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2024年03月31日の記事

2024/03/31(日)「ヴェルクマイスター・ハーモニー」ほか(3月第5週のレビュー)

 WOWOWで長年続いた映画情報番組の「ハリウッド・エクスプレス」と「映画工房」が3月で終わりました。これ、どう考えてもコスト削減が理由でしょ? WOWOWは加入件数が減少傾向(2月現在250万件を割って245万件余り)にあり、動画配信サービスとの競争激化で将来性に疑問があるためか株価も下がってます。WOWOWの経営陣は、他にない貴重なコンテンツをなくすことが競争力をさらに落とすことにつながる、ということを分かっていないようですね。

「ヴェルクマイスター・ハーモニー」

 ハンガリーのタル・ベーラ監督が7時間18分の「サタンタンゴ」(1994年)の次に撮った2000年の作品。日本での初公開は2002年6月で、この年のキネ旬ベストテン39位でした。

 荒廃した田舎町が舞台。ヴァルシュカ・ヤーノシュ(ラルス・ルドルフ)は郵便配達で、仕事と家の往復の中、老音楽家エステル(ペーター・フィッツ)の世話をしている。エステルは18世紀の音楽家ヴェルクマイスターへの批判をテープに口述記録していた。エステル夫人(ハンナ・シグラ)が風紀を正す運動に協力するようエステルを説得して欲しいとヤーノシュを訪ねてくる。ヤノーシュは広場に何かが来ているという噂を耳にし、広場に向かうと、トラックを取り囲む多くの人たちがいた。トラックに乗り込んだ彼が目にしたのは巨大なクジラだった。ヤノーシュは不気味に光るクジラの目に魅了される。やがて街では次々と暴動が起こる。暴動に参加した群衆は病院に向かい、患者を次々と襲っていく。

 予備知識ゼロで見たので、クライマックスの暴動はハンガリーの史実に基づいているのかと思いましたが、そうではありませでした。「これは、永遠の衝突について――本能的な未開と文明化を巡る数百年の争い――全東欧のこの2世紀を決定付けた歴史的経緯に関する作品です」とタル・ベーラは語っています。具体的な事件を参照したものではないわけです。

 しかし、弱い立場にある病院の入院患者に暴力を振るう理由がよく分かりません。タル・ベーラはこう説明しています。
「暴動に参加した人たちは、文明にかかわるもの全てを破壊しようと思っている。弱者の代表である病院を襲うというのは、究極の襲撃なのだ。病院まで襲ってしまったらその先はない」

 いや、だから病院を襲う前に政治家であったり、権力者であったり、庶民を虐げて美味い汁をすすっている奴らを襲う描写が必要でしょう。病院の襲撃描写だけでは単なる弱い者いじめにしか見えません。権力者専門の病院だったとか、病院を権力者側に置く設定が必要だったと思います。こういう暴動は革命にはつながらず、迷惑なだけです。

 全編がわずか37カットで長回しが多く、描写に力がこもっているのは「サタンタンゴ」や「ニーチェの馬」(2011年)など他の作品と同様です。パンフレットによると、「世界に衝撃を与えた記念碑的作品」とのことですが、技術的にはともかく、話の作りには疑問を感じました。
IMDb8.0、メタスコア92点、ロッテントマト98%。
▼観客4人(公開7日目の午後)2時間25分。

「オッペンハイマー」

 原爆の父と呼ばれるJ・ロバート・オッペンハイマーを描いたクリストファー・ノーラン監督作品。アカデミー賞で作品・監督・主演男優(キリアン・マーフィー)・助演男優(ロバート・ダウニー・ジュニア)など7部門を受賞しました。

 3時間の大作ですが、日本人として興味を引くのは、やはり、始まって1時間半あたりからの広島・長崎への原爆投下に関する部分。具体的な原爆被害の惨状を描いていないとして批判する向きもありますが、オッペンハイマーの生涯を描く作品として必須のものではなかったと僕は思います。

 原爆投下の報告会で上映される映像からオッペンハイマーが目を背けるシーンがあります。被害が想像以上だったからこそ、オッペンハイマーは戦後、より大きな破壊力を持つ水爆の開発には反対したのでしょう。「大きすぎる火は何も生まない」(「風の谷のナウシカ」)ことを認識し、水爆を使う場所なんてないことをオッペンハイマーは強く主張していきます。このために「原爆の父」の栄誉から一転して、共産主義者(ソ連のスパイ)の疑いをかけられ、非難され、公職追放処分を受けることになります。

 この映画を5回見たという町山智浩さんは「3回ぐらい見ないと分からない」とラジオで話していました。登場人物の説明がほとんどなく、中には名前さえ呼ばれない人物もいるため、話の細部が分かりにくくなった側面はあります。一般の観客は劇場で2回も3回も同じ映画を見ることは少ないですから、その意味で映画の作りにはもう少し配慮があっても良かったでしょう。それでもオッペンハイマーの栄光と没落については十分に伝わってきます。

 池のほとりでオッペンハイマーがアインシュタイン(トム・コンティ)と言葉を交わすシーンが印象的です。相対性理論で革命的な業績を上げたアインシュタインは量子物理学では間違えました(この映画にも出てくるボーア(ケネス・ブラナー)が量子物理学では大きな功績を残しました)。序盤、人生の上り坂にあったオッペンハイマーは下り坂のアインシュタインと話すわけですが、映画はラスト、もう一度この場面を描いています。

 クリストファー・ノーランは短いカットとエピソードをテンポ良く並べて語っていきます。情緒に偏らない理知的な作風は「デューン 砂の惑星」のドゥニ・ヴィルヌーヴと共通するところもありますが、総合的な演出力ではノーランが一歩リードしていると感じました。
▼観客30人ぐらい(公開初日の午前)3時間。

「落下の解剖学」

 第76回カンヌ国際映画祭パルムドール、アカデミー脚本賞受賞。人里離れた山荘の3階の窓から落下して死亡しているのが見つかった夫(スワン・アルロー)の妻(ザンドラ・ヒュラー)に殺人の疑いがかけられるサスペンスです。

 ミステリーのような構成ですが、自殺か他殺かの謎があるだけで一般的なミステリーではありません。普通のミステリーなら裁判が終わった後にもう一度話をひっくり返すところでしょう。

 妻には女性と不倫した過去があり、死の前日に夫と激しく言い争った時の録音も発見されて夫婦仲が良くなかったことが分かります。2人の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)は夫の運転する車で事故に遭ったことで視覚障害を負い、それが夫婦仲に影響したことも分かります。「落下の解剖学」というより夫婦の解剖学といった内容です。

 監督はジュスティーヌ・トリエ。脚本はトリエのパートナーであるアルチュール・アラリ(「ONODA 一万夜を越えて」監督)との共同。

 “Anatomy of a Fall”のタイトルはオットー・プレミンジャー監督の「或る殺人」(Anatomy of a Murder、1959年)を意識しているようです。
▼観客20人ぐらい(公開5日目の午後)2時間32分。