2001/03/11(日)「ワンピース ねじまき島の冒険」
ビデオクリップのような「ジャンゴのダンスカーニバル」、昨年春の劇場版の続編「デジモン・アドベンチャー02 ディアボロモンの逆襲」との3本立て。もちろんメインは「ワンピース」で、東京でも興行収益1位となっている。
「ワンピース」のストーリーというのは以前にも書いたが、正義、友情、義理、人情の世界である。積もり積もった怒りが最後に爆発し、悪を倒すというパターン。今回はトランプ兄弟という海賊に支配されたねじまき島でルフィ、サンジ、ゾロ、ナミ、ウソップらの面々がいつも通りの活躍をする。安心して見ていられる仕上がりで、作画もテレビより丁寧。映画だから、テレビより面白いものを作ろうという肩肘張った部分はなく、テレビの延長として素直に楽しむ映画だろう。
2001/03/07(水)「バガー・ヴァンスの伝説」
映画を見る前にざっとあらすじを読んで、ああ、これは「ナチュラル」(1984年)だな、と想像した。バリー・レビンソン監督、ロバート・レッドフォード主演のこの映画は野球の天才打者が不運な事故に見舞われ、そこから奇跡的な再起を果たす話だった。キム・ベイシンガーが主人公を堕落させる悪女、主人公を支え続ける幼なじみをグレン・クローズが演じた。ファンタスティックな雰囲気が素敵な映画だった。
「バガー・ヴァンスの伝説」は戦争で精神的ショックを受けたゴルファーのジュナ(マット・デイモン)が酔いどれ生活から再起を果たす話。不思議なアドバイスをするキャディーのバガー・ヴァンスに出会い、恋人アデル(シャーリズ・セロン)の支えも得て、エキシビジョン・マッチでトッププロ2人に挑む。
プロットは「ナチュラル」とほとんど同じ趣向である。古き良き時代を背景にしているのも同じ。レッドフォード監督はこういう話が好きなのだろう。かつて自分が演じた役をデイモンに演じさせているわけだ。ただし、出来の方は「ナチュラル」の方が上回る。
「ナチュラル」は善と悪の力に翻弄されながらも自分の道を迷わず突き進む主人公がよく描けていたし、映画に透明で郷愁を誘う雰囲気があった。ラスト、主人公が特大のホームランを放ち、ライトが砕けて花火のように飛び散る描写も素晴らしかった。
「バガー・ヴァンスの伝説」はエキシビジョン・マッチの模様が中心になり、構成としてはやや単調であまりうまくないのである。ラストの処理も「ナチュラル」に比べると地味だ。バガー・ヴァンスの役回りは守護天使のようなニュアンスをもっと出した方が良かったと思う。
断然いいのはシャーリズ・セロン。勝ち気で快活な富豪の娘役を演じ、魅力が弾けていますね。
2001/03/01(木)「BROTHER」
日英合作で、撮影はハリウッド。しかし、北野武の映画であることに変わりはない。アクション路線の集大成を目指したようで、いかにも北野武らしいショットが多数出てくる。デビュー作「その男、凶暴につき」(89年)とその後の数作を見て、どれも未完成な感じを受けた。だから僕は映画監督としての北野武をそれほど高く評価してはいない。唯一波長があったのが「あの夏、いちばん静かな海。」(91年)だけれど、これにも未完成な感じはつきまとった。
その「あの夏…」に出ていた真木蔵人が10年ぶりに北野作品に出演している。日本を追われたヤクザ山本(ビートたけし)が単身渡米する。ロサンゼルスには弟のケン(真木蔵人)がおり、ヤクの売人をやっている。上部組織とのいざこざを山本が乱暴なやり方ですっきり解決。黒人らと組織を作り、次第にのし上がっていく。しかし、マフィアとの抗争で仲間は次々に死んでいく。
ヤクザ映画の指を詰めるシーンが僕は生理的にダメなのだが、この映画にはそういうシーンが3回出てくる。「仁義なき戦い」を経た映画とは思えない古風なシーンも皮肉を込めて描かれている。ハリウッド方式の凄絶な銃撃シーンはジョン・ウーとは違った重さが感じられる。いや重さというと、少し違うかもしれない。熱いジョン・ウーの映画に比べて、北野武の映画はいつも冷たい感じがするのである。この冷たさはクールとも違う。決してかっこよくはない。僕が北野映画に感じてきた未完成な感じは、フィルムから受けるこの冷たさによるものなのだろう。それは恐らく、監督の死生観と切り離せないものである。
今回、面白かったのは冷たい描写に挟まれる軽妙な描写で、デニー(オマー・エプス)と山本のやりとりや、山本の弟分である加藤(寺島進)のバスケットボールの場面などおかしい。クスクス笑える場面がほかにもいくつかあり、そうしたことが映画に膨らみを与えている。役者では加藤雅也の熱い乱暴なヤクザが良かった。
2001/02/28(水)「キャスト・アウェイ」
無人島に漂着した男が困難なサバイバルを切り抜けて帰還する話。主人公のチャック・ノーランド(トム・ハンクス)は宅配便会社フェデックスの社員で、世界を股にかけ分刻みのスケジュールで忙しく働く。その出張の途中で飛行機が不時着し、無人島に一人で流れ着いてしまうのだ。そこから孤独で過酷な生活が始まる。
漂着前と漂着後の描写に挟まれる1時間半ほどは、ほとんどトム・ハンクスの一人芝居。この孤島の描写がまあ、映画のテーマそのものとも言える。良くできているのだが、サバイバルのハウツーものを見ているような感じになる。確かに現代人が装備もなく、無人島に流れ着いたら、火をおこすことから大変な労力がいる。食料の調達も難しい。主人公は最初、ヤシの実を食べるが、「冒険ものは間違っていた。ココナッツミルクは下剤だ」と理解する。けがや病気になっても治療の手段はない。何より一人きりという絶望的な恐怖感。主人公は結婚を誓った恋人(ヘレン・ハント)の写真とバレーボールに描いた顔に名付けたウィルソンを頼りに生きていく。
救出後の描写に意外性もなにもないのが、物足りない。主人公が無人島で学んだ生き続けていくことの意味、大袈裟に考える必要はなく、「ただ息を続ければよい」との結論にも、もう少し深みが欲しいところだ。
フェデックスとのタイアップがどぎつすぎるのもマイナス。クロネコヤマトが「魔女の宅急便」をバックアップしたよりも、これは宅配便会社フェデックスのPRが直接的で見え見えである。
2001/02/21(水)「回路」
黒沢清監督のホラー。ネットスリラーというコピーだが、破滅SFに近い。主人公の麻生久美子と加藤晴彦の身近で友人らが次々に不審な死を遂げる。加藤晴彦自身もインターネットで不気味な映像を見る。大学の先輩(武田真治)が言うには霊界の広さには限界があり、人間界と通じる回路ができたことで、そこから幽霊たちが人間界を侵食しているらしい。幽霊に触れた者は死んでしまう。
基本のアイデアはファンタジーなのだが、終盤の展開は破滅SFそのもの。人通りの絶えた東京で主人公2人は宛てもなく逃走する。あかずの部屋、煙を吐きながら墜落する飛行機、薄暗い画面、漂う煙、ぼんやりした幽霊…。不気味な雰囲気を漂わせる風景や幽霊の描き方など黒沢清の絵作りには感心させられる。脚本には弱い部分もあるが、こういうアイデアは珍しい。
怖がりの僕にはホラーとしての味付けは余計なものに思えるが、SFとしては幽霊の侵食にきちんとした理論がほしいところ。もちろん元々SFを作ろうというつもりはなく、ホラーの設定を突きつめていったら、SFに近くなったのだろう。凡百のホラーを超えたユニークな作品であることは間違いない。加藤晴彦は好演。麻生久美子、小雪も良かった。