2012/10/21(日)「サニー 永遠の仲間たち」

 自分が通っていた高校を主人公のイム・ナミ(ユ・ホジョン)が訪れる。カメラが360度パンするうちに制服姿で坂道を上る女子高校生たちが私服姿に変わり、ナミが25年前の自分に戻るというジャンプショットを見て、これは男の監督が撮ったのだろうと思った。ここに限らず、撮り方が男性的だ。案の定、監督はこれが2作目のカン・ヒョンチョルだった。カン・ヒョンチョルは1974年生まれ。1980年代の話であっても、映画にノスタルジー色が薄いと感じるのは僕が韓国の風俗に詳しくないからでもあるが、監督の興味がそこにないからだろう。

 カン・ヒョンチョルの興味はウェルメイドなコメディの方にあるようだ。その点でこれは水準以上の出来だ。母親が入院した病院で主人公は高校時代の7人グループのリーダー、ハ・チュナ(ジン・ヒギョン)と出会う。チュナはがんにかかっており、余命2カ月と宣告されていた。もう一度、高校時代の仲間たちと会いたいというチュナの望みをかなえるため、主人公はかつての仲間たちを探し始める。そこから悩みが多くてもキラキラしていた高校時代と現在の仲間たちの姿が交互にコメディタッチを交えて描かれていく。

 コメディタッチといっても、25年の時の流れは重い。ミスコリアを目指していた少女が水商売でやさぐれていたり、太っていた少女はやっぱり太っていて成績のサエない保険外交員になっていたり、作家を夢見ていた少女は狭いアパートで姑にいびられていたりする。しかし、必要以上に重くせず、軽いタッチで仕上げたところがこの映画の良さで、万人受けする作品になっている。主人公の娘をいじめていた少女たちをかつての仲間とともにボコボコにする場面などは溌剌としていて痛快だ。

 映画の出来に文句を付けるところはあまりないが、ちょっと引っかかったのは軍隊と市民が衝突する場面までコメディタッチで描いていること。当時をリアルタイムで知っている世代の監督なら、こういう描き方はしなかっただろう。1980年代、「韓国の学生は日本の学生よりましだ」と言われた。60年安保、70年安保の頃と比べるべくもなく、日本の80年代は学生運動がすっかり下火になっていたが、韓国では光州事件を経て民主化運動が活発だったからだ。映画の中でも主人公の兄は労働運動に打ち込んでいる(その兄は現在、会社の金を横領したという設定だ)。経済成長が進んだ今は韓国も日本と変わらなくなった。

 女優たちはそれぞれに良いが、高校時代のチュナを演じるカン・ソラが頭一つ抜けている。若いころの山口美江をどこか思わせる顔立ちで、今後伸びていく女優なのだろう。

 あと、オープニングとエンディングに流れる「タイム・アフター・タイム」はやはり、シンディ・ローパーの歌を使ってほしかったところだ。「ハイスクールはダンステリア」(ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン)もローパーの歌が始まりそうになるところで音量が小さくなった。ローパーの歌が使えない事情があったのだろうか。

2012/10/14(日)「最強のふたり」

 パリに住む富豪で首から下が麻痺しているフィリップ(フランソワ・クリュゼ)とその介護人となった貧困層の黒人青年ドリス(オマール・シー)の実話を基にした物語。健常者と障害者の真の心のつながりとか何とか言う前にルドヴィコ・エイナウディの音楽がとても素晴らしい。この音楽がなければ、映画の魅力は半減しただろう。エイナウディ自身のピアノ曲をはじめアース・ウィンド・アンド・ファイアー「セプテンバー」やニーナ・シモン「フィーリング・グッド」、そしてヴィヴァルディなどのクラシックまでさまざまな音楽が映画を豊穣なものにしている。特にエイナウディ「翼を広げて」(FLY)の美しくセンチメンタルでありながら、希望にあふれた高揚感のあるメロディに魅せられる。

 映画は昨年の東京国際映画祭でサクラグランプリを取ったほか、主演2人が主演男優賞をダブル受賞。今年のセザール賞では9部門にノミネートされ、オマール・シーが主演男優賞を得た。IMDBでは8.6という高い評価だ。

 フィリップが多くの面接者の中からドリスを介護人に選んだのはドリスが自分に同情しなかったからだが、スラムに住むドリスの境遇もまた幸福なものではない。父親の違う多くの弟妹たち、子どもを養うために毎日必死で働く母親。ドリス自身にも犯罪歴があるが、弟の一人は麻薬組織に関わっているらしい。フィリップとドリスはこうしたお互いの境遇を理解した上で徐々に交流を深めていく。フィリップがドリスに惹かれたのは単純に生きる力に満ちているからでもあるだろう。親戚や知人が集まってフィリップの誕生日を祝うために開かれるクラシックの演奏会の後、ドリスがアース・ウィンド・アンド・ファイアーの曲を流し、参加者がダンスの輪に加わっていくシーンは楽しく、単純に生のきらめきを表している。

 首から下が麻痺した主人公と言えば、アレハンドロ・アメナバール「海を飛ぶ夢」(ハビエル・バルデム主演)を思い出さずにはいられない。「海を飛ぶ夢」の主人公ラモンは家族に愛されながらも尊厳死の道を選んだが、この映画のフィリップは前向きに生きる力を取り戻す。映画の幸福なラストには思わず涙してしまうが、よくある障害者もののように感動の押し売りなどはなく、全体に笑いをちりばめた作りになっていて感心した。見ていて心地よい映画であり、愛すべき、愛される映画になっている。

 映画を見終わってさっそくサントラを買わねばと思ったが、国内盤は未発売。輸入盤も高かったので昨年出た「来日記念盤 エッセンシャル・エイナウディ」をamazonのMP3ダウンロードで買った。これにも「翼を広げて」「そして、デブノーの森へ」という映画で使われた曲が収録されている。そう、エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュという2人の監督は2004年のフランス映画「そして、デブノーの森へ」の音楽も使っているのである。それほどエイナウディの音楽を気に入っているのだろう。

 その後、iTunesで探したら、ここにはサントラ盤があったのでこれも買った。

2012/09/08(土)「夢売るふたり」

 西川美和が女性を主人公にするのは初めて。ということは言われて初めて気づいた。そしてやっぱり女性監督が女性を描くと、生々しいなと思った。この生々しさというのは色っぽさも含めての生々しさで、一見無造作な細部の普通の描写に女性監督でなければ描けないなと思えるものがある。話題になっている松たか子の自慰シーンの後に、指を拭いたティッシュで鼻をかむという描写を入れるあたり、男の監督にはまず思いつかないだろう。被害者となる女性たちもすべてキャラが立っていて奥が深い。文学的な深さがあると感じるのは、小説を書かせても一流の西川美和だからか。主演の松たか子にとっても、西川美和にとってもこれまでのベストの作品だと思う。

 結婚詐欺を描いた映画というと、軽妙な作品を思い浮かべる。確かにこの映画にもそんな風な展開が前半にあるのだけれど、後半のウェイトリフティングに打ち込むひとみ(江原由夏)と風俗嬢の紀代(安藤玉恵)のエピソードでグッとリアリティーが増し、重くなる。胸にグサグサ突き刺さるセリフが要所にあるのだ。コンゲームの映画は「スティング」をはじめ金持ちや悪人を標的にするのが普通で、金持ちではない善良な人を騙すと、映画が重くなり、エンタテインメントとして成立していかない。この映画は構想の発端に名作「夫婦善哉」(1955年、豊田四郎監督)があり、結婚詐欺は夫婦を効果的に語るための手段として取り入れられたそうだから、重くなるのはむしろ狙い通りだ。

 キネ旬の西川美和と芝山幹郎の対談で、芝山幹郎が「主旋律と伴奏が交互に入れ替わる」とうまい表現をしている。主旋律である松たか子と同じレベルで、騙される女性の生き方、境遇がクローズアップされているのだ。そして西川美和はそうした女性たちを、共感を込めて愛おしく描き出している。

 前作「ディア・ドクター」から派生した小説「きのうの神さま」を読んだ際、人生の断面を切り取る手腕の鮮やかさに驚嘆させられた。西川美和は描写の人だなと思った。きちんとした細部の描写を積み重ねれば、作品全体の説得力が増す。この映画の手法も「きのうの神さま」と同じで、ひとみと紀代のエピソードはそれで1本の映画ができるぐらいの内容がある。

 もちろん、メインの阿部サダヲ、松たか子夫婦の描写も抜かりがない。2人が詐欺を働くのは火事でなくした店の再建のためという理由があるのだが、そのきっかけがひょんなことから起きた夫の不実であり、洗濯した服のにおいで松たか子がそれに気づく描写が鋭い。結婚詐欺は再建のためであると同時に裏切った夫への報復の意味合いもある。そして実行犯である夫ばかりか、詐欺を主導する妻もまたそれによって傷つくことになるのだ。

 松たか子は「ヴィヨンの妻」の時もすごかったが、今回はそれを上回る。「自分がきれいに見えるように」なんてことは監督が「心配になるぐらい考えてない」女優なのだそうだ。今年の主演女優賞は決まりだ。

2012/08/26(日)「るろうに剣心」

 相楽左之助(青木崇高)と戌亥番神(須藤元気)が台所で延々と殴り合うシーンで、途中、相楽がそばにあった肉を食い、酒を飲む。「菜食主義だから」と肉を断った戌亥は酒だけ飲んだ後に再び殴り合う。アクションの途中に一休み入るこの流れは香港映画を思わせる。アクション監督の谷垣健治はドニー・イェンに師事したそうだから、その影響なのだろう。

 「るろうに剣心」は戦前から綿々と作られ、近年は少なくなった時代劇の中でエポックメイキングな作品と言って差し支えないと思う。三池崇史「十三人の刺客」の中で一瞬きらめき、目を見張らざるを得なかった松方弘樹の殺陣の凄まじいスピードがこの作品の殺陣にはあふれている。実は予告編を見たときには「亀梨に殺陣ができるのかよー」と思ったのだが、主演は亀梨和也ではなく、佐藤健であり、佐藤健は撮影開始前に3カ月、撮影中の4カ月にも殺陣の練習に打ち込んだのだそうだ。殺陣の練習で軽いけがをした時に「けがをしたのは練習が足りないから」と言って練習量を増やしたという。だからこそ、時代劇アクションの可能性を新たに切り開く作品が生まれたのだろう。大友啓史監督らスタッフには惜しみない拍手を送りたい。

 もちろん、ドラマ的にはもっと盛り上げるべき部分があるし、描写が足りないと思える部分もあるのだけれど、それが些末なことに思えるほどアクションが素晴らしい。加えて、佐藤健、武井咲のコンビに蒼井優、青木崇高らの若い俳優たちがどれもこれも良い。特に武井咲は声が良く、たたずまいが良く、必死さが良い。剣心と鵜堂刃衛(吉川晃司)が闘うクライマックス、鵜堂の術にかけられて身動きできない場面の演技など見ると、武井咲、将来の日本映画を支える女優の一人になるのではないかとさえ思わせる。若い俳優たちの可能性を感じさせる映画としてこれは、園子温「ヒミズ」と双璧ではないか。さらに吉川晃司のドスのきいた役柄と香川照之のずるがしこい悪人ぶりが映画に幅を与えている。佐藤直紀のドラマティックな音楽も素晴らしいの一言だ。

 ジャッキー・チェンが「プロジェクトA」に始まる作品群で志向したのはサイレント時代のハロルド・ロイドやバスター・キートンであったのは周知のことだが、大友啓史が目指したのはサイレント時代の時代劇のアクションだったという。キネ旬9月上旬号(1619号)で大友啓史はこう言っている。「ぼくは『るろうに剣心』最終日前日に大河内(伝次郎)の作品を見たの。なんとなく『るろうに剣心』では大河内に勝ったと思ってた。でも、まだ負けてると思って。だから、やっぱり続篇をやらなきゃいけないなと」。歓迎すべきことだ。この映画、ぜひシリーズ化してほしい。そして、時代劇アクションを極めてほしいと思う。

2012/08/12(日)「狂った果実」

 WOWOWが「日活100周年!日活ロマンポルノ特集」と題してロマンポルノ6作品を放映中だ。その1本目が根岸吉太郎の「狂った果実」(1981年)。劇場公開時にも見ているが、今回の放映版(R指定版)を録画してあのラストシーンだけを見て感激を新たにした。

 スナックでの主人公の怒りの爆発と暴力の場面から、傷だらけになりながら部屋に帰って母親に電話をするシーン、そして翌朝ジョギングをする姿。アリスの「狂った果実」が流れるこのラストシークェンス(ストップモーションで終わる)は何度見ても傑作だと思う。主演の本間優二は前作「19歳の地図」(柳町光男監督)を引きずった20歳の青年役を演じて確かな実在感がある。鬱屈した青春を描いた鋭い傑作。蜷川有紀の代表作でもあるだろう。根岸吉太郎はこの頃、絶好調だったなとあらためて思う。

 WOWOWの特集は東陽一「ラブレター」、相米慎二「ラブホテル」、浦山桐郎「暗室」、高林陽一「赤いスキャンダル 情事」のメジャーな監督作品に加えて上垣保朗「ピンクのカーテン」が入っている。ま、これは美保純が出ているからだろう。美保純はあの外見からはちょっと想像がつかない文学少女っぽい側面があって好きだった。