戦闘の結果を左右するので、ジョーは絶対に通信兵を敵の手に渡すなと言い含められる。つまり、敵の捕虜になりそうになったら、殺せということ。部隊にはもう一人ナバホの暗号通信兵ホワイトホース(ロジャー・ウィリー)がいて、オックス(クリスチャン・スレーター)が護衛を務める。2組いるということは好対照の運命になることは容易に予想できる。映画もその通りの進行をするのだが、惜しいのは暗号の死守とジョーの再起という2つのテーマがあまり深く絡んでこないこと。いや、重い後遺症を負ったジョーをメインに描けば、よくある冒険小説のような話にはなっただろうし、ジョン・ウーの演出もそちらに比重が置いてある。しかし、そうなると、暗号通信兵の存在が単なるお飾りにすぎなくなるのである。

 せっかく暗号通信兵を出すのなら、なぜナバホ族が戦闘に参加しなければならなかったのか、その背景や人種差別まで含めて詳しく描く必要があっただろう。そのあたりがまったく足りない。ウーのタッチはどう見てもエンタテインメントなアクション志向。ストレートなアクション映画を目指した方が良かったのではないか。

 人のすぐそばで爆発が起きる場面がいくつもあり、アクション場面は素晴らしい出来なのだが、脚本が今ひとつで、中盤、危地に陥った部隊を救うため、ベンが日本兵に扮して敵の無線を利用する場面のリアリティーのなさは致命的。「A.I.」の母親ことフランシス・オコーナーの役柄なども本筋にまったく絡んでこないなど傷も目立つ。一番の疑問は主人公の性格設定で、軍の命令に忠実に従って仲間を失ったジョーはその戦闘でもらった勲章を海に投げ捨てたと話す。それならば、軍の在り方への疑問も描くべきところだが、脚本にはそういう視点はない。クランクインする前に脚本を練り直す必要があったと思う。