2001/07/17(火)「パール・ハーバー」

 真珠湾攻撃が終わった後に延々と続く1時間がただただ退屈である。真珠湾攻撃までの1時間半も長かったが、最後の1時間はさらに長く感じる。ここはほとんど不要。やられっぱなしではアメリカ人にとって面白くなかろうという興行上の配慮で追加しただけの場面である。以前書いたようにマイケル・ベイのバカさ加減を確認するために見に行ったのだが、こんなにバカだとは思いもしなかった。救いようがありませんね、これじゃ。

 ハンス・ジマーの音楽が流れて始まった時には、いやこの映画もしかしたら少しは面白いんじゃないかなと余計な心配をしたが、さすがマイケル・ベイ、ジェリー・ブラッカイマーというアメリカを代表する無能コンビの映画。そこから先はことごとくB級C級の出来に終始している。かなり予算をかけているにもかかわらず、真珠湾攻撃とラブストーリーを絡めてちょちょいと1本作っちゃいましたよ、という感じしかない。最新のSFXはそれなりに見応えはあるのだが、せっかくSFX班が頑張っているのに見せ方が凡庸過ぎて長すぎて少しも効果的ではない。見ているうちに飽きてくるのである。

 ラブストーリーの部分に関しては、時々美人に見えるケイト・ベッキンセールと繊細なジョシュ・ハートネットはいいのだが、設定があまりにもありふれていて工夫がない。日本軍の描き方などは30年前のレベルで噴飯もの。本気で真珠湾攻撃の映画など作ろうという気はなかったのだろう。本気ならこんなアホな描写、構成になるはずない。志が低いのである。3時間3分という長すぎる上映時間が最大の欠点で、歯切れが悪いというか、まとまりが悪いというか。ま、マイケル・ベイの頭が一番悪いのだろう。

2001/07/15(日)「デジモンテイマーズ 冒険者たちの戦い」

 東映アニメフェア。「もーっと!おじゃ魔女どれみ カエル石の秘密」「キン肉マンII世」との3本立て。「キン肉マンII世」「おじゃ魔女どれみ」とも30分足らずの短編だが、どちらもCGを使っている。コスト的に安くなったんでしょうね。メインの「デジモンテイマーズ」にもこれは言え、作画的には申し分ない。というより、大変優れていると思う。デジモンの世界を僕はよく知らないが、今の主人公タカトは3人目らしい。夏休みに沖縄に行ったタカトが人類への復讐を企む悪のデジモン相手に戦いを繰り広げる。どうもこのシリーズ、毎回同じような話ではある。サイバースペースが舞台なのにちっともSFを感じないのが欠点か。

 春のアニメフェアで「ワンピース ねじまき島の冒険」の添え物だった「デジモン」がメインにならざるを得ないところに東映の苦しさがある。来春のアニメフェアはまた「ワンピース」「デジモン」の組み合わせらしい。「ワンピース」は年1回、「デジモン」は2回というのは「デジモン」の人気が「ワンピース」に勝っているわけではなく、単に製作上の制約でしょう。短期間で作ったにしては「デジモン」、頑張っていると思う。

2001/06/19(火)「マレーナ」

 こちらはジュゼッペ・トルナトーレ監督の「海の上のピアニスト」以来の作品。戦時中のイタリア、シチリア島。村一番の美女マレーナ(モニカ・ベルッチ)に少年レナート(ジュゼッペ・スルファーロ)が恋心を抱く。マレーナは結婚して2週間で夫が出征。海岸近くの家で一人で暮らしていた。その美貌は村中の男たちから憧れの的。ただし、女たちからは憎しみの的となっている。

 ある日、マレーナの夫が戦死した知らせが届く。生活に困ったマレーナは歯医者との交際を経て、娼婦に堕ちていく。終戦の日、村の女たちは「ふしだらな女」と非難してマレーナに集団リンチを加え、村から出ていくよう命じる。半裸の姿でマレーナは逃げるように村を出ていく。映画はこのマレーナの様子を少年の目から描く。イタリア映画によくある思春期の少年の性の目覚めの描写も取り入れられているが、マレーナが村を出ていく場面まではまあ、普通の映画である。ここがロバート・マリガン「おもいでの夏」ぐらいの出来なら、もっと映画の評価は高まるところ。

 「ニュー・シネマ・パラダイス」以降、高い評価を得ているトルナトーレだが、僕はそれほど買っていない。「ニュー・シネマ・パラダイス」は完全版でさえ、単なるすれ違いのメロドラマとしか思えなかったし、「海の上のピアニスト」もラストに感心しなかった。技術的には大したことない監督なのだが、主に大衆性で支持を集めているのだと思う。この映画もほとんどの場面はなんてことない映画である。ただ、今回、ラストの処理には感心した。

 戦死したと思われたマレーナの夫は生きていた。夫はマレーナを捜して村を出ていく。そして1年後、村の大通りを夫に腕を絡ませてうつむき加減で歩きながらマレーナは帰ってくる。村の女たちは「少し目尻にしわができた」などと陰口をたたくのだが、ひどいことをした負い目もあってか、マレーナを受け入れるようになる。さまざまな悲惨な運命にもまれたことを表面に出さず、楚々として存在するマレーナは素晴らしい。決して少年の憧れを砕くようなくだらない女ではなかったのである。モニカ・ベルッチは何となくイザベル・アジャーニを思わせる美人。演技的にはあまりうまくないようだが、セリフが少ないのが幸いしてか、魅力的な雰囲気で映画を支えている。

 2000年度のアカデミー賞ではオリジナル作曲賞(エンニオ・モリコーネ)と撮影賞(ラホス・コルタイ)にノミネートされた。

2001/06/19(火)「デンジャラス・ビューティー」

 FBI捜査官がミス・アメリカコンテストに出場者として潜入し、爆弾魔の犯行を防ごうとするコメディ。男勝りの捜査官に扮するのはサンドラ・ブロック。元々が美人なので、周囲がブス、ブスというのに美人にしか見えないのはご愛敬。ベテランの美容コンサルタントのビクター(マイケル・ケイン)の指導の下、48時間で見違えるようなスタイル抜群の美人になる。

 元ネタが「マイ・フェア・レディ」なのは明確だが、サンドラ・ブロックはアクションもしっかり披露し、頑張っている。問題は犯人の設定で、あんなことが犯行の動機になるのか、大いに疑問。後半が腰砕けになってしまったのは残念。ま、ブロックを見るだけでも価値はあるかもしれない。

 監督はドナルド・ピートリー。「ミスティック・ピザ」「ラブリー・オールドメン」「リッチー・リッチ」とこういうコメディの演出は手慣れているようだ。ただ、光る部分はありませんね。

2001/06/13(水)「ギャラクシー・クエスト」

「Never Give Up! Never Surrender!」という(このセリフ、見た人には分かる)非公式サイトまでできている。さらにアメリカではSFファンが選ぶヒューゴー賞の映画部門で最優秀賞を受賞(2000年度)。この時の候補作品には「マトリックス」「マルコヴィッチの穴」「シックス・センス」「アイアン・ジャイアント」とレベルの高い作品ばかりがそろっていたのだから大したものである。

 テレビシリーズ「ギャラクシー・クエスト」の登場人物たちが、本物と間違われ、サーミアン星人に助けを求められる。サーミアンは邪悪な異星人サリスに苦しめられていた。宇宙基地に連れてこられたギャラクエの一行はとんでもないところへ来たと逃げだそうとするが、戦場のまっただ中で逃げるに逃げ出せない状況。仕方なく、サリスと戦うことになる。

 サーミアンは嘘という概念を知らず、テレビ番組をドキュメンタリーと信じていた、という設定がもうおかしい。英雄と間違われて主人公が戦う羽目になる話はけっこうある(SFオンラインは「サボテン・ブラザース」を挙げていたが、ほかにもありそう。「キャプテン・スーパーマーケット」もこれに入るかな)。この映画、架空のテレビシリーズを基に架空の物語を積み重ねた多重構造がSFそのものだ。「ギャラクエ」のモデルとなったのはもちろん「スター・トレック」だが、SF映画とそのファンダムをカリカチュアライズしているようで実は理解を示す展開になっており、そこがファンの支持を集めた理由でもあるのだろう。

 しかもスタン・ウィンストンが手がけたクリーチャーなどSFXが半端じゃないのである。パスティーシュながら、本気でSFとして映画化している点が非常に好ましい。ラスト、ファンダムの会場に宇宙船が突っ込むシーンは夢が現実化した瞬間とも言える。

 主人公の艦長を演じるのはティム・アレン。紅一点のシガニー・ウィーバーはホントはもっと若い女優がいいのだろうが、20年前のテレビシリーズに出ていたという設定だからこの年齢になるのでしょう。いや十分、魅力的でした。スポックのモデルと思われる“トカゲ頭”のアラン・リックマンもおかしい。