2003/02/27(木)「ビロウ」

 潜水艦を舞台にしたホラー、と思ったら、終盤の謎解きは真っ当だった。ミステリ的な展開を予想していなかったので、この真相は面白かった。なるほど、そういうことか。それなら仕方ないよな、という感じである。潜水艦の中で起こる出来事(一瞬見える人影や暗闇から聞こえてくる声、壊れた舵)が本当に幽霊の仕業かどうかをあいまいに終わらせるあたりはこの展開では仕方ないのだが、これによって中盤が少し緩む。スターは出ていず、B級感覚の映画で、それなりの出来に仕上がっている。

 第2次大戦中、アメリカの潜水艦が3人の漂流者を救助する。3人は病院船に乗っていたが、Uボートの魚雷で船が沈没して漂流していたのだった。3人のうちの1人は女。女性を潜水艦に乗せるのは不吉と言われており、乗組員たちは毛嫌いする。敵艦の下を潜航中、突然、ベニー・グッドマンのレコードがかかる。敵艦が落とした爆雷で潜水艦のあちこちがきしみ始める場面は潜水艦ものではおなじみの描写だ。誰がレコードをかけたのか。3人のうちの1人がドイツ人と知った艦長代行のブライス大尉(ブルース・グリーンウッド)はその男を撃ち殺す。それから艦内では不思議なことが起こり始める。

 救助された女性を演じるのは「シックス・センス」でブルース・ウィリスの妻を演じたオリビア・ウィリアムス。主人公の少尉はマシュー・デイビス。監督は脚本家出身のデヴィッド・トゥーヒー。製作者の1人にダーレン・アロノフスキーが名を連ねている。

2003/02/23(日)「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」

 アクションに次ぐアクションで密度が濃いので、見終わった後、頭がクラクラした(1階席だったので首も痛くなった)。前作の後半を占めた怒濤のアクションが今回は最初から最後まで続く。アクション場面を背負っているのがアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)で、前作よりも格好良く、ほとんど主人公の風格。エオウィン(ミランダ・オットー)とのほのかなロマンス描写もいい。アラゴルンと同行するレゴラス(オーランド・ブルーム)のほれぼれするような弓の放ち方とギムリ(ジョン=リス・デイヴィス)のユーモアも楽しい。本来の主人公であるフロド(イライジャ・ウッド)とサム(ショーン・アスティン)のコンビの旅も波乱に富んでおり、指輪の元の持ち主であるゴラムのスメアゴルが加わって、ぐっと深みを増した。善と悪に揺れ動くスメアゴルは今回の大きなポイントだ。

 ピーター・ジャクソンの演出に狂いがないと思うのはラストをフロドとサムの力強いセリフで締め括っているところ。指輪の力に圧倒されて弱気になったフロドに対してサムは「物語の主人公は決して後には引かない」と話すのだ。この脱映画的とも思える場面がなかなかいい。ジャクソンの演出は決して細かい部分でうまいわけではないのだが、原作への愛と情熱とパワーで押し切った感じがする。「スター・ウォーズ」シリーズよりも物語の背景に深みがあるし、演出が正攻法である。よくぞここまで立派な映画を作ったなと、前回と同じような感想を持つ。

 前作で火の鞭を振るう怪物バルログとともに橋から落ちたガンダルフ(イアン・マッケラン)のその後を冒頭で描く場面から画面に力がこもっている。物語の時間軸は前作からそのままつながっており、これぞ正しい続編という感じがする。映画の魅力を補強しているのはニュージーランドの素晴らしい風景で、これまた前作よりも効果的に使われている。大自然の中で繰り広げられる善と悪の戦い。クライマックスの怪物1万対人間300の戦いは延々と続き、圧倒的な迫力がある。CGと分かっていても、このスケールの大きさは感動的である。

 この物語から現実を照射するのは簡単だが、これはあくまでも人間対怪物の戦いであり、アメリカ対テロリストのような狭い了見で解釈するのは間違いと思う。

 子どもを連れて吹き替え版も見てみたいところ。DVDのエクステンディッド・エディションも買いたくなった。

2003/02/20(木)「戦場のピアニスト」

 もちろん、ダビデの星の腕章を着けさせられる差別からゲットー移住、収容所送りへと続くユダヤ人迫害の場面はテレビや映画や書籍で何度も見た(読んだ)ものではあるのだが、それでもやはり胸を締め付けられるような思いがする。気まぐれにユダヤ人を殺すドイツ兵の描写には「シンドラーのリスト」の時と同じように心が冷えてくる。飢えと恐怖と絶望に苦しめられ、人間の本性がむき出しにされるゲットーの生活をロマン・ポランスキーは1人のピアニストの視点から冷徹に描き出す。前半はこういう粛然とせざるを得ないような描写が続く。

 映画は後半、収容所行きの列車から危うく難を逃れた主人公がさまざまな人たちの力を借りて生きのびていく姿を描く。隠れ家を転々とし、物音も立てずにひっそりと生きる主人公の姿は、戦争が終わったことも知らずにジャングルの中で暮らした日本兵を思わせる。主人公は飢えに苦しみ、死にそうになりながらも生き抜いて終戦を迎えることになる。この後半も優れた描写ではあるのだが、主人公が生きるか死ぬかだけに絞られてくるので物足りない思いも残る。実話だから仕方がないし、過酷な生活を送った主人公の生き方にケチを付けるつもりも毛頭ないが、この主人公からは絶対に生き抜くという信念は感じられないし、レジスタンスに参加するわけでもないし、状況を少しでも変えようと努力するわけでもない。単に運が良かっただけのように見えてしまう。

 収容所で殺され、レジスタンスで倒れた多数の人々に比べれば、主人公は生き抜いただけでも恵まれていたと言える。話を運の良い男に収斂させてしまうと、映画としてはちょっと弱い。ユダヤ人迫害を十分に描いているじゃないか、と言われれば、確かにその通りだが、そういう映画はほかにもたくさんあるのだ。良い映画であることを否定はしないけれど、物語を締め括る視点にもう一つ何かのメッセージを込めてもよかったような気がする。

 ポーランド出身で、ゲットーでの生活も体験したロマン・ポランスキーは「シンドラーのリスト」の監督候補に挙がったこともあるそうだ。それを蹴ったのは自分に近すぎる題材だったためとのこと。この映画の後半を主人公の生きのびる姿に絞ったのはポランスキーにとって、まだあの時代が重くのしかかっているからなのかもしれない。

 常に哀しい目をした主演のエイドリアン・ブロディは好演している。昨年のカンヌ映画祭パルムドール。アカデミー賞にもノミネートされている。脚本はチェコのレジスタンスの若者たちを描いた鮮烈な傑作「暁の7人」(1976年、原題はOperation Daybreak)のロナルド・ハーウッド。

2003/02/13(木)「13階段」

 高野和明の江戸川乱歩賞受賞作を「ココニイルコト」「ソウル」の長澤雅彦監督で映画化。主役の刑務官を演じる山崎努の好演もあって、半分ぐらいまではこれは傑作なんじゃないかと思っていたのに、終盤、映画は急速に失速する。詳しくは書かないが、2時間ドラマレベルの終盤だった。プロデューサーの角谷優は脚本に時間をかけたという。最終的なクレジットは森下直(「誘拐」)になっているが、長澤監督や企画協力の岡田裕、山崎努らの意見も取り入れてまとめたそうだ。なのに、なぜこの程度の底の浅い話になるのかわけが分からない。「ボーン・アイデンティティー」も底が浅い話だなと思ったが、あれでも水深50センチぐらいはあった。この映画の水深は5センチほどである。

 傷害致死で服役して仮出所したばかりの三上純一(反町隆史)のところへ、松山刑務所の刑務官・南郷正二(山崎努)が訪ねてくる。死刑囚・樹原(宮藤官九郎)の冤罪を晴らすため13年前に起きた殺人事件の再捜査への協力依頼だった。依頼人は明らかにされていないが、報酬は1000万円。慰謝料に7000万円を支払い、実家が金策に困っていたこともあって純一は南郷に協力することになる。樹原は自分の保護司夫妻を殺したとされたが、オートバイの事故で事件前後の記憶がない。凶器も見つかっていない。新たな証拠を見つけ出す手がかりは最近、樹原が思い出した「階段を上っていた」という記憶だけだった。事件があったのは純一が殺してしまった佐村恭介が住んでいた町。佐村家を訪れた純一は父親の光男(井川比佐志)から「死んで罪を償え」とののしられる。一方、南郷にもかつて死刑囚を殺してしまったという罪の意識があった。2人は贖罪の意識にとらわれながら、死刑囚を助けるため犯行現場付近で階段を探し求める。

 終盤に唖然とするのはあまりにも狭い人間関係の中で事件が起きていること。犯人の作為と偶然が重なったとはいえ、これではもうあんまりである。「誘拐」も犯人の意外性と社会性で見せたから、森下直はミステリーにはある程度の理解はあると思うが、事件の詳細で明らかにされない部分も多く、この脚本はまずい。もっとポイントを絞って、死刑の是非を前面に出すような展開が加われば、映画の格ももう少し上がっていたのではないかと思う。取り上げていることが通り一遍なのである。

 長澤監督は感動するドラマを目指したそうだが、底が浅いドラマでは感動しようがない。死刑執行までのタイムリミットがサスペンスとして効いてこないのも弱い。たぶん、長澤監督はミステリーやサスペンス映画には向かないのだろう。

 なぜ事件の再捜査を刑務官に頼むのか、という釈然としない部分があるにせよ、山崎努の自然な演技は相変わらずうまい。反町隆史も眼鏡を掛けた内向的な役柄をそつなく演じている。刑務所の所長役を「刑務所の中」を監督した崔洋一が演じているのは狙ったことではないのだろうが、崔洋一は「御法度」に続いてまたまたうまい。この人は口跡が良く、外見の貫禄もこうした役柄にピッタリである。

2003/02/10(月)「レッド・ドラゴン」

 原作を読んだのは単行本が出た直後だから18年前。細部はすっかり忘れている。覚えているのは“噛みつき魔”ダラハイドと盲目のリーバの描写ぐらいか。小説は面白かったが、その後に読んだ「羊たちの沈黙」で、脇役だったレクター博士に安楽椅子探偵の役目を振ったことの方が驚いた。寝ころんで読んでいて、起きあがりました。やはり、「ブラック・サンデー」のトマス・ハリス作品だけのことはある…。

 「レッド・ドラゴン」はマイケル・マン監督「刑事グラハム 凍りついた欲望」(1986年)に続く2度目の映画化となる。ブレット・ラトナーは「ラッシュアワー」とかの監督だから不安があったが、まずまずの出来に仕上がっている。相変わらずのアンソニー・ホプキンスもエドワード・ノートンもうまく、それ以上にダラハイド役のレイフ・ファインズがうまい。ダラハイドは原作ではもっと醜い顔のはずで、ファインズではハンサムすぎると思うが、中盤の新聞記者(フィリップ・シーモア・ホフマン)をいたぶる場面など狂気の演技がなかなかである。リーバ役のエミリー・ワトソンもいい。

 原作ではレクター博士の登場シーンは少なかった。映画でも多くはないが、もはやレクター博士はスター並みの存在だから、それなりの扱いをしてある。冒頭のエピソードは「ハンニバル」の雰囲気を取り入れたもので、そこに続く逮捕場面も悪くない(ここまでがちょっと長い気はする)。ラトナーの演出は大味なところがあって決して優れているわけではないけれど、そつなくまとめてある。

 残念なのは「羊たちの沈黙」へのリスペクトが大きすぎること。ラトナーはレクターの入った精神病院のセットを「羊たち…」と同じにすることにこだわったという。脚本は「羊たち…」で名を挙げたテッド・タリーだから、映画の雰囲気も「羊たち…」によく似たものになった。ダラハイド捜査のヒントをレクターがグラハムに与える場面などそのままである。要するにオリジナルなものに乏しいのだ。「羊」がなければ、映画の評価は高まったかもしれない。しかし所詮、「羊」がなければ生まれなかった映画なのである。