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「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」は荒木飛呂彦原作で好評を集めたNHKドラマ「岸辺露伴は動かない」の劇場版。人の記憶を本にして読む能力(ヘブンズ・ドアー)を持つ漫画家の岸辺露伴を高橋一生、編集者の泉京香を飯豊まりえが演じ、監督の渡辺一貴、脚本の小林靖子などスタッフもドラマと同じです。ドラマ(3期8話)を僕は面白く見ましたが、劇場版は映画としての魅力に欠けました。テレビ並み、というか長すぎる分、テレビ以下の出来にしかなっていません。
テレビシリーズ第8話の最後で泉京香がバッグから写真を撮りだして「あ、パリ! ルーブル美術館」と言う場面があったので、劇場版の製作は既定路線だったのでしょう。
原作は122ページ(オールカラー)の短編。露伴は青年時代に淡い思いを抱いた奈々瀬(木村文乃)から「この世で最も黒い絵」のことを聞く。それは最も黒いと同時に、最も邪悪な絵だという。その絵がルーヴル美術館に所蔵されていることが分かり、露伴と京香は取材のためフランスを訪れる。ルーヴルのデータベースで分かった黒い絵の保管場所は、今はもう使われていない地下倉庫だった。
小林靖子の脚本は原作を膨らませていて悪くありません(唯一気になったのは露伴が本来はできない死者の記憶を読む場面があること)。問題は端的に映像化の部分で、クライマックスはVFXを炸裂させて描いてほしかったところです。間延びした描写も目に付き、90分程度にまとめた方が良かったと思います。1時間58分。
ドラマ版で個人的に一番面白かったのは渦中の市川猿之助が露伴の背中に取りつく怪異を演じた第5話「背中の正面」でした。それと、飯豊まりえの存在はドラマを楽しくしていて、本人とは違うキャラだと思いますが、奇抜なファッションも含めて明るくてかわいいキャラでした。泉京香は原作では「富豪村」(ドラマ第1話)にしか登場しないそうです。
▼観客40人ぐらい(公開初日の午後)
CGだらけのアクションシーンをスッカスカの話でつづったシリーズ第10作(原題は「FAST X」)。もう少しストーリーをなんとかできなかったんですかね。
敵は第5作「MEGA MAX」(2011年、ジャスティン・リン監督)の悪役エルナン・レイエス(ヨアキム・デ・アルメイダ)の息子ダンテ・レイエス(ジェイソン・モモア)。モモアは「MEGA MAX」には出ていなかったので、今作の冒頭にある「MEGA MAX」のシーンへの登場は合成なのでしょう。このシーンには亡くなったポール・ウォーカーも出ています。ダンテは父親の死を恨んでドミニク(ヴィン・ディーゼル)のチームに復讐するため襲ってくるという展開。
女優陣は豪華で、シリーズにこれまで出てきたシャーリーズ・セロン(格闘シーンに惚れ惚れします)、ヘレン・ミレン、ブリー・ラーソンのほか、最後の最後にガル・ガドットがワンカットだけ出てきました。ただし、クレジットはされていません。ガドットはジゼル・ヤシャールという役で、第6作「EURO MISSION」で死にましたが、このシリーズ、一度死んだキャラが実は死んでいなかったとして再登場するのはレティ(ミシェル・ロドリゲス)、ハン(サン・カン)の先例があり、ちっとも珍しくありません。
話は完結せず、次作に持ち越しでした。あと2本作る計画もあるのだとか。ルイ・レテリエ監督、2時間21分。
IMDb6.4、メタスコア55点、ロッテントマト54%。
▼観客多数(公開4日目の午後)
北イタリアのモンテ・ローザ山麓を舞台に、都会育ちの少年ピエトロと同い年の牛飼いの少年ブルーノの友情とその後の長い交流を描いています。パオロ・コニェッティのベストセラー小説の映画化で昨年の第75回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞しました。
モンテ・ローザの雄大な景色の中で描かれる人生のあれやこれや。大きな事件は起きませんが、ゆったりとした展開で情感を込めた描写が良いです。裕福な少年と貧しい少年の友情という設定から想像できるような単純な話でもなかったです。
原題は「LE OTTO MONTAGNE」(八つの山)。邦題は小説の邦題に合わせたのでしょうが、最後のナレーションに「人生にはときに帰れない山がある」という一節があるので、悪くはありません。八つの山とはインドの世界観を示す言葉とのこと。
監督はフェリックス・ヴァン・フルーニンゲンとシャルロッテ・ファンデルメーシュの共同。2時間27分。
IMDb7.8、メタスコア78点、ロッテントマト89%。
▼観客11人(公開2日目の午後)
けがをした知人の代わりにアダルトグッズ・ショップでアルバイトをすることになった女子大生を描くモンゴル映画。主人公サロールを演じたバヤルツェツェグ・バヤルジャルガルは最初、野暮ったい素朴な格好で出てきますが、徐々にアクティブなファッションに変わっていきます。話としては普通の青春映画で、主演女優のキュートさがこの映画の大きな魅力になっています。
モンゴルと言えば、真っ先に草原が思い浮かびます。こちらのそうした貧困な知識とは裏腹に、物語は都会で進行し、草原は一場面しか出てきません。モンゴル映画を見る機会はほとんどないので、ロシア語に似た文字と韓国語の発音に似た言葉も新鮮でした。ジャンチブドルジ・センゲドルジ監督、2時間3分。
IMDb7.4(アメリカでは映画祭での上映のみ)
▼観客4人(公開5日目の午後)
画質からして色合いが安っぽく、いかにもC級映画。ピエロメイクの殺人鬼アート・ザ・クラウンが残虐に殺し、拷問するだけのグロい作品です。こうした殺人鬼は刃物を振り回すのが常ですが、アート・ザ・クラウンは拳銃も使います。それとノコギリも。
2作目は残虐描写で失神した人が出たとニュースになりましたが、この1作目もR-18指定です。エンドクレジットを見ていたら、出てくる猫の名前がSCORSESE(スコセージ)でした。ダミアン・レオーネ監督、1時間25分。
IMDb5.6、メタスコアなし(レビュー不足)、ロッテントマト55%。
「劇場版PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE」は2019年の劇場版3部作とテレビアニメ第3期の間をつなぐ作品。「PSYCHO-PASS サイコパス」シリーズはテレビアニメ3期と、劇場版が今回を含めて6本ありますが、時系列を前後して作られていて、主人公も異なります。
僕はテレビシリーズを少しと劇場版を5本を見ているだけで、熱心なファンではありません。シリーズをよく知らない人には敷居が高く思えますが、今回の作品は独立して見てもそれなりに面白い仕上がりだと思いました。
ただ、シリーズの設定ぐらいは予備知識として持っておいた方が理解はしやすいです。公式サイトを引用すると、「人間のあらゆる心理状態を数値化し管理する巨大監視ネットワーク〈シビュラシステム〉が人々の治安を維持している近未来。あらゆる心理傾向が全て記録・管理される中、個人の魂の判定基準となったこの計測値を人々は『サイコパス(PSYCHO-PASS)』の俗称で呼び習わした」。ここで言うサイコパスとは反社会的人格ではなく、「精神の証明書」を指します。
物語は2118年が舞台。テロリストが神奈川県沖で輸送船を襲撃し、乗船していたミリシア・ストロンスカヤ博士を殺害する。テロリストの正体は外務省の秘密部隊として結成され、解体後に行方不明になった部隊「ピースブレイカー」だった。ピースブレイカーは博士が確立した研究、通称ストロンスカヤ文書を狙っていた。刑事課は行動課との共同捜査としてチームを編成。かつて公安局から逃亡した狡噛慎也(こうがみしんや=関智一)と主人公の公安局統括監視官・常守朱(つねもりあかね=花澤香菜)は事件の謎を追う。
SF作家の冲方丁が構成を担当し、脚本を作家の深見真とともに書いています。法律とシビュラシステムのどちらを優先するのかというテーマが物語の本質的な部分とリンクしているのが良く、意外なラストが作品の完成度を高めた印象があります。といっても、このラストを描くことがシリーズの欠落部分を埋めるためには必要だったわけです。
人を撃ってもシビュラシステムが犯罪者と認めない事態はアイザック・アシモフのロボット工学三原則に矛盾する事例を描いた小説(「夜明けのロボット」など)を連想しました。塩谷直義監督、2時間。
▼観客14人(公開6日目の午後)
2014年の同名韓国映画を藤井道人監督が岡田准一主演でリメイク。先日、オリジナルを見た時に韓国の土葬を日本の火葬に置き換えるのにはどうするのだろうと気になりました。土葬なら2人の死体を一緒に埋めて隠蔽工作が可能ですが、火葬だと、焼いても2人分の骨が残るので犯行が露見してしまいます。
主人公の刑事は母親危篤の知らせを受けて車で病院に向かう途中、飛び出してきた男をはねて死なせてしまいます。男の死を隠すためにトランクに乗せた死体を母親の棺桶の中に入れ、ともに火葬しようとしますが、ある事情で男の死体が必要になり、火葬には至りません。
主人公は警察署の裏金作りにかかわっていて、善良な警官ではありません。追い詰められてジタバタドタバタする姿は、演出が狙ったのかどうか分かりませんが、つい笑ってしまいます。緊張と笑いは紙一重ですね。この主人公を追い詰めるのが県警本部の監察官(綾野剛)。こちらも悪徳警官で上司から悪巧みの片棒をかつがされ、やはり追い詰められていることが分かってきます。
綾野剛がターミネーター並みに不死身すぎるとか、警察は年末の御用納めの後にガサ入れなんて普通はしないとか、リアリティーに欠ける部分があるのは残念。演出のテンポは良いのに、脚本の詰めが甘いと感じました。
キム・ソンフン監督のオリジナルはこの映画のほか、中国、フランス、フィリピンでもリメイクされています。IMDbによると、どれもオリジナルには及ばない出来のようです。1時間58分。
▼観客6人(公開初日の午前)
2000年から2001年にかけてイラン最大の宗教都市マシュハドで起きた16人の娼婦連続殺人事件描いた作品。「ボーダー 二つの世界」(2018年)で注目を集めたイラン出身で北欧在住のアリ・アッバシが監督しています。
犯人のサイード・ハナイは映画では娼婦を自宅に招き入れた後すぐに絞殺していますが、パンフレットによると、実際には殺す前に13人と性交渉を持ったそうです。それを考えると、「街の浄化のため」という理由は単なる建て前に過ぎず、こいつは快楽殺人に自分勝手な理屈を付けただけのサイテーなサイコ野郎としか思えません。メディアや住民がサイードを擁護する場面も描かれていますが、実情を知らなかった可能性があるんじゃないでしょうかね。映画はそこも描いた方が良かったと思います。
主人公の女性記者を演じるザーラ・アミール・エブラヒミは当初、キャスティングディレクターとしてこの映画に参加しましたが、主演を予定していた女優がクランクイン直前に出演を辞退したため演じることになったそうです。インタビューで「この映画がイランで上映される可能性はあるか」との問いに「ないです」と即答しています。1時間58分。
アリ・アッバシ監督の作品は「マザーズ」(2016年)がamazonプライムビデオで、「ボーダー 二つの世界」はU-NEXTで見られます。また、U-NEXTで配信しているドラマ「THE LAST OF US」の8話と9話の監督もしています。これ、ゲームのドラマ化なんですが、この2話はどちらもIMDbで9点以上の高い評価になっています。
IMDb7.3、メタスコア66点、ロッテントマト83%。
▼観客5人(公開5日目の午後)
オノレ・ド・バルザック原作「幻滅 メディア戦記」(1843年)の映画化。原作は単行本全2巻で計952ページありますから、2時間29分の上映時間も納得です。というか、原作はまだ長く、映画は3部構成の原作のうち第2部までを映画化しているのだそうです。
19世紀前半、詩人を夢見る田舎の青年リュシアン(バンジャマン・ヴォワザン)は名門貴族の人妻ルイーズ(セシル・ド・フランス)と駆け落ち同然にパリに行く。新聞記者の仕事に就いたリュシアンは世渡りのうまいルストー(ヴァンサン・ラコスト)に「金のためなら魂を売らないといけない」と言われる。王政を支持する王党派に対抗するため、自由派の新聞編集者は広告主にへつらい、世間の注目を煽ることしか頭になかった。リュシアンは大衆劇に出演していた十代の女優コラリー(サロメ・ドゥワルス)に惹かれる。
欲望と陰謀が渦巻く社会の中で、リュシアンはいったん成功を収めますが、罠にかかって転落していきます。その中でコラリーだけはリュシアンを一途に愛し、胸を打ちます。
最初はとっつきにくいかなと思えましたが、グザヴィエ・ジャノリ監督の演出は王道を行くもので見応えのある作品になっていました。
IMDb7.4、メタスコア81点、ロッテントマト93%。
▼観客4人(公開7日目の午前)
「TAR ター」は一筋縄では行かない映画です。ベルリンフィルハーモニー管弦楽団で女性初の首席指揮者となったリディア・ター(ケイト・ブランシェット)が自身の傲慢さとパワハラ、スキャンダルで転落していく話、とプロットは簡単にまとめられるんですが、冒頭の長いワンシーン・ワンカット撮影が気楽に見に来た観客を弾きますし、その後のストーリーの語り方も普通ではありません。
例えば、何度か繰り返されるターが夜中に物音で目覚めるシーン。そのうちの1回、ターは棚の中で動いているメトロノームを見つけます。いったいこれは誰が何のために動かしたのか。好意を寄せている女性チェロ奏者の自宅が廃墟のようであるとか(ここはホラー映画のような音楽が流れます)、マンションの隣室の壮絶な状態とか、悪夢のような描写がたびたび挟まれます。一筋縄で行かないのはこうした場面の意味がまったく説明されないからです。意味不明な描写の数々に最初は戸惑ったんですが、要するにこれはターの追い詰められた精神状態を表しているのでしょう。
強迫観念、権力と地位を失うことの恐怖、憎しみ、不安、焦り。ターの中にさまざまな考えと感情が渦巻いているのは想像に難くなく、そうしたものの発露がこのような描写になっているのだと思います。だからといって、これを「サイコスリラー」と結論づけるのも少し違う気がします。日常描写の中に妄想が紛れ込んでくる感覚から僕はデヴィッド・クローネンバーグ「裸のランチ」(1991年)を連想しましたが、あそこまで極端に妄想だらけではないことが逆にシーンの意味を把握しにくくしています。
半面、オーケストラの演奏場面とブランシェットの演技はとても明快です。アカデミー主演女優賞にノミネートされたブランシェットは天才指揮者としてのリアリティーを備え、感情表現も素晴らしいです。ただ、幼い少女を冷酷に脅すような同情の余地のない傲慢で嫌なキャラクターではアカデミー会員の票を多数集めることは難しかったのでしょう。
終盤、ターは東南アジアのどこかの国にいます。現地の人のセリフで「地獄の黙示録」(1979年、フランシス・コッポラ監督)のロケ地になったことが言及されるのでベトナムかと早合点してしまいそうになりますが、あの映画の撮影はフィリピンで行われたのでした。もっとも、国がどこかは重要ではなく、欧米人にとって言葉が通じない東南アジアには地の果てのようなイメージがあるのかもしれません。
この国でもターは指揮棒を振ってるんですが、このラストシーンにはさまざまな解釈があります。これほど明快ではないシーンが多いと、トッド・フィールド監督は説明しないことが趣味なのではないかとさえ思えてきます。監督はこの映画について、クラシック音楽の知識は不要で「人間について、権力について、そしてヒエラルキーについての物語」と語っています。2時間39分。
IMFb7.5、メタスコア92点、ロッテントマト90%。
▼観客4人(公開初日の午後)
タクシー運転手のシャルル(ダニー・ブーン)が92歳の老婦人マドレーヌ(リーヌ・ルノー)を乗せる。行き先はパリの反対側の老人ホーム。道すがら、マドレーヌは寄り道を指示し、自分の過去を語り始める。
その過去はそんなに驚くものではありませんが、現代に通じるテーマ(夫のDV)を含んでおり、そこも評価されているのでしょう。リーヌ・ルノーは今年7月で95歳。現役の歌手・俳優で、エイズ撲滅運動や尊厳死をめぐる活動家でもあるそうで、マドレーヌの役を演じるのに最適です。
平日なのに満席に近くて驚きましたが、全国的にヒットしているそうです。監督は「戦場のアリア」(2005年)などのクリスチャン・カリオン。1時間31分。
IMDb6.9、ロッテントマト(ユーザー)100%、メタスコアなし(アメリカでは映画祭での上映のみ)。
▼観客多数(公開4日目の午後)
個人的には「パリタクシー」よりも面白かったです。2019年4月のノートルダム大聖堂の火災を描くジャン=ジャック・アノー監督作品。アノー監督の映画を劇場で見るのは2001年の「スターリングラード」以来なので、なんと22年ぶりです。
前半、火災の発生から急速に燃え広がるまでの緊迫感と臨場感は大変なもので、ニュース映像や一般の撮影映像も取り入れながら、スプリットスクリーンを多用して画面を構成しています。火災の原因については工事にあたっていた作業員のタバコの火か、施設の漏電か、双方の可能性を示唆していますが、焦点は消防隊員たちによる決死の消火活動と聖遺物の救出活動にあります。
同時に大聖堂にはスプリンクラーなどの初期消火設備がなかったらしいことや、パリの渋滞と大勢の野次馬が集まったことで消防車の現着を遅らせたこと、学芸員が出火当時、ヴェルサイユ宮殿に行っていて聖遺物の救出がなかなかできないなど人為的な要因でイライラする事態が描かれます。
終盤は北の鐘楼が焼け落ちるのをどう防ぐかが焦点になり、前半ほど広範囲の話になっていないのが残念ではありますが、大きな欠点ではありません。アノー監督は今年10月で80歳。その演出力は若い頃に比べて衰えは感じられませんでした。1時間50分。
IMDb6.4、メタスコア64点、ロッテントマトなし(アメリカでは映画祭での上映のみ)。
▼観客5人(公開6日目の午後)
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME 3」はスター・ロードことピーター・クイル(クリス・プラット)ら落ちこぼれメンバーで構成したガーディアンズが活躍するシリーズ第3弾。メタスコアが65点と低い評価なのでほとんど期待せずに見ましたが、シリーズ3作中もっとも良い出来だと思いました。上映時間2時間30分はやや長さを感じ、冗長な部分もあるため、プロの評価が低い要因はそのあたりが影響しているのでしょう。しかし、メンバーの緩い笑いが魅力のこのシリーズを愛する人には最高の内容になっていて、とても意外なことに泣かせる映画でもありました。
公開までストーリーが伏せられていましたが、今回はガーディアンズのメンバーでアライグマのロケットをフィーチャーした内容。なぜアライグマが言葉を話せるのか、ロケットという名前の由来まで含めてその過去が詳細に描かれ、現在の話につながってきます。
これまでの凶暴な振る舞いからは想像できませんが、ロケットはなかなかに厳しくかわいそうな身の上でした。冒頭、檻の中にいる多数のアライグマの子供のうち1匹が人の手によって取り上げられる場面があり、それがロケットだと分かります。ロケットは天才的な遺伝学者ハイ・エボリューショナリー(チュークディ・イウジ。チャック・イウジの表記もあり)に改造され、言葉をしゃべれるようになったわけです。
ハイ・エボリューショナリーはカウンターアースという完全社会の構築を目指しており、ロケットは擬人化の改造を施した実験動物の中で唯一の成功例でした。逃走したロケットを取り戻すため、ハイ・エボリューショナリーは超能力を持つアダム・ウォーロック(ウィル・ポールター)にガーディアンズの本部を急襲させます。その戦闘中にロケットは瀕死の重傷を負ってしまいます。治療しようとすると、技術漏洩防止のキルスイッチが入って治療ができず、ガーディアンズは装置を解除するチップを手に入れるため、ハイ・エボリューショナリーの本部に行く、という展開。
元々はロケットと樹木型ヒューマノイド・グルートのスピンオフとして企画された内容だったそうです。グルートとネビュラ(カレン・ギラン)がこれまで見せなかった能力を発揮するほか、相変わらずおかしいドラックス(デイヴ・バウティスタ)と天然系エスパーのマンティス(ポム・クレメンティエフ)にもそれぞれ見せ場が用意されています。
分かりにくいのは死んだはずのガモーラ(ゾーイ・サルダナ)が再登場すること(映画の序盤、クイルはガモーラの死を悲しんで飲んだくれてます)。ガモーラは「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」(2018年)で養父のサノスによってソウルストーンを手に入れるための犠牲にされました。今回、登場するのはガーディアンズに参加する前の、「アベンジャーズ エンドゲーム」(2019年)でサノスとともに登場した2014年のガモーラということになっています。「エンドゲーム」では行方不明になっていました。
エンド・クレジットの後に「スター・ロードは帰ってくる」と字幕が出ますが、ジェームズ・ガン監督はマーベルのライバルであるDCスタジオの共同会長兼CEOになったため、今後このシリーズを監督するのは難しいでしょう。ゾーイ・サルダナとデイヴ・バウティスタもシリーズからの離脱を表明しているそうです。2時間30分。
IMDb8.4、メタスコア65点、ロッテントマト81%。
▼観客多数(公開初日の午前)
宮沢賢治の父・政次郎を描いた門井慶喜の直木賞受賞作を成島出監督が映画化。政次郎を役所広司、賢治を菅田将暉、その妹トシを森七菜が演じています。
ラスト近く、政次郎が結核で死の床にある賢治の前で「雨ニモマケズ」を音読する場面が素晴らしいのですが、全体としてはエピソードの羅列でドラマの焦点を絞り込めていない印象を受けました。やっぱり父親よりも賢治本人の方が魅力的なんですよね。2時間8分。
ネットのレビューを読むと、「宮沢賢治をよく知らない」と書いている人が何人もいて驚きます。個人的には中学生のころだったかに読んだ「グスコーブドリの伝記」に感銘を受けました。宮沢賢治と言えば、「風の又三郎」よりも「銀河鉄道の夜」よりもこの作品の印象が強いです。
▼観客多数(公開初日の午前)
「ザ・ロック」や「リービング・ラスベガス」などの大作・傑作に出演した大スターなのに、近年はB・C級映画でも何でも出ているニコラス・ケイジがその現実を織り交ぜながら描いたコメディ・アクション。設定は面白いんですが、笑いのセンスがイマイチ。ニコラス・ケイジの主演作としては昨年公開の「PIG ピッグ」の方が良い出来だと思いました。トム・ゴーミカン監督、1時間47分。
IMDb7.0、メタスコア66点、ロッテントマト87%。
▼観客13人(公開4日目の午後)
「劇場版TOKYO MER 走る緊急救命室」は、設定ぐらいは知っておいた方が良いだろうと思い、事前にテレビドラマの第1話だけを見ておきました。ドラマ版の重要な箇所は回想シーンで補ってあり、一切見なくても大丈夫な作りでした。厚労大臣のキャラが類型的な悪役すぎるとか、放火犯の設定が簡単すぎるとか、主人公の家庭描写がイマイチとか細部に改善した方が良いと思えるところはありますが、救命シーンのリアルな緊迫感とエモーションの高め方に文句はなく、ドラマの劇場版としては近年になく成功したエンタメ作品になっています。
冒頭、炎上する航空機事故現場での救命シーンから緊迫感が横溢。家庭をほったらかしにしてMER業務に打ち込む主人公の医師・喜多見(鈴木亮平)に愛想を尽かして妻の千晶(仲里依紗)が横浜の実家に帰るシーンを挿んだ後、その横浜にそびえ立つランドマークタワーが放火で爆発・炎上し、地上70階の展望フロアに千晶とMER看護師の夏梅(菜々緒)を含む193人が取り残されるというメインの事件に突入していきます。
短いカットを積み重ねることでテンポと緊迫感を生み出し、劇伴が分かりやすくその緊迫感を高めています。この作りはドラマ版と同じで、松木彩監督の得意とするところなのでしょう(ただしそんなに演出の引き出しは多くないようです)。完璧なセリフ回しと熱い演技の鈴木亮平をはじめ、賀来賢人、菜々緒、中条あやみ、小手伸也、佐野勇斗、要潤、石田ゆり子らドラマ版の主要メンバーに加えて、東京都主導の東京MERに対抗するため厚労省主導で新設された横浜MERのチーフ医師役を杏が演じています。
「待っているだけじゃ、助けられない命がある」。ドラマ版によると、喜多見がこの信念を持つことになったのは子供の頃、アメリカで銃乱射事件に巻き込まれ、瀕死の重傷を負った両親のために必死に助けを呼んだのに誰も来なかった体験があるからです。さらにMERの信条は死者を1人も出さないことであるにもかかわらず、喜多見の妹・涼香(佐藤栞里)は懸命な救命措置の甲斐なく、MER初の死者となってしまいます。今回は喜多見の妊娠9カ月の妻が命の危機に陥ります。主人公の見内ばかりが危険にさらされることには、またかとの思いもありますが、エモーションを最高に高める手段でもあるでしょう。
超高層ビル火災を描いた「タワーリング・インフェルノ」(1974年)や「ダイ・ハード」(1988年)の傑出した出来を思えば、犯人とその手口にもう少し知的な動機と設定が欲しいところ。ただ、これはパニック映画でも刑事アクションでもないので、そうした部分に凝ることを控えたのかもしれません。
興収30億円は固いとみられているそうですが、公開初日の観客の多さと反応の良さを見ると、もっといけそうな感じではありました。脚本はドラマ版と同じ黒岩勉。松木彩監督はTBSテレビのディレクターで「半沢直樹」(2020年)、「天国と地獄 サイコな2人」(2021年)などの演出を経て「TOKYO MER」(2021年)でチーフディレクター。劇場映画はこれが初監督作品となりました。2時間8分。
▼観客多数(公開初日の午後)
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟の監督作品。アフリカからベルギーに向かう船の中で出会い、姉弟と偽って暮らしている17歳の少女ロキタ(ジョエリー・ムブンドゥ)と12歳の少年トリ(パブロ・シルズ)の過酷な日常を描いています。
2人が姉弟として振る舞うのはどちらも1人では生きていけないから。故郷で迫害を受けたトリにはビザが下りたのにロキタには下りません。このためまともな職業には就けず、ドラッグの運び屋をやることになります。弱みを持つ人々を助けるどころか徹底的に搾取する姿には腹が立ちますが、日本の現状も同じようなものでしょう。
パンフレットによると、ダルデンヌ兄弟がこの題材を映画化したのは数百人単位の移民の子供たちがヨーロッパで行方不明となったという記事を読んだのがきっかけだそうです。カンヌ国際映画祭75周年記念大賞。1時間29分。
IMDb7.1、メタスコア78点、ロッテントマト89%。
▼観客7人(公開4日目の午後)
阪本順治監督によるモノクロ、スタンダードサイズの時代劇で、江戸末期を舞台に人々の糞尿を回収・販売する汚穢屋の青年2人(池松壮亮、寛一郎)と武家育ちで今は父親(佐藤浩市)と貧乏長屋に住む娘おきく(黒木華)の物語です。汚穢屋の仕事をこんなに詳細に描いた作品は恐らく初めてではないかと思いますが、それだけでなく、おきくと青年の恋を絡めた青春映画として成立しています。
序章「江戸のうんこは、いずこへ」から終章「おきくのせかい」まで全9章で構成。当初は短編として企画され、まず第7章「せかいのおきく」を撮り、次に第6章「そして舟はゆく」を撮ったところで長編化のめどが付いたそうです。
長屋の描写は「人情紙風船」(1937年、山中貞雄監督)を参考にしたそうですが、あの傑作同様にユーモアを交えた人々の描写が心地良く、阪本監督にはまたこうした時代劇を撮ってほしいものだと思いました。1時間29分。
▼観客9人(公開初日の午前)
巨大なゴミの最終処分場がある霞門村(かもんむら)を舞台にした藤井道人監督のサスペンス。かつて処分場の建設に反対して殺人を犯し、自殺した父親を持つ青年を主人公にした物語です。
横浜流星、黒木華の演技は悪くありませんが、話が新鮮味に欠けるのが難点。不当な差別・偏見・嫌がらせにさらされている主人公が村を出て行かない理由も分かりません。藤井監督の演出は真っ当ですが、脚本に説得力が足りませんでした。一ノ瀬ワタルの役柄は「宮本から君へ」(2019年、真利子哲也監督)の悪役を思わせますね。2時間。
▼観客2人(公開5日目の午後)
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