メッセージ

2024年05月26日の記事

2024/05/26(日)「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章」ほか(5月第4週のレビュー)

 故障の警告が出ていたRECBOXの内蔵HDDを交換しました。玄人志向のHDD/SSDスタンド(KURO-DACHI/CLONEシリーズ)を使って4TBのHDDをコピーするのに7時間近くかかりました。万一のことを考えて、録画データを外付けHDDに移しておきましたが、別に移さなくても大丈夫だったと思います。ただ、故障時のコピーを考えるなら内蔵HDDは4TBぐらいまでにしておいた方が良いですね。6TBだと最低9時間ぐらいかかるようです。まあ、寝ている間にコピーは終わるんですけど。

「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章」

 前半1時間はストーリーがやや停滞気味。後半1時間で一気に解決へと向かいます。前章で描かれた過去の場面の意味が明らかになり、後は一気呵成の展開でした。端的に言って、SF的なアイデアに新しいものはないんですが、この展開と語り方、ユニークなキャラクターたちには大きな魅力があり、僕は面白く見ました。

 上空に巨大な宇宙船(母艦)が居座ったままの東京。駿米大学に入学した小山門出(幾田りら)と“おんたん”こと中川凰蘭(あの)はオカルト研究会に入部する。母艦にいる侵略者はたびたび地上で目撃され、自衛隊は駆除活動を粛々と実行していた。上空の母艦が傾いて煙が立ち上るようになり、地上の人間たちは世界の終わりを意識するようになる。そうした中、凰蘭は不思議な少年・大葉圭太(入野自由)にまた遭遇する。

 非日常の光景の中で友情や恋や出会いなど日常の出来事を描くのがこの作品の持ち味。前章を見た時に予想した通り、物語のキーマンは凰蘭の方で、くそヤバい状況と人類終了の引き金は凰蘭の行動が一因になっています。そして主人公2人が世界を破滅から救うのではなく、凰蘭が好きになった大葉が活躍していくことになります。

 劇中に出てくるマンガ「イソベやん」と大葉が飛行に使う道具はタケコプターを思わせるなど「ドラえもん」を意識したものですし、終盤、爆発が地球全体に広がるイメージは「エヴァンゲリオン」を想起させました。空に開いた穴から現れる巨大な赤い指は侵略者の上位にある存在を示しているようですが、完全な説明はありません。すべてに説明がつくわけではないのに、映画の終わり方に不満を感じないのは門出と凰蘭の関係がこの映画のキモだからでしょう。

 あのちゃんと幾田りらが歌う前章の過激な「絶絶絶絶対聖域」に代わって、今回はほんわかした「青春謳歌」がエンディングに流れます。このほんわか具合は、かなりの人が死ぬにもかかわらずハッピーエンドを思わせる映画の内容に合っていて良かったです。2人の起用が成功の大きな要因なのは間違いないところです。
▼観客4人(公開初日の午後)2時間

「ゴッドランド GODLAND」

 19世紀後半のアイスランドを舞台に描く過酷な自然と人間のドラマ。2時間近く淡々と進んでいた映画が終盤に大きく転調し、驚愕の展開を迎えることになります。まったく予想していなかったので、大きな驚きでしたが、それまでの人間関係と自然の描写が生きてくる見事で厳しいクライマックスと言えるでしょう。

 デンマーク統治下のアイスランド。デンマーク人でキリスト教ルーテル派の牧師ルーカス(エリオット・クロセット・ホーヴ)はアイスランドでの布教を命じられる。教会を建てるために辺境の村を目指した旅は過酷なものだった。途中で通訳の男が事故死し、ルーカスは言葉が通じない中、デンマーク嫌いのアイスランド人ガイド、ラグナル(イングヴァール・E・シーグルズソン)と対立。落馬して瀕死の状態で村にたどり着く。

 統治する国とされる国の国民感情には複雑なものがあり、ルーカスとラグナルの対立はその感情に起因します。ルーカスは聖職にありながら、アイスランドを見下した部分があるようで、ラグナルはそれを感じ取っているのでしょう。

 英題の「神の国」に対してアイスランド語の原題は「悲惨な国」という意味。デンマークで学び、家族とともにアイスランドに戻った詩人マッティアス・ヨックムソンの「憎しみの詩」に由来するそうです。恐ろしい冬を経験したことからアイスランドを非難する内容の詩だったため、ヨックムソンは激しい非難を受けたとのこと。監督のフリーヌル・パルマソンはアイスランド人。2年以上かけて撮影したアイスランドの自然が素晴らしい効果を上げています。
IMDb7.2、メタスコア81点、ロッテントマト91%。
▼観客11人(公開2日目の午後)2時間23分。

「マンティコア 怪物」

 タイトルの「マンティコア」は人間の顔にライオンのような体を持つ神話上の生物。監督が日本の魔法少女アニメに影響を受けた「マジカル・ガール」(2014年)のカルロス・ベルムトなのでそういう本趣味のSFかと予想したんですが、ここでいう怪物は是枝裕和「怪物」(2023年)のように心に巣くう怪物のことでした。

 それが分かるのに1時間半ほどかかりました。主人公のフリアン(ナチョ・サンチェス)はゲームに出てくる怪物などをデザインするクリーチャーデザイナー。同僚の誕生パーティーで美術史を学ぶディアナ(ゾーイ・ステイン)に出会い、ショートカットで小柄な彼女に惹かれていく。デートを重ね、親しくなったある夜、ディアナはフリアンのアパートに泊まるが、フリアンはセックスができず、パニック発作を起こしてしまう。

 映画は序盤にフリアンが別の女性とやはりセックスができない場面を描いていて、フリアンは「これまで女性と付き合ったことがない」とディアナに打ち明けます。単にうぶな男なのかと思っていると、実はそうではないことが1時間半近くかかってわかるわけです。それが分かってから、ちょっとハラハラする場面がありますが、主人公の本質をもったいぶって描くほどのことはなく、そこから先が問題なんじゃないかと思います。つまらなくはなかったですが、特に褒めるほどでもなく、僕にとっては普通の出来でした。
IMDb7.1、ロッテントマト100%(アメリカでは映画祭での公開のみ)。
▼観客4人(公開5日目の午後)1時間56分。

「湖の女たち」

 吉田修一の原作を大森立嗣監督が映画化。滋賀県の琵琶湖近くの介護施設で100歳の寝たきりの男が殺された事件を巡り、刑事と介護士の女、事件を調べる女性記者などを描くミステリー的な物語です。5章仕立ての原作の第1章だけ読んで映画を見て、その後残りを読みました。

 週刊新潮のレビューで映画評論家の北川れい子さんは「終盤は原作と異なる」と書いていましたが、全体のプロットはほぼ同じ。記者が女性に代わっているなど細部の違いはありますが、忠実な映画化と言って良いと思います。

 まさかこんな変態的サディスティックな刑事はいないだろとか、この女マゾかと思えた場面もすべて原作にありました(冒頭の車の中での女の自慰場面はなし。その代わり、男の自慰場面はあり)。戦争中の731部隊にまで広がる話も同じなら、それが直接的には事件に関わってこないのも同じ。原作は薬害エイズ事件と障害者施設殺傷事件を一部モデルにしていますが、登場人物の1人が戦争中に見たある事件の光景さえあれば、この2つの事件への目配せは不要だと思いました。

 原作の評価は吉田修一作品としては高くないようです。映画の評価がさらに低いのは過去現在のさまざまな要素が有機的に結びついていかないからで、刑事(福士蒼汰)と介護士の女(松本まりか)のエロス・タナトス的な支配被支配の関係だけが目立つ結果になっています。松本まりかをはじめ福地桃子、北香那、穂志もえか、呉城久美と個人的に気になる女優が多数出ているのはうれしかったんですけどね。松本まりかは「夜、鳥たちが啼く」(2022年、城定秀夫監督)の方がよほど色っぽくて良かったです。
▼観客4人(公開6日目の午後)2時間21分。