2005/06/25(土)「海猿」
オープニングに大規模な救援活動シーンがあって、なんだなんだと思ったら、最後にこれが「海猿 THE NEXT STAGE」(2006年春公開)のものと分かる。これはDVDのみの仕様か? で、7月5日から始まるフジテレビの「海猿」も伊藤英明、加藤あいが主演。つまりテレビと映画を連動させているわけで、「踊る大捜査線」と同じくメディアミックスになるようだ。しかし、テレビドラマまで付き合ってられないな(けど、見てないと、来年公開の映画に話がつながらないかもしれない)。
映画の方はスタンダードな出来と思う。海上保安庁の潜水士を目指す14人の訓練生の物語。優秀な訓練生・仙崎に伊藤英明、厳しい教官に藤竜也が扮する。水深40メートル、残圧30、1人分の酸素しかない状況でどうする―という命題をこの教官は最初に口にする。予想通り、クライマックスにはその通りのシチュエーションが登場する。「仙崎はバディを見捨てない。お前たちが救援に来ると信じて待っている」と、上官の命令を無視して訓練生たちに言う教官の言葉がなかなか感動的である。
しかし、いろいろと引っかかるところはあって、主人公のバディで劣等生の伊藤淳史を途中で死なせたりとか、クライマックスにかかわってくる藤竜也の過去のエピソードとか、加藤あいはなぜあんなに酔っぱらっていたのか分からないとか、もう少しうまく描けないものかと思う。別にこれがテレビドラマになると分かっているから書くわけではないが、全体的にテレビと同程度の描写が目についた。訓練生たちの描き方も「ウォーターボーイズ」のノリである。パッケージングは誰もが指摘するように「愛と青春の旅立ち」。
加藤あいは良かった。その友人の看護婦役・香里奈は去年、これと「深呼吸の必要」「天国の本屋 恋火」の3本の映画に出たが、今年は全然見かけないな。
2005/06/13(月)「戦国自衛隊1549」
半村良の原作を映画化した斎藤光正監督作品(1979年)はアクション監督を千葉真一が務め、アクションだけはそれなりの出来だった。ほかには覚えている部分もないぐらいで、ほとんど良い印象がない。当時、角川春樹は「タイトルが出ないのは『地獄の黙示録』よりも先だ」と意味のないことを言っていたと記憶する。
その「戦国自衛隊」を福井晴敏が新たに書き下ろし、「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」「ゴジラ×メカゴジラ」「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」の3本のゴジラ映画でファンの支持を集めた手塚昌明監督が映画化した。自衛隊の描写はゴジラ映画でお手の物なのでそれなりの映画にはなるだろうとの予想はあった。確かに自衛隊が全面協力しただけあって装甲車やヘリの描写に重みがあり、アクション場面は悪くないが、ドラマが物足りない。SF的な設定は福井晴敏の力を借りただけによくまとまっているけれど、残念ながら時間テーマSF独特の魅力はない。自衛隊が戦国時代に行って戦うというパッケージングをまとめただけの作品に終わっている。惜しい映画だと思う。最後の最後でセンス・オブ・ワンダーを感じさせてくれた「ファイナル・カウントダウン」あたりを見習った方が良かったのではないか。驚いたのは敵役が「ローレライ」と同じ論理、同じ意図で同じことを計画すること。福井晴敏、これは少し安易ではないか。十分な時間がなかったのだろうか。
陸上自衛隊で行われた人工磁場発生器の実験に太陽プラズマの増大が重なり、的場一佐(鹿賀丈史)率いる部隊が消滅する。後に戦国時代の侍・七兵衛(北村一輝)が実験現場に現れたことから部隊は戦国時代にタイムスリップしたものと分かった。かつて的場の部下で特殊部隊Fユニットにいた鹿島(江口洋介)は今は居酒屋の雇われ店長になっていたが、自衛隊の神崎二尉(鈴木京香)の要請で的場たちを救いに行くことになる。的場たちが過去に行き、その時代に干渉したことで現代にホールと呼ばれる虫食い穴が出現し、世界は消滅の危機にさらされていたのだ。実験を指揮していた神崎は判断ミスの責任を感じて、森三佐(生瀬勝久)率いる救出部隊のロメオ隊に参加。部隊は的場たちと同じ状況を作り出し、1549年に向かう。
半村良の原作は的場が率いる部隊の戦国時代での活躍を描いたような作品だった(自衛隊が活躍する場面を用意したかったと、かつて半村良は言っていた)。福井晴敏はそれにもう一つの部隊を加えることでオリジナリティーを出している。先に過去へ行った部隊の歴史への干渉を止めることがロメオ隊の使命なのだから、2つの部隊が敵対することは容易に予想できる。この映画に出てくる歴史の修復作用は半村良版でも出てきて、それが隊員たちの運命に重なっていったが、この映画ではそれが中盤のちょっとした驚きの場面につながる。僕は時間テーマSFを偏愛しているが、それは人間がタイムスリップしてもタイムマシンを発明しても時の流れには抗えないからで、そのために時間テーマSFには切ない感じがつきまとうからだ。この映画にはそうした切なさが一切ない。これはアクション映画だなんだという前に原作者のSFに対する意識によるものだろう。福井晴敏はSFの設定はできるけれども、SFが血肉になっている人ではないのだと思う。
手塚昌明の演出はいつものようにドラマ部分が弱いと思う。脚本にもかかわってくるけれども、ロメオ隊の嶋大輔のような役柄をあと1人か2人用意して、時にのみ込まれていく自衛隊員たちの悲劇を際だたせるともっと面白くなっていただろう。出演者の中では北村一輝の好演が光る。「ゴジラ Final Wars」でも怪演を見せていたが、この人、とにかく目立つ。せりふ回しからして武士そのもので、現代にいる場面のちょっとずれた感じが面白い。それが戦国時代に帰って、実にぴったりと時代に収まるのがまた良かった。
2005/06/07(火)「電車男」
「エルメスさんち行きのチケットは、JTBじゃ売ってくれねえんだよ!」
「一つだけ言っておく。相手の女性は一人だが、おまいにはオレたちがついている」。
もちろん、原作では“オレたち”ではなく、“2chがついている”、となっている。電車男のまとめサイトを読んだ時に心を動かされたのは電車男とエルメスの話ではなく、こうしたスレッドの住人たちの言葉であり、ラブストーリーの方は平凡なものに思えた。だからこれを映画化するには住人たちをどう描くのかがポイントだろうと思った。脚本の金子ありさは「あくまでもメインはラブストーリーとして描きつつ、“新しい物語”としてネットの向こうの応援者もちゃんと描き出そうと思いました」と語っている。メインはラブストーリーじゃないと僕は思っているので、これは違うと思うが、映画にするならラブストーリーを強調した方が分かりやすいのも事実だろう。こうしてラブストーリーをメインにしつつ、スレッドの住人たちもそれなりに描いた映画になった。端的に言えば、出来は悪くないと思う。映像の色彩には感心しないし、演出も演技もテレビドラマのレベルで、クライマックスのキスシーンの下手さ加減には頭を抱えたくなるのだが、主演の山田孝之の好感度が高く、男から反感を持たれない男であるのがいい。電車男の必死さをややオーバーアクト気味に演じた山田孝之の好感度はそのまま映画の好感度につながっていると思う。
電車の中で酔っぱらいに絡まれている美女をアキバ系オタク男が助けたことが発端。美女はお礼にエルメスのカップを送ってくる。男は彼女と何とか付き合いたいと思うが、彼女いない歴=年齢(22歳)なので、ネット掲示板の助けを借りる。匿名の書き込みからアドバイスと励ましを受けながら、男はなんとか恋を成就させるというのがプロット。原作はクライマックス前に男が気弱になる場面(伊丹十三の言葉を借りれば、ロウポイント)があり、ちゃんとした物語になっているところが良くできていると思う。ここで「JTBじゃ売ってくれねえんだよ」の書き込みが出てくるのだ(原作を正確に引用すれば、「そういう以前に、エルメスんちに行くとかそっちの方がよっぽど大変なんよ。エルメスんち行きのチケットとかJTBで売ってくれない訳」となる)。映画はこの場面をスレ住人の口から直接言わせている。ここがなかなか感動的である。書き込みを元にした空想の場面なのだが、電車のホームの向こう側にいる電車男に向かって、スレの住人たちが一列に並んでそれぞれ励ましのエールを送るのだ。
映画は住人たちをもてない男3人組(岡田義徳、三宅弘城、坂本真)、看護婦(国中涼子)、主婦(木村多江)、親に反抗的な少年(瑛太)、30代らしい男(佐々木蔵之介)の7人に代表させて描いている。それぞれにちょっとしたドラマを付け加えているのが金子ありさの工夫だろう。僕は電車男の現在進行形の書き込みには間に合わなかったが、それから少し遅れてまとめサイトを読んだ。掲示板の書き込みを読むのは自分も参加した気分になるものだが、本になり映画になると、そういう感覚は薄れてくる。「大好き>おまいら」という電車男のセリフもだから、あまり真に迫ったものにはなっていない。電車男とスレ住人たちの関係が映画では薄れているのだ。それが残念と言えば残念なところか。
エルメスを演じる中谷美紀はただ微笑んでいるだけで、クライマックス後に電車男に本心を打ち明けるまで演技のしどころがないのがつらいところだ。山田孝之とちょっと年が離れすぎているのも気になった。本当ならはっきり2ちゃんねるの名前を出した映画にしてほしかったところだが、まずまずの作品になったのでいいだろう。いずれにしても映画の中に_| ̄|○とかのアスキーアートが出てきたのは初めてだと思う。その意味で貴重な作品ではある。