メッセージ

2022年01月09日の記事

2022/01/09(日)「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」ほか(1月第2週のレビュー)

「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は大ヒットしている上にメディアと観客からの絶賛評も獲得しています。IMDb8.8、ロッテントマト94%。ただ、メタスコアは高くはなく71点。僕もこの評価に近いです。

話は前作「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(2019年)のラストから始まります。すなわち、スパイダーマンから倒されたミステリオ(ジェイク・ギレンホール)がスパイダーマンの正体をピーター・パーカー(トム・ホランド)であると暴露してしまった場面。このためピーターの周囲はガールフレンドのMJ(ゼンデイヤ)、親友のネッド(ジェイコブ・バタロン)、叔母さんのメイ(マリサ・トメイ)まで騒動に巻き込まれる。おまけに入学を目指していたMITからはMJ、ネッドともども騒動を理由に入学を断られてしまう。困ったピーターはドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)を訪ね、自分がスパイダーマンと知られていない世界に戻して欲しいと頼む。ストレンジの呪文の途中で何度もピーターが要望を変えたため、マルチバース(多元宇宙)の時空の扉が開かれ、別のスパイダーマン世界のヴィランたちが出現する。

出てくるのはトビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドがスパイダーマンを演じた計5本の映画のヴィランたちで、ドクター・オクトパス(アルフレッド・モリーナ)、グリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー)、エレクトロ(ジェイミー・フォックス)、サンドマン(トーマス・ヘイデン・チャーチ)、リザード(リス・エバンス)。

冒頭、スパイダーマンとMJがマスコミと民衆から逃れてニューヨークのビル街をスイングするシーンは快調ですが、多元宇宙の話はアニメの傑作「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018年)で既に描いていますし、新しいアイデアも目新しさも新たな敵も出てこないのが個人的には少し残念。マルチバースのヴィランを元の世界に戻すためにピーターが下す決断は自己犠牲を伴うもので、ラストのピーターとMJ、ネッドの関係は切なさと希望が混じった複雑な感情を引き起こすものになっていますが、これも「天国から来たチャンピオン」や大林宣彦版「時をかける少女」と同じ味わいのものでした。

3作連続登板のジョン・ワッツ監督の演出は決して手際が良いものではなく、2時間29分の内容には間延びしたと思える部分もあります。しかし、「スパイダー“ボーイ”がスパイダー“マン”になる話だ」というワッツの言葉は明快かつ端的にこの映画を表していて、だからこそ、ほろ苦いラストになるのでしょう。

ともに25歳のトム・ホランド、ゼンデイヤ、ジェイコブ・バタロンは若くて思慮が足りないところもあるけれど、明るくてひたすら善良というキャラを確立し、映画の好感度を高めています。観客の評価が高いのはこの3人の青春映画としての側面の好ましさも影響していると思います。

ちなみにスパイダーマンは2002年のトビー・マグワイア版からソニーが映画化権を持っていて、2008年にマーベルが「アイアンマン」でMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)をスタートさせた後も、MCUの映画にスパイダーマンが出るのは難しい情勢でした。その後、ソニーとマーベルの間で話がまとまり、2016年の「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」で初めてスパイダーマンはMCU映画に登場しました。ですから今回の映画ではトビー・マグワイア版スパイダーマンの登場人物のひとりが「アベンジャーズってなんだ?」と聞く場面があります。

エンドクレジットの後にあるドクター・ストレンジのシーンは「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」(5月4日公開)の予告編のような作りでした。というか、そのまま予告編ですね。この中でスカーレット・ウィッチことワンダ・マキシモフ(エリザベス・オルセン)が「私が間違っていた。大勢を傷つけた」と話すのはディズニープラスの傑作ドラマ「ワンダヴィジョン」での出来事を指しています。



トム・ホランド版「スパイダーマン」はMCUに含まれていても、マーベル製作ではないので、ディズニープラスでは配信されません。配信だけでMCU作品をすべて見るにはディズニープラスとNetflixなど他の配信メディアの複数契約が必要になりますね。

「水俣曼荼羅」

宮崎キネマ館での公開は東京のシアター・イメージフォーラム、千葉県のキネマ旬報シアターに次いで全国3番目。こんなに公開館数が少ないなら、東京での公開から1カ月半たってもYahoo!映画の評価がたったの8件なのも納得ではありますね。僕が見た時は観客5人でした。

昨年公開の「MINAMATA ミナマタ」のラストで「水俣病はまだ終わっていない」という字幕が出ましたが、原一男監督は撮影15年、編集5年を費やして「水俣病がどう終わっていないか」を徹底的に描いています。第1部「病像論を糾す」で末梢神経の麻痺と思われてきた水俣病が脳の損傷であることを詳細に描き、第2部「時の堆積」で患者の過去と現在を描き、第3部「悶え神」で和解する原告が多い中、裁判を継続している人たちを描いていきます。

この第3部が圧倒的で、勝訴後の熊本県への申し入れの場面は「ゆきゆきて、神軍」を思わせる怒号と熱気が漂い、一触即発のピリピリした緊張感。裁判で勝っても行政の判断は何も変わらない現実が多くの患者を和解へと向かわせた要因でもあるでしょう。

6時間12分を見る価値は大いにありますが、観客のことを考えれば、1部から3部まで上映を別々にしてもらった方が見やすくはなると思いました。

パンフレットの発売はないようですが、製作ノートは販売していて、これはamazonなどでも購入できます。内容のほとんどはシナリオ採録で、監督インタビューと佐藤忠男さんの評論も収録されています。


「消えない罪」

Netflixオリジナル映画で原題は「The Unforgivable」。警官殺しで20年間服役して出所しても世間の仕打ちは冷たい、という内容。西川美和監督「すばらしき世界」のような作品かと思ったら、エンタメ方向に振っていて終盤に意外な事実が判明します。

そこまでの主人公の行動に理解しがたいものもあるんですが、こういうことなら仕方がないかと思ったり。ただ、警官殺しと分かった途端に職場の同僚から暴力振るわれるとか、納得しがたい場面もあります。

何よりサンドラ・ブロック(実年齢57歳)演じる主人公の妹が25歳というのはあんまりで、これは元になった2009年のテレビミニシリーズ「The Unforgiven」(全3回)の設定をそのまま使ったためと思いますが、娘に変更した方がリアリティーはあったでしょう。
IMDb7.2、メタスコア41点、ロッテントマト37%(ユーザーは76%)。

「ボストン市庁舎」

上映時間4時間32分。フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画。
地方自治は「民主主義の学校」と言われますが、それを詳細に記録したこの映画は「民主主義の教科書」と言えるでしょう。僕は序盤が(昼食直後ということもあって)眠かったです。観客は3人でそのうちの1人は前半の途中で退出し、帰ってきませんでした。

ボストンは移民が48パーセントを占めるそうで、人種的に多様性のある都市のためさまざまな問題を抱えています。市長のマーティン・ウォルシュ自身、アイルランド移民の2世で民主党。「私たちの仕事は市民を守ることだ」という姿勢が明確で、白人至上主義のトランプとは対極にあります(撮影はトランプが大統領だった2019年)。

映画は市長の主義・主張を所々に織り込みながら、ボストン市役所の会議や会合、イベント、市の仕事までさまざまな断面を見せていきます。そうした諸々を見た後に、アメリカ国歌を歌う警官2人と市長の感動的な演説を聴くと、4時間半の長さは必要だったと思えました。もっとも市長の演説はここだけ切り取っても感動的ではあります。

ナレーションなし、説明なしということもあって途中で退屈な場面があったのも事実です。
フレデリック・ワイズマン監督の過去の映画はブルーレイでも配信でも見られますので、この映画もそうなるでしょうが、自宅で4時間半はちょっときついので、時間があるなら劇場で見た方が良いと思います。