2015/11/29(日)「007 スペクター」

 ダニエル・クレイグ版ボンドの特徴は絵空事を廃した物語とハードなアクションだが、ショーン・コネリー版以来久しぶりに国際犯罪組織のスペクターを出してしまうと、今の時代にはそぐわない観がある。砂漠の中の秘密基地が出てきた時にはどうなることかと思った。そのあたりは製作者も分かっていて、秘密基地のシーンは短く、その後に本当のクライマックスを用意している。しかし、敵のボスにボンドの個人的なつながりを設定したのはどう考えてもマイナスだ。いくら絵空事をやめるためであっても、ボンドと敵のボスにこういう関係があるのはリアリティーを欠く。リアリティーを出そうとして逆に失敗したと言うべきだろう。

 僕は前作「スカイフォール」でも同じような疑問を感じた。個人的な話がしたいなら、007である必要はない。監督は「スカイフォール」に続いてサム・メンデス。演出に破綻はないが、脚本にもう少しコミットした方が良かったと思う。

 総じて、007シリーズの立ち位置は難しいところに来ているというのが実感。「裏切りのサーカス」や「誰よりも狙われた男」などジョン・ル・カレ原作の地味なスパイ映画(でも面白い)と007シリーズは対極的な位置にあり、1人のヒーローが活躍する内容にリアリティーを持ち込むのは容易ではないのだ。前作でボンド以外の主要キャストを一新したばかりだが、今回の終わり方を見ると、クレイグ版はこれでいったん終わりのような感じが伝わってくる。シリーズをリセットして出直すつもりなのかもしれない。

 MI6でM(レイフ・ファインズ)の上司Cを演じるのはテレビドラマ「シャーロック」でホームズの宿敵モリーティを演じたアンドリュー・スコット。こいつ絶対怪しいと思ったら、やはりそういう展開だった。

2015/10/24(土)「ロマンス」

 中盤、主人公の大島優子と大倉孝二が箱根の山中で車で道に迷うシーンがある。大倉は元々カーナビが嫌いで使わず、そのカーナビ自体、調子が悪いという設定。そんなのスマホのカーナビ使えばいいじゃん、と思ってしまう。山奥で電波が入らないのだろうか。

 宮崎キネマ館で開かれたトークショーでタナダユキ監督はロマンスカーのアテンダントは仕事中に携帯を携帯してはいけないことになっていると説明したが、それを映画の中で説明してくれないと、説得力がない。ここに限らず、どうも脚本に弱い部分が散見される。いくら母親から自殺をほのめかすような手紙が届いたからといって上司に連絡もせずに仕事を放り出していいものかとか、そんな深刻な状況なのにのんびり箱根観光なんかしてるなよとか、思えてくるのだ。監督によると、「予算はミニマム」だったらしい。脚本を練る時間もミニマムだったのだろうか。

 「百万円と苦虫女」(2008年)以来のタナダユキ監督のオリジナル作品。といってもプロットは向井康介(「もらとりあむタマ子」「ふがいない僕は空を見た」)で、それを監督が脚本化したそうだ。主人公の北条鉢子(大島優子)は小学校のころに両親が離婚。母親が男と頻繁に付き合うようになって高校卒業以来、母親とは会っていない。ロマンスカーのアテンダントをして優秀な成績だが、ある日、ワゴンから男が菓子を万引きするのを見つける。その男、桜庭洋一(大倉孝二)が駅で降りたところで逃げ出すのを鉢子が必死に追いかけているうちにロマンスカーは出発してしまう。桜庭は鉢子がゴミ箱に捨てた手紙を読んで、母親が自殺しそうだと判断。鉢子と一緒に箱根で母親を捜すことになる。

 大倉孝二の軽すぎる演技は少し気になるものの、背の高い大倉と大島優子が並んで立つシーンはまるでC-3POとR2-D2のようにコミカルな感じもあって面白い。大島優子は脇に回った昨年の「紙の月」ではいかにも若い女子の雰囲気をまとって悪くなかったし、今回も演技的には頑張っていると思う。しかし、この脚本ではやはり無理がある。前半は箱根観光みたいな描写に終始し、もしかしてこれは箱根の観光協会あたりが資金を出した観光映画ではないかと思えてくる。タイアップした施設のショットを入れる必要があったのだろうが、もう少しうまく見せたいところだ。

 タナダユキ監督は次作の上野樹里主演「お父さんと伊藤さん」(中澤日菜子原作)を編集中とのこと。原作のある作品なら前々作の「ふがいない僕は空を見た」のように脚本にも映画の出来にも期待して良さそうだ。

2015/10/10(土)「特捜部Q 檻の中の女」

 ユッシ・エーズラ・オールスンの原作の本筋をコンパクトにまとめている。主人公と相棒のアサドにも違和感はない。映像のセンスも悪くない。しかし、原作の大きな魅力となっているユーモアがない。筋を追うのが精一杯で、そこまで手が回らなかったのだろうが、残念。

 最後のセリフで言及される“秘書”はアサド以上におかしなヤツなので、シリーズ化するならユーモアを入れてほしいところだ。この原作を映像化するには映画よりも余裕のあるテレビシリーズの方が向いているのかもしれない。

2015/09/27(日)「ウォーリアー」

 KINENOTEで1位になったアニメ「心が叫びたがってるんだ。」を見た。小学生の頃のある出来事によって話さなくなった少女・成瀬順が主人公。順の話したことがきっかけで両親は離婚する。心にあることを何でもしゃべってしまうので、玉子の妖精に呪いをかけられた(と思っている)順は高校生になっても話さない。話すと、腹痛が起きる。先生の指名で地域ふれあい交流会の実行委員になった順がミュージカル上演を目指してクラスメートと心を通わせていく姿を描く。

 テーマは重たく、描写は軽やかなのが美点で、良くまとまった作品だと思う。ただ、なんとなく食い足りない。どこが悪いというわけではなく、減点する部分は見当たらないが、世評ほど高く評価する気になれない。強いて言えば、アニメの技術に目新しい部分がないことが少し不満なのだが、スタッフはアニメの技術に力を入れているわけではない。ここにあるのは物語をきちんと伝える過不足のない技術で、それ以上のものは目指していない。それを批判するのは筋違いというものだ。だが、それなら実写でも小説でも良かったのではないかという思いも拭いきれないのだ。

 などと考えながら、KINENOTEを見たら、公開中映画ベストテンの1位がこの映画から「ウォーリアー」に変わっていた。「ウォーリアー」という作品はまったく知らなかった。調べてみると、2011年の作品で6月に東京で単館公開され、8月にDVDとブルーレイがリリース。同時にamazonやGoogleでネット配信が始まった。9月19日から再び単館公開されており、劇場公開中作品としての資格ができたわけだ。このベストテンにDVDリリース済みの作品が入るのは珍しい。というか、初めて見た。気になったのでamazonインスタントビデオで見てみた。

 総合格闘技を舞台に一家離散した兄弟と父親の関係を描く。主演は兄を演じるジョエル・エドガートン、弟を「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のトム・ハーディが演じる。ハーディはこの映画から注目されたそうだ。監督はギャヴィン・オコナー。

一家が離散したのは父親のアルコール依存症が原因。母親と弟は家を出る。母親の死後、弟は海兵隊に入るが、除隊して14年ぶりに父親に会いに来る。総合格闘技の大会スパルタンに出るため、父親にトレーナーを依頼するのだ。高校教師となった兄は心臓を患う娘の治療費のため銀行に多額の借金があり、家を差し押さえられそうになっている。家と妻子を守るため総合格闘技の試合で日銭を稼ぎ、知人のジムに通うようになる。そして同じくスパルタンに出場することになる。

兄は関節技を得意とし、弟はファイタータイプという設定。弟がパンチ一発で勝ち上がっていくのに対し、兄はボコボコに殴られながらも、間一髪の逆転で辛くも勝ち上がる。そしてロシアの世界チャンピオンと対戦することになる。

 ドラマもよくできているが、映画の半分ぐらいを占める試合場面がいい。兄と弟の背景を踏まえて描き、歓喜と感動が渦巻く。観客を揺さぶる感情の振幅が大きいのだ。父親役のニック・ノルティがダメ男を情けなく渋く演じており、これはもしかしたらと思ったら、案の定、2011年のアカデミー助演男優賞にノミネートされていた。

2015/09/20(日)「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド 」

 原作とはまったく違う。前編は8割ぐらいは原作のプロットをなぞっていたが、後編はまったく異なる展開となる。巨人の謎が明らかにされ、戦う敵の設定も変えてある。連載中のコミックを映画化する上で、これも一つの方法だ。原作通りに作って破綻の末に討ち死にするよりは、はるかに賢明な選択だったと思う。

 進撃ファンダメンタリストは怒るだろうが、個人的にはこの改変、悪くないと思った。こういう展開にするから、原作のリヴァイをシキシマに変えるなど細かい変更をしていたのかと納得した。最後まで見て思い浮かべたのはM・ナイト・シャラマンの某作品。B級SFにありそうなアイデアなのである。

 ただ、残念ながら話が小粒になった。原作のスケール感がなくなった。前編で開いた壁の穴を塞ぐ攻防が中心になるので、これは仕方ない面もある。それと前編同様にドラマの盛り上げ方がうまくない。謎の解明に話を割いた結果、主人公たちの感情の動きがうまく描けていない。これは主に監督の責任だろう。

 謎が謎を呼ぶ原作とは別物と思って見れば、別段、腹は立たない。