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2005年05月22日の記事

2005/05/22(日)「Ray/レイ」

 「Ray/レイ」パンフレットジェイミー・フォックスが終盤、空想の中で目を開けるシーンで、レイ・チャールズとはあまり似ていないことがはっきり分かる。目を瞑って動作を真似るだけでこんなに似てくるものかと思う。フォックスはアカデミー主演男優賞を受賞したが、それに恥じない熱演だと思う。映画化に15年かけたというテイラー・ハックフォード監督はレイ・チャールズの生涯を女好きやヘロイン中毒というネガティブな部分を含めて描き出す。これは賢明な判断で、そういう部分がないと映画は嘘っぽくなるのである。弟を目の前で死なせたことがトラウマ(心的外傷)になったエピソードなどもレイ・チャールズという人間を描くのに欠かせないことだし、失明したレイを厳しく育てる母親(シャロン・ウォレン)の存在もそうだろう。人間的なレイを浮かび上がらせることにハックフォード演出は成功し、力作となっている。

 とは思うものの、音楽的な才能の秘密がどこにあったかについてはないがしろにされている感が強い。子供のころ失明したレイが周囲の物音に目覚めるシーンは“耳で見る”能力を表現して秀逸だが、音楽に関してはそういう部分がない。有名な曲がたくさん流れるにも関わらず、音楽映画的部分が物足りないのは人間レイを追求した結果、音楽家レイの追求が手薄になったからではあるまいか。

 実際、映画を見終わって印象に残るのは盲目、ヘロイン、女好きという3つのことなのである。一度はレイを追放したジョージア州議会が謝罪し、州歌を「わが心のジョージア」に決めるというレイの復権を描いて映画は終わるが、黒人差別、公民権運動に対するレイのスタンスは詳しく描かれない。中盤、ジョージアでのコンサートに訪れたレイがファンからコンサートの中止を求められるシーンがある。ジョージア州はアフリカ系アメリカ人を隔離席に押し込めるという施策を取っていた。コンサート会場の前でその施策に抗議していたファンの1人がレイに駆け寄り、コンサート中止を依頼する。「自分はただの音楽家だ」と最初は断っていたレイは話しているうちになぜか心変わりして公演を辞める。それが元でジョージア州はレイを追放するのだが、この心変わりの部分をもっと知りたくなるのだ。復権のシーンを効果的に見せるにはそれが必要だと思う。スパイク・リーなどのアフリカ系アメリカ人が監督すれば、そういう社会派的な部分をもっと描いたに違いない。

 人の生涯を描く上で何を取り何を捨てるかは難しい。ハックフォードはヘロイン、女好き、盲目を取った。僕は他の部分にもっと興味がある。要するにそういうことで、この映画で満足する人も多いだろう。

 ただし、ハックフォードの技術は決してうまくはないと思う。2時間32分が長く感じるのは語り口にくどい部分があるからだ。これはうまいという表現の仕方もなかった。ハックフォード、とりあえずまとめ方に難はないけれど、見せ方には相変わらず凡庸な部分を引きずっている。