2025/09/08(月)「遠い山なみの光」ほか(9月第1週のレビュー)
「遠い山なみの光」

イギリスの片田舎で暮らす悦子(吉田羊)が娘のニキ(カミラ・アイコ)に頼まれ、長崎に住んでいた時代の自分について話し始める。悦子(広瀬すず)は夫の二郎(松下洸平)と団地に暮らしていた。ある日、男の子たちにいじめられていた小学生の万里子(鈴木碧桜)と出会う。万里子は川のほとりの粗末な家で母親の佐知子(二階堂ふみ)と2人で暮らす。佐知子にはアメリカ人の恋人がいて、近くアメリカに移住する予定だという。お金に困っている佐知子に悦子はうどん屋の仕事を紹介する。そんな時、福岡に住む二郎の父親で、元教師の緒方(三浦友和)が長崎にやってくる。
映画は長崎原爆の影響と、戦後の大きな転換について言及しながら、悦子と佐知子の対照的な姿を描いていきます。この映画を特異なものにしているのは終盤の2つの要素です。一つは悦子たちが路面電車から見る黒い服の女の正体。もう一つは最後に明かされる大ネタ。この大ネタに関してはミステリーやホラーに少なくない前例がありますが、黒い女の正体に関して前例は少ないでしょうし、かなり文学的なものになっています。
「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というフリードリヒ・ニーチェ「善悪の彼岸」の有名なフレーズを借りれば、「過去を回想するとき、過去もまたこちらを認識しているのだ」となるでしょう。この解釈が正しいとは限りませんが、不思議で秀逸な場面だと思います。
この終盤の2つの点について、原作でどう表現されているのか気になったので映画を見た後に文庫本を読みました。驚愕しました。この2つの要素が原作にはないんです。つまり原作を大きく改変しているわけです。
普通なら、原作者が怒りそうなものですが、心配無用。カズオ・イシグロはこの映画のエグゼクティブ・プロデューサーであり、石川監督はイシグロと相談しながら、脚本を書いたそうです。パンフレットの監督インタビューを引用しておきます。
「ある程度の曖昧さを残して、いろんな解釈ができるというのが原作のよさでもありますが、新たに自分たちの手で何かを渡そうとしているのなら、そのまま映画化するのは逃げだと思いました。カズオさんと相談しながら、我々の解釈を一つ提示するということが非常に大事でしたし、そうしなければ今のオーディエンスとコミュニケ-ションをとれたとは言えないのではないかということも、大きなモチベーションでした」
映画のほとんどは原作に忠実なのですが、最後の2点だけが異なっています。こうした改変が可能なのは原作の間口が広く、多様な解釈の余地があるからです。いやあ、面白い。こういうことがあるんですね。僕らが目にしているのは43年前に出版された原作を現代に対応させるためにアップデートした、進化した物語であるわけです。
二階堂ふみのセリフ回しはなんだか昔の日本映画のように思えました。これについて、石川監督は「50年代の映画俳優を彷彿させるお芝居で、最初の一文から役をすでに掴んでいるのがよく分かりました」と言っています。二階堂ふみ独自の役作りだったのですね。
▼観客多数(公開2日目の午後)2時間3分。
「入国審査」

アメリカで移民問題が大きくなっている現状でとてもタイムリーな作品と言えるでしょう。皮肉な結末が効いてます。脚本・監督はともにベネズエラ出身のアレハンドロ・ロハスとフアン・セバスチャン・バスケスの共同。出演はアルベルト・アンマン、ブルーナ・クッシほか。
IMDb7.0、ロッテントマト100%(アメリカでは映画祭での上映)。
▼観客多数(公開2日目の午後)1時間17分。
「ベスト・キッド:レジェンズ」

空中でクルクル回るシーンがそれ。もしかしてCG使ってるんじゃないかと疑ってしまいますが、スローモーションでも見せるんですよね。
ラルフ・マッチオ主演の元の「ベスト・キッド」シリーズとスピンオフの「コブラ会」シリーズ、ジャッキー・チェンが出演したリメイクを統合した物語で、「二つの枝 一本の樹」というセリフはそのことも象徴しているのかもしれません。
主人公の母親役ミンナ・ウェンはマーベルのドラマ「エージェント・オブ・シールド」シリーズ(2013年~2020年)で知りました。あの頃は50代でも若く見えてアクションが凄いと思いましたが、今回はアクションを披露する場面はありません。既に61歳ですが、まだアクションできるんじゃないですかね。
IMDb6.3、メタスコア51点、ロッテントマト58%。
▼観客3人(公開4日目の午後)1時間34分。
「8番出口」

ホラー演出の気味の悪いシーンもありますが、物語としては真っ当な展開だと思います。監督集団「5月」の平瀬謙太朗が共同脚本と監督補を務めています。
▼観客多数(公開6日目の午後)1時間35分。
「冬冬の夏休み」
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の1984年の作品。日本での初公開は1990年で、キネマ旬報ベストテン4位にランクされています。この年の1位は同じく侯孝賢の「非情城市」でした。小学校を卒業した冬冬(とんとん=ワン・チークァン)が妹のティンティン(リー・ジュジェン)とともに田舎の祖父母の家で夏休みを過ごす物語。兄妹の母親は重い病気で入院していて、祖父母の家に行くのはこのためもあったのでしょう。田舎の村で兄妹は地元の子供たちと一緒に遊んだり、さまざまな体験をすることになります。少年の夏を描いて、これはとてもノスタルジックな作品だと思いました。
物語の設定は撮影時と同じ1980年代だそうですが、田舎の光景は1960年代の日本を思わせます。主人公の年齢は異なるものの、なんとなく、黒木和雄監督「祭りの準備」(1975年)に近い郷愁があるなと思って見ていたら、知的障害のある女性が流産したことで健常者になったと思われる描写が出てきて、なおさらその感を強くしました。
「祭りの準備」では出産によって女性が正気に返るというエピソードがあったんです。調べたら、「祭りの準備」の女性(桂木梨江)は薬物中毒の影響で正気を失っていたという設定でした。出産を機に体調が好転するというのはアジアでは一般的なのか、あるいは侯孝賢監督が「祭りの準備」を見ていたのか。いずれにしても、傑作2作品の面白い類似点だと思います。
IMDb7.6、ロッテントマト100%。
▼観客6人(公開5日目の午後)1時間38分。