2008/09/07(日)デトロイト・メタル・シティ
おしゃれなポップス歌手を夢見た青年が悪魔系デスメタルバンド「デトロイト・メタル・シティ(DMC)」のボーカルをさせられるという設定だけを借りて、原作とは違う話になっているらしい。原作がまだ終わっていないためもあるが、漫画の脚色としてこれはうまいと思う。最初の方に出てくる「ノー・ミュージック、ノー・ドリーム」というテーマをきっちりと描いている。芯がしっかりしているのでまとまりも良くなるのだ。主人公が思いを寄せる女(加藤ローサ)に正体を知られないようにあたふたする姿を見て、これ、「スーパーマン」のバリエーションだなと思った。
出演者の中で良かったのは「フラガール」に続いて松雪泰子で、たばこの火を舌に押しつけてジュッと消し、「あたしゃ、そんなんじゃ濡れねえんだよ」と言うこの女社長の弾け方はおかしいおかしい。しかも色っぽい。映画としてはベストテンには入らないかもしれないが、密かに松雪泰子は助演女優賞候補に決めた。
2008/09/07(日)「ぐるりのこと。」
「じゃ、口紅つけてよ」のシーンで血の通ったユーモアとリアリティに感心し、その後のどのシーンにも30代の夫婦のリアリティがあふれているのに驚く。橋口亮輔監督は主演の2人にエチュードと呼ぶ即興の芝居を何度もさせたそうで、それが2人の呼吸の良さにつながっているのだろう。口紅のシーンも即興かと思ってしまうが、ちゃんと脚本通りに演じているとのこと。脚本が脚本に見えないのがうまい。子供を亡くした妻が徐々に精神を病んでいくところに1993年から2001年までのさまざまな事件を法廷画家の夫に絡めて描く構成も良い。病んでいるのは妻だけでなく、日本の社会も同じだったのだ。
前半は2人のシーンを中心に長回しが多いが、後半、妻が健康になっていく過程はカットを短くし、音楽を加えてテンポが良くなる。気分的にうきうきした感じになり、ラストの小さな幸せをほんわかと描くあたりが心地よい。夫は裁判でまたも陰惨な事件に遭遇するが、2人の小さな幸せは変わらないだろう。リリー・フランキーは包容力というと硬くなるが、ほんわかした風情が良く、木村多江もいつもより随分きれいに見えた。
2008/08/30(土)「20世紀少年」
ほぼ失敗作。前半、少年時代と1997年を交互に描く部分がまるでダメである。ありえない話にどうリアリティを持たせるかが大事なのに、ここにはプロットはあっても描写はない。筋を追うのに精いっぱい。だからドラマが一向に盛り上がらない。あれほど多数の登場人物の誰一人にも輝きがない。見せ場がない。エモーションがない。ドラマの組み立てが弱いのは描写がないからにほかならない。
カルトな新興宗教集団「ともだち」の台頭と世界で起きる怪事件、それと主人公ケンヂの少年時代の「よげんの書」との関係をじっくり描くべきだった。特に重要なのは「ともだち」の怖さだったろう。脚本には原作者の浦沢直樹が加わっているが、これも間違いのように思える。やはり本職の脚本家が原作をばっさり省略して再構成してしまえば良かったのだ。最初から原作にひれ伏していてはそれを超える映画ができるはずがない。
堤幸彦には無理な題材だったのだとつくづく思う。こうした映画、山崎貴の方がふさわしいのではないか。
ラスト、3000人の中からオーディションで選ばれたというカンナ役・平愛梨のはつらつとした走りのみが第2章へのわずかな希望をつないだ。しかし、基本的には監督変えるべきだろう。今さら無理だろうけど。
2008/08/24(日)「幻影師アイゼンハイム」
ほとんど中身を知らずに見て、ラストでああ、そういう映画だったのかと思った(この鮮やかなラストには感心した)。僕はSF方面に発展していく映画なのかなと思っていた。死んだ恋人をマジックで生き返らせようとする男の話と紹介されていたからだ。恋人は確かによみがえるが、それはマジックの舞台の上で霊として登場するのであり、自分を殺した犯人が「この劇場の中にいる」と指摘する。
「アフタースクール」同様にこれもまた何も知らずに見た方がいい映画。監督のニール・バーガーはこれが2作目で、作品は日本初公開。元CMディレクターらしいが、要注目の監督だと思う。次作「The Lucky Ones」が近くアメリカで公開される。
19世紀末のウィーンが舞台。アイゼンハイムは少年時代に道ばたで奇術師と会い、不思議なマジックを見せられて奇術を志す。貴族の娘ソフィと親しくなるが、身分の違いから引き裂かれる。奇術を学ぶために世界を放浪したアイゼンハイム(エドワード・ノートン)は15年後、ウィーンに戻り、驚愕のマジックを見せる奇術師になっていた。ある日、アイゼンハイムの舞台を皇太子が見に来る。ソフィ(ジェシカ・ビール)が同行しており、2人は久しぶりに再会を果たす。アイゼンハイムのマジックは評判を呼ぶが、人心を惑わすとして皇太子は警部(ポール・ジアマッティ)に命じてアイゼンハイムの周辺を探らせ、逮捕させようとする。再会したアイゼンハイムとソフィの間には恋心が再燃する。しかし、ソフィは近く皇太子と結婚することになっていた。ソフィの心変わりを知って、皇太子は怒る。そんな折りにソフィが死体で見つかる。
回想シーンはアイリスを使用したクラシカルな作り。それが19世紀を感じさせて良い。原作はスティーブン・ミルハウザーの短編。それをバーガー自身が脚色している。原作は知らないが、この脚色は見事だと思う。マジックを扱っただけでなく、映画自体にもマジックがあるのだ。
SF方面の話と思ったのは劇中に驚愕のオレンジの木のマジックが登場するからでもある。こんなことがマジックでできるはずはなく、アイゼンハイムは超能力者だろうと思ったのだ。しかしこれは19世紀から実際にあるマジックだそうで、YouTubeでも見ることができる(http://jp.youtube.com/watch?v=-Ht_afydffk)。ただし、オレンジの木がいかにも作り物。映画のような幻想的な雰囲気には欠ける。
2008/08/16(土)「アフタースクール」
ミステリで言うところの叙述トリックの映画。それまで見ていた話が突然、別の話になっていくのが快感で、アクロバティックな脚本に感心する。簡単にストーリーを書こうとすると、嘘が含まれてしまう。映画のパンフレットにあるストーリー紹介にも嘘がある。これはどうしようもないのだろう。つまり観客の思い込みで成り立ったストーリーだからだ。
かつて作家の都筑道夫はキネ旬の連載でビリー・ワイルダー「悲愁」のストーリーを紹介した際にわざとミスディレクション的な書き方をした。その方が観客の楽しみを奪わないからで、小林信彦はそれを評価していた。ミステリに精通した人じゃないとこういう書き方はできない。
映画にはもちろん、嘘はない。ある男が失踪して、それを男の会社と親友が探し始める。という発端はハードボイルド・ミステリによくある設定。だから探偵が出てくるのにもうなずける。失踪にはなにやら女とヤクザの影がちらついている。親友役の大泉洋のキャラクターがおかしいので、まあ退屈せずに見られるが、前半は取り立てて良くできているわけではない。終盤の大技がピタリと決まった後、映画はキャラの性格をそれまでとはがらりと変更し、ちょっぴりホロリとさせ、心温まるハッピーな結末を迎えることになる。
この部分があるから映画は好評なのだろう。ここがなければ、単なるパズル的な映画で終わっていた。個人的には大技に比べて、終盤の展開はややドラマ的に弱く、少しバランスが取れていない感じを受けた。ドラマ的な弱さは構成と関係してくるので難しいのだが、ここをもっと強化すれば、映画は完璧になっただろう。ただし、内田けんじ監督の良さはこういう軽いほのぼの感にあるのだと思う。
こうした凝った脚本は海外にもあまりない。そこは大いに評価すべきところだ。はったりだけの監督に成り下がったM・ナイト・シャマランにはこの映画を見て顔を洗って出直してきてほしい。
出演者の中ではナイーブさとほのぼのさを体現した堺雅人が良かった。今年、ブレイクというにふさわしい活躍だと思う。助演男優賞の筆頭候補じゃないかな。