2004/02/05(木)「青春の殺人者」

 実話を基に中上健次が書いた小説「蛇淫」を映画化した長谷川和彦監督のデビュー作。1976年度のキネ旬ベストテン1位。

 前半の両親殺しのシーンが凄まじい。父親(内田良平)を殺した息子(水谷豊)を最初はかばっていた母親(市原悦子)がちょっとした感情の行き違いから息子を殺して自分も死のうとし、それを防ぐために息子は結局、母親をも刺し殺してしまう。エディプス・コンプレックス的描写を含めたこの長い2人芝居のシーンが凄すぎるために、死体を処理する後半の展開が普通の青春映画のように思えてくる。

 原田美枝子の無花果とヤツデのエピソードとか、母親が連れ込んだ男との関係をセリフでしゃべるあたりに深いものがある。デビュー作らしい瑕瑾はあるものの、面白いですねえ。原田美枝子は「半落ち」の今の演技を見ると、上手に年を取ったなという感じがする。

2004/02/02(月)「太陽を盗んだ男」

 25年ぶりに見る。いやテレビ放映時には見ているが、完全版じゃないでしょ。

 公開当時、井上尭之の音楽にしびれてサントラを買った。池上季実子は記憶よりもきれいで、セリフのしゃべり方がいかにも70年代風。などなど懐かしさに浸りながら見ることになったが、面白さは変わらない。

 今、こういう映画を作ると、テロ対国家という視点になるかもしれない。長谷川和彦監督は全共闘世代だから、テロリスト(しかし、思想的背景はない)の側に立って映画を組み立てている。70年代を引きずりつつ、エンタテインメントにした手腕は今も新しいと思う。

 助監督に相米慎二、製作進行に黒沢清がクレジットされている。キネ旬2位。当時買っていた「ロードショー」では読者の投票で1位になった(故大黒東洋士が「1位になるほどの作品か」と噛みついた)。ちなみにこの時のキネ旬1位は「復讐するは我にあり」。

 DVDは「コンポーネント・デジタル・ニューマスター使用の究極の高画質を実現したプレミアム版」とされているが、画質はそれほどでもなく、音が割れる場面もあった。

2004/02/01(日)「愛してる、愛してない...」

 「アメリ」のオドレイ・トトゥ主演。これ、何も言ってはいけない映画なのではないか。「ハンサムな心臓外科医に一途(いちず)な思いを寄せる画学生の奮闘を描いた恋愛映画」というのは毎日インタラクティブの紹介文で、前半(40分程度)はその通りに進行するが、後半はガラリと様相を変える。過去にも同じような映画はあったかもしれないけれど、このアイデアは秀逸。アイデアだけでなく、長い種明かしのような後半の展開も納得。観客は2本の違う映画を見ることになる。その後に来るサイコなエピソードも常套的だが、面白い。

 監督・脚本は26歳のレティシア・コロンバニ。もう少し粘りがほしいところはあるが、よくまとまっていて長編映画デビュー作としては上々の部類だろう。何気ない好意と思いこみと誤解とサイコが入り混じった映画。ハリウッドでリメイクする話もあるらしい。

2004/01/28(水)「シービスケット」

 大恐慌時代に活躍したチビの競走馬シービスケットとそれを取り巻く人々を描いた実話。非常にゆったりとしたペースで、シービスケットが登場するまでに40分余りかかる(上映時間は2時間21分)。それまでは主要登場人物の人柄と背景を描いている。普通ならシービスケットの登場をもっと早くするはずで、いかにも原作がある映画らしい。

 ゆったりとしたペースはその後も変わらず、ここまで徹底されると、時代背景と合わせたのかなと思いたくなる。アカデミー賞にノミネートされたぐらいだからアメリカでは評判がいいのだろう。ウェルメイドな作りは好ましいし、悪い映画ではないにしても作品賞ノミネートに値するのか疑問。技術的に優れた部分も見当たらないし、普通の作品と思う。アメリカ人はあの戦前の時代に特別な思い入れがあるのではないか。

 ローラ・ヒレンブランドの原作「シービスケット あるアメリカ競走馬の伝説」は400万部以上売れたそうだ。大恐慌で一家離散となった騎手のジョニー・ポラード(トビー・マグワイア)と息子を自動車事故で亡くした資産家の馬主チャールズ・ハワード(ジェフ・ブリッジス)、時代遅れのカウボーイで調教師のトム・スミス(クリス・クーパー)が力を合わせてシービスケットとともに栄光をつかむ物語である。3人ともそれぞれに挫折の経験があるため、一度の失敗で人を否定するなというメッセージが根底に流れる。

 だから右目を失明し、足を骨折したジョニーと、靱帯を傷めたシービスケットが再起する場面がクライマックスとなる。その前に映画は全米一と言われた名馬ウォーアドミラルとシービスケットのマッチレースを描き、ここもクライマックス並みに盛り上がるシーンだ。ただし、非常に分かりやすい話で、先が読める展開ではある。

 監督のゲイリー・ロスはシービスケットの活躍だけでなく、時代そのものを描くことにも重点を置いたようだ。アメリカの当時の風俗が再現されており、アメリカ人ならそれを見るだけでも楽しいのかもしれない。感心したのはクリス・クーパーの演技で、いつもながら役にぴったりとはまった感じがする。

 レース中のトビー・マグワイアのアップは明らかに合成。体を上下する頻度が多すぎて、遠景のショットとまるで合っていず、この演出はあまりうまくない。

 ディック・フランシスの競馬シリーズが好きなので、競馬を題材にした映画はひいき目に見たいのだが、傑作と呼べる映画はあまり思いつかない。フランシスの傑作を映画化した「大本命」もがっかりするような出来だった。「シービスケット」も全体的には成功しているとは言い難いけれど、馬は美しく撮られており、競馬ファンなら見ても損はないかもしれない。

2004/01/27(火)「半落ち」

 原作に忠実な作りで前半はあまり感心する部分もないなと思いながら見ていた。原作は取り調べに当たる刑事・志木や検事・佐瀬のハードなキャラクターに面白さがあったが、柴田恭平、伊原剛志ではやや軟弱な感じがあるのだ。しかし、クライマックスで佐々部清得意の演出が炸裂する。梶総一郎(寺尾聰)が妻を殺すに至った経緯と殺してからの2日間の秘密が法廷で明らかになる場面。それまでの抑えた演出とは打って変わって佐々部清はここを情感たっぷりに演出するのだ。アルツハイマーの妻役・原田美枝子の自然な演技と樹木希林の熱演が加わって胸を打つ場面になっている。こういう大衆性が佐々部清の利点と言えるだろう。このあたりからおじさん、おばさんが詰めかけた場内はすすり泣きである。

 ただ、クライマックスの人を動かす演出に感心しながらも、全体としては凡庸な部分も目に付く。映画にゲスト出演している原作者の横山秀夫は「映画『半落ち』はですから、佐々部監督率いる『佐々部組』の『読み方』であり『感じ方』であるということができます」と書いている。その通りで、これは佐々部清の解釈なのであり、題材を自分に引き寄せた映画化なのである。佐々部清はミステリーよりも人情の方に重点を置いた。というか、これまでの2作「陽はまた昇る」と「チルソクの夏」を見ても、そこに重点を置くしかなかったのだと思う。それが悪いとは思わないし、大衆性を備えたことによってこの映画はヒットしているのだから、勝てば官軍ではあるのだが、割り切れない部分も残る。佐々部清は自分流の演出で映画を成功させたけれど、同時に一通りの演出法しか持っていないという限界も見せてしまったようだ。

 原作は6人の視点から語られる。映画は一番最後の刑務官を登場させず、裁判の場面にクライマックスを持ってきた。上映時間が限られる以上、この脚本(田部俊行、佐々部清)の処理は悪くないが、残念なのは警察と検察の裏取引や記者と警察の取引が通り一遍の描写になってしまったことと、弁護士や裁判官のキャラクターの掘り下げが(國村隼、吉岡秀隆の好演を持ってしても)足りないことだ。十分に描く時間がないなら、もう少しスッキリとまとめた方が良かっただろう。

 映画の本筋は骨髄移植とアルツハイマーを通した命の絆や「誰のために生きるのか」という問いかけ、魂を失った人間は生きているのか死んでいるのかという設問にあるのだから、こうした部分をもっと前面に持ってきた方が良かった。同時に梶が妻を殺さなければならなかった苦悩も描き込む必要があった。深刻な顔をし続ける寺尾聰だけでは弱いのである。

 僕は佐々部清の演出が嫌いではない。1、2作目を手堅くこなした後の3作目の今回はホップ・ステップ・ジャンプになるはずが、ホップ・ステップ・ステップにとどまったなという印象がある。次作では本当のジャンプになることを期待したい。