2008/01/05(土)「長江哀歌」
2006年ベネチア映画祭の金獅子賞受賞作。三峡ダムの建設計画によって沈みゆく古都奉節を舞台に16年前に別れた妻子を捜す男と2年間音沙汰がない夫を捜す女の物語が描かれる。監督のジャ・ジャンクーはチェン・カイコー「黄色い大地」を見て映画を志したという。その影響は随所に見られ、ドラマティックさを排除したような淡々とした物語となっている。奇妙な形の建物がロケットのように飛び立ったり、壊れかけたビルにいる男女の遠景にビルが壊れるショットを入れるところなどは監督の映像的な遊び心か。
現代中国の風俗は興味深く、携帯があんなに普及しているとは思わなかった。壊れゆくビルと人々の豊かとは言えない生活の光景が微妙な感情を引き起こす。三峡の美しい風景をとらえた点もこの映画の評価すべきところなのだろうが、風景を生かすならばもっときれいなフィルムにしてほしいところだ。
2008/01/05(土)「クローズZERO」
「クローズ」はcloseかと思ったらcraws。それなら「クロウズ」じゃないかと思うが、高橋ヒロシの原作もこうなのだから仕方がない。「けんかえれじい」にヤクザ映画を絡めて「ストリート・オブ・ファイヤー」風味を振りかけた(かった)ような仕上がり。端的に言えば、集団抗争学園ドラマでけんかに次ぐけんかの映画である。それなりに面白いが、あまり感心するところもなく見終わる。ストーリーをもう少し凝ってほしかったところ。
「カラスの学校」と言われる不良がいっぱいの鈴蘭高校が舞台。転校してきた滝谷源治(小栗旬)の目的は鈴蘭の頂上(てっぺん)を取ること。現在、頂上に最も近いと思われているのが芹沢多摩雄(山田孝之)率いる芹沢軍団で、源治は仲間を増やしてGPSという集団を形成する。源治の父親(岸谷五朗)は劉生会という暴力団の組長で、源治は鈴蘭の頂上を取ったら、親父の跡目をつぐことになっている。源治は鈴蘭OBのヤクザ片桐拳(やべきょうすけ)の力を借りながら、着々と勢力を伸ばす。しかし、片桐が所属する矢崎組は劉生会と対立していた。
小栗旬も山田孝之も優男なので強く見えないのが難だが、それなりに健闘している。問題はどちらも善玉に見えることか。映画を支えているのはコメディリリーフ的な役割も果たすやべきょうすけで、このキャラクターがあるから映画の幅が広がった。黒木メイサは歌も歌うし、ルックス的にも悪くないが、ダイアン・レインのような魅力には欠ける。矢崎組組長役の遠藤憲一、刑事の塩見三省が渋い。このメンバーで続編を期待したいところ。
2007/12/30(日)「劇場版BLEACH The DiamondDust Rebellion もう一つの氷輪丸」
子供3人を連れて見に行く。選択肢は3つあった。これか、「ルイスと未来泥棒」か「マリと子犬の物語」。「マリ」は長男がダメ、「ルイス」は長女がダメ。次女は「恋空でもいい」とか言っている(それだけは勘弁してくれ)。3人とも第一希望だったのがこの映画だった。
僕は原作もテレビアニメも見ていず、まったく内容を知らなかった。なので、なんで人が空中に浮かぶんだとか、いったいいつの時代の話なんだとか思いながら見た。映画は独立した話なので背景を知らなくても理解はできるが、死神代行っていったい何のことやら分からない。ホロウとかアランカルとか、耳で聞いただけでは分からないものもある。だいたい主人公はクロサキイチゴという名前なんだが、これにどういう字を当てるのかも分からない。クレジットを見たら、黒崎一護だった。
「BLEACH」の内容についてはWikipediaが詳しいので参照してほしい(http://ja.wikipedia.org/wiki/BLEACH)。「ひょんな出来事から悪霊・虚(ホロウ)の退治者(死神)になってしまった高校生、黒崎一護とその仲間達の活躍を描いた漫画」だそうである。2001年から少年ジャンプに連載が始まり、単行本の累計発行部数は4200万部。「デスノート」よりはるかに多く、いかに人気が高いか分かる。
以下、ストーリーはWikipediaをアレンジして引用。尸魂界(ソウル・ソサエティ)の王族の秘宝「王印」の運搬を警護していた日番谷冬獅郎(ひつがや・とうしろう)率いる十番隊が謎の集団に襲撃され王印が奪われてしまう。同時に首謀者と刃を交えていた日番谷も失踪を遂げる。一護は森の中で傷つき「クサカ」という言葉を残して倒れた日番谷を発見し、保護するが、日番谷は一護の問いには何も語ろうとせず、そのまま立ち去ろうとする。そんな日番谷に対して、あくまでも強制的には連れ戻そうとはしていない一護だったが、「邪魔をするな」という日番谷と刃を交える。戦いの最中に2人の女インとヤンが乱入し、日番谷の身柄を渡すことを要求。一護は重傷を負い、更に日番谷も彼女らの後を追うようにその場を立ち去る。日番谷捜索部隊は日番谷に帰還を求めるが、倒されてしまう。山本総隊長は日番谷に謀反の疑念を強め、日番谷処刑の決定を下す。
「日番谷冬獅郎を処刑せよ」というのが映画のコピーである。上のストーリーを読んだだけでは内容が分からないだろうが、要するに美男美女が登場する超能力SFっぽい作り。作画は標準的で特に優れた部分はないが、悪くもない。ストーリーはファンならこれで喜ぶのだろうが、これだけしか知らない僕から見ると、ちょっと引っかかる部分はある。悪役側に理があるのだ。こんなことになってしまった理由には尸魂界の在り方にも問題があると思える。徹底的な悪役にしてしまった方が単純に面白かったかもしれない。
アクションに加えてジャンプ連載らしく友情を噛ませているのがみそ。「何があったか知らねえが、一人で背負うんじゃねえ!」「どうして仲間を頼らねえんだ!」。一人で解決に当たろうとする日番谷に対する一護の苛立ちのセリフは自分が小さいころの体験に裏打ちされており、その他大勢の仲間もまた日番谷の真意を理解して助けようとする。
映画単体の出来としては疑問も感じるが、まあ、本編とは異なるサイドストーリーだから、これでいいのだろう。見に来るファンはキャラクターの活躍が見たいわけで、本編の話とのつながりを期待しているわけではないはず。毎年春に公開される「ワンピース」と同じ位置づけということになるか。キャラクターはそれぞれに魅力的だった。
2007/12/29(土)「AVP2 エイリアンズ VS. プレデター」
なぜエイリアンだけ複数形なのかと思ったら、地球で繁殖したエイリアン退治をするのが一人のプレデターなのだった。前作同様、B級の企画をB級のストーリーとB級のキャストで描くという、どこを切ってもB級の映画。前作には「エイリアン2」のアンドロイド役ランス・ヘンリクセンが出ていてまだシリーズとのわずかなつながりが見られたが、今回はまるっきり無名キャストだし、話のつながりも皆無だ。要するにエイリアンとプレデターを戦わせるだけの映画。
プレデターの宇宙船の中でエイリアンが繁殖し、宇宙船はアメリカのガニソン郡の森の中に不時着する。近くに来た親子をエイリアンの幼虫(フェイス・ハガーと言う)が襲い、顔に張り付く。当然のことながら親子の腹を突き破って幼虫が出てくる。一方、プレデターの故郷の星では宇宙船に異変が起こったことを知り、一人のプレデターが地球にやってくる。エイリアンとそれを追うプレデターによって町の人々は次々に虐殺されていく。
というのがプロット。プレデターの腹を突き破って出て来たエイリアンはプレデリアンと言うらしいが、別に双方の特徴を持っているだけでSF的なアイデアの発展はない。決着の付け方も乱暴。一緒に見た長男は「『バイオハザード2』のパクリじゃないの」と言った。まあ、そんなところです。出てくる俳優たちも今ひとつ魅力に欠ける。一人ぐらいベテラン俳優を出しておけば、話も引き締まったのではないかと思う。というか、B級俳優でもいいから、話をもっと工夫していれば、もう少し面白い映画になっていただろう。
企画段階で「これぐらいのストーリーでいいよね」「いいんじゃないの」といういい加減さがあったのではないかと思える映画である。監督はこれが長編映画デビューのグレッグ&コリン・ストラウス兄弟。
2007/12/24(月)「アイ・アム・レジェンド」
リチャード・マシスン原作の3度目の映画化。ウィルスの蔓延で地球に一人生き残った男の孤独と戦いの日々を描く。
最初の映画化である1964年の「地球最後の男」(ウバルド・ラゴーナ、シドニー・サルコウ監督、ビンセント・プライス主演)はジョージ・A・ロメロの傑作「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の原型となったことで有名だ。闇にうごめくゾンビたちの姿と虚無感・絶望感あふれる作りは「ナイト・オブ…」のそれと非常によく似ている。
今回の映画にあるのは主人公の絶対的な寂寥感と廃墟となったニューヨークの優れたビジュアル、そしてホラーの味わい。特に寂寥感とビジュアルな部分が大変良い。主人公ウィル・スミスは孤独に苛まれながらも「闇を照らす」ためにワクチンの研究に打ち込む。64年版では「アイ・アム・レジェンド」の意味が終盤に分かって、それはそれで皮肉な効果をもたらしていたが、今回は意味を違え、よりストレートな作りになっている。希望があるのである。旧作を見ている観客を意識したと思える部分が終盤にあり、脚本のマーク・プロストビッチ、アキバ・ゴールズマンは良い仕事をしていると思う。ビジュアルな部分はフランシス・ローレンス監督の資質が良い方向に出た結果だろう。第2班(アクション・ユニット)監督のヴィク・アームストロングもいつものように優れた仕事をしていて、切れ味のあるアクション場面を演出している。これにスミスの好演とジェームズ・ニュートン・ハワードの哀切な音楽とが相まって、破滅SFとしてきちんとまとまった作品に仕上がった。チャールトン・ヘストン主演の「地球最後の男 オメガマン」(1971年)を含めて同じ原作3本の映画のうち、今回が最も良い出来だと思う。
がんの特効薬が発明され、人類はついにがんを克服したというニュースが流れる。その3年後、ニューヨークは廃墟と化していた。主人公の科学者ロバート・ネビル(ウィル・スミス)は都会のど真ん中で愛犬サムとともに車を走らせ、鹿狩りを楽しむ。他の人間は皆、がんの特効薬から派生したウィルスの蔓延で死んでしまった。ネビルには免疫があり、生き残ったのだ。ネビルはもしかしたらどこかに生き残っているかもしれない人間に対して全周波数で「You are not alone」と呼びかける。そして厳重に戸締まりをして眠れない夜を過ごす。ウィルスで凶暴に変異したダーク・シーカーズ(闇の住人)の襲撃に備えるためだ。同時にネビルはネズミや捕らえたダーク・シーカーズを使ってワクチンの研究を続けているが、失敗の連続。ようやく効果があると思われるワクチンを開発するが、ダーク・シーカーズの罠に落ちてしまう。
ウィルスの蔓延で世界が破滅するという話は大昔からあり、ゾンビたちがうごめく世界というのも全然珍しくはないが、この映画を同種の映画から際だたせているのはビジュアル面の優秀さだ。パンフレットによれば、実際にニューヨークの一部の区画を封鎖して200日間にわたって撮影したという。人っ子一人いないニューヨークの荒んだ光景は主人公の寂寥感を強調するのに大きな効果を上げている。
フランシス・ローレンスは前作「コンスタンティン」ではスタイリッシュなビジュアル部分には感心したものの、必ずしもストーリーテリングがうまくいっているとは思えなかった。今回はビジュアル、物語とも破綻がない。ウィル・スミスは考えてみると、SF映画への出演が多い俳優だ。「アイ、ロボット」も良い出来だった。