2006/02/08(水)「スタンドアップ」
ようやく見た。アメリカで初めてのセクシャル・ハラスメントの集団訴訟となった題材を「クジラの島の少女」の女性監督ニキ・カーロが映画化。裁判の原告席に座る主人公ジョージー(シャーリーズ・セロン)の回想で綴られるが、裁判自体を描いたというよりも、一人の女性がひどすぎる現状を変えようと立ち上がる姿を描いている。邦題のスタンドアップはだから的確なのだが、的確すぎて面白みには欠けるセンスだと思う(原題はNorth Country)。
映画も邦題に負けず真正直な作りである。ここで描かれるセクハラは社会的弱者への差別・攻撃・侮蔑・無理解と同じことで、男女の関係に限らない普遍性を持ち得ている。現状を打破しようとする主人公の行動には強く共感させられる。ただ、技術的に感心した部分はあまりなかったし、もう少し短くできると思う。主人公と父親の関係、夫の暴力、息子との関係、過去の不幸な出来事、友人の難病などなどが詰め込まれ、これは主人公のキャラクター形成の上では意味があるのだが、主題をやや分散化する方向に働いてしまったようだ。題材から言って鋭い社会派の映画になるはずが女性映画に近くなった観がある。それでも美貌と演技力を兼ね備えたシャーリーズ・セロンを見るだけでも価値がある。アカデミー賞主演女優賞ノミネートも当然という感じの演技である。ショーン・ビーンやシシー・スペイセク、フランセス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソンら脇を固める俳優たちの演技もいちいちうまく、役者に助けられた部分が大きい映画だと思う。
最初にInspired by True Storyと出るので、現実の訴訟そのままではなく、フィクションを取り入れた部分が多いのだろう。1989年、ミネソタ北部の小さな街が舞台。夫の暴力に耐えかねて故郷に帰ったジョージーは2人の子供を養うため旧友のグローリー(フランセス・マクドーマンド)に誘われて給料のいい(食堂のウエイトレスの6倍)鉱山で働き始める。最高裁の判例があるので仕方なく女性にも職場を少し開放しているといった感じの会社は女性への配慮はまったくない。粗にして野だが卑でもあるという最低の男たちが女性蔑視を当然のようにして横暴に振る舞う。働く女性たちは金を稼ぐために男たちの嫌がらせを我慢するしかない。ジョージーはあまりの仕打ちに腹を立て、社長に訴えるが、取り合ってもらえず、逆に辞職を勧められる。ついに高校時代に付き合っていたボビー(ジェレミー・レナー)に暴行を受け、ジョージーは弁護士のビル(ウディ・ハレルソン)に相談して会社を訴える。
ジョージーは裁判を起こしたことによって男たちの反感を買うだけでなく、働き口を守りたい女性たちからも孤立してしまう。そんな中、娘と対立していた父親が組合の集会で孤立した娘を守ろうと立ち上がる姿は胸を打つ。ここがあまりにいいので、その後、裁判で主人公のレイプされた過去が描かれ、息子と和解し、職場の仲間の女性たちが立ち上がるシーンがやや弱い印象になった。というか、そんなにたくさんクライマックスは不要のように思う。ひどい職場を改善するために組合結成に立ち上がった女性を描くマーティン・リット「ノーマ・レイ」(1979年)のように主題を絞り込んだ方が良かったのではないか。まじめに取り組んだ力作であることは間違いないが、突き抜けた傑作にはなり得ていないのが少し残念だ。
2006/02/06(月)「ブレードランナーの未来世紀」
80年代アメリカのカルト映画を解説した町山智浩の本。取り上げているのはデヴィッド・クローネンバーグ「ビデオドローム」、ジョー・ダンテ「グレムリン」、ジェームズ・キャメロン「ターミネーター」、テリー・ギリアム「未来世紀ブラジル」、オリバー・ストーン「プラトーン」、デヴィッド・リンチ「ブルーベルベット」、ポール・バーホーベン「ロボ・コップ」、リドリー・スコット「ブレードランナー」。いずれも好きな映画ばかりなので、つい買った。
まだ第1章の「ビデオドローム」のところを読んだだけ。この映画が難解とあるのはちょっと意外。いや、難解なのだが、なんとなく意味は通じるのだ。同じクローネンバーグなら、僕には「裸のランチ」(1991年)の方がよほど難解だった。
「ビデオドローム」の難解さは主に製作上のスケジュールが影響していたと説明してある。これは知らなかった。1981年当時のカナダは国産映画に出資すると、税金を免除する制度があったそうで、クローネンバーグは映画化の許可を取り付けた後、机しかない部屋を借りて脚本を執筆したが、「ありとあらゆるアイデアが浮かんで」収拾がつかなくなり、脚本が未完成のまま撮影に入ったのだという。
第1章は宗教とメディア、セックスと暴力の表現を含めて映画の結末まで詳しく解説されている。映画を未見の人は見てから読んだ方がいいだろうが、アメリカの社会状況を含めた考察はとても面白い。こういうカルト作品が好きな人にお勧め。
2006/02/04(土)「ナイト・ウォッチ」予告編
ロシア製のダークなSFファンタジーで4月公開が決まった。光の勢力と闇の勢力の戦いで、光の勢力の方はバンパイアという設定だけを見ると、「アンダーワールド」みたいな感じだが、もっと面白そう。ロシアでは大ヒットして興収記録を塗り替えたそうだ。といっても1600万ドル(18億4000万円)。きっと入場料が安いのだろう。続編の「デイ・ウォッチ」はさらに大ヒットしている。監督のティムール・ベクマムベトフはCMディレクター出身らしい。
公式サイトにある「2004年のアカデミー賞外国語映画部門にノミネートされた」とあるのは間違いでしょう。外国語映画賞のロシア代表作品に選ばれたのでは。本賞のノミネートには入っていない。
2006/02/01(水)「フライトプラン」
飛行機の中から6歳の娘がいなくなるというジョディ・フォスター主演のサスペンス。SFではないのだから、娘が飛行機のどこかにいるのは明白で、そのアイデアだけで後半まで持って行くのはつらいものがある。脚本も穴だらけで、よくまあこの程度の脚本で映画化にOKが出たものだなと思う。プロデューサーに脚本を読む力がよほどなかったか、映画化の段階で脚本が大きく書き換えられたかのどちらかなのではあるまいか(恐らく前者)。密室の中で人が消えたり、殺されたりの不可能犯罪には緻密なトリックがないと面白くない。母親が寝ている間に子供を連れ去るだけではがっかりするのだ。しかもそこからの展開が偶然に頼りすぎた部分がある。この犯人、バカかと思う。個人的には去年の「フォーガットン」(これはSFだったが)と並ぶぐらいのがっかり度。脚本は「ニュースの天才」のビリー・レイとピーター・A・ダウリング。設定だけは考えられても、そこからの物語の発展のさせ方が基本的に分かっていないようだ。監督はドイツ出身のロベルト・シュヴェンケ。序盤の不安なタッチは悪くなく、まともな脚本ならば、もう少しましな映画を撮る監督ではないかと思う。
ドイツで転落事故によって夫を亡くしたカイル(ジョディ・フォスター)は6歳の娘ジュリア(マーリーン・ローストン)とともに深い悲しみの中、ベルリン空港からニューヨークに帰る飛行機に乗り込む。最新型のジャンボジェットE-474はカイル自身の設計によるものだった。睡魔に襲われたカイルは眠り込んでしまう。3時間後、目覚めたカイルはジュリアがいなくなっているのに気づく。客室乗務員とともに飛行機の中を探すが、見あたらない。しかも、調査した乗務員はジュリアの名前が乗客名簿にないと言い出す。カイルがポケットに入れていたはずの航空券の半券もなくなっていた。カイルは機長(ショーン・ビーン)に助けを求めて捜索するが、やがてジュリアは夫とともに6日前に死んでいたという情報がもたらされる。孤立無援の中、錯乱したカイルは飛行機を緊急着陸させようとして、エアマーシャル(私服航空保安官)のカーソン(ピーター・サースガード)に取り押さえられ、手錠をはめられてしまう。
カイルが狙われたのが飛行機の設計士だったからという理由は説得力に乏しい。犯人の狙いがこの程度のことであるのなら、カイル以外の誰でも良かったはず。警官に包囲された飛行機の中でのカイルと犯人の対決もサスペンスにはなりようがない。もっともっと緻密に話を組み立てるべき映画だった。話の底が浅すぎるのである。熱演が少しも報われていないにせよ、ジョディ・フォスターは悪くない。ただ、フォスターのような知的な女性はこんなに錯乱しないのではないかと思う。飛行機に乗り合わせた精神分析医の役でグレタ・スカッキが出ているが、主要キャストではなく、パンフレットに名前さえないのが悲しい。
エアマーシャルという職業は初めて知った。同時テロ以降、保安強化のために配備が進んでいるそうだ。