2000/09/13(水)「U-571」

 ドイツの暗号機「エニグマ」の奪取を図るアメリカの潜水艦の話。奪取には成功したものの、自分たちの潜水艦が撃沈され、Uボートで帰る羽目になる。味方に連絡すれば、無線を傍受され、エニグマの暗号を変えられる。それでは任務の意味がない。老朽化し故障したUボートで、ドイツ軍の追撃を振り切る様子がサスペンスたっぷりに描かれる。

 タイトルだけ出て、いきなり本筋に入るジョナサン・モストウの手腕はなかなかのもの。冒頭のUボート内部の描写はウォルフガング・ペーターゼン「U・ボート」を参考にしたのだろう。潜航に備えて乗組員が一斉に艦首へ走る描写などはそっくりだ。緊張感に満ちた描写が続き、爆雷の恐怖がどんなものか、よく分かる。対空砲火の怖さを描いた「メンフィス・ベル」をなんとなく思い出した。

 ただ、なぜ第2次大戦を舞台にしたのか、良く分からない。現代の原潜に置き換えても通用する話なのである。冒険小説では絶対的な悪役を設定するために第2次大戦のナチスドイツをよく持ち出すが、モストウ監督の場合、これ以外にUボートという魅力的な題材を扱いたかった側面があるのかもしれない。パンフレットにはこうあった。

 「現代の原子力潜水艦よりも、第2次大戦中の潜水艦の方が実に劇的な素材だと思う。軋んだり、悲鳴を上げたり、厚さわずか1.3センチの鉄の壁の密室なんだ、当時の潜水艦は。深く潜水し過ぎれば卵の殻のように潰されてしまう。まるでサーディン缶のようなものさ。その中で多くの人が戦ったというのは驚異的だ。ずっと温めていたのは、第2次大戦中の潜水艦をめぐるサスペンスがきわめて劇的だからさ」

 演出は力強く、感心したのだけれど、題材が古い分、オーソドックスすぎて新しさに欠けるきらいがある。既に良くできた古典という感じで、50年代、60年代の映画と言われてもそのまま通るような内容である。題材は古くても新しい感覚で映画化した方が良かったのではないか。この映画に足りないのは「プライベート・ライアン」の冒頭にあったような新しさだ。

 主演はマシュー・マコノヒー。“Matthew McConaughey”と書くが、どうもこの人、名前の読み方がまだ定まっていないようだ。

2000/08/30(水)「TAXi2」

 前作は見ていない。製作・脚本はリュック・ベッソン(監督はジェラール・クラヴジック)。カーアクション+スラップスティックという感じの映画で、署長役のベルナール・ファルシーをはじめ出演者にも好感を持ったが、なんとなく盛り上がりに欠ける。いや、面白いことは面白いのだが、まあ、あってもなくてもよい映画のたぐいですね。

 過去の映画の再生産という印象が拭いきれない。新しさに欠ける。すべて予定調和の世界。驚きも何もない。別にこういう映画を否定はしないが、勝手にやってください。フランスでは「M:I-2」よりヒットしたとか。フランスならではですね。

2000/08/23(水)「ホワイトアウト」

 原作を読んだのは5年前。細部をすっかり忘れていて、後半の犯人グループの描写に、「ああ、こういう展開だったか」とちょっと驚いた。映画はオープニングの冗長な演出を除けば、面白い仕上がり。原作にある「男の復権」のテーマをしっかり引き継いだのが良かったと思う。

 主人公の富樫(織田裕二)が一人で奮闘する中盤の描写がやや単調になったきらいはあるが、それを救っているのが警察側と犯人グループの描写。所轄に県警本部が乗り込んでくるという「踊る大捜査線」的シチュエーションの下、所轄の意地を見せる署長役・中村嘉葎雄の好演が光る。犯人グループのボス役佐藤浩市も異様なメーキャップで憎々しい演技を見せ適役。一番頑張っているのは織田裕二で、いや、ここまで好演するとは思いませんでした。松島菜々子は、ま、あんなものでしょう。

 原作者の真保裕一が脚本に加わり、15稿まで書いたそうだ。それが原作のテイストを壊さなかったことにつながったのではないかと思う。映画独特のアイデアも含まれ、原作を読んだ人も楽しめるのではないか。

2000/08/16(水)「さくや 妖怪伝」

 1707年、江戸・宝暦時代。富士山の噴火で妖怪が溢れ、公儀妖怪討伐士の榊咲夜(さかき・さくや=安藤希)が父親の跡を継いで、妖怪退治に乗り出す。ガメラシリーズの樋口真嗣がSFXを担当しているが、怪猫や河童など作り物がありありの着ぐるみが多い。これはかつての妖怪映画の伝統を守ったのかもしれない。子泣き爺とか一つ目の唐傘とか別にストーリーに絡まない妖怪もゲスト的に出てくる。クライマックスは見応えあり。話も「ジュブナイル」や「パーフェクト・ストーム」など今夏のSFX大作よりまとまっており、手堅い。一番いいのは主演の安藤希で、清潔感とかっこよさがあり、十分主役を張れる演技でした。妖怪のボス土蜘蛛を演じるのは松坂慶子。こちらも感心するぐらいに真剣に演じている。手を抜かないのはさすが。

 監督・原案の原口智生は特殊メイクアップ・アーチスト。SFオンラインによると、「妖怪映画・怪談映画の愛好家であり、そういった映画の再評価やビデオ化企画で積極的に活動をしている人物でもある」という。こういう話が真剣に好きだからこそ、面白い映画になったのだと思う。

2000/08/12(土)「要心無用」

 NHKのBSが今週、ハロルド・ロイドの映画を連続放映した。夕方4時半からの放送だったので子どもが見ることも意識したのかもしれない。どの程度の視聴率があったのか知らないが、これに出会った子どもたちは幸せだっただろう。僕は11日に放映された「要心無用」(Safety Last 1923年、フレッド・ニューメイヤー、サム・テイラー監督)のみ録画して見た。

 20数年ぶりの再見である。この映画はロイドが時計にぶら下がるシーンで有名だ。初めて見たときほどの驚きはなかったけれど(当たり前だ)、これはやはり映画史上に残るシーンだろう。スリルと笑いが混在した屈指の名シーン。双葉十三郎さんは「僕の採点表 戦前篇」にこう書いていいる。

 30分にも渡るこの高層アクションはたいへんな見せ場で、いろいろなギャグが盛られているが、それ以上に手に汗にぎるスリルと興奮に満ちている。やっとのことでしがみついた大時計の針が重みでぐらりと動く場面など圧巻だった。

 今でもこういうシーンは撮れるかもしれない。命綱を付けて撮影し、後で綱を消せばいい。しかし、1920年代にそんな技術はない。すべてロイド自身がこのアクションを行っていることに感動せずにはいられないのだ。命がけの献身的な演技で尊敬に値する。スタンドインなしに、今これをやれるのはジャッキー・チェンだけだろう。

 「僕の採点表」にはロイドが来日した際に双葉さんが会いに行き、時計にぶら下がった時にけがをした手のひらを見せられたことが記されている。映画ではそんなことは微塵も感じさせないのが凄い。