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2004年04月02日の記事

2004/04/02(金)「恋愛適齢期」

 ダイアン・キートンが出てきた時に、これはダイアン・キートンではなくてダイアン・キートンによく似ているどこかのおばあちゃんがキートンを演じているに違いないと思ったが、キートンその人だった。IMDBによると1946年1月5日生まれだから58歳だが、70歳と言われても通る。アカデミーの授賞式ではもっと若く見えたから、これは役作りのためにわざと老けのメイクアップをしているのだろう(あるいは素顔をさらしているのだろう)と同情的に考えておく。監督のナンシー・メイヤーズは54歳。パンフレットではキートンより美人に見える。

 そのナンシー・メイヤーズの自伝的な要素のある作品だそうだ。といっても年齢が近くて子持ち、バツイチ、脚本家というところが共通しているだけのようだ。63歳の男と50代半ばの女の恋を描くコメディで、笑える場面は多いし、主演の2人も好演しているが、どうも冗長さを感じる。もっとすっきりした話にまとめられるはずなのである。この内容で2時間8分もかける意味が見あたらない。

 30歳以下の女性しか相手にしないプレイボーイのハリー(ジャック・ニコルソン)が、ガールフレンドのマリン(アマンダ・ピート)と別荘に行き、そこでマリンの母親で脚本家のエリカ(ダイアン・キートン)と出会う。最初はお互いに嫌悪感を持つが、ハリーが心臓発作で倒れ、別荘で静養することになったことから、2人の関係は急速に変化を見せる。人生経験豊富な熟年同士の恋愛だから話は早いのである。しかもハリーを診察した医師(キアヌ・リーブス)がエリカに好意を持ち、三角関係的な様相になっていく。

 このキアヌ・リーブスを出した意味があまりない。本格的な三角関係になるわけではなく、男とは無縁と思っていた熟年女性が突然、両手に花的状況になるだけである。2人の間で揺れ動くわけでもなく、一方がダメになったからもう一方へと流れるだけ。ニコルソンの視点で進行しながら、核心は女性の立場で物語が組み上がっている。やはり女性監督だからだろう。それならば、最初からキートンの視点で描けば良かったのにと思う。ビリングのトップはニコルソンだし、キートンを本格的に主演にすると、興行的に難しい面もあるだろうから仕方のない選択ではあるのだろうが。

 ニコルソンの描き方がカリカチュアライズされているのに対してキートンの描き方には女性の本音が見える。「たとえうまくいかなくても、人は恋をするものなの。傷ついても、それが生きるということ」というセリフはなかなか若い女性には言えないだろうし、言っても説得力はない。ニコルソンとキートンのベッドインのシーンや眼鏡を巡るエピソードなどはおかしいと同時に真実みがあり、メイヤーズの体験的なものがあるのかもしれない。

 ジャック・ニコルソンは年齢的に「アバウト・シュミット」の延長のような役柄。相変わらず、うまいとは思うが、こういうコメディばかりに出ていていいものかどうか。